Blog of 俺 by 俺 for 俺

自分の自分による自分のためのブログ。
だったけど、もはや自分の備忘録としての映画やドラマの感想しかないです。

自分のこと:今後どうするか

2017年07月19日 00時36分28秒 | Weblog
特に何かを決めるために書いてきたわけではないけど、
一応、これまでのことをまとめておく。

・小さい頃から映画やドラマ、RPGが好きだった。
・自分でも作りたいと思い、ちょっとアクションは起こしてきたけど、
 結局めんどくさくて最後まで作り切ったことはない。
・作るよりは見たり遊んだりしている方が楽しいし、
 そっちを優先してしまう。

別に作る方が偉いとか、そういうことではない。
これはもう得手不得手というか、好き嫌いの問題もあるから、
単に自分は作り手よりも、お客さんでいることを望んでいる、
少なくともそっちの方が楽だし、優先してしまうというのはある。

前のエントリーで、めんどくさがりと言ったが、
この文章だって、前々から書こうと思ってて、
ずっと書いていなかったけど、
いざ書き始めたら、ここまで書いてしまった。

他人に興味ないとは言うけれど、普段生活している上で、
「なぜこの人はそういう判断をするのか」
「その判断をする価値基準は何がきっかけで形成されたのか」
ってのは割と興味がある。

例えば友達にヤリチンがいたとして、
なぜキミはそこまでヤリたいのか、
オナニーじゃダメなのか、
他のことに時間を使おうと思わないのか、
なぜそこまでして女性を求めるのか、
そうなってしまったきっかけは何かあるのか、
ここらへんは聞いてみたいと思う。
まあ、気恥ずかしくて聞けないけど(笑)

昨年、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
というドラマの予告を見て、久しぶりにこれは面白そうだと思った。
それ以来、毎クール9~10本のドラマを見ている。

映画も週に2~3本は新作映画を観ていて、
今年は100本観るのが目標である。

これらは単に趣味。好きでやっていること。
「自分で作りたいと思わないか」と聞かれたら、
今は見ているだけで充分と答えてしまう。

本当に作りたいと思ったら、作るだろう。
僕の性格上、そうすると思う。
しないということは、興味がないか、特にやりたいと思っていないこと。

完全にもう自分で作りませんと断言はしないけど、
お客さんとしての道を究めるのもいいかなと思っている。

これがね、まだ10代とかだったら作る方も考えるのだろうけど、
32歳にもなると、躊躇するよね。何かを始めるのも、諦めるのも。

「大人になると保守的になっていく」
昔はこの言葉が好きではなかった。
いつでも前向きに新しいことに挑戦したいと思っていた。

でもその意思を貫き通せるのは、
常に新しいことにチャレンジし続けている人だけで、
そうじゃない人は、歳と共にそんな気持ちは薄れていく。

自分のやりたいこと、やれること、やってきたこと、
この3つのバランスが変わってくるからだ。
常にチャレンジし続けている人は、この3つが均等に大きくなっていくから、
いつでも何でもできる。

でも、僕のようにあまりチャレンジをしてこないと、
やってきたことばかりが大きくなり、
やれることに偏りが出て、やりたいことへのチャンスがなくなる。
でも、やってきたこととやれることを守るために、
やりたいことへの興味も薄れていく気がする。

もちろん、人間何かを始めるときに遅すぎるということはない、
というのは、この前80代でアプリを作ったおばあちゃんなんかを見ていると思うし、
それもまた真実なんだろう。
少なくとも、今の自分がそこまでできるかはわからない。

結局、自分自身も怖いのだ。
自分が特別でないこと、何もできないことを認めるのが。
いや、こうやって文字にしている時点で、認めてしまった方がいい。
(認めたからって、じゃあどうすうするってのもないけれど)

うちの家系は普通の人だ。
遺伝的に何かが優れているわけではない。
強いていうなら健康寿命が長そうだというだけで、
仕事ができたり、芸術方面に才能があったりと、
何か事を成したり、金を稼ぐことに繋がるようなものは何もない。

