田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

与論島まるごと博物館

2015-03-15 04:06:38 | 日記


与論島まるごと博物館・・・
与論島は鹿児島県に属しながらも、昔ながらの琉球の暮らし方が息づいていて、まさしく「古き琉球」を垣間見ることができます。このサイトでは、琉球の原風景が残る島「与論島」をブログなどで、「南の島」の日々(ピーピー)の暮らしを紹介します。どうぞのぞいてやって下さい。お待ちしています。
   

お知らせ
ヨロンマラソン完走記念植樹
第24回ヨロンマラソンが3月8日に開催されます。
恒例になった  完走記念植樹を 翌日
9日(月)      9時から11時まで
与論港コースタルリゾートにて行います。
ボランティアの参加をお願いします。


 貼りつけの練習をもう一度

   

今年もまた台風が島を襲った。
繰り返す悲しみは日照りと嵐がもたらしている。
島を挙げての「与論十五夜踊り」の願いが神様に届いてくれなかったのは、
シーポー(作法)が間違っていなかっただろうか? 
など、信心深い私は思ってしまうのである。
台風も干ばつも自然の営みでしかないのに、人間が勝手に自分に都合よく要求しているに過ぎない愚かさに我々は早く気付くべきであろう。
台風の通過後は海岸を見回ることにしている。
砂浜がどれだけ浸食されているのかを確認することにしている。
 今年の台風の通過後に特に気が付いたことは、漁船用の斜路に砂が堆積したまま放置されたおかげで、砂浜がもとの形に戻っていることである。
船倉海岸は私と犬の朝の散歩道であるがここの海岸については念入りに観察している。
度重なる台風と漁師高齢化で斜路を利用する人口が減っているのだろう。
景観と生活のどれを優先させるかを町政に調整してもらいたいものだ。
 前置きは とっといて・・・。




あだなしとぴぬい」と題して 想い出を書いてみよう。

 あだなし」はアダンの気根のことで、ぴぬい」は紐のことである。
アダンは別名タコノキと呼ばれている。
台風の襲来の度に海岸の最前線で潮風に耐え抜いて生えている有用植物だ。
タコの足のように四方八方に支柱根を張り巡らし枝葉を支え、オレンジ色のパイナップルのような形の実は、白い砂浜、エメラルドグリーンの海とパープルな空とによく似合う。
(アダンの木陰に涼んでいるビキニの御嬢さんに思わず声かけたくなるのは還暦を過ぎた私の青春の想い出。)
 陸と海岸との境目に群落をつくっているアダンは私たちの暮しには欠かせない植物であった。果実は美味しいとは言えないが、一応は食べられる。枯れた葉は薪になり若芽は追い込み漁の材料、新芽は食材になった。
支柱根のアダナシは加工して紐の材料にした。
丸太の根を板状に裂いて陰干しをする。
それを指で細かく割いてわらしべの大きさにして縄をなうのである。
縄(ぴぬい)は色々な材料が使われた。
強いと思われる順番で並べると、棕櫚(ちぐ)、アダン(アダナシ)、藺草(ビー)、月桃(サニン)そして、わら縄であった。
幼稚園予備校の頃、紐つくりの作業工程の手伝いをさせられ
褒められたことと同時に小児麻痺だった叔父さんのことを懐かしく想い出す。
叔父さんは解らない言葉を発して私にいたずらをして遊んでくれた。
足はちょっとビッコをひいていたが家の近辺を歩き回ることはできたが、働くという意識はなかったようであった。いわゆる片輪(ハトウ)であった。
その叔父さんや農協勤めの叔母さんを入れて家族10名の長男の私は甘やかされて育ったらしい。みんなにチヤホヤされている私をおもちゃにしていたずらするのを楽しみにしたのがハトウ叔父さんでした。
 夏はトンボ釣りやセミ捕りを遊びにするが、冬は独楽まわしや凧揚げを競う。
家の前の田んぼは北風を遮る土手があり格好の凧揚げの場所だった。
隣近所のヤマグ兄達が凧揚げ競争をするというので竹を切ってきて準備したが、
私はまだ凧が上手に作れないので父が用意してくれた。
父の凧は安定した動きで紐のある量だけ高く上がる。
兄たちに負けまいと思って祖父が夜なべして作ったピヌイを取って来て紐をつなぐと高く上がる。隣のトラ兄は「根畜生」とつぶやき、
凧糸を草に結わえ付けると「待っていろよ・・」と捨て台詞を残して去って行った。
帰ってきたときは手に漁に使う紐を持っていた。
天高く飛んだ。
凧の天辺に付ける「ぶんぶん」が気持ちよく耳に響く。
あとで怒られたのはお互い様。
競い合った父の手作りの凧は叔父さんにもみくちゃにされ泣いた場所、
物干し場が浮かびだす。
 遠い冬の日の侘しい想い出。
台風25号の後片付けをしていたら昔の朽ちたピヌイがでてきた。
隣のトラ兄とは昔からのヤマグ友達だ。
あいあざなえる縄のごとき、助き助け合う仲間、昔からの絆。
チュラマルケーしてこの災難を乗り越えて行こう。


   ひとり言。

海岸の最前線に踏んばって耐えてるアダニヌチーを食べてでもこの困難を耐え凌がなければならない。 
宮脇昭先生の「鎮守の森」ふるさとの木でふるさとの森を!
を合言葉に自然植生を見直したい。
そして与論島に伝わる工芸作品を見直したいものです。

