つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

時間を使わない

2024-09-30 06:41:54 | 日記

関係する方々がいらっしゃったら申し訳ないのですが、おいらは韓国という国にあまりいい感情は持っていない。

そこはおいら個人の感情で、それを世間に発露するわけではないのでご容赦をお願いしたい。

それでも、韓国作家のキム・ダスル氏のこんな言葉はちょっと役に立ちそうだ。

 

まずは始めてみる

 準備万端じゃなくたっていい、とにかく動き出す姿勢が大事だ。

 まずは始めてみるべきだ。

 ある有能な学者が自分の研究のために一番有意義な協力先は、ハーバード大学かイエール大学かで3か月悩んだ。

 研究室や設備、それに研究資金も検討項目だった。

 だがその学者は、後に反省する。

 あの3か月が、人生で最もムダな時間だった。

 さっさと研究にとりかかっていれば、もっと早くもっと大きな成果が得られたはずだと。

 

 そういうことなのだ。

 あれこれと悩むよりも、とにかくやってみるべきなんだ。

 仮にそれで失敗したって、一度経験してるから次にかかる時間はうんと節約できることだろう。

 頭の中で検討中としていても、時間は過ぎ去っていくのだから。

 

 →いい話や言葉を聞かせてもらえれば、お国は関係ありませんよね。

 


欠けた部分

2024-09-29 06:37:08 | 日記

多分多くの方々が実感していることだろう、自身の欠点について。

普通はそれを、隠したり目立たなくしたりと努力しているはずだ。

だが真言宗のご住職名取芳彦氏が、こう教えてくれる。

 

◆欠けた部分は補い合えばいい

 ギザギザの歯車だから、かみ合って力が出るのです。

 人には、どこかしら欠点があるものです。

 仕事はできるが、人付き合いが不得手。

 何かをやると、どこか抜けている。

 能の「高砂」に登場する翁(おきな)と媼(おうな)をご存じでしょうか。

 翁の持つ熊手は福をかき集め、媼の持つ箒は邪気を払うのです。

 

 こう考えてもいい。

 旦那さんが熊手で掃き残したものを、奥さんが箒で掃いていけばいい。

 大きなものを排除する熊手では細かいものは取り切れず、いわば欠点があるわけです。

 そこを奥さんの箒が補えばいい。

 欠点とは欠けた部分があるという意味ですが、歯車ならば別の歯車がちゃんとかみ合います。

 人と人との関係も、この歯車のようなもの。

 自分の欠点を卑下せず、欠点を補いあえる相手をみつければ、物事は歯車のようにうまく動き始めるものです。

 

 →これは気づきにくいことですね。

  欠点は隠すよりも、それは認めて補い合う相手を探すほうがいいのか・・・


生き方をつかむ

2024-09-28 06:34:13 | 日記

「生き方をつかむ」とは、日本語的にはちょっと・・とも思われる表現だ。

だが中村天風師の話を聞けば、そんなことはどうでもよくなる。

その言葉を、自分にどう取り込むかだけを考えるべきなのだろう。

 

◆信じることから生き方がつかめるもの

 疑いの方から考えようとすると、自分というものが小さな存在になってしまう。

 たしかに、既存の考えを疑うことにより、科学文明は発達した、それは間違いのない事実だ。

 だが、人間の生き方とはそういうものではない。

 自分の生き方を疑って、疑って、疑いぬいてそのうえで正しい生き方はこれだ、と定義するならば人間は萎縮するしかない。

 

 人間とは、生命が躍動する心身一如の存在だ。

 生まれながらに本性が備わり、宇宙霊とつながった生命体なのだ。

 だから、疑うこととは正反対の「信じる」ことから始めるべきだ。

 そうすることで、生命力あふれる生き方に欠かせない信念や勇気を得られるのだ。

 そして、自分自身の生き方をつかむことができるだろう。

 

 →う~ん ちょっと難解だが、「自分自身を信じて進め」と端折って理解しておきます。

 

 


運がいい人

2024-09-27 06:39:43 | 日記

今日は、医学博士にして脳科学者の中野信子氏の書籍を拾い読みしてみた。

世の中には、運がいい人と、運が悪い人がいるような気がするが、女史によればそれはこういうことらしい。

 

運がいいと思っていると実際に運がよくなる

 世の中には、たしかに運がいい人が存在する。

 では、その人たちはどんな人たちなのだろうか。

 実は、その人たちが実践していることがあるそうだ、それは「自分は運がいい」と決めてしまうことだという。

 

 なぜそんな単純なことで運がよくなるのか。

 女史はこう説く。

 運がいい人は、過去の同じ失敗の機会を減らしていく。

 普段から運がいいと思っている人は、仕事のミスや、なにかの失敗に対し不注意や準備不足があったと反省する。

 運が悪いと思っている人は、同様の結果に対し、やっぱり自分は運が悪いなと思ってしまう。

 その後の思考や行動の結果が、どんな結果をもたらすかはおおむね想像がつくものだ。

 

 →そうか、自分の思考が結果をもたらすのか・・・

 


魂が喜ぶ

2024-09-26 06:43:18 | 日記

昨年、一生の思い出になる四国お遍路88ケ寺を結願(けちがん)した。

軟弱なおいらは、歩き遍路ではなくジャンボタクシーを用いたお手軽プランでだ。

それでも、たしか9日間ほどはかかったと記憶している。

順序は逆になってしまうのだが、その後時おり空海聖人の教えとか言葉を味わっている。

今日は、そんな言葉のひとつだ。

 

明日の充実と楽しさのために 自分の魂が喜ぶことをする

 影はもとの形にそってそのまま現れ、こだまは声の大小そのままの響きで帰ってくる。

 お寺の鐘は、大きくつけばゴーンと長く響く。

 聖人曰く、世の中の現象は行為がそのまま現われるように、人の行いもすべて因果をもたらし、

 決して裏切らず、ごまかすこともなく結果を招くものだと説く。

 

 善因善果:よい行いは、いつか良い結果となって帰ってくる。

 悪因悪果:よからぬ行いばかりしていれば、必ず悪い結果をもたらすもの。

 それでは、良い行いとは何か。

 それは、自分の魂が安らぐことだという。

 

 誰にも感謝されなくともよい、認められなくともよい、ただ自分の魂が安らぐことをすればいい。

 自分がほっとして、笑顔が浮かぶようなことをすればいい。

 そんな過去を積み重ねれば、毎日が楽しく充実し、魂も身体も喜んでいることでしょう。

 

 →これが因果応報というものなんでしょうか。

  そしてそれは、自分基準でもいいようですね。