かといって、何かスキルを今から身に付ける気があるかというと、それもない。
今日の窪田正孝じゃないけど、「そこそこでいい」とさえ思ってしまう。

みんながみんなそうではないだろうけど、
コンプレックスをバネにできる人は伸びるというが、
僕はコンプレックスがあってもそれをバネにはできないタイプだ。
とりあえず凹む。凹んで忘れる。
だから、「ああなりたい」という願望や執念がない。
好きなものに囲まれていればそれでいいと思っているし、
今それがある程度叶っているから、現状満足してしまっているのだ。
もちろん、それが悪いこととは思わないが、
ただ、その程度の人間にしかならないというのは理解している。

昔からそんなに高みを目指すタイプではなかったので、
別にこれはこれでいいと思っている。
これは家庭環境(親はのほほんとした放任主義者)や
性格の遺伝的な要素もあるだろう。

本当にこれでいいのかってちょっと前までは思ってた。
でも今は、これでもいいやっていう半ば諦めの気持ちも出てしまっている。

小池一夫さんの言葉で、
--------------------------------------------------
10代で頑張れなかったら、20代で頑張ればいい。
20代で頑張れなければ、30代で頑張ればいい。
何十代から頑張ってもいいのだ。
そうすれば、行きたかった場所には行けないかもしれないが、
行くべきところにはたどり着けるだろう。
--------------------------------------------------
というのがあるけど、これはなるようになるってことだと思い、
一瞬安心しそうになるけど、
最後の、「行きたかった場所には行けないかもしれないが」
っていうところがどうも引っかかるんよね。

これで自分に行きたかった場所がどこなのか明確ならいいんだけど。
僕は、うまくいかなかったときの保険を考えているせいか、
あまり物事をはっきり決めないところがあって、
結果、「行くべきところにはたどり着く」人生になっているものの、
なんか、こう、負けた感がして、ちょっとなんか、嫌。

ずっと決めずに生きてきたせいで、今さら決めるのは難しい。
アリとキリギリスが、短期的目標と長期的目標の話で、
どっちが悪いという話ではない、っていうなんかのブログじゃないけど、
僕自身も長期的な目標を決めるのは得意ではないから、
とりあえずは目の前にあることを全力でひとつずつやっていくしかないよね。
って、これ何年か前も同じ結論にして、同じ悩みを抱えているから、
このやり方だとまた同じ悩みにぶち当たるのか。
まあでもとりあえず、好きなことは究め続けていきたい。

あと、もし子供ができたらの話だけど、忘れないうちに書いておく。

人間は歳と共に硬くなっていくゴムの入れ物みたいなものだと思っていて。
若い頃は柔らかいからいくらでも伸ばすことができる。
知識欲とか好奇心とかでどんどん中身が増えるし、
それに伴いどんどん入れ物も伸び広がる。
だから、ある程度は無理矢理にでも詰め込むことは大事だと思う。

そうしてビヨンビヨンに伸ばしておけば、
歳とってから学ぶ姿勢が衰えて伸びなくなっても、
再び何かをたくさん入れることもできるし、
そもそもの中身のストックも多い。

そうじゃないと、入れ物が小さいまま、
ゴムが硬質化してきて伸びないから入る限界が小さくなってしまう。
小さい頃から、いろんなことに触れさせてあげたいとは思う。

そうすれば、こういう悩みにはぶち当たらないかもしれないから。

自分のこと:ようやくやりたかったことが見つかったように思えた

2017年07月19日 00時08分07秒 | Weblog
さて、ゲームというかRPGを作るならプランナーかなと思っていたという話はした。

社会人2年目ぐらいのとき。
小・中の同級生であるIくんの大学時代の同期が
スクウェア・エニックスで働いているという。
興味があるなら話を聞いてみないか、ということで、
3人ぐらい連れてきてもらい、飲んだことがあった。

うち2人はエンジニアだったので、あまり話の参考にはならなかった。
ただ、ゲームを作りたいならRPGツクールとかで自分で作ってみたら、
どういうことが必要かわかるかもよ、と言われた。

実は、高校生のとき、一度チャレンジしたことがあった。
ざっくりと物語を作って、魔法を作って、モンスターも作って、、、
でもマップを作るのがめんどくさくて、途中でやめてしまった。
もう完全にダメなのだけど(笑)

でもそのとき一番楽しかったのはセリフを考えたり、
物語を決めたりするシナリオに関わる部分だったので、
プランナーならそういうことができると思っていた。

そして、その飲み会にいて、その後も関係が続くSくんが
まさに『FFXI』のプランナーをしているというから、
具体的にどんなことをしているのかと聞いたら、
バトルに関するプランニングをしていると言っていた。

