地球年代記 5月9日(水) 曇り後雨
秋から冬に向かう、季節の変わり目の最近は、このパースも天気が安定せず、今日も小雨混じりの曇った空模様だ。
そこで、久しぶりに日本から持参したDVD「風の谷のナウシカ」を観ることとした。
冒頭のシーンで、この地のピナクルズに似た風景が描かれており、昨年、ガイドさんから聞いた言葉を再確認した。そして、宮崎駿さんが描く「腐海」深部の浄化された光景と、キャメロン監督が描くアバター星の森の光景が、良く似ていることに今回あらためて気づき、二人の想像力の豊かさに驚いたものだ。
また、このパース市内を走る無料バスキャッツは、宮崎さんのアニメ「トトロ」の猫バスを連想させ、乗っていても楽しく癒されるものだ。
ピナクルズと言えば、昨年、その風景に感動し、「ピナクルズとノーザン・テリトリーを巡る妄想の旅」で、地球の過去と現在と未来を巡る、妄想を抱いたものであるが、イスラエルの言語学者セガリオ・シッチン博士が描く「地球年代記」には、もっと驚愕の失われた歴史が語られている。
彼が語る地球の年代記とはどのようなものだったのだろうか。
彼は、メソポタミアで発見された膨大な量の粘土版を、言語学と宇宙科学を酷使して解読し、壮大な叙事詩としてまとめた。
その中の一枚のタブレットに、太陽を中心に12個の星が描かれたものがあった。正確には、太陽と月を除くと10個の惑星があり、その10番目の惑星は「二ビル」と呼ばれた。その名は、シュメールの言葉て「交差する」という意味をもっていた。すなわち、その名は地球の公転軌道とその惑星の公転軌道が交差するためにそう呼ばれたものだ。
その第10番惑星二ビルは3600年の周期で太陽を一周する超楕円軌道を持つ惑星であり、3600年に一回、地球の公転軌道と交差するものだ。
その交差する時に何が起こっていたのか。
驚くことに、その交差する時を利用して、その星に住む二ビル星人は、地球に降り立っていたのだ。
「天から降り立った者」「巨人」と旧約聖書やシュメール神話で呼ばれた彼ら「アヌンナキ」「ネフィルム」こそ彼らなのだ。
この物語は真実なのだろうか。
シッチンは、シュメール文明の時代に、タブレットに刻まれた9個の惑星(水、金、地、火、木、土、天、海、冥)を肉眼で観測することは不可能であり、まして、10番目の惑星を知ることなど、シュメール人には不可能であり、3600年をかけて太陽系の中を公転する星の住人だからこそ、それを可能にしたのだと論証している。
また、シッチンは、シュメール文明がおおむね3600年周期で、飛躍的な進化をとげており、特に天文学、暦などは、ほぼシュメール時代に完成している事実をあげて論証している。
今の365日を一周期年とし、それを12月に分けた暦も、この3600年と12の数字からきたものだ。
それは何を意味しているのか。
彼らは、3600年周期で地球に何度も到来しており、植民をしてきたというのだ。
それは何のためだったのだろうか。
それは、彼らの星の大気が汚染され生存の危機に直面することを予測してのことで、大気の浄化に必要な金を得るためだったと、シッチンは書いている。
彼らは長年の観測により、地球に金が埋蔵していることを知っての、植民であったのだ。
それでは、彼らと人類との接触は、どのようにおこなわれたのだろうか。
彼らの到来の第一歩は、数十億年前だったと、シッチンは書いている。
かつて、彼らは、地球の太古のバンゲア大陸の入り込んだ湾の向こうにそびえ立つアララト山を目指して、天から降り立ったのだ。その地こそ、かつては湿地帯であったメソポタミアの地であったのだ。
それでは、彼らと人類との接触は、どのようにおこなわれたのだろうか。
彼らの到来の第一歩は、数十億年前だったと、シッチンは書いている。
かつて、彼らは、地球の太古のバンゲア大陸の入り込んだ湾の向こうにそびえ立つアララト山を目指して、天から降り立ったのだ。その地こそ、かつては湿地帯であったメソポタミアの地であったのだ。
その後続いた何度かの到来の中で、まず生物の種子がまかれ(実際メソポタミアでは小麦の化石は天然種ではなく、栽培種であることが確認されている)、続いて都市の建設など、周到な準備の後、金採掘のための植民が行われたのである。事実、南アフリカの地で、太古の金採掘場も発見されている。
