つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

言葉は人生のハンドル

2024-07-31 06:41:37 | 日記

世に有難い言葉や、ためになる言葉は数多い。

そんな中で、作家であり人材育成家でもある永松茂久氏。

氏の言葉は極めて実践的で、役に立ちそうだと感じた。

 

言葉という人生のハンドルをうまく使おう

 レーシングドライバーは、猛速の最中でクラッシュの危機をどう切り抜けているのか。

 それは、目をつぶっているのではないし、障害物を凝視しているのでもない。

 唯一、自らがハンドルを切る脱出方向のみを見ているのだという。

 そうすることによって、クラッシュすることなく周回を続けていけるのだ。

 

 これは、人生でも同様だ。

 プラスの言葉を習慣化することにより、自分にとってマイナスな現象が起きそうになっても、

 言葉というハンドルを用いてそれを回避していくのだ。

 だから、いい言葉を常に使っていれば、マイナスな方向に突っ込んでいくことはないのです。

 

 →なるほどですよね。

  〇おまけで、この世のものとは思えないような美しさという表現を実感するこちら。

   

   

   

   


幸せを探す

2024-07-30 06:47:39 | 日記

できれば幸せな日々を過ごしたいものだ。

そして、そんな幸せというものはどこにあるのだろうか。

作家吉川英治はこう言う。

 

晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す

 楽しみのあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ

 どうやら探すということが違うようだ。

 それでは、「ここ」にないので、どこか別の場所に探しに行くということになってしまうからだ。

 そうではなく、自分の日々の当たり前の生活の中にこそ愛や喜びがあり、それこそが幸せのようだ。

 だから自分の足元にあるものを見つけなさい、ということなのだろう。

 たとえ遠くにあると感じる夢だって、

 そこへ到達するためには、必ず今ここから出発しなければならないはずだ。

 今、ここ、に幸福を感じ育てていくことが幸福のようだ。

 

 →「青い鳥」のお話と同様ですが、吉川英治が言うとこうなるのか。


希望

2024-07-29 06:33:36 | 日記

今日は「希望」で2題。

誰に対しての言葉かは知りませんが、アラブの格言でこんなのがあった。

過ぎたことは夢。来るものは希望。

おいらのような、リタイヤしたビジネスパーソンにとっては、味わい深い言葉だ。

自分ではなかなか気づかないものだが、誰しも現役時代の感覚をいまだに背負っているものらしい。

そんな過去は語らず、未来のみを語れば、そこに希望を見出せるものなのかもしれません。

 

次いで中国のことわざだ。

一般的なイメージの現代中国とは、ちょっと乖離があるような気がしますが。

一年の希望は春が決める。

一日の希望は暁が、家族の希望は和合が、人生の希望は勤勉が決める

これは、ことさらに勤勉でなくともいいのでしょうね。

日々の生活の中で、毎日何かを積み重ねていけば、結果そこに希望が湧いてくるのでしょう。

そしてそれは、知ることと、行動することのような気がします。

 

 

 


歌行灯(うたあんどん)

2024-07-28 06:58:01 | グルメ

かっての東海道五十三次41番目、現在の名古屋市熱田神宮の近くが宮の宿だ。

そこから、街道唯一の海路(七里の渡し)で渡った先が三重県の桑名宿です。

木曽川河口に代表される、はまぐりで有名な土地柄でもあります。

そして、その桑名市に「歌行灯(うたあんどん)」という日本料理店があります。

名前から連想される通り、明治の文豪泉鏡花著作による歌行灯の舞台がここです。

そんな老舗の料理店が、時代に合わせてやや大衆的な価格のチェーン店も展開しています。

「やじろべえ」という店名です。

主に三重県と愛知県への出店のようですが、ご婦人たちに人気のお店となっているようです。

出汁(だし)が秀逸で、勿論シルバー世代にも大人気です。

今日は、そんなお店でのランチです。

 

梅おろし揚げ茄子ぶっかけそば

 〇長い名前のメニューですが普通に美味しい

  

 ぶっかけそばに、ミニ天丼もついて税込み1200円ほどです。

 なお麺は、温・冷の選択ができ、さらに、そば・うどん・きしめんが選べます。

 

 

 


紙に書かれた道

2024-07-27 07:01:27 | 日記

おいらは若かりし頃は、頭で考えてから行動していたと思う。

いわゆる熟慮というやつだな。

だが最近は頭の方が衰えてきたこともあって、まず行動してみるということを意識している。

おお、18世紀フランスの哲学者シャルル・ド・モンテスキューもこう言っているではないか。

あの「法の精神」で「三権分立」を唱えた人だな。

 

紙に書かれた道は先人の足跡に過ぎない、先人が何を見たかは辿らなければわからない

 いくら書籍を読んでわかったような気でいても、

 残念ながらそれは、著者が獲得した知識や経験と同様の価値を得たとは言い難いもの。

 書籍は先人の歩みを追体験できる便利なものだが、

 そこで得た知識は、活用し自分で経験してこそその価値が上がるもの。

 学んで終わりではなく、それを現実世界で実践し、アウトプットしてみてはじめて役立つのだ。

 

 →そうですね、なんとも大勢の先人たちが言葉を変えて同じことを述べていることか。

  行動こそが大事なようです。