もしかして A dog's journey
先日、いつも行く近くの公園で体操をしていた時のことです。
私の近くで、オージーの男の人が、一匹の犬を連れてベンチに座っていました。携帯を操作している彼の傍らで、一匹の犬が動き回っていました。
その時、その犬が、私に気がついて、猛然と私の方へ駆け出しました。私は、だんだんと近づいてくる犬に、少し恐怖感を感じていました。
しかし、その犬の様子は、私のそばまでくると尻尾を振って、後ろ足で立ち、前足で私の体に抱きついてくるような仕草で、明らかに親愛の情を表していました。ついには、私の体を舐めてくるような仕草を始めました。
私は、犬を嫌いではなく、むしろ好きですが、その犬は、ブルドックですごい形相をしていたので、私は、逃げ回りましたが、一向に離れる気配はありませんでした。、
そこで、私は、大声で、その主人に声をかけました。彼は、その声に気づき、大声で犬を呼び寄せました。一旦、犬は、主人の元に戻りましたので、私は、安心して、体操を再開しました。しかし、すぐさまその犬が、また私の方へ猛然と駆け寄って来ました。そして、前と同じような振る舞いでしたので、また私は、犬の主人に声をかけました。
それが二回、三回と続きましたので、私は、やむなく、体操をやめ、アパートメントに帰ることにしました。
帰りすがら、私は、その犬の振る舞いを不思議に思いつつ、初めは、単に私の犬好きを察ししての振る舞いなのかと思いましたが、歩いているうちに、ふと別の考えが、頭によぎって来ました。
もしかして、あの犬は---
数日前、妻の誘いで、久しぶりにDVDを見ることにしました。
その映画は、"A dog's journey"という題でした。
そのストリーは、一人の少女Gと一匹の犬Bの、度重なる出会いと、心温まる交流を綴った、長い長い物語でした。少女はシングルマザーと一緒に、祖父の家で暮らしており、その祖父が飼っていた犬がBでした。
祖父は、彼女の不幸な境遇を考えて、彼の愛犬に、いつも、そして、いつまでも、Gを守っていきなさいと、マインドコントロールするように伝えていました。
忠実な犬Bは、三度の転生をえながら、姿かたちが変わっても、その度に、彼女を見つけ出し、守っていきました。
そして、祖父の教えの通り、彼女を守るという約束を、三回の転生を経ながらも、やり遂げたBは、最後には、亡くなった主人の墓に安らかに眠ることになりました。そして、彼の転生の長いJourneyは、ようやく幕を閉じたのでした。
この映画は、人間の命の長さと、犬のそれとが違うところを、うまく使い、命の短い犬が、転生を繰り返すことによって、一人の人間の命に寄り添いながら、その使命を達成するという、心温まる物語となっています。
この映画を見ながら、妻とともに、目頭を熱くし、思わず涙ぐむこととなりました。
このストリーは、ありえない話ではありますが、私は、一方では、このような物語は、きっとあり得るような気がするとともに、そうあってほしいとも、、その時思っていました。そして、今では、その気持ちは、さらに強くなり、確信へと変わって来ました。
振り返ると、私も、幼少期から犬と親しんで来ました。
五人兄弟の末っ子であった私は、当時、自分に従い、、ともに遊び合うことのできる下の子の存在を望んでいたかもしれません。一番上の兄は、10歳も歳が離れていたということもあったからかもしれません。
そんなことを考えてか、親父が、私に子犬をあてがってくれました。
その犬は、ゴンという名で、雑種の秋田犬だったように記憶しています。彼は、私によくなつき、いつも一緒に遊んでいました。
当時は、まだ、家の周りには、田畑が広がり、自然が残っていましたので、その自然に包まれて、ゴンと一緒の楽しい時間を過ごしていました。
そして、当初の遊び相手としての存在から、、成長するにつれて、わたしを守るガード犬のような存在になり、わたしを守ってくれたことが何度かありました。
彼は、周りの人たちからも、ヒーロー犬のように扱われており、彼が人に噛みつき、危害を加えても、彼を責め立てる声はいつもなく、噛み付かれた人が批判を受けていました。彼の機嫌を損ねるような振る舞いがあったからだと。
彼も、寄る年波には勝てず、また、折しも始まった車社会の到来によるアクシデントに見舞われることとなりました。
わたしは、道路脇に横たわる年老いた彼の体を、窓越しに眺め、涙していた記憶があります。
そして、今、わたしは、あの時、公園で何度となく、必死にわたしを追いかけ回ったあの犬は、
もしかして、あのゴンの生まれ変わりでなかっただろうかとの、考えがよぎりました。
ゴンに与えた親父のメッセージ、使命がなんであったのか。
あの映画の中の祖父がBに伝えたメッセージと同じようなものであったのかと、思いをめぐらしていました。
そして、公園の犬が、ゴンの転生した姿であったとしたら、彼は、自分の使命を、まだ成し遂げてはいないから、この世に再び現れ、探し求めて来たわたしを見つけて、あのような振る舞いをしていたのか、と思ってもいました。
それで、今度、公園で会った時には、彼を抱きしめてやろうと、今思っています。
そして、"もしかして---"という思うに至ったのは、以前に"写真の友K君に捧げる"や、"亡き母に捧げる"などの記事で書いたような、カモメの不思議な行動にも、何回か遭遇していたからです。
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