連絡してみようかと思った 2022-02-24 13:04:00 | クンストカンマー(美術収集室)短歌 七十歳(しちじふ)にならば七十歳のははに会はむおくれて気づくことばかりなる(紺野裕子) 母にも自分と同じ歳だったことがある。確かに当たり前だが、そこに気がつくこと。気がついた後、遅れて気がつくことがある。いくつになっても母の子供なのだ。たまには母に連絡してみようかと思う。
だろうの危うさ 2022-02-24 07:04:00 | クンストカンマー(美術収集室)短歌 いなくなったのちの空気にほんとうの体のようにふれたのだろう(辻和之) 触れるという行為はとても、実感的だ。触れられるくらい近くに行くと嗅覚でも感じられる。触れると温もり若しくは冷たさも感じる。この一首、ふわふわとしている。結句の「だろう」がそうさせる。自分のことではないのか?自分のことだろうが、「いなくなったのちの空気に」触れた自分が信じられないのではないだろうか。自分という存在の曖昧さ、不可解さ。孤独は自分というものの危うさの形をしている。