9月の富士山… いや~~~雲が…ああああ(写真と内容は関係ありません)
こんにちは。
父は2012年3月10日 急に私の前からいなくなりました
3月10日で東日本大震災の次の年の前日なので忘れないです
その日の朝
父はいつものようにテレビを見ながら私にクイズを出したのです
papa ≪今日(3月10日)は何の日かしってるかい?≫
え~~クイズだ…え~~~っと
≪東日本大震災の前の日~~~~!≫
papa ≪それもそうだけどなあ…東京大空襲の日だよ≫
≪あ、そうなんだ…≫
そう答えながら父が何か言っているのが
段々とすごく遠い遠い所から聴こえるようになってきたのです
確かに、目の前で父と会話しているのに 段々遠い遠い声??なんか変だな
papa≪じゃあ横浜大空襲はいつか知ってるかい?≫
なんか遠いなあ…
≪え~~っと いつ?? ≫
…
…
≪ 5月29日だよ ≫
やっとやっと聴こえる声
…
なんか変だなって思いながら、仕事だったので
カバンもって
≪行ってきます!≫
papa ≪………≫
最後は何を言ってるか聴き取れなくて
でも、いってらっしゃいだろうなって思って仕事に出て
…
…
帰り道は … 横浜市大の死体安置室に案内された
だから、いまだに私的には
父は亡くなったという感覚がなくて長い旅に出てる人
でも、とりあえず法事だけはやってるって そんな感じです
私は小さい時から父によく遊んでもらっていました
父も良く私をかまっていましたし
お互いに似たような性格だったから
口げんかしたこともたくさんありましたが
楽しくて、物知りで、優しくて 悪い思い出はみんな忘れました
私は父を尊敬していました
母も尊敬していました
(もちろん今も尊敬する人です)
私の就職する時代というかその当時、
インタビューや面接などで尊敬する人はと聞かれると
私は即座に【両親です】と答えました
そのころは 尊敬する人は? と聞かれたら
一般的には
その時に知る限りの偉人、英雄、有名人などの名を連ねて
なぜその人を尊敬するのかを 自分の知る限りの知識を振り絞って答える
そんな風潮だったので
私が 【両親です】と答えると
質問した人は大抵ちょっとビックリしながら
【立派なご両親なのですね】
なので私も 【そうです】
そう答えていました
そんな父ですが、
私は父に褒められたことが記憶に全く無い
褒めて育てる人ではなく
昭和ヒトケタの 頑固ジジイだったのカモですね
でも、大学の教授をしていたので
私のような 小娘の扱いは
普通一般の昭和ヒトケタジジイよりまだマシだったかもですね
今でこそ、パパママ大好き!友達家族~~なんて言うのは
よくある事なのでしょうね
何でこんな事、今書いてるのかな…
そうなんですよ
日々 ニュースで騒がれている
日本国内の県の知事さん
あの方にも配偶者や子供がいるだろうなあ
そんな事思ったら
あの方のお子さんは
こんなに話題になっているお父さんを尊敬してるのかなあ
…
…
しているんだろうな
カニとかネギとかジュースとか、その他もろもろ
お土産いっぱい持ってきてくれるしなあ
県内で一番偉い人で
多くの社会人が お父さんにひれ伏しているんだもんね
それとも、そうじゃないのかな…
なんてそんな事考えたら
私の父のこと 思い出して
あ~~~ この両親で本当に良かった~~~
心底思ったわけでございます
さて、今日のところはおしまいにします。
皆さまの 尊敬する人は 誰ですか?
因みに私、シャチョーさんも尊敬していますよ
だって、すごく仕事ができる人だし、物知りだし
(飯を食え~~って言わなきゃもっと良いな)
2024年は 次のステップへ! 経験生かしてゆっくり階段上ります ♬
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