「?」

正直、僕は拍子抜けだった。
ゲームのアイディアを出すのがプランナーだと思っていた。
それは、こんな世界観のRPGで、こんなキャラがいて、こんなセリフをしゃべって、
というようなことを考えることだと思っていた。
バトルとか別に興味ない、、、そのときは心の中でそう思っていた。

登場人物が何を考え、どう行動するのかを考える。
これはプランナーではなく、むしろシナリオライターではないかと思った。

家に帰って、シナリオライターについていろいろ調べた。
つまり、脚本家だ。
これは映画やドラマの物語も考える職種である。
どうやら、書き方を教えてくれるらしい。
青山にシナリオセンターというところがある。
月謝もそんなに高くない。
行ってみよう。

気づいたら、青山のシナリオセンターで、
ドラマの脚本の勉強をしていた。

RPGを作りたいと思っていたはずだけど、
よくよく考えてみたら、もともとは映画やドラマの延長でのことだったので、
物語が作れればなんでもよかったのかもしれない。

毎週土曜日に行って、講義を受け、課題をもらい、
それを次の週までに書いて持っていく。
最初は4月病的なものもあり、毎週律儀にこなしていた。
このペースで行けば2年もあれば基礎講座→本科→研修科と進み卒業できた。

これまでの人生、
最後まで何かを作ったことがない中で、これもそれなりの苦行ではあった。
でも自分の書いた作品に対して、講評をもらえるのはうれしかったし、
何よりも書くのは楽しかった。そう、本科までは。

途中からやっぱり辛くなってしまった。
まず、ネタがなかなか思いつかない。
思いついても何かのパクリみたいになってしまう。
そして、出来上がったものを見てみると、
最初に頭に思い浮かべたものと違うものになっている。

もっと読みやすくて面白いものが作りたいと思ったが、
なかなかそれを生み出すのは難しかった。
本科をクリアし、研修科に進んでちょっとしてから、
通う頻度がだんだん減っていった。

基礎講座のときは毎週だったが、本科から研修科へと進むうち、
隔週になり、月1になり、3ヶ月に1度になった。
でも卒業だけはしたかったので、最後まで何とかやり通して、
結局5年かけて卒業した。

ここに来る前は、シナリオセンターで勉強して脚本家になるきっかけを作ろうと思っていた。
でも現実はそう簡単ではなかった。
そもそも、よい作品が書けないのだ。
これは致命的だ。

原因はいくつか考えられるが、
まず僕自身が読書をまったくしないため、
文章を書く能力が圧倒的に劣っていたのがある。
さらに、シナリオセンターに通っていた2009年~2014年、
僕はかつてあんなに見まくっていたテレビをほとんど見ずに、
ゲームばかりをやっていたため、ドラマというものからだいぶ離れ、
感覚をつかみきれていなかった。

もちろん努力で補える部分もあったと思う。
でも結局は「めんどくさい」という言葉でその努力を実行しなかった。
やっぱり僕は作ることには向いていなかったのだと思う。

研修科を卒業した後、「そのうち気が向いたら書こう」と思って、
2017年7月現在、あれから一文たりとも脚本は書いていない。
めんどくさいというのもあるかもしれないが、
書きたいというものがないのだ。
世の中に伝えたいことがない。
そして、そもそも他人に興味がないから、
物語を紡ぐ上で一番大事な「キャラクター」が書けない。

別に脚本を書くことを完全に諦めたわけではない。
けれど、『重版出来!』というドラマでのムロツヨシの役どころが、
ものすごく自分と重なるところがあって共感してしまった。

彼は漫画家を目指し、新人賞を獲得するも、そのあとはうまくいかず、
かといって漫画業界を離れる覚悟もできず、万年アシスタントでいて、
後から入ってきた若手の永山絢斗に追い抜かれるハメになってしまう。

そのとき彼は泣きながら「自分が特別でないことを認めるのが怖かった」

と言っていた。
僕自身も自分を特別だと思ったことはないけれど、
何か面白いものを書き上げてしまうんじゃないかという変な自信はあった。
でもそんなものは今は昔。
結局、書き上げる覚悟もないのであれば、
このまま自分で物語を作ることなど夢見ずに、
ただのお客さんでいた方がいいのかもしれない。

今後どうしたいかは、次のエントリーで書く。