ペンネーム (竹 盛窪)
2016-01-14 04:30:31
最初のブログ名は カメレオンでした。
それから 泡 盛窪・ 泡盛、大舜童子、わらべ2369、
など 改名を重ねながら ブログを中断したり再開して今になっています。
与論の広報誌・与論今昔のコーナーでは バンブー竹」で書かせてもらいましたが、これは好評でした。
ナカニシヤ出版から発行された「与論島」は共著となっていますが、資料を提供したり、手紙のやり取りをした友好の産物です。
運がよかったのです ね。
新聞や雑誌にも紹介され、所さんの学校では何とかでも自宅のマンゴーを紹介するモンキッキーとかさんの取材が放映されたこともあります。
役場勤務30年の知名度があるので知り合いは多い方です。
アルチューをみせびらかすように俳諧したブログ効果で 書くことが楽しみになりました。
なりたくてなっているわけではないけれど、奇人変人と見られる一方では
真面目な農業の先駆者を自負しています。
人のやっていないことをやってみようと そればかりを考えています。
やるべきことがあまり多すぎて 楽しみすぎて 家庭からはたしなめられていますが
後先短い人生を 日々之口実で暮らしたいと
もし与論人名鑑というのがあってに載るとした
前頭13枚目ぐらいでしょうか。
昇進を目指して 関脇を狙いたい。
自画自賛 今日も元気です。
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コメント ありがとうございます。
返事を書くのを楽しみにしておりますし
いつかは御地方面にも足を運べたらとか思っています。
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海老名で暮らした学生最初の一年が一番懐かしい景色です。
一度も大山参りをしていないので
必ずや実現したい。
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去年の6月に神代植物園から多摩川を渡り相模丘陵ですか、
奥多摩を越えて相模原、厚木を抜け御殿場まで
単車を走らせました。
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箱根駅伝のコースを走ってみたかったのです。
座間市に友人がいるのでそこで泊まりました。
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小田急で通学していたので
「小田急沿線各駅停車」の本を時々取り出しています。
ロマンスカー 歌があったような・・・。
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海老名の駅の周りはすぐ近くまで
蓮華草の田んぼが広がっていて
蓮華の花で首飾りを作って遊んだ(与論島には蓮華草がないので)
無効が遊園地のスケート場でハンとした彼女とのことなどを懐かしく思い出します。
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夢は枯野を駆け巡る
海老名の前駅前は
わずかに坂道が当時のままをのこしておりました。
ショッピンギモーる、ならずショッキングもーるだった。
その頃の日記を読み返している所だったので
弟のことが思い出されて
此処で停めましょう。
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昔をしを偲びつつ 今を知り
新しい時代に順応していく
老人になりたい。
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今の幸せが身の丈なんだろうと思いますが・・・
泡盛さん、ペンネームたくさんあるんですね・・・カメレオン良くない?気に入りましたが、私にとっては泡盛さんかな・・・でもこれだと飲みたくなっちゃいませんか?
踏み切りを渡って山手に上ると清水寺があって、よく散歩に行っていました。ポーラ化粧品の建物も線路脇にあった。
そこからの丹沢山系がとても素晴らしくて、暇のときは相模川沿いを上流のほうにまで歩いたりしました。
植物観察の勉強も兼ねて。
のどかでしたね。
あの頃の雑木林がすっかり 都市になってましたね。
相模丘陵というのでしょうか・・・。
読売遊園地とか向こう丘遊園地とかは田舎からきたものにとっては とても珍しくて・・・。
川崎市武蔵中原に移ってからは多摩川べりをよく散歩した。
スミマセンkonnnakotokatesimatte。
蓮華草の想い出があって そのときのロマンスカーの切符代がなくて・・・、それでも幸せだった。