つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

目からうろこが落ちる

2021-08-31 06:38:00 | 日記
この目からうろこが落ちるという言葉は、日本の慣用句だとばかり思っていました。
そうではなく、語源は聖書にあるんだそうです。
へーぇと思わされたのは以下。

◆新約聖書使徒行伝録9章18節だそうです
 思いもよらない発想で目が見開かされることをいうのは、そのままのようです。
 人間はどうしても、偏見や先入観で物事を判断してしまうことがあります。
 そんな時に、誰かからの提言でその迷いがパッと晴れることがあります。
 聖書にはこうあるそうです。

 ユダヤ教徒のサウロ(のちのパウロ)は、キリスト教徒を激しく迫害していたそうです。
 そんなサウロは、あるとき天からの光に包まれて道に倒れてしまった。
 そこにサウロなぜ私を迫害するのかと、イエス・キリストの声が聞こえ、目が見えなくなってしまった。
 一方イエスの弟子アナニアは、幻の中からイエスの声でパウロを訪ねよと聞く。
 彼は私が選んだ器である。私の名を異邦人や王やイスラエルの子らにもたらすのは彼である、との託宣を得た。

 パウロを訪ねたアナニアが彼の手に自らの手を置いて祈りをささげると、サウロの目からうろこのようなものが落ちて、
 たちまち元のように目が見えるようになったのだ。
 それを機に、パウロはそれまでの生き方の誤りを悟り、洗礼を受けたそうだ。
 以後彼は、キリスト教布教の聖人として活躍することになった。
 知りませんでした。

金は天下の回りもの

2021-08-30 06:39:22 | 日記
「金は天下の回りもの」というが、これがうまく回っていないのが、日本経済の問題らしい。
例によって、産業新聞のコラムからなのだが、ああそういうことだったのかと思わされたものだ。
たしかに、耐久消費財などはだいたい手に入れており、壊れない限り次のものは買わないなぁ。

◆お金を回す文化が必要
 終戦後には、日本の復興資金を確保するためにずっと郵便貯金に代表される預貯金が奨励されてきた。
 いわば「貯蓄は美徳」という精神だ。
 だが、国の復興と言う段階はとうに過ぎ、本来は成長の果実を個人個人が享受する時代であるべきだ。
 経済活動はお金を使うことから始まる。
 逆にお金を抱え込むようになると、経済活動はどんどん縮小していく。
 この30年間というものは、日本では個人消費も経済活動もずっと伸び悩んできた。
 その裏では、日本全体の現預金は1990年の465兆円が、2021年では1055兆円へと積みあがっている。
 つまり、使われていない(回っていない)お金が590兆円も増えたと言えるらしい。

 たしかに、将来が不安だからとお金を抱え込みたい気持ちはわかる。
 だがそれでは、ますますじり貧を招く悪循環に陥ってしまう。
 だから、たとえ一部の人からでも、お金を十分持っている人はお金を回す(使う)文化を広めていってもらいたいものだ。
 モノの消費だけではない、文化・教育・芸術・スポーツ・寄付等お金の必要な分野は多い。
 預貯金に眠っているお金のわずか3%が動き出すだけで、28兆円の産業が創出され、日本経済は5.4%の成長が見込めるのだ。

 →なるほどです。ささやかですがおいらも、個人消費の拡大に貢献したいと思います(ちょっとオーバーかな)。

田中角栄

2021-08-29 07:05:10 | 日記
田中角栄は、言わずとも知れたこの日本の元総理大臣だ。
たしか刑事被告人のまま死去し、裁判は終了したのではなかったかな。
人の昔の記憶は美化されると言う。
そういうこともあるのかも知れないが、彼のエピソードや発言録は、いまだに心に響く。
最近の総理大臣には、とてもそんな感情はわかないが、これも時がたてばまた違った感情となるのだろうか。

◆こんなエピソードや発言録
 尋常小学校卒の彼が、15歳で雪深い越後から上京するときの、母フメの言葉。
 「世の中には働いてから休む人と、休んでから働く人がいる。お前は働いてから休む人になりなさい。」
 この言葉は、角栄の生涯のモットーとなったようだ。
 たしかに、彼は良く考え良く行動し、そして良く仕事をこなしたと感ずる。

