モー吉の悠悠パース留学絵日記

この日記では、パースでの留学生活での出来事を中心に、心象風景を交えて、写真とエッセイにより、絵日記風に綴っています。

心優しきホストマザー

2012-04-15 23:54:14 | 今日を旅する
心優しきホストマザー 3月28日(水) 快晴 28℃~15℃

 今日は、娘がお世話になったホストマザー宅に、お礼の挨拶に伺う日だ。
 ホストマザーは、イタリア人で80歳に近い高齢であるが、今も三人の留学生の世話をしている元気で明るい、心優しい人だ。娘も最初にこのマザーにお世話になったことは、とてもラッキーでした。
 我々が家に到着すると、マザーは、ピザとクッキーなどの手作りのイタリア家庭料理を用意して待ってくれていました。玄関の扉を開けて、娘の顔をみると、久しぶりに我が子に会うように喜んで、ハグしてきました。我々の顔をみてさらに喜んでくれました。それは、娘が一ヶ月程で、マザー宅を離れることになったとき、「是非両親をつれてきなさい。」と約束をしていたこともあったからではあるが。



 我々も、前もって準備していた英語でのあいさつをなんとか終え、お礼のプレゼントを渡しました。妻は、娘伝いに要望されていた日焼け防止の日本製のクリーム(これは、紫外線の強いオーストラリアでは、はだの白いヨーロッパ人は皮膚がんになりやすく、実際、マザーは皮膚がん切除の手術を何度もしており、その防止には、日本製コーセーのSPF+50の防止クリームがよく効くからとのことで頼まれていたものである。)と、日本製のかわいい化粧鏡、私は、葛飾北斎の浮世絵の記念切手シートをフォトフレームに飾ったもの、娘は、マザーが好きなワインとイースターカードのメッセージを。


 早速、持ってきたワインをあけ、手作りの料理を食べながら、楽しい団らんの時を過ごしました。料理は大変おいしく、彼女が、料理のうまいホストマザーであるとの評判は本当であった。
 この団らんでわかったことであるが、彼女は十代で結婚し、第二次大戦後不況で働き場のない時代に夫とともにこの地に移住し、看護師として生活を支え、二人の息子を育ててきたということである。夫を亡くし、二人の息子が独立してからは、得意の料理を活かして、留学生たちの面倒をみているという話であった。亡くなった夫の話になると、涙ぐみ、夫がクッキーをワインにつけて食べていたということで、私が同じように食べてあげると、大変喜んだ様子であった。

 心優しいイタリアの肝っ玉母さんといったマザーは、イタリアの地中海性気候とよく似たこのパースの地が気に入って、その郊外で60年ほどひっそりと暮らしてきた、祖国イタリアを愛し、留学生たちにその家庭料理をふるまっている、愛すべき人だ。
 我々が団らんした居間のマントルピースの上には、彼女の今日までのヒストリーが一目でわかる写真がたくさん飾られていた。彼女は、きっとワインを飲みながら、これらの写真を眺め、毎晩、亡き夫と語り合っているのだろう。
 食事の後、彼女がぶどうやハーブ、野菜などを育てているガーデンを見せてもらいました。ガーデンには、沢山の種類のハーブが自然に育っており、彼女は、太陽のめぐみだと言って感謝していました。ハーブ好きの妻は、イタリアンパセリを一束切ってもらい、大変喜んでいました。





 庭のテラスには、孫などが集まったときに、ビザが焼ける大きなオーブンが設えてあり、楽しいひと時の模様をうれしそうに話してくれました。


 楽しいひと時が続き、予定の時間を一時間程オーバーしてしまいました。
 マザー宅を去る前に、あのマントルピースの前で、一緒に記念の写真を撮りました。





 別れを惜しみながら、あいさつをすると、マザーが、一人一人に力強くハグをしてくれました。
 私たちも、このマザーのように歳をとりたいものだと思いながら家を後にすると、玄関ではマザーがいつまでも手を振っていました。



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