そして、その後、金採掘の過酷な労働に耐えかねた、アヌンナキ族の一部に反乱の動きがあったため、新しい労働力の必要に迫られた彼らは、地球上で、最も彼らに似ており、最も賢い類人猿に目をつけたのである。
そして、そのことが、旧約聖書にある「神の姿に似せてアダムとイブを創った」真相なのだと、シッチンはいうのである。
実際、シュメールの粘土版にはそれらしき光景を描いたものも、見受けられるのである。
そして、彼は、「神に似せて創った」ということにまで言及しているのである。
最初は、類人猿にアヌンナキの遺伝子を人工授精してこころみたが、期待した賢い新種は生まれず、思考錯誤のすえ、アヌンナキ族の勇敢な女神ニンフルサグが、自分の子宮を使うことを申し出、彼女に類人猿の遺伝子を人工授精した結果、期待した賢い新種、人類が誕生したのだ。
それが、人類創成の真実なのだと物語っている。
その後の人類の歴史については、大雑多ではあるが、旧約聖書に書かれているが、アダムとイブを創成した「天から降りてきた者」の行方は聖書には記されていない。そこでは、「ネフィルム」と言う言葉が残され、「巨人」と訳され、「神」は別の存在、宗教的な絶対神となってしまったのだ。
しかし、彼らこそ、かつての時代に「神」と呼ばれた存在だったのだ。
「衣」を着た、言葉を「申」すという本来の意味で。
そして、人類の最初の母体となった「ニンフルサグ」は、現代まで「ニンフ(妖精)」と言う言葉で敬われているのである。
日本でもニンフ、ニンプ(妊婦)と呼ばれる言葉は、この語源に由来しているのだ。
そして、人類の最初の母体となった「ニンフルサグ」は、現代まで「ニンフ(妖精)」と言う言葉で敬われているのである。
日本でもニンフ、ニンプ(妊婦)と呼ばれる言葉は、この語源に由来しているのだ。
人類は、3600年ごとに到来し、人類に文明を授けてきた彼らの到来を待ち望み、その待ち望む人類の願望が、メシア(救世主)思想となり、聖書に記述されることとなったのだ。イエス生誕の時に現れたと言われるベツレヘムの星も、この星の到来を願ってきた人類の願望の印だろう。
そして、十字をきって祈りを捧げる仕草も、この星が地球と交差する時を願望した由の、仕草からきたものなのだ
また、彼らの惑星は、太陽を3600年かけて一周するため、彼らの一歳は地球上での3600年となり、彼らが不老不死の存在として崇められたのはそのためだ。
浦島太郎効果の伝説も、もとを辿れば、この人類の言い伝えからきているのだ。
その後の、地球と「アヌンナキ」の歴史についても、シッチンは詳しく物語っているが、長くなるので、ここでは記さないが、大洪水の時期、一時避難していた彼らは、その後、文明の再構築にとりかかったが、重力の負担には勝てず、知識の一部を人類に残し、地球を後にしたのだろう。
そして、彼らの痕跡として残っているのが、ギザのピラミットをはじめ、避難都市マチュピチュなどの古代の遺跡なのだろう。
その後の、地球と「アヌンナキ」の歴史についても、シッチンは詳しく物語っているが、長くなるので、ここでは記さないが、大洪水の時期、一時避難していた彼らは、その後、文明の再構築にとりかかったが、重力の負担には勝てず、知識の一部を人類に残し、地球を後にしたのだろう。
そして、彼らの痕跡として残っているのが、ギザのピラミットをはじめ、避難都市マチュピチュなどの古代の遺跡なのだろう。
そう言えば、「風の谷のナウシカ」でも「その者、青い衣をまとい、金色の野に降り」と言う表現で、救世主の出現を予言する老婆の言葉が、随所に出てくる。そして、最後にナウシカが青い衣をまとった姿となり、人類を救って天に昇り、そして金色の野に降り立つ光景が描かれている。それは、衣をまとった言葉を話す存在、「天から降り立った者」として、神と呼ばれた存在を連想させ、彼らから知識を授かった人類を象徴するかのような光景だ。
DVDを観て妄想を巡らした翌日、シティの街へ出て、大聖堂の前を通りかかると、その前で祈りを捧げる老婆がおり、「青い衣をまとった・・・」とつぶやきながら、クルス(十字)をきっている姿を見たような気がしました。
すると、そばから妻の声が聞こえ、我にかえったものでした。
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