4月15日(日) 晴れ
アバターの帰還
サウス・ウエストからの帰りの途中、バスの車窓からみた漆黒の空に散りばめられた満天の星に感動したこともあって、翌日、キングスパークへ夜空を観に行くこととした。公園には、既に沢山の人が集まり、シティの夜景と夜空の満天の星を眺めて、癒しの時を楽しんでいる。
我々も、シティの夜景に感動し、満天の星の中に南十字星を見つけることができ、初めてみたこの十字星の遠慮がちな姿に、親しみを覚えたものだ。というのは、この星座の近くに、にせ十字星と言われる大きな十字を象る星座があるからだ。
今日観たこのキングスパークからのシティの夜景と南十字星、そして、数日前にみたシティの日の出の光景は、一生忘れることはないだろう。そして、その感動が私のイマジネーションを駆り立てることとなった。
サウス・ウエストの岬で、アイルランド娘たちの「楽園への帰還」を祈り、その翌日、満天の星空で南十字星を見つけたこともあって、前から気になっていた、今日のテレビで放映される「アバター」をみることにした。というのは、以前、日本の映画館でみたのであるが、その時、おぼろげに感じていたが、なかなかはっきりと見えてこなかった、キャメロン監督のこの映画での意図が、今なら解明できそうな気がしたからだ。
それは、この楽園都市パースで現在を生きる、たくさんのアダムとイブたちの多くが、移民やその末裔であること、そして彼らが、本国のしがらみから解き放たれ、この楽園と言われる都市でフレンドリーに、自由に暮らしている光景を目にするからだろうか。
そういえば、パース駅の広場にある「Grow Your Own」と言う名のモニュメントは、旧約聖書にあったと言われる楽園を象徴する、生命の樹を連想させるものだ。この緑のモニュメントは、シティの街へ入る時、現代のアダムとイブたちが、その下をくぐったり、触ったりする親しみのあるものだ。
ここでのテレビ放映では、翻訳者の勝手な翻訳字幕を目でおうこともないので、キャメロン監督が映像で訴えたかったものが、そのままダイレクトに伝わってくるような気がした。
この主人公は、近未来の地球に生きる、傷ついた人間で、アバター星を目指すミッションの一員であったが、彼こそは、エデンの園を追放されたアダムの象徴として、その星に送り込まれたのではないのか。
りんごの実を食べて、エデンの園を追放され、地上に築き上げた文明の利器をもって、アバターとなって、その星にタイムスリップして、彼がそこで見たものは。
そこでは、生命の樹のもとでアバターたちが、平和に暮らしている。恐竜たちとも共存して、彼らが暮らすその星の光景は、正に、りんごの樹のもとで暮らしていた、かつての楽園「エデンの園」ではなかったのか。
アバターとは、傷ついたアダムが、かつての「楽園への帰還」を果たし、イブに再会した話ではないのか。
この映画では、邪悪な文明の武器を用いて、アバター星を征服しようとする人間たちと、アバター星人との戦いが描かれている。この戦いで楽園は破壊されようとするが、アバターとなった傷ついたアダムと彼に賛同する数人の人間たちの助けにより、邪悪な人間たちを撃退することができた。
アバター星とは何であったのか。
興味深いのは、南米チリで発見された「カブレラストーン」と言われる考古学資料には、恐竜たちと共存している、先人類の線刻画が描かれている。それは、今までの学説の常識とはかけ離れているが、先人類と恐竜たちが共存していた時代が、かつて存在していたことが、うかがわれるのである。キャメロンは、この資料を知っていたのだろうか。
この映画では、人間よりも巨大なアバターたちは、恐竜に乗って空を自由に飛び回っており、重力が現在の地球のそれよりも小さいことがうかがわれる。それは、かつての地球に生きた恐竜たちも、現在の地球の重力では、自由に動き回れることもできず、まして空を飛べることもできなかったとも言われており、かつての地球も、重力も今より小さかったのではないかと言われていることとも一致する。
この映画では、近未来の人間が、その科学によって、アバター星人に似せてアバターを創成するのであるが、旧約聖書では、神が自分の姿に似せて人間を創成したとある。
そして、そのアバター星人は旧約聖書が描くところの生命の樹の下で暮らしている。ならば、そこにアバター星人を創成した神がいたとしたら、その神とはアバター星人に似た巨人であったとも、想像されるのである。
驚くことに、旧約聖書には巨人と訳されている「ネフィルム」という存在が記されており、また、その原典とされるシュメール神話には「アヌンナキ」と言われる巨人が記されている。イスラエルの言語学者セガリオ・シッチンは、この巨人を「天から降りてきた者」と解読し、彼らこそが「神」と呼ばれた存在の、かつての地球に到来した宇宙人だ、との説を唱えている。
驚くことに、旧約聖書には巨人と訳されている「ネフィルム」という存在が記されており、また、その原典とされるシュメール神話には「アヌンナキ」と言われる巨人が記されている。イスラエルの言語学者セガリオ・シッチンは、この巨人を「天から降りてきた者」と解読し、彼らこそが「神」と呼ばれた存在の、かつての地球に到来した宇宙人だ、との説を唱えている。
キャメロン監督もそのようなことも頭に描きながら、この映画を創ったのだろうか。
カブレラストーンの時代と、その後の地球の重力の増加は、何が原因だったのだろうか。それは、旧約聖書で描かれ、全世界に残っている洪水伝説として語られている大洪水ではなかったのか。
アダムとイブが背負うことになった原罪とは、物理学的には、大洪水の後のカタストロフィーの結果、地球の質量の増加がもたらした、重力の増加と言うかたちでも現れたのだ。彼らの末裔たちは、これらの地球そのものの激変をもくぐりぬけ、今日まで生き延びてきたのだ。
このあたりの話は、モー吉の写真館「達真館」で予定している旅シリーズの第三弾「失われた時を旅するー古代史の原風景」で探求してみたいと思っています。
この映画を見ながら妄想した翌日、シティの街へ出ると、今日も変わらず、現代のアダムとイブの末裔たちが、あのオブジェの下を潜り抜けていました。