ショップ ダンケ

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四日間の奇蹟1

2005-06-04 00:00:00 | 映画&ドラマにハマル!

待ちわびていた映画「四日間の奇蹟」の初日、いそいそ見に行った。総入れ替え制の映画館でなかったので、2度続けて見てしまった。はまる性格なのである。
だって、吉岡さん主演だもん。好きな俳優さんを徹底的に身びいきして、映画の感想を書くことほど楽しいことはない。

100万部を越す浅倉卓弥のベストセラーの原作はもちろんのこと、公開の1ヶ月ほど前から、公式ページやファンサイトを熱心に読み、関連本も買って、映画を見る前から、事前情報を、やり過ぎるくらい、ばっちり仕入れた。待てなかったのだ。

月刊「シナリオ」に掲載された完成台本と、ビジュアルストーリーブックの撮影台本、さらに実際の映画で、それぞれ何が削られたのかがわかってしまったくらいである。

こんな私だから、この作品の最大の課題であった障害がありながらピアノに天才的才能を示す14歳の少女、千織に、彼女をかばって瀕死の状態になる28歳の真理子の心が宿るという奇蹟を、二人の女優が演じることが、違和感なくスムーズに受け入れられた。

真理子と千織の入れ替わりを、映像的には、真理子になったり、千織になったりしながら見せるという佐々部監督の手法を、原作を読んでいず、事前に余計な情報の入っていない人が見ても受け入れられるかどうかが、この映画の要であり、チャレンジだ。

これは、活字の世界ではなく、セリフに頼らない映画ならでは実験的手法だと思う。

佐々部監督は、一貫して「人間」を撮る監督であり、俳優の演技力を信頼する。ラブ・ファンタジーに属する映画であるが、CGIなど極力使わず、俳優のリアルな心の動きを主軸に、画面を重ねていく。

千織役を演じる尾高杏奈は、ピアノが弾けるということを前提に、サバン症候群の少女を演じることに加えて、28歳の真理子を演じないといけないという大変高いハードルを課せられた。

佐々部監督は、真理子役の石田ゆり子に、真理子が宿った状態の千織のパートも、全部セリフを覚えて演じてもらって、ビデオに撮った。そしてそのビデオを尾高杏奈が見て、真理子のクセやしゃべり方、姿勢や目線の動きを学ばせて、演出するという方法をとった。まあ、何とご苦労なことだと思うけれど、1000人からの応募のオーディションで選んだとはいえ、演技的に未知数の尾高杏奈のために、最大の努力を払ったということだろう。


音楽・夢くらぶ

2005-06-03 00:00:00 | この人に萌え萌え!

というNHKの音楽番組で、五輪真弓さんと平原綾香さんが、出演された。

女性シンガーソングライターの草分け的存在である五輪さんが、21歳のとき書いた「少女」を、今21歳の平原さんと共演するというのは、誰が考えたのかしゃれた企画だなと思った。二人とも低音が魅力の歌姫だ。

多感な少女の心の軌跡を歌った名曲は、まだ少女の手前にいた私にも、強い記憶を残している。

平原さんは、この大御所から、共演で、どのような声が発せられるのだろうかと、その変化に興味を持っていたそうだ。ところが、五輪さんからは、「あの当時の声がふわっと出てきて、わあ、さすがだなと思いました」
五輪さんは、それを受けて「そりゃ、歌っている当時が、歌に呼びおこされるのよ」
いやいや、みずみずしい感性を維持していなければ、今の私たちの心に、こんなに響きませんとも。五輪さんの声のつややかさ、伸びやかさは、むしろ年齢を重ねて、深く豊かなものになって、いよいよ魅力的である。

途中、息抜きに、アーティストの思い出のスイーツということで、五輪さんの子供の頃、大好きだったというかりんとうを使ったアイスサンデーが出てきたのだが、
五輪さんと司会の中村雅俊さんが、かりんとう談義をしているのを、そっちのけで、平原さんは、アイスサンデーの美味しさに感動しているリアクションが、若い女の子らしく微笑ましい。ふたりが話しているのを思わず割って「これ、美味しいですよ。」「もうウハウハ食べちゃいます」
年よりずっと落ち着いてみえる彼女の、21歳の素顔がかいま見れたようで、にっこりしてしまう。

平原さんから「お子さん持って変われましたか?」と問われて、五輪さんは、「変わりました。そりゃ自分が変わるから」
「自分が変わっても、周りは、変わらないから、昔の歌を聞きたいといわれる気持ちもわかるけれど、今の自分自身を表現することが一番大事。」
ときっぱり言われたことは、かっこよかったね。

世間的な売上のピークは過ぎていても、自分の世界を、衰えることのない情熱で追求していく姿は、ステキ。最後は、平原さんが、映画「四日間の奇蹟」の主題歌「Eternally」を歌って締めた。この若い歌姫も、愛の持続を歌う。歌手が、歌にこめる歌心というのは、何年たってもも、色あせないのだろう。