失われた時を旅するー序章 4月25日(木) 曇り後晴れ
ここパースの空はいつ見てもきれいだが、秋の気配の深まる最近の雲の流れる夕暮れ時の空もすばらしい。
「アバター」を見て妄想した数日後の今日、その夕暮れ時の美しい空に、月と宵の明星が西の空にくっきりと浮かび上がる、珍しい瞬間に出会い、その美しい幻想的な光景に感動した。
その感動もあって、数日前の「アバターの帰還」で抱いた妄想がさらに広がることとなった。
今日見た月とビーナスの接近の光景は、偶然の所産であるが、かつて本当の出会いはなかったのだろうか。
そう言えば、「衝突する宇宙」の作者ヴェリコフスキーは、旧約聖書やギリシャ神話を読み解き、ゼウスの額からビーナスが飛び出したという神話は、木星から金星が飛び出した事実を記憶した先人類が、象徴として神話化したものだとの説を唱えている。
さらに、サイエンスエンターテナー飛鳥昭雄氏は、その説をさらに広げ、驚くべき説を唱えている。
木星は一般的に言われているガス惑星ではなく、地殻惑星であり、その雲の下に巨大火山クロノスがあり、かつてその火山が大噴火を起こし、その時、その火山から飛び出した地殻が、旧約聖書で言うところの巨大彗星メノラーとなって、地球の近くを通過することとなった。その時、月と地球に起こったカタストロフィーが、洪水神話の真実なのだと。
木星は一般的に言われているガス惑星ではなく、地殻惑星であり、その雲の下に巨大火山クロノスがあり、かつてその火山が大噴火を起こし、その時、その火山から飛び出した地殻が、旧約聖書で言うところの巨大彗星メノラーとなって、地球の近くを通過することとなった。その時、月と地球に起こったカタストロフィーが、洪水神話の真実なのだと。
まさに、月とビーナスの出会いが、かつてあったのだ。
そして、そのカタストロフィーとは、まず月の地殻に亀裂が入り、地殻の中に充満していた熱水が宇宙空間に飛び出すこととなり、その熱水は、地球の引力に引き寄せられて、滝のように地球に降り注ぐことになった。その史実を、旧約聖書では「天の扉が開き、水が滝のように降り注いだ」とあり、それが洪水神話の真実だと。
すなわち、洪水前の地球には、旧約聖書の描くところの楽園「エデンの園」があり、それがカブレラストーンに描かれている地球であり、キャメロン監督の描くところのアバター星なのだ。
そして、その太古の地球は、現在よりも小さく、重力も弱いもので、恐竜と先人類が空をも自由に飛び回ることができ、体も一回りも二回りも大きいものだった。大地は超大陸バンゲアがあるだけで、海は入り江状の湾があるだけだった。
そこに、かの洪水によるカタストロフィーが起き、超大陸バンゲアはほんの一部を除いて水没することとなった。その水没の伝説が、現在のヨーロッパの地では、アトランティス大陸の伝説となり、太平洋の地では、ムー大陸の伝説となった。そのカタストロフィーを生き延びた先人類の伝説が、ノアの箱船伝説となった。
その後の地球環境の激変はどうだったのだろうか。
大量の水と砂が、月から降り注ぎ、質量を増し、重力の強くなった地球は、その内部の対流も激変することとなり、水没していたバンゲア大陸に亀裂が入り、徐々に分離移動しながら海面から姿を現してきたのだ。それが大陸移動の真実なのだ。
驚くことに、南米チリのイカの地で発見されたカブレラストーンの一つには、先人類と恐竜とともに、ギザのピラミッドらしきものが描かれているのだ。
その事実は何を意味するのか。
それは、かつて、南米大陸とアフリカ大陸がひとつであったことを意味し、洪水前の地球には一つの大陸バンゲアがあった、との仮説と一致するものだ。
また、その激変は、当然ながら、洪水というカタストロフィーを生き延びた先人類や生物たちにも、計り知れない影響を及ぼしたことだろう。
驚くべきことに、そのあたりの記憶がカブレラストーンに線刻画として刻まれているのだ。
後期のカブレラストーンには、帝王切開をする手術の光景を描くものと、ホモセクシュアルの光景を描くものが、たくさん発見されている。
この事実は何を意味するのだろうか。
それは、重力の変化により、母体の受けるそれと、胎内で羊水の保護のもとで胎児が受ける重力の違いにより、重力ラグが生じ、大きな胎児により母体が危険にさらされることとなった所産ではないのか。ホモセクシュアルの増加も母体の妊娠による危険を避けるため、アダムがとった悲しい選択だったのではないか。
そのように苦難を潜り抜け、今の人類があるとすれば、かつてのアダムとイブたちに感謝するばかりだ。
そんな妄想を巡らした翌日、シティの街に出ると、今日も変わりなくアダムとイブの末裔たちが、楽しげに交流する光景があった。
また、その激変は、当然ながら、洪水というカタストロフィーを生き延びた先人類や生物たちにも、計り知れない影響を及ぼしたことだろう。
驚くべきことに、そのあたりの記憶がカブレラストーンに線刻画として刻まれているのだ。
後期のカブレラストーンには、帝王切開をする手術の光景を描くものと、ホモセクシュアルの光景を描くものが、たくさん発見されている。
この事実は何を意味するのだろうか。
それは、重力の変化により、母体の受けるそれと、胎内で羊水の保護のもとで胎児が受ける重力の違いにより、重力ラグが生じ、大きな胎児により母体が危険にさらされることとなった所産ではないのか。ホモセクシュアルの増加も母体の妊娠による危険を避けるため、アダムがとった悲しい選択だったのではないか。
そのように苦難を潜り抜け、今の人類があるとすれば、かつてのアダムとイブたちに感謝するばかりだ。
そんな妄想を巡らした翌日、シティの街に出ると、今日も変わりなくアダムとイブの末裔たちが、楽しげに交流する光景があった。
イブたちの惜しげもなく胸をさらけ出して、アダムを誘うかのような所作にも、あの苦難の時代にアダムから忌避されても、なおアダムの心をとらえたいと願った、悲しくも愛情深いイブの心の痛みを感じ、素直に「ありがとう」と感謝したい気持ちだ。
そして、ホモセクシュアルのカップルをみても、同じ時代に生きたアダムがとった悲しい選択のなごりだと考えると、アダムにも「ごくろうさま」と感謝をしたい気持ちがわいてきたものだ。
かれらの産みの苦しみと悲しい選択が、現在の人類の繁栄を築いたのであろうと想うと、それを引き継いだ我々も、未来に繋がる選択をしなければ、申し訳ないと思ったものです。
かれらの産みの苦しみと悲しい選択が、現在の人類の繁栄を築いたのであろうと想うと、それを引き継いだ我々も、未来に繋がる選択をしなければ、申し訳ないと思ったものです。
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