元ライターの小説家への道

僕もまだ本気を出していません。

大地震~品川から川崎へ~

2011年03月16日 22時26分55秒 | 日々雑感
「「なぜ略奪ない?」秩序に驚き」

 略奪はないけど、買占めはあるよ。

---

 品川駅を通り過ぎると、京急線が踏み切りの上で停車していた。踏み切りの上で停車しているということは、クロスする道路も通行できない。珍しい光景だ。故に、撮り鉄がパシャパシャやっていた。

 途中の不動産屋で地図を無料配布していた。水道局や仕訳事業で悪名高かった「女性と仕事の未来館」(これは品川駅の前)、真面目なマッサージ屋さんなどが、帰宅難民を受け入れてくれていた。ホテルのロビーには泊まれなかった人が溢れていた。それらを尻目に川崎へ。

 疲れがピークに達しようとしていた、しかし、品川を過ぎると店が激減する。赤ん坊を乳母車に乗せる人がいた。抱っこをしながら歩く人もいた。その人たちよりは自分は恵まれていると思いながら歩いた。僕が進むのは羽田方面。すれ違う人たちの中には、スーツケースを転がしている人もいた。僕よりも大変な荷物を持っている人がいると自分を鼓舞した。

 疲れのピークがマックスを越え、気力のみで歩いていた頃には、ヒザや間接、ふくらはぎ、足の裏、すべてが痛かった。半ば足を引きずるようにして歩みを進める。この間、読んだ「黒い雨」に出てきた人は原爆の熱波を浴びて死の行進を敢行していた。その人たちよりは…なんて思った。それと同じ時に東北で苦しむ人たちがいたのだが、この時点では情報が入ってこなかったので、思い浮かべることはなかった。

 家の近くの多摩川を渡す橋が見えた時、最後の休憩としてミニストップに入った。そこで骨なしチキンを食してから出発。橋の横にある神社の灯篭が倒壊していた。ここにきて初めて地震の被害を見た気がする。橋を渡り多摩川に目をやると、ここも隅田川と同様に津波の影響で増水していた。この時すでに0時過ぎ。暗闇の中、闇を反射する川面がとても黒く見えた。

 毎日の通勤路に到着。やがて現れた我が家。しかしいつもは灯っている玄関の外灯が消えていた。僕のことなんか忘れて、家族は寝てしまったのか。と悲しくなる。が、なんてことはない。23時過ぎまで停電をしていたのだ。

 家に到着したのは0時30分くらいだったか。足が動かない。もし家が5キロ先だったら、途中でリタイアしていたと思う。軽い気持ちで徒歩での帰宅を決断したが、当初の目的であった、電車のない状況を体験するというのをイヤというほど味わえた。電車が込んでるなんて、二度と文句言わない。ありがとう電車。

 家のテレビをつけると、津波の映像が流れていた。改めて地震の強さを認識した。

 シャワーを浴びながら熱心に足をマッサージした。

 風呂から出てベッドに体を預けたが、寝返りのたびに関節に激痛が走り熟睡できなかった。

 翌日、マピオンで距離を測ったら22.6キロ歩いたことが分かった。カロリーにするとおにぎり8個分くらい。Wii Fitで体重を量ったら、予想に反して増えていてブチ切れた。僕にはフルマラソンは無理だと思った。二度とやらない。

 完
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする