2012年を振り返って
ここパースの年末は、ちょうど真夏に入る時期で、昼間は40℃を超える日もあり、とても日射しはきついが、日陰に入るとさわやかな風を受けて涼しい。
今年のクリスマスの前に、パースの駅前の広場に噴水が完成し、子供たちがそこで水浴びをして遊ぶようになり、にぎやかだ。
ここパースの年末は、ちょうど真夏に入る時期で、昼間は40℃を超える日もあり、とても日射しはきついが、日陰に入るとさわやかな風を受けて涼しい。
今年のクリスマスの前に、パースの駅前の広場に噴水が完成し、子供たちがそこで水浴びをして遊ぶようになり、にぎやかだ。
街中はどこもクリスマスのデコレーションに着飾り、とても美しい。夜には電飾のパレードもあってにぎやかだ。クリスマスには、やはり白い雪がにあうのか、ロンドンコートでは、雪のかわりに白い紙吹雪が舞い、雰囲気を盛り上げている。
25日のクリスマスと26日のBoxing dayはホリデーの休日だ。特に25日はキャッツを始め、公共交通機関はすべて運休で、市民は家でクリスマスを過ごすか、教会のミサに行って過ごす。TVでは、ヴァチカンのミサがLiveで流れており、宗教的な一日だ。26日のBoxing dayは、クリスマスの贈り物を開く日で、街ではバーゲンが始まり、どこの店も満員だ。日本で言えば、初売りのバーゲンといったところか。
私たち家族は、娘がリハビリ中ということもあって、今年のクリスマスは家でのんびりと過ごすこととなりました。
クリスマスを過ぎると、私は、毎年日本で過ごしてきた年末を思いつつ、初めて異国で迎える年末に思いをはせ、今年を振り返っていました。
2012年は、私にとっても、40年余りの役所生活にピリオドを打つとともに、この地で留学生活を始めた、正に人生の転機の年でした。それに加え、母の死、娘の病気というアクシデントもあって、人生が目まぐるしく変動した年でもありました。
3月の退職に始まり、その後の留学の準備のためのパースでの二ヶ月余りのロングスティ、日本に帰ってからの留学のための手続きと準備の数々。そして、9月、この地へ来てからの学生ビザの申請や、この地での留学生活をおくる拠点となる家探し、引っ越しなどなど、やるべきことが山ほどありました。その上、母の死、娘の病気というアクシデントも加わり、沢山のことが詰め込まれ、目まぐるしく変動した一年でした。
この一年の時の経過には、あまりにも多くのことが詰め込まれており、すべてを書き綴れば、数冊の本が書き上がりそうです。それは、後々に綴ることとし、今は、英語の勉強と写真の勉強に全力を注ごうと決意しています。
それにしても、この間、私の一番の宝となったのは、この地で沢山の人々とめぐりあい、貴重な友人たちができたことです。それは、クラスメートであったり、この地でお世話になった日本人であったり、現地のオージーであったり様々です。
しかし、この地で暮らす彼らは、一様に優しくフレンドリーな人間です。彼らを知ることとなり、友となったことは、本当に良かったと、今思っています。
今年は、写真家HABUさんの言葉を借りて表現すれば、「今年という宝島」ではなかっただろうか。
今年という時の経過の中には、共に学び、共に笑い、共に楽しみ、共に喜んだ、たくさんの楽しい思いではもちろんですが、共に悲しみ、共に苦しみ、共に泣いた日々も含めて、すべてが宝物として詰まっていたと、今思っています。
夢を追ってこの地で留学生活を始め、四ヶ月が経過する今、私も、自分の夢の形が少しずつ観えてきたような気がします。それが現実になるのがいつの日かは、今は定かではありませんが、その夢に向かって歩んで行こうと、今、決意しています。
「歩みは牛のごとく鈍間ですが、志はかもめのジョナサンのごとく空高く飛びたい」と願っている今日この頃です。
想えば、古の旅人たちが、長い航海の果てに、満天の星空に輝く南十字星に導かれて、この地にたどり着いたように、私も、60数年の時の経過を経て、何かの導きによってこの地にたどり着きました。それが何であったかは定かではありませんが、それが何であったかにせよ、私は、今、夢に向かってのスタートラインに達つことができたような気がしています。
シティの街には、年末にもかかわらず、今日も、夢を追ってこの地で暮らす人たちが、その夢の一端を披露していました。私は、彼らに向かって「共に、夢に向かって進もうぜ」と、心の中で叫んでいました。