特に何かを決めるために書いてきたわけではないけど、
一応、これまでのことをまとめておく。
・小さい頃から映画やドラマ、RPGが好きだった。
・自分でも作りたいと思い、ちょっとアクションは起こしてきたけど、
結局めんどくさくて最後まで作り切ったことはない。
・作るよりは見たり遊んだりしている方が楽しいし、
そっちを優先してしまう。
別に作る方が偉いとか、そういうことではない。
これはもう得手不得手というか、好き嫌いの問題もあるから、
単に自分は作り手よりも、お客さんでいることを望んでいる、
少なくともそっちの方が楽だし、優先してしまうというのはある。
前のエントリーで、めんどくさがりと言ったが、
この文章だって、前々から書こうと思ってて、
ずっと書いていなかったけど、
いざ書き始めたら、ここまで書いてしまった。
他人に興味ないとは言うけれど、普段生活している上で、
「なぜこの人はそういう判断をするのか」
「その判断をする価値基準は何がきっかけで形成されたのか」
ってのは割と興味がある。
例えば友達にヤリチンがいたとして、
なぜキミはそこまでヤリたいのか、
オナニーじゃダメなのか、
他のことに時間を使おうと思わないのか、
なぜそこまでして女性を求めるのか、
そうなってしまったきっかけは何かあるのか、
ここらへんは聞いてみたいと思う。
まあ、気恥ずかしくて聞けないけど(笑)
昨年、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
というドラマの予告を見て、久しぶりにこれは面白そうだと思った。
それ以来、毎クール9~10本のドラマを見ている。
映画も週に2~3本は新作映画を観ていて、
今年は100本観るのが目標である。
これらは単に趣味。好きでやっていること。
「自分で作りたいと思わないか」と聞かれたら、
今は見ているだけで充分と答えてしまう。
本当に作りたいと思ったら、作るだろう。
僕の性格上、そうすると思う。
しないということは、興味がないか、特にやりたいと思っていないこと。
完全にもう自分で作りませんと断言はしないけど、
お客さんとしての道を究めるのもいいかなと思っている。
これがね、まだ10代とかだったら作る方も考えるのだろうけど、
32歳にもなると、躊躇するよね。何かを始めるのも、諦めるのも。
「大人になると保守的になっていく」
昔はこの言葉が好きではなかった。
いつでも前向きに新しいことに挑戦したいと思っていた。
でもその意思を貫き通せるのは、
常に新しいことにチャレンジし続けている人だけで、
そうじゃない人は、歳と共にそんな気持ちは薄れていく。
自分のやりたいこと、やれること、やってきたこと、
この3つのバランスが変わってくるからだ。
常にチャレンジし続けている人は、この3つが均等に大きくなっていくから、
いつでも何でもできる。
でも、僕のようにあまりチャレンジをしてこないと、
やってきたことばかりが大きくなり、
やれることに偏りが出て、やりたいことへのチャンスがなくなる。
でも、やってきたこととやれることを守るために、
やりたいことへの興味も薄れていく気がする。
もちろん、人間何かを始めるときに遅すぎるということはない、
というのは、この前80代でアプリを作ったおばあちゃんなんかを見ていると思うし、
それもまた真実なんだろう。
少なくとも、今の自分がそこまでできるかはわからない。
結局、自分自身も怖いのだ。
自分が特別でないこと、何もできないことを認めるのが。
いや、こうやって文字にしている時点で、認めてしまった方がいい。
(認めたからって、じゃあどうすうするってのもないけれど)
うちの家系は普通の人だ。
遺伝的に何かが優れているわけではない。
強いていうなら健康寿命が長そうだというだけで、
仕事ができたり、芸術方面に才能があったりと、
何か事を成したり、金を稼ぐことに繋がるようなものは何もない。
かといって、何かスキルを今から身に付ける気があるかというと、それもない。
今日の窪田正孝じゃないけど、「そこそこでいい」とさえ思ってしまう。
みんながみんなそうではないだろうけど、
コンプレックスをバネにできる人は伸びるというが、
僕はコンプレックスがあってもそれをバネにはできないタイプだ。
とりあえず凹む。凹んで忘れる。
だから、「ああなりたい」という願望や執念がない。
好きなものに囲まれていればそれでいいと思っているし、
今それがある程度叶っているから、現状満足してしまっているのだ。
もちろん、それが悪いこととは思わないが、
ただ、その程度の人間にしかならないというのは理解している。
昔からそんなに高みを目指すタイプではなかったので、
別にこれはこれでいいと思っている。
これは家庭環境(親はのほほんとした放任主義者)や
性格の遺伝的な要素もあるだろう。
本当にこれでいいのかってちょっと前までは思ってた。
でも今は、これでもいいやっていう半ば諦めの気持ちも出てしまっている。
