☆日々是好日☆
本日も、お料理と茶房『久八』から晩茶人・和です。タイトル☆にちにちこれこうじつ☆中国の唐末から五代にかけて活躍された大禅匠禅的力量の持ち主であった、雲門文エン......
大山・蒜山を望む茶の集い(魂を解放)
はじめての鳥取山陰の旅をしてまいりました。
降り立ったのは、鳥取砂丘コナン空港、帰路は、出雲縁結び空港からでした。
帯広からは、羽田経由でしたので、ひとり旅不慣れなわたくしと致しましては
かなり、ドキドキでした。
全ての、手配をスマホでしたことも初めてでした。
目的は、自然茶の師匠のお里でのお茶の会に参加させていただくことでした。
さて、10月31日から11月5日までのお茶の旅のご報告です。
三日間は、スタッフ自らを開放させ、
自分たちのお茶を楽しむことが目的でした。
一日は、お客様をお招きしまして、
口切の新茶を頂くお茶の集いを開催いたしました。
主催は倉吉ココロストアー田中信宏氏です。
そして、最後の一日はわこさん自身のための出雲の旅でした。
ゲストハウスに一泊しまして、翌日出雲大社参拝させていただきました。
なんと、引かせて頂いたおみくじ『第一番』
内容が、全て良しのいうことなしでした。
その時々の場所で、沢山の出会いがありました。
なんと申しましても出雲で出逢ったシャンティさん(日本人)
師匠の近藤美知絵をご存知だったこと・・・・驚き
本当に嬉しかったです(15年前、東京のお茶の会に参加されたと)
ここでお会い出来るのかと、流石、出雲大社『神在月』です。
わたくしを見て、近藤先生が重なったというのです
おだちますねー(方言)。
素晴らしい旅行最後の、出雲の一日となりました。
まだまだ、素敵な事が盛りだくさんのお茶旅でした。
が、これだけは外せない密かなわたくしのミッションがありました。
今回は、宮澤賢治さんに大きな大きな影響をもたらした
同人誌『アザリア』会の4人のメンバーのひとりである
河本義行さんが鳥取倉吉出身であるということ、
お茶の会のスタッフのTさんのおじい様であるということ、
なんと、そこを尋ねる事が出来たのです。
通称、河本緑石で倉吉では研究会がつくられています。
と言いますのも、河本緑石は『銀河鉄道の夜』の
「カンパネルラのモデル」といわれているのです。
昭和8年、7月に同僚を助けるために水死した緑石、
同じ年の9月に宮澤賢治も亡くなっています。
この2ヶ月間の間に物語が創られたのか・・というと
そうではありません。
まだまだ、研究者の間では答えが出されてはおりません。
しかし、知れば知るほど共通点の多い賢治さんと緑石さん
わたくしたちの心の中にも、強い絆が浮かんでくるようです。
同時代を、気高く理想を掲げ自らの事よりも
まわりの幸せを望み行動にうつした二人ではなかったでしょうか。
鳥取に訪れました事で、知る事になった河本緑石
今回、研究会の波田野頌二郎氏に直接お会いできませんでしたけれど
わたくしの熱い思いを受け止めてくださり
資料や句集等をお送りいただきました。
三朝温泉の、『カンパネルラの館』や
倉吉白壁土蔵群のなかの『河本緑石記念館』など
近藤先生始め、みなさんに本当に親切にして頂きました。
まだまだ、頂きました資料を解読してはおりませんが
今後の、わたくしの人生を大きく彩ってくれるものだと思います。
出逢わせていただきましたこと
心から嬉しく思います。
いまも、大きな大きな輝きを放ってくれています。
ありがとう賢治さん
ありがとう緑石さん
ありがとう鳥取
ありがとう
自然茶
合掌
ココロストアー田中君一昨年帯広の日曜喫茶館にて展示会を。
亡きIさんのお着物でわこさん。