本日は8月13日。- 長野市、上田市等に艦載機による空襲(長野空襲)があった日である。
http://y-ob.cocolog-nifty.com/notebook/2006/08/post_a5d0.html
左は共産党から、右は自民党まで憲法九条の必要性を叫ぶ人たちは星の数。戦争の惨劇に巻き込まれたくないとの、ナイーブな心情は分からぬでもない。なれど国家運営レベルでこれを語るとき、その意図とは反対に戦争勢力の野望に荷担していることを指摘せずばならぬ。米英などの戦争の目的は相手を隷属することにある。戦後の日本は米英の支配下に入り、統治権は一般論的には恢復したとはいえど、その権力機構、は占領勢力の強い影響下にある。安倍氏はいみじくも是を戦後レジームと呼んだわけだ。政治・官僚・産業界そしてマスコミと警察・暴力団機構は実質米英とりわけアメリカの紐付きである。その傀儡の専横をおおむね許す機構であった。酒井法子女史の失踪から逃走劇へのパフォーマンスは、マスコミの視聴率も稼ぎながらの、愚弄張る報道ではあった。野口美佳氏の関連会社管理下の部屋で起こった女性の死亡と押尾容疑者の逮捕事件はその奥になにやら怪しげな秘密がありげだが、これらを隠蔽する小賢しい工作であったのであろう。行政機構や放送法の下の報道は、法理的には日本国に奉仕すべしとなってはいる。実際は東京裁判を結節点とした、日本統治の傀儡権力幻惑システムである。一般事案に関しては法の精神に則ってことは処理されるが、今般の成り行きを視ればこと戦後レジームの関連事項は、別枠である。知って為すならば明確な真性日本国の敵であるが、知らずにこれを為すものも、我らが行く手を遮る芥の類(たぐい)である。
終戦の詔
よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。 http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4669/daitoua0815.html
『道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、』憲法九条を護ること、道議を厚くするの間(あいだ)の乖離は、ベトナム戦争への荷担を許し、アフガンやイラクへの侵攻には軍事力の示威による荷担まで行っている。この様な仕儀に相成ったのは、ひとえに、平和信仰のオカルト教に批判勢力も政権勢力も堕したからであり、これこそが志操を緩くし国体の精華を発揚すべきとの、日本精神の遺棄に他ならない。
幸いにして今は日本国内は戦時ではない。米軍は日本国内において敢然と米国権力の行使を行う事はなくなった。それはメーデー事件でも、米軍とデモ隊は衝突と言えるようなものはなく、警官隊との衝突のみであった。
http://yabusaka.moo.jp/maider.htm (コミンテルンの先兵の視点で綴られている)
治安の主体ではなく、その対象である一般国民は平和を謳歌してきた。そういっても良いのかも知れない。平和とはそもそもこうした類のもの。なれど、人としてこの世に生を受け、精一杯狂おしくいきるものにとっては、それは欺瞞にしか見えぬ。ひととはこのようなものか。前の大戦は大東亜戦争とも第二次世界大戦とも或いは太平洋戦争とも呼ばれる。小生はそれは知らぬ。唯、父母や叔父叔母其の他の人々からは、たびたび聞かされて育った。戦争の論理とか、正邪とかを話すことはたぶん無かった。ただひたすら狂おしい非日常の展開は、微に入り細にわたり、幾度とはなく語られた。盆と正月などには大勢の人が郷に帰ってくる。男達の会話は最期には戦争の話であった。女達は銃後の話。まるで白黒の映画を見るようにイメージできるまでになった。戦争は人々の生活と人生そしてたぶん考え方にまで、決定的な影響を及ぼしたのである。
そして、終戦である。終戦記念日とは呼ぶが『敗戦記念日』とは呼ばぬ。人々は負けたと思い、実質敗戦記念日である。しかし、それは違う。日本は戦争に敗れたのではなく、戦争を終わらせたのである。様々な戦線で或いは兵站で闘った男達は、必ずこの事を熱く語った。占領軍が進駐し、様々に日本国を陵辱した。この事は幾ら言っても言い過ぎることはない。様々な戦時国際法の定めてきたその精神は、人間の尊厳と国家の不可侵である。戦争はこの二つの人間性のよりどころを破壊した。彼等の目には日本人もアメリカインディアンの様に見えたのであろうか。日本国の伝統的なものの考え方と、占領軍の為したことは相容れぬ。人々は戦争の終わったことに驚喜し、新たな狂おしい<平和>の到来を見るべき目は失っていた。或いは基から、人々は盲(めし)いていたのか。終戦と敗戦の間に憲法九条がある。敗戦であれば、無条件降伏であれば、平和は命拾いであるが、米英への隷属である。終戦ならば隷属にはあらず、休戦であり新たな戦いの準備期間である。終戦の詔に記された、『道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんこと』の言葉の意味するところは、『世界の大勢、また我に利あらず。しかのみならず、敵は新たに残虐なる爆弾を使用し、しきりに無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶところ、まことに測るべからざるに至る。しかもなお交戦を継続せんか。ついにわが民族の滅亡を招来するのみならず、のべて人類の文明をも破却すべし。』の終戦決意の状況認識にと分かちがたく響き合っている。
人命殺傷を第一の目途とした、都市爆撃と原爆の使用は、戦争継続を断念せざるを得ない重大な契機であった。もしこの戦いを終わりにせねば、<人類の文明をも破却すべし>と宣言している。つまり、アメリカの戦争のやり方は、我が帝の御心には、人類の文明に対する挑戦であると明確に映しだされていたのである。それほどにまで悪辣な戦争犯罪を目の当たりにして、それでも終戦を指示せざるを得ない日本国の苦境は想像の外にある。この戦後の日本の平和はそのような平和である。日米安保により日本は米軍の駐留を恒久となし、隷属の「平和」にある。
しかし、世界は米英の陵辱のままにあった。コミンテルンの支配は周辺国を簒奪に任せて弱小民族は征服された。これらの惨劇の上に日本国の「平和」は欺瞞然として君臨している。朝鮮戦争ではどれ程の人命が硝煙の中で果てたのか。ベトナム戦争では前の大戦での日本軍人軍属そして銃後の死傷者を遙かに超える死傷者が記録されている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89
アフガニスタンの苦渋の歴史。ロシアと欧州の狭間でどれだけの惨劇が繰り返されたことか。そしてまたアフガン、イラクである。日本は平和で良かったね。本当か。これは、アメリカの銃後は平和で、世界の富を味わい尽くしている。これこそ世界のゴロツキの家庭の平和である。日本は、その家庭の下僕なのか。日本の平和は侵略者アメリカの平和とほぼ等価と喜ぶべきなのか。全世界の富の半分は、日米由来とはよく言われる。
憲法九条と核の放棄は、このような条件の下でのみ存在が許されている。日本人の多くがアメリカに隷属したからこそ、此処半世紀以上にわたっての世界の不幸がある。日本の欺瞞の平和には、遠い異国の血の臭いがする。硝煙は渡っては来ぬが、その奪い去った財貨の下での、”繁栄”は脚下にある。竹槍で決起せよとは言わぬ。なれど一人前の大人なら、考えようもあろう。『護憲・平和主義』これは子供の願い事。現実の世界からは相手にはされぬ。木瓜の檜舞台で侵略銃後の『平和の舞い』は道化の追従の幇間踊りである。