あじさい
例年6月に、家のマネジメントのため、日本に一時帰国していますが、今年はいつもの年より早めに帰ったため、紫陽花がまだ綺麗に花をつけていました。
花壇の雑草や伸び放題になった庭木の枝の剪定などは、すぐにでも必要なのですが、紫陽花があまり綺麗なので、その姿を少し楽しんでから、剪定を頼むことにしました。
少し早めに帰国したのは、実家を守る姉が手術をするかもしれないという連絡を受けていたためです。
姉は、亡き父が興した鉄工所の灯火を守り続けるため、大学を卒業してから今まで、自ら興した鉄工所の経営に奮闘して来ました。
その努力の甲斐あって、今の不景気な時代にも関わらず、また、下請け工場が沢山倒産する中にあっても、無借金経営の優良企業として、存続して来ました。
その女傑でもある姉が、この二、三年の体の不調から、遺言書の作成に取り掛かっているという話も聞いていました。数年前、長年一緒に暮らしていた母が亡くなり、一人暮らしになったのが、心身ともに弱気になって来た、その転機だったかもしれません。
長年、趣味として描いてきた油絵も、最近は描いていないようです。そういえば、7年ほど前の、母が亡くなった49日の頃、入選した絵の展覧会を兄弟で見に行き、お祝いした憶えが蘇りました。
長年、趣味として描いてきた油絵も、最近は描いていないようです。そういえば、7年ほど前の、母が亡くなった49日の頃、入選した絵の展覧会を兄弟で見に行き、お祝いした憶えが蘇りました。
居間を改造したアトリエには、今までに描いた絵が、所狭しと飾ってあります。
日本に帰国し、実家を訪れる折には、母が健在の時、寝室として使っていた部屋に、私は泊まることにしています。
そこには、母が好んでいた博多人形が二つ、今も飾られています。
私はこの博多人形に、なぜか心惹かれ、以前に写真を沢山撮った事があります。
母は、生前この人形を見ながら、自分と子供達に重ね合わせて、人形に話しかけていたのだろうか。
その母の七回忌を、今年の10月には、最後の回忌法事として行いたいと、姉は考えているようです。
その母の七回忌を、今年の10月には、最後の回忌法事として行いたいと、姉は考えているようです。
姉の7月に予定されていた手術は、新薬の影響による足の血栓のため、延期になりました。次の八月の検査により、手術が可能な状態になれば、手術をすることになるかもしれないとのことです。
実家の庭にも、紫陽花の花がまだ綺麗に咲いていました。
名古屋の私の家の紫陽花は、一年に一度の世話だけにも関わらず、毎年花開いています。また、花壇には雑草が生い茂り、その生命力の強さに毎年感心しています。
それらの花たちや雑草の、自然のもつ生命力に、少しであやかりたいと、今思っています。
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