 「ひとかどの仕事師になるのは、ある意味錯乱・狂気の人だ。
  地獄の底までのぞいて、人の世の裏表、人間の素晴らしさ、おぞましさを見て体験しなければ、
  人が感動するような後世に残るような仕事は出来ない。」
 たしかに、そういった面を感ずる人だったように思われる。

 「本当に病気をしてみなければ、病気の苦しみがわからないように、本当に貧乏しなければ、貧乏の苦しみはわからない。
  勤労しない人がどうして勤労の価値を評価することができるでしょうか。」
 おそらくは、角栄は本当の貧乏を体験してきたのでしょう。
 それが世襲議員との決定的な差だったんでしょうか。
 必ずしも貧乏を経験する必要はないのかもしれませんが、やはりそれは弱者への思いやりに繋がるのでしょうね。

アイデア(企画提案)

2021-08-28 06:55:06 | 日記
ほとんどのサラリーマンは、オーナーでもなければ社長でもないはずだ。
なのでいかに上司を頷かせる企画提案をできるかが、その勤務評価に直結する。
だが、企画提案は斬新だから良いというものでもないらしい。
それが世の中に受け入れ可能かどうかが、上司の器(キャパシティ)によって決まるそうだ。

◆斬新すぎるアイデアは理解されない
 旧来からある事柄を焼き直して(微修正して)、新しいアイデアとして提案する人がいる。
 そうではなく、突拍子もないアイデアを生煮えのまま提案する人もいる。
 だが斬新な提案は、斬新がゆえに周囲の理解が得られずにその多くが埋もれてしまうものらしい。

 研究者は、科学論文を書く場合、必ず過去論文を先行研究として引用します。
 そのような過去の知見を活かして、その上で自分の研究がその延長でどんな新しい研究結果を提案できるかということなんですよね。
 その意味で、誰にも理解できない新しい研究アプローチというのは、なかなか理解されにくいもののようです。
 
 実は、ニュートンの万有引力もアインシュタインの相対性理論も、使われている知見は当時幅広く受け入れられていたものです。
 いわば、伝統的なアイデアに、ほんの少しスパイスを利かせただけらしい。
 考えてみれば我々の思考は、先人たちのアイデアの上に位置しているはずです。
 人の思考はゼロからは生まれにくいもので、それができるのは天才です。
 つまりは、全く新しい提案が出来るのが天才で、だがそれは周囲の理解が得られずに採用されることはない。
 先行研究の参照元を示せるのが一流で、二流は借用したことすら忘れてしまう。
 →なるほど、普通の人間には希望の持てる話のようです。
 

 

考えのまとめ方

2021-08-27 06:46:31 | 日記
人間はさほど重要ではなことは、いい加減にしか覚えていないのかもしれない。
なので久しぶりに会った人について、「さっき挨拶した人って誰だっけ?」などと思う時がある。
何かを思い出そうとしたり、考えたりする時は、ふと上(斜め上の中空かな)を見ることが多い。
さらに深い記憶を取り戻したい時には、上を向いてじっと目をつぶって考えることもある。
実は、そんな行動は一定の合理性があるものらしい。

◆お手軽だが合理的
 神経生理学の専門家によると、この行動は雑念を防ぐために有効だという。
 視界の中に何かが存在すると、関心がそちらに向かい、集中して考えることが困難になるらしい。
 そこで、邪魔なものが視界に入らないように上を見上げたり、目をつぶったりするのだ。
 まあ下を向いても邪魔なものが目に入りにくくはなるのだが、それでは困っているような感じになってしまう。
 場合によっては、陰気な人なんて印象も与えてしまうかもしれない。
 そこで無意識に上を向くという行動をとり、それが一定の合理性を持つということなのだ。
 そんなこんなで、人間の行動全般(テレビドラマ・アニメ・周囲の人の行動)習慣から、
 考えるときは上を向くものという刷り込み効果もあるという。
 
 少数意見では、上を向くと首のツボが刺激されるとか・・
 首への血管が直線状になり、脳への血液の流れがスムーズになるとの説もあるようだ。
 まあそんな努力で脳が活発に動けば記憶が蘇ったり、いいアイデアが浮かぶこともあるだろう。
 するとそんな経験を身体が覚えていて、自然と上を向く動作を選んでしまうということ。
 さして努力も要しないお手軽対策ですので、おいらも是非実行したいものです。