小池一夫さんの言葉で、
--------------------------------------------------
10代で頑張れなかったら、20代で頑張ればいい。
20代で頑張れなければ、30代で頑張ればいい。
何十代から頑張ってもいいのだ。
そうすれば、行きたかった場所には行けないかもしれないが、
行くべきところにはたどり着けるだろう。
--------------------------------------------------
というのがあるけど、これはなるようになるってことだと思い、
一瞬安心しそうになるけど、
最後の、「行きたかった場所には行けないかもしれないが」
っていうところがどうも引っかかるんよね。
これで自分に行きたかった場所がどこなのか明確ならいいんだけど。
僕は、うまくいかなかったときの保険を考えているせいか、
あまり物事をはっきり決めないところがあって、
結果、「行くべきところにはたどり着く」人生になっているものの、
なんか、こう、負けた感がして、ちょっとなんか、嫌。
ずっと決めずに生きてきたせいで、今さら決めるのは難しい。
アリとキリギリスが、短期的目標と長期的目標の話で、
どっちが悪いという話ではない、っていうなんかのブログじゃないけど、
僕自身も長期的な目標を決めるのは得意ではないから、
とりあえずは目の前にあることを全力でひとつずつやっていくしかないよね。
って、これ何年か前も同じ結論にして、同じ悩みを抱えているから、
このやり方だとまた同じ悩みにぶち当たるのか。
まあでもとりあえず、好きなことは究め続けていきたい。
あと、もし子供ができたらの話だけど、忘れないうちに書いておく。
人間は歳と共に硬くなっていくゴムの入れ物みたいなものだと思っていて。
若い頃は柔らかいからいくらでも伸ばすことができる。
知識欲とか好奇心とかでどんどん中身が増えるし、
それに伴いどんどん入れ物も伸び広がる。
だから、ある程度は無理矢理にでも詰め込むことは大事だと思う。
そうしてビヨンビヨンに伸ばしておけば、
歳とってから学ぶ姿勢が衰えて伸びなくなっても、
再び何かをたくさん入れることもできるし、
そもそもの中身のストックも多い。
そうじゃないと、入れ物が小さいまま、
ゴムが硬質化してきて伸びないから入る限界が小さくなってしまう。
小さい頃から、いろんなことに触れさせてあげたいとは思う。
そうすれば、こういう悩みにはぶち当たらないかもしれないから。
一応、これまでのことをまとめておく。
・小さい頃から映画やドラマ、RPGが好きだった。
・自分でも作りたいと思い、ちょっとアクションは起こしてきたけど、
結局めんどくさくて最後まで作り切ったことはない。
・作るよりは見たり遊んだりしている方が楽しいし、
そっちを優先してしまう。
別に作る方が偉いとか、そういうことではない。
これはもう得手不得手というか、好き嫌いの問題もあるから、
単に自分は作り手よりも、お客さんでいることを望んでいる、
少なくともそっちの方が楽だし、優先してしまうというのはある。
前のエントリーで、めんどくさがりと言ったが、
この文章だって、前々から書こうと思ってて、
ずっと書いていなかったけど、
いざ書き始めたら、ここまで書いてしまった。
他人に興味ないとは言うけれど、普段生活している上で、
「なぜこの人はそういう判断をするのか」
「その判断をする価値基準は何がきっかけで形成されたのか」
ってのは割と興味がある。
例えば友達にヤリチンがいたとして、
なぜキミはそこまでヤリたいのか、
オナニーじゃダメなのか、
他のことに時間を使おうと思わないのか、
なぜそこまでして女性を求めるのか、
そうなってしまったきっかけは何かあるのか、
ここらへんは聞いてみたいと思う。
まあ、気恥ずかしくて聞けないけど(笑)
昨年、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
というドラマの予告を見て、久しぶりにこれは面白そうだと思った。
それ以来、毎クール9~10本のドラマを見ている。
映画も週に2~3本は新作映画を観ていて、
今年は100本観るのが目標である。
これらは単に趣味。好きでやっていること。
「自分で作りたいと思わないか」と聞かれたら、
今は見ているだけで充分と答えてしまう。
本当に作りたいと思ったら、作るだろう。
僕の性格上、そうすると思う。
しないということは、興味がないか、特にやりたいと思っていないこと。
完全にもう自分で作りませんと断言はしないけど、
お客さんとしての道を究めるのもいいかなと思っている。
これがね、まだ10代とかだったら作る方も考えるのだろうけど、
32歳にもなると、躊躇するよね。何かを始めるのも、諦めるのも。
「大人になると保守的になっていく」
昔はこの言葉が好きではなかった。
いつでも前向きに新しいことに挑戦したいと思っていた。
