つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

行動経済学

2024-10-31 06:40:35 | 日記

「行動経済学」なる学びがあるという。

人は無意識のうちに、不合理な行動をとってしまったり、無自覚に他人に誘導されてしまうそうだ。

外国の方の著作(エヴァ・ファン・デン・ブルック氏)だが、読んだのはむろん日本語訳だ。

 

◆不合理な行動と無自覚な誘導の例

 「喫煙は健康に悪い」ということはほとんどの人が知っている。

 だが、どれだけ身近な人から説得されても、有名人が語っても、ほとんどの人はタバコを吸い続ける。

 たとえ正しいと思われることでも、人を動かすということは難しいことなのだ。

 

 人は知識が増えるにつけ、自分がまだそれについて何も知らなかったことに気づくものだ。

 だから、かっての無知だったときよりも謙虚となり、たいした知識もないのに自信満々の人に道を譲ってしまうのだ。

 

 意外にも高学歴の人ほど、詐欺の被害にあいやすいという、自分は人より賢いという自覚ゆえのようだ。

 だから、ネット上の実在しない恋人に大金を送ってしまうこともある。

 

 歯磨き剤には、必要以上に舌を刺激する味の化学物質が添加されているし、咳止め薬はわざと不味くしてある、

 良薬は口に苦しを連想させるための作戦だ。

 

 ニンジン嫌いの子供でも、マクドナルドのハンバーガーの包みにくるめば食べやすくもなる。

 

 →というような例とともに、その学問的種明かしも(裏付け)ありました、ちょっと恐れのようなものを感じました。

 

 


まあそんなこともあるさ

2024-10-30 06:47:39 | 日記

生きていれば、人生にはいろんなことが起きるものだ。

そしてそれらは、予期していないことだったはずだ。

だからあわてたり、とまどったり、あるいは泣き叫ぶことさえあったかもしれない。

だが年をとると(経験を積むと)、余裕で受け入れられるものらしい。

曹洞宗のご住職のアドバイスによる。

 

◆静かに受け入れればいい

 予期しないことが起こるから、人生は面白いのです。

 最初はたしかに、予期しない出来事なのでしょう。

 でも一度体験すれば、それらは既知の出来事にすぎません。

 だから、「まあそんなこともあるさ」、と受け入れられるものです。

 そもそも人生とは、シナリオのない芝居を演じるようなものです。

 予期しないことの連続でも、自由にアドリブを繰り出しながら演じればいいのです。

 そしてこうつぶやけばいい、「まあそんなこともあるさ」と。

 

 →なかなかに難しいことだとは思いますが、「まあそんなこともあるか」と、「静かに受け入れる」ですか、

  少しずつ努力したいものです。


心の飾り

2024-10-29 06:39:04 | 日記

これはどう要約すればいいのだろう、いや要約せずにそのまま受け止めればいいのではないか。

そんな言葉(真言宗のご住職の)がこれだ。

心の飾りは、取り去るべきだそう。

 

◆飾らないことが本当の極楽

 物、物、物・・・の生活から脱却をしてみたらどうですか。

 夜、温かい湯船に身を沈めたときに、ああ極楽極楽と言っていませんか。

 私は、よくそうつぶやいています。

 なので考えてみました、なぜそう感じるのかと。

 思いついたことは、何も身に着けていないということです。

 そこから至った一つの結論は、飾りのないことが極めて楽な状態ということです。

 

 張り子の虎のように虚飾をせず、ただ素の自分でいることで、心が自由になるのです。

 だから、自分を飾っている物、自分が所有している物、そしてそれらとつながっている心の糸さえも捨て去る。

 そうすることで、物、物、物・・・の生活から脱却でき、心の飾りもとれて楽になるのではないでしょうか。

 

 →せっかく握った物を捨てるのは忍びないが、そういう考えのほうが心の安定にはいいのかもしれませんね。

 

  

 


常識というやつ

2024-10-28 06:42:41 | 日記

社会人としての常識という言葉がある。

漠然としているが、なんとなくそれは守らねばならないことのように感じる。

それに沿っている限りは自身が安全で、そこから外れた行動や発言は危険や不利益を被るというイメージだ。

本当にそうなのだろうか、書店での立ち読みでこんなのがあった、断片的な記憶なのだが。

 

◆常識ほどバカバカしいものはない

 常識に沿った行動なんて、危機感を持つべきだ。

 そもそも常識なんて、とても曖昧でバカバカしいものなんだ。

 何の面白みもないつまらない一生を終えたいならそれでもかまわないが。

 そんなものは、自分で考える力のない人にとって、わかりやすく都合がいい価値観といった程度だ。

 バカバカしい常識に縛られている人間が多いせいで、日本社会は生産性が低いままなんだ。

 

 そもそも常識は、どんどん古くなるという認識を持っていることが必要だ。

 昔の男性は、ちょんまげが常識だったし、和服が常識だったはずだ。

 女性のお歯黒だって常識だった。

 今多くの人が常識と思っていることだって、海外では非常識だし、10年後は日本でもやはり非常識となっているはずだ。

 自分で考えずに、誰かの言うとおりに生活してはいけない。

 常に自分で考えろ、「なぜ?」「どうして?」と思考し続けるんだ。

 一般的に事実とされていることだって、見る方向や立場、光の当て方でそうではなくなることもある。

 だから、常識なんてのにとらわれずに自分の頭で考えて、行動せよということだね。

 

 →まあそういうことでもありますよね。

 

 


諸行無常

2024-10-27 06:47:04 | 日記

平家物語の冒頭のこのフレーズ「諸行無常」について、皆さんは理解されていましたか。

おいらは、なんとなく理解しているとスルーしていました。

これは詳しく聞くと、仏教の説く「もろもろの作られたものは同じ状態を保たない」ということを表しているのだそうです。

真言宗のご住職だ。

 

◆無常を忘れたとき心が乱れる

 すべての物事は、さまざまな縁(条件)が寄り集まった結果として現れる。

 そしてその縁は、加わったりそうではなかったりして、その結果は次々と変わる。

 体を動かすのが縁になって、空腹となり食欲が生まれる。

 過労や心労により、消化器系不調の縁が加われば、食欲不振という結果になる。

 このように、縁の変化にともなって結果が変わるのは至極当然のこと。

 

 にもかかわらず、仏教が「諸行無常」を説き続けるのは、変わらないものは何一つないという事実を忘れがちだからだ。

 そして、変化に対して心が乱れてしまう。

 何があっても、何が起こっても受け入れる=達観することで心が安定するものです。

 

 →ふうん 意味合いはよくわかりましたが、そこまでの心持にはなかなかねぇ・・・