     バンブー竹」の想い出話 2

与論島まるごと博物館

2015-03-15 04:06:38 | 日記


与論島まるごと博物館・・・
与論島は鹿児島県に属しながらも、昔ながらの琉球の暮らし方が息づいていて、まさしく「古き琉球」を垣間見ることができます。このサイトでは、琉球の原風景が残る島「与論島」をブログなどで、「南の島」の日々(ピーピー)の暮らしを紹介します。どうぞのぞいてやって下さい。お待ちしています。
   

お知らせ
ヨロンマラソン完走記念植樹
第24回ヨロンマラソンが3月8日に開催されます。
恒例になった  完走記念植樹を 翌日
9日(月)      9時から11時まで
与論港コースタルリゾートにて行います。
ボランティアの参加をお願いします。


 貼りつけの練習をもう一度

   

今年もまた台風が島を襲った。
繰り返す悲しみは日照りと嵐がもたらしている。
島を挙げての「与論十五夜踊り」の願いが神様に届いてくれなかったのは、
シーポー(作法)が間違っていなかっただろうか? 
など、信心深い私は思ってしまうのである。
台風も干ばつも自然の営みでしかないのに、人間が勝手に自分に都合よく要求しているに過ぎない愚かさに我々は早く気付くべきであろう。
台風の通過後は海岸を見回ることにしている。
砂浜がどれだけ浸食されているのかを確認することにしている。
 今年の台風の通過後に特に気が付いたことは、漁船用の斜路に砂が堆積したまま放置されたおかげで、砂浜がもとの形に戻っていることである。
船倉海岸は私と犬の朝の散歩道であるがここの海岸については念入りに観察している。
度重なる台風と漁師高齢化で斜路を利用する人口が減っているのだろう。
景観と生活のどれを優先させるかを町政に調整してもらいたいものだ。
 前置きは とっといて・・・。




あだなしとぴぬい」と題して 想い出を書いてみよう。

 あだなし」はアダンの気根のことで、ぴぬい」は紐のことである。
アダンは別名タコノキと呼ばれている。
台風の襲来の度に海岸の最前線で潮風に耐え抜いて生えている有用植物だ。
タコの足のように四方八方に支柱根を張り巡らし枝葉を支え、オレンジ色のパイナップルのような形の実は、白い砂浜、エメラルドグリーンの海とパープルな空とによく似合う。
(アダンの木陰に涼んでいるビキニの御嬢さんに思わず声かけたくなるのは還暦を過ぎた私の青春の想い出。)
 陸と海岸との境目に群落をつくっているアダンは私たちの暮しには欠かせない植物であった。果実は美味しいとは言えないが、一応は食べられる。枯れた葉は薪になり若芽は追い込み漁の材料、新芽は食材になった。
支柱根のアダナシは加工して紐の材料にした。
丸太の根を板状に裂いて陰干しをする。
それを指で細かく割いてわらしべの大きさにして縄をなうのである。
縄(ぴぬい)は色々な材料が使われた。
強いと思われる順番で並べると、棕櫚(ちぐ)、アダン(アダナシ)、藺草(ビー)、月桃(サニン)そして、わら縄であった。
幼稚園予備校の頃、紐つくりの作業工程の手伝いをさせられ
褒められたことと同時に小児麻痺だった叔父さんのことを懐かしく想い出す。
叔父さんは解らない言葉を発して私にいたずらをして遊んでくれた。
足はちょっとビッコをひいていたが家の近辺を歩き回ることはできたが、働くという意識はなかったようであった。いわゆる片輪(ハトウ)であった。
その叔父さんや農協勤めの叔母さんを入れて家族10名の長男の私は甘やかされて育ったらしい。みんなにチヤホヤされている私をおもちゃにしていたずらするのを楽しみにしたのがハトウ叔父さんでした。
 夏はトンボ釣りやセミ捕りを遊びにするが、冬は独楽まわしや凧揚げを競う。
家の前の田んぼは北風を遮る土手があり格好の凧揚げの場所だった。
隣近所のヤマグ兄達が凧揚げ競争をするというので竹を切ってきて準備したが、
私はまだ凧が上手に作れないので父が用意してくれた。
父の凧は安定した動きで紐のある量だけ高く上がる。
兄たちに負けまいと思って祖父が夜なべして作ったピヌイを取って来て紐をつなぐと高く上がる。隣のトラ兄は「根畜生」とつぶやき、
凧糸を草に結わえ付けると「待っていろよ・・」と捨て台詞を残して去って行った。
帰ってきたときは手に漁に使う紐を持っていた。
天高く飛んだ。
凧の天辺に付ける「ぶんぶん」が気持ちよく耳に響く。
あとで怒られたのはお互い様。
競い合った父の手作りの凧は叔父さんにもみくちゃにされ泣いた場所、
物干し場が浮かびだす。
 遠い冬の日の侘しい想い出。
台風25号の後片付けをしていたら昔の朽ちたピヌイがでてきた。
隣のトラ兄とは昔からのヤマグ友達だ。
あいあざなえる縄のごとき、助き助け合う仲間、昔からの絆。
チュラマルケーしてこの災難を乗り越えて行こう。


   ひとり言。

海岸の最前線に踏んばって耐えてるアダニヌチーを食べてでもこの困難を耐え凌がなければならない。 
宮脇昭先生の「鎮守の森」ふるさとの木でふるさとの森を!
を合言葉に自然植生を見直したい。
そして与論島に伝わる工芸作品を見直したいものです。

     バンブー竹」の想い出話 2