でもその意思を貫き通せるのは、
常に新しいことにチャレンジし続けている人だけで、
そうじゃない人は、歳と共にそんな気持ちは薄れていく。
自分のやりたいこと、やれること、やってきたこと、
この3つのバランスが変わってくるからだ。
常にチャレンジし続けている人は、この3つが均等に大きくなっていくから、
いつでも何でもできる。
でも、僕のようにあまりチャレンジをしてこないと、
やってきたことばかりが大きくなり、
やれることに偏りが出て、やりたいことへのチャンスがなくなる。
でも、やってきたこととやれることを守るために、
やりたいことへの興味も薄れていく気がする。
もちろん、人間何かを始めるときに遅すぎるということはない、
というのは、この前80代でアプリを作ったおばあちゃんなんかを見ていると思うし、
それもまた真実なんだろう。
少なくとも、今の自分がそこまでできるかはわからない。
結局、自分自身も怖いのだ。
自分が特別でないこと、何もできないことを認めるのが。
いや、こうやって文字にしている時点で、認めてしまった方がいい。
(認めたからって、じゃあどうすうするってのもないけれど)
うちの家系は普通の人だ。
遺伝的に何かが優れているわけではない。
強いていうなら健康寿命が長そうだというだけで、
仕事ができたり、芸術方面に才能があったりと、
何か事を成したり、金を稼ぐことに繋がるようなものは何もない。
かといって、何かスキルを今から身に付ける気があるかというと、それもない。
今日の窪田正孝じゃないけど、「そこそこでいい」とさえ思ってしまう。
みんながみんなそうではないだろうけど、
コンプレックスをバネにできる人は伸びるというが、
僕はコンプレックスがあってもそれをバネにはできないタイプだ。
とりあえず凹む。凹んで忘れる。
だから、「ああなりたい」という願望や執念がない。
好きなものに囲まれていればそれでいいと思っているし、
今それがある程度叶っているから、現状満足してしまっているのだ。
もちろん、それが悪いこととは思わないが、
ただ、その程度の人間にしかならないというのは理解している。
昔からそんなに高みを目指すタイプではなかったので、
別にこれはこれでいいと思っている。
これは家庭環境(親はのほほんとした放任主義者)や
性格の遺伝的な要素もあるだろう。
本当にこれでいいのかってちょっと前までは思ってた。
でも今は、これでもいいやっていう半ば諦めの気持ちも出てしまっている。
小池一夫さんの言葉で、
--------------------------------------------------
10代で頑張れなかったら、20代で頑張ればいい。
20代で頑張れなければ、30代で頑張ればいい。
何十代から頑張ってもいいのだ。
そうすれば、行きたかった場所には行けないかもしれないが、
行くべきところにはたどり着けるだろう。
--------------------------------------------------
というのがあるけど、これはなるようになるってことだと思い、
一瞬安心しそうになるけど、
最後の、「行きたかった場所には行けないかもしれないが」
っていうところがどうも引っかかるんよね。
これで自分に行きたかった場所がどこなのか明確ならいいんだけど。
僕は、うまくいかなかったときの保険を考えているせいか、
あまり物事をはっきり決めないところがあって、
結果、「行くべきところにはたどり着く」人生になっているものの、
なんか、こう、負けた感がして、ちょっとなんか、嫌。
ずっと決めずに生きてきたせいで、今さら決めるのは難しい。
アリとキリギリスが、短期的目標と長期的目標の話で、
どっちが悪いという話ではない、っていうなんかのブログじゃないけど、
僕自身も長期的な目標を決めるのは得意ではないから、
とりあえずは目の前にあることを全力でひとつずつやっていくしかないよね。
って、これ何年か前も同じ結論にして、同じ悩みを抱えているから、
このやり方だとまた同じ悩みにぶち当たるのか。
まあでもとりあえず、好きなことは究め続けていきたい。
あと、もし子供ができたらの話だけど、忘れないうちに書いておく。
人間は歳と共に硬くなっていくゴムの入れ物みたいなものだと思っていて。
若い頃は柔らかいからいくらでも伸ばすことができる。
知識欲とか好奇心とかでどんどん中身が増えるし、
それに伴いどんどん入れ物も伸び広がる。
だから、ある程度は無理矢理にでも詰め込むことは大事だと思う。
そうしてビヨンビヨンに伸ばしておけば、
歳とってから学ぶ姿勢が衰えて伸びなくなっても、
再び何かをたくさん入れることもできるし、
そもそもの中身のストックも多い。
そうじゃないと、入れ物が小さいまま、
ゴムが硬質化してきて伸びないから入る限界が小さくなってしまう。
小さい頃から、いろんなことに触れさせてあげたいとは思う。
そうすれば、こういう悩みにはぶち当たらないかもしれないから。