阪森郁代「ボーラといふ北風」味はひて知る 2012-03-29 05:59:44 | クンストカンマー(美術収集室)短歌 ながれゆく日々の慰みほんのひとつまみの空をあぢはひて知る ひとつまみの空をあぢはひて知る慰み。この発想、表現。作者に常識はない。空は見上げるものではなくあぢはひて知るものなのだから。詩人の才能は常識を排した場所からものを観察し感じたままを言葉に出来ることだ。
短歌人3月号「単独行」倉益敬、同人1 2012-03-28 04:58:35 | 短歌人誌より 急かされて家出のように抜け出そう雪山がまた僕を呼ぶから 下記の一首のような思いをしてもまた家を出る。 一昨年の年末だった息詰まるホワイトアウトに死にかけていた 「家出のように抜け出そう」の「そう」に込められた決意が面白いと思う。山登りはただ山に登る。それだけだ。何かを生産する訳ではない。だからこそこの決意が貴重だ。この殺伐とした効率を追うばかりの社会で。
阪森郁代「ボーラといふ北風」味はひて知る 2012-03-28 04:58:07 | クンストカンマー(美術収集室)短歌 煽られてふくらむ不安しんぶんし路上に伏せたるままに動かず 路上に伏せたるままに動かずにいるのは自身だ。煽られてふくらむ不安にそうするしかないのだ。しかし、現実に身を伏せる訳にはいかない。だからこそ、新聞紙が身代わりに身を伏せているように感じたのだ。神は色々な場所にサインを出しているのかも知れない。
阪森郁代「ボーラといふ北風」味はひて知る 2012-03-27 05:59:44 | クンストカンマー(美術収集室)短歌 もはや風を容(い)れることなしルーブルに忘れ来たりし折りたたみ傘 折りたたみ傘がもう風を容れない。なぜならルーブルに折りたたみ傘を取りに行くことはもうないだろうから。雨ではなく風というだけで一気に詩の階段を駆け上がる。 私は現実に理屈がつくけれど、そのこと自体が詩になっているこの一首のような短歌も好きだ。
短歌人4月号 2012-03-27 05:56:21 | 結社提出歌 台風の気圧は僕を裸にし君は激しい雨を降らせる 悲しいのにたくさん食べて食べたのに切なくなって少し笑った 気付いたらいつもこうなる僕のことみんな大きな蛾のごとく見る 原稿を太くて黒い文字達で一杯にして闇は広がる 言葉では駄目なんだろう傷つけた傷ほど僕は傷ついてない さっきまで夕空にいた手のひらが今はわたしの首筋にいる