つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

乾杯の数

2025-01-05 06:36:31 | 日記

ヨーロッパの古いことわざに、「人は乾杯の数だけ幸せになれる」というのがあるそうだ。

ある時は友との再会を喜び、ある時は愛する人といる幸せを演出する。

またある時は、仲間と喜びを分かち合う。

こんなに素晴らしいことは、他にはなかなかありません。

そして言い方は違っていても、こんな乾杯文化は世界中にあるそうです。 

 

◆人の幸せは人が運んでくるもの

 乾杯には、他人同士を仲間にしてしまう不思議な力があるようです。

 人の幸せというものはすべて、人が運んできてくれるものなんです。

 ということは、「人は乾杯の数だけ幸せになれる」ということわざは、実に理にかなった言葉です。

 ということで、見ず知らずのあなたとも乾杯!!

 

 →はっはっはっ、いいですね乾杯!!

  今日も飲みながら乾杯!!これで幸せがやってくるならば、最高ですね。


蜃気楼?の続報

2025-01-04 06:56:40 | 日記

1月2日付のブログで、元旦に名古屋から蜃気楼らしきものが見えたと書いた。

今日はその続報です。

同じような構図で撮影しましたが、やはり下部の山並みの稜線の上方には、空と雲しかないようです。

 

◆これが普段の眺望

 〇1月3日の眺めです

  

  

  

 〇元旦の眺め(再掲)

  

  

  

 どうでしょう、明らかに異なる景色のように思えるのですが・・・ 

 今から考えれば、その時に名古屋気象台に問い合わせをすればよかったのかもしれませんね。

  


小さなことを愛する

2025-01-03 06:52:20 | 日記

文豪芥川龍之介によれば、人生を幸福にするためには、日常の些事を愛さなければならないという。

雲の光り、竹の戦(そよ)ぎ、群雀の声、行人の顔、あらゆる日常の些事の中に、無上の甘露味を感じなければならぬそうだ。

人生を幸福にするためにはだ。

それはまあわかる。

だが一方で、こうも続けている。

 

◆些事を愛するものは些事のために苦しまなければならぬ

 小さなことを愛すれば、やはり小さなことに苦しめられる。

 人生を幸福にするためには、日常の些事に苦しまなければならぬ。

 雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、あらゆる日常の些事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。

 どうせ生きているからには、苦しいのは当たり前だと思え。

 生きるのは苦しいのだから、苦しいのは当たり前ということなのだ。

 

 →おいおい、いったいどっちなんだ?

  偉い人とか立派な人とかの話は、難解です。

 

 


蜃気楼?

2025-01-02 06:50:23 | 日記

生涯に一度はオーロラを見たいとは思うが、もうその夢はかないそうにもない。

もう年齢的に、海外旅行は苦痛だからだ。

で、その代替として蜃気楼を見たいと思っている。

富山に行けば必ず魚津の海岸で目を凝らしてみるが、一度も見えたことがない。

ところが、名古屋市からこんな景色が見えたのだ。

 

◆これってもしかして蜃気楼なんでしょうか

 〇普段はこの手前の山並みの稜線しか見えないのです、その上部は空か雲のはずなんです

  

  

  

  特に3枚目中央には島のようなものが見えています。

  断言しますが、普段は絶対にこんなものは見えないのです。

  もし蜃気楼だったら、元旦からこんな観察ができて、今年は思いがけずいい年になるかもしれませんね。


登りたい山

2025-01-01 06:53:59 | 日記

我が国の首相である石破さんは、次期米国大統領のトランプ氏と面談を模索しているそうだ。

既に故安倍元首相夫人は面談している。

そしてもう一人、ソフトバンクの孫正義氏もそうだ、巨額の米国内投資がそのお土産だったそうだ。

そんな孫氏は、こんな言葉を語っている。

お正月に静かに受け止めたいものだ。

 

◆登りたい山を決める、これで人生の半分が決まる

 人生において、目標設定がいかに重要かを語った言葉だろう。

 ただ氏は、目標や夢という言葉ではなく「志(こころざし)」という言葉を好むようだ。

 

 次いでコピーライターの糸井重里氏だ。

 自分にとって、本当に大事なことってなんだろう。

 自分にとって、本当に大切な人って誰だろう。

 このふたつを、本気で思っているだけで、いい人生を送れるような気がする。

 

 作家伊坂幸太郎の著作からならばこうだ。

 あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか。

 

 →さあ、今年も一年頑張りましょう。