<以下の記事を復刻しますが、場合によっては削除します。>
今日は女性に叱られることを覚悟の上で、話をしたい。ワイフ・ビーター(Wife beater)とは「妻を殴る夫」のことである。こんな言葉は今や死語だろうが、昔、佐藤栄作さんという総理大臣がいた。7年8カ月の長期政権と沖縄返還の実現、ノーベル平和賞受賞などで有名だが、実は佐藤氏は総理に就任した直後、アメリカなど外国に「ワイフ・ビーター」と . . . 本文を読む
<2002年11月に書いた以下の文を復刻します。>
ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン
1) 音楽に関心がない人も、ベートーヴェンの名前は知っている。 この不世出の大作曲家については、余りに多くのことが語られ、余りに多くのことが伝えられている。 ほとんどの人が、この“楽聖”の断片的なことを知っているだろう。 フランスの文豪であるロマン・ロランは、一方 . . . 本文を読む
ベートーヴェン
若いころ“学生運動”に挫折し、絶望的な気持ちになっていた自分を救ってくれたのはこの曲だ。そのころ、自殺や他殺(テロ)まで考えていたのだ。そんなある日、学生街をさまよっていた私は、誰かが(たぶん、学生だろう)口ずさんでいたメロディーを聞いて、不思議にも「生きよう」という前向きな気分になった。それがこの曲であり、その時の体験は一生 忘れられない。
ベート . . . 本文を読む
<徘徊老人が多いので、過去の文を一部修正して復刻します。>
認知症にもいろいろあるようだが、NHKによれば全国で800万人はいるそうだ。特に“徘徊老人”は深刻な問題で、行方不明者が1万人もいるという。高齢化社会の日本、これからますます大きな問題になっていくだろう。私はまだ認知症ではないが、80歳を過ぎたから何時(いつ)そうなってもおかしくはない。妻によく言っていることだが . . . 本文を読む
<以下の文を復刻します>
イネッサ・アルマンド
20世紀最大の革命家レーニンの恋人について語りたい。といっても、私はその人、イネッサ・アルマンドのことをよく知らない。よく知らないくせに書くとは不謹慎この上ないのだが、どうしても書きたいので始めにお許しを願いたい。それほど、レーニンの“永遠の恋人”に関心があるのだ。レーニンは亡命中の1909年にイネッサと知り合ったそう . . . 本文を読む
1954年のイタリア映画で、ニーノ・ロータ作曲のテーマ音楽は、のちに日本で「ジェルソミーナ」として歌われるようになった。人間の“悲しみ”を象徴するかのようなメロディーで心に残る。ストーリーは旅芸人のザンパノという男と、少し頭のおかしいジェルソミーナという女が繰り広げる物語だが、人間の優しさと醜(みにく)さが随所に交錯して現われている。ジェルソミーナに扮したジュリエッタ・マシ . . . 本文を読む
過去の作品をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。
早稲田大学のキャンパス(2018年6月に撮影)
http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/cb7cbb5f0cfe671b27fafb95ed9f5de5http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/e3f7dd4e546e21f8c1d84438 . . . 本文を読む
17)エピローグ
外気の寒さがまだ残る日々だったが、冬は一歩ずつ遠のき、すぐそこに春の訪れが近づいている。行雄は全ての学業から解放され、後は春の到来を待つだけという気分になった。 やがて試験の結果が発表され、彼はほとんどの課目で「優」を取ったが、そんなことより卒論の「優」の方が何よりも嬉しかった。
そして、卒業式を前にした3月中旬、大学近くのS蕎麦店で仏文科のお別れ会が開かれた。A、B両ク . . . 本文を読む
16)卒業論文
冬休みに入ると、彼は遅れがちだった卒業論文の作業を進めようとしたが、まだどうも気乗りがしなかった。 そこで、近所に住む向井弘道の家へ遊びに行ったり、彼の方が行雄を訪ねてきたりして雑談を交わしていたが、向井も某石油化学会社への就職を決めていたため、将来の仕事や生活ぶりが話題の中心になった。
彼は親元を離れ、会社の独身寮に入るということが相当に嬉しいようだった。日頃は温和で控え . . . 本文を読む
15)百合子の指
Fテレビの研修が終って通常の大学生活に戻ると、また早稲田祭の季節になっていた。百合子は歌舞伎研究会の活動に熱心に参加していたが、行雄は蓼科での合宿に行けなかったことなどから歌舞研にはほとんど関心を失い、早稲田祭のサークル活動には加わらなかった。
そんなある日、徳田と雑談を交わしていると、エール・フランスの採用試験に失敗した百合子が、彼の助力でフランス大使館への就職を決めた . . . 本文を読む
秋も深まり11月を迎えると、Fテレビで就職内定者の職場研修が始まった。一日目の午前中、まず総務局の河野人事部長から、23人の内定者に対して研修の目的や日程などの説明があり、そのあと研修生は7つの班に分けられ各職場へと配置された。
制作関係を希望していた行雄は、同じようにドラマのディレクターを志望する他の3人と一緒に、まず制作現場に回された。テレビ局のスタジオを見るのは初めてなので、興味津々覗 . . . 本文を読む
14)研修
就職が決まって一安心していると、歌舞伎研究会が夏休み中に長野県の蓼科で合宿を行なうということが分かった。 行雄は以前ほど歌舞伎に関心は持っていなかったが、面倒臭い就職問題も片付いて気が楽になったせいか、気分転換も兼ねて合宿に参加しようと思った。
また、蓼科高原の自然の中で、百合子と一緒に合宿生活を送るのは、他に多くの学生が参加していようとも何か“淡い期待&rdquo . . . 本文を読む
13)就職戦線
大学4年の新学期が始まって一週間ほど経ったある日、高村宗男が声をかけてきた。「おい、就職説明会があさって開かれるというが、一緒に聞きに行かないか?」と言う。 新学年がスタートしたばかりだというのに、もう就職の話しが出てくるのかと行雄は“せっつかれる”思いがした。
彼が志望していた出版関係の就職試験は、秋口にならないと始まらないので“のんび . . . 本文を読む
12)1963年・昭和38年
新しい年・昭和38年を迎えた。 行雄は気持も改まる思いで、今年中に自分の進路を決めなければと考えているうちに、にわかに百合子を誘って歌舞伎を見に行こうと思い立った。各劇場の正月公演を調べてみると、歌舞伎座では「助六」などの出し物が予定されていた。
彼は以前、歌舞伎研究会の資料で「助六」のカラー写真を見たことがある。その中で、女形役の最高峰と言われる揚巻の打掛け . . . 本文を読む
11)艶・・・妄想
11月も半ばに差しかかると、歌舞伎研究会は早稲田祭の準備に追われていた。百合子は長唄の発表会があるのでその練習に余念がなかったようだが、行雄はまだ“新入り”なので大したことをやるわけでもなく、展示会場の手伝いをする程度だった。
そんなある日、徳田誠一郎が久しぶりに行雄に声をかけてきたので、二