横浜・山下公園の氷川丸
完全に固定されている建造物です。

震災後3年目に突入です。でも、2011年3月11日は決して忘れない。
助け合いの精神は不滅です!

NIPPON ! がんばれ! 大和魂全開だ☆
東日本大地震の被害に遭われた多くの方々から、元気に復活の年になりますように!
自分ができることを探して、自分ができる事を続けて行きます
心と気持ち、物の大切さを見直します!
がんばれニッポン
つながる! 日本

こんにちは。
昨日、山下公園の変貌をお話しました。
そもそも、山下公園は、関東大震災の被害に遭った横浜の街のがれきで出来た公園です。
悲しい事から、復興しようとした市民が
一生懸命に作った公園です。
山下公園の歴史はこちらで確認していただくこととしまして、
1989年にみなとみらい地区で行われた、横浜博覧会を機に、山下公園が整備されるまで
とにかく、奥の方=山下埠頭側 は、森のようにうっそうと木が生い茂り
昼間でも暗い公園でした。

※参考までにこんな感じでした。

場所で言うと、氷川丸から先。
サンディエゴ友好の泉に佇む、水の神様のツボを持った像より奥は
子供の頃、全く先に行けませんでした。
と言うよりも、まず、この像の周辺も暗く、像自体が怖くてそばに寄れず

なぜか、それでも近寄ると、必ず転んだりけがをしたりするのです。
氷川丸も時々、祖父や父に連れられて船内の見学をしたのですが
どうしても一か所、絶対に嫌で嫌で通れない場所があって、
確か、泣きながら通ったか、父に抱っこされて通ったか、走って通り過ぎたか。
もしくは、通ってもその後、原因不明で気持ちが悪くなって、父に怒られたか…
特に、うっそうと茂った場所には、どうしても入れず、
今回も、水の像から先へは、きれいになったにもかかわらず進むことができませんでした。


綺麗になったから、大丈夫かなと思いましたが
…
…
大人になった今でこそ、
この公園が、関東大震災の復興の証として作られた公園だったと知りましたが
子供の頃は、そんな事知らないし、
ただひたすら怖かったのです。
暗いから怖いのではなく、大勢の人に囲まれ大勢の人の声が聞こえるから…
そして、もう一つ気づいたこと。
山下公園の昔の写真をネットで探してみてみたら
私が見ていた(視ていた)山下公園ほどうっそうと茂っていない…
しかも、水の神様の像の周辺も元々開けていて明るい場所だった…
え、何で?
何故、あの水の神様の像から向こうが暗く見えたのか、その先の茂みがうっそう視えたのか…
何で?
さて、今日のところはおしまいにします。
氷川丸の住人さん達


のどかな横浜
どうか、平和が続きますように。
完全に固定されている建造物です。


助け合いの精神は不滅です!


NIPPON ! がんばれ! 大和魂全開だ☆

東日本大地震の被害に遭われた多くの方々から、元気に復活の年になりますように!
自分ができることを探して、自分ができる事を続けて行きます

心と気持ち、物の大切さを見直します!

がんばれニッポン




昨日、山下公園の変貌をお話しました。
そもそも、山下公園は、関東大震災の被害に遭った横浜の街のがれきで出来た公園です。
悲しい事から、復興しようとした市民が
一生懸命に作った公園です。
山下公園の歴史はこちらで確認していただくこととしまして、
1989年にみなとみらい地区で行われた、横浜博覧会を機に、山下公園が整備されるまで
とにかく、奥の方=山下埠頭側 は、森のようにうっそうと木が生い茂り
昼間でも暗い公園でした。

※参考までにこんな感じでした。

場所で言うと、氷川丸から先。
サンディエゴ友好の泉に佇む、水の神様のツボを持った像より奥は
子供の頃、全く先に行けませんでした。
と言うよりも、まず、この像の周辺も暗く、像自体が怖くてそばに寄れず

なぜか、それでも近寄ると、必ず転んだりけがをしたりするのです。
氷川丸も時々、祖父や父に連れられて船内の見学をしたのですが
どうしても一か所、絶対に嫌で嫌で通れない場所があって、
確か、泣きながら通ったか、父に抱っこされて通ったか、走って通り過ぎたか。
もしくは、通ってもその後、原因不明で気持ちが悪くなって、父に怒られたか…
特に、うっそうと茂った場所には、どうしても入れず、
今回も、水の像から先へは、きれいになったにもかかわらず進むことができませんでした。


綺麗になったから、大丈夫かなと思いましたが
…
…
大人になった今でこそ、
この公園が、関東大震災の復興の証として作られた公園だったと知りましたが
子供の頃は、そんな事知らないし、
ただひたすら怖かったのです。
暗いから怖いのではなく、大勢の人に囲まれ大勢の人の声が聞こえるから…
そして、もう一つ気づいたこと。
山下公園の昔の写真をネットで探してみてみたら
私が見ていた(視ていた)山下公園ほどうっそうと茂っていない…
しかも、水の神様の像の周辺も元々開けていて明るい場所だった…
え、何で?
何故、あの水の神様の像から向こうが暗く見えたのか、その先の茂みがうっそう視えたのか…
何で?
さて、今日のところはおしまいにします。
氷川丸の住人さん達


のどかな横浜
どうか、平和が続きますように。
小学校の写生会の時も、氷川丸から向こうへは行きたくなくて、インドの東屋?がある方にばかりよってた。
木が繁っているというよりも、なにかいつも霧がかかっているような印象でした。はい。
最近ちょっとあっち方面に出かける機会があって、ちょっと写真もとりました。
確かにきれいになっていたけどね。私はここから先進むと頭が割れるようにイタくなるので、やっぱり行けなかった…。
氷川丸というと小学校の遠足で行ったのを覚えています。
子供心に大きな船だなぁという印象でしたね。
できた当時は、本当にすごい大きな大きな船だったのでしょうね。戦争中は、真っ黒に塗られたと聞きました。氷川丸は横浜の歴史、日本の歴史を海からずっと見ていたのでしょうね。
やっぱり行きづらいところってあるんですね。
月乃和熊(ツキノワグマ)は、霊感はないのですが、シャインサンの写真あるような森?にはいったことがありません。
ガレキは、震災の記憶を留めているのでしょうか?
氷川丸には、今でも船を守っている何者かがいるのでしょうか?
それにしても、カモメは”住人”だたのですか・・・
人が近づいても逃げもせず、これだけ群れていると、これはこれで、行きづらいですが。。。
山下公園とか、鎌倉とか・・・
あ!
青山通りの表参道交差点も、ウヨウヨいると聞いたことがあります。
いざ!きゃばくら!!