自分らの棲み暮らしている、地域を何時も見守って、くれているのが。山なのだ。
信仰と言えば、言葉が概念的であり、乾いた西洋思想の、概念論の対象になってしまう。
日本神道で体現しているのは、生活その もの の中で、もわっと自分等を包み込んでくれている。空気だとか湿気みたいなもの。是がわが郷では、山であり。男体山・女峰山そして、子である大真名子だとか、太郎山である。
関東平野の北部から、見守ってくれているのが。
日光三山であり、男体・女峰の夫婦山であり、子の赤薙山なのだ。是は平野部分からの眺めで。奥日光に入って、戦場ヶ原あたりから見れば、大真名子や小真名子そして、太郎山が見える。
仏教では、人が死ねば 西方浄土に逝く。
そして、お盆には 帰ってくる。
でも儂らの地域では、居間などの上に。神棚が祭ってあり、小さな お社 がある。そしてこの 社 (やしろ) には、なくなった爺さん婆さん、そして今は亡き父母が、かくれている。
蓮のうてな で瞑目する仏様がたと、磔刑のお姿のキリスト様とでは、
その子達の世界観もずいぶんと、別のものとなるのでは
日本人は、広島・長崎の事を、恨んでいる。
というか、三尺流れれば、水は清くなる。
そして、広島・長崎 や東京大空襲のことは、『呆れ果てたこと。』 と。心に留めている。
『神仏も嘆き、悲しむ 大それた事。』
まあ今風の言葉で言えば、『戦争犯罪』 ではある。
そして、ガザ地区だとか、あのあたりでは。戦争犯罪が、『ハマスの拠点を攻撃する。』 の言い訳の元に、繰り返されている。そして、今までの日本では、『アメ様の為さること。』 と見過ごされてきた。
しかし最近になって、政治の空気が変わってきた。
長崎市長は、言葉では明言せずに、曖昧な表現ではあったが。
(明言すれば、気違いなのだもの、何をするか判らない。)
イスラエルの長崎・原爆の平和祈念式典への、参加を拒否した。
そして愚昧な野蛮人は、イスラエルだけでは無く。
日本を除いた、G7 の 6ヶ国 全てが 愚昧な野蛮国だと、祈念式典への参加を拒んだことで。自らの獣性を 愚かなことに 吐露して見せた。
日本国民の多くは、『来年からも、ずぅっと来るな。』 と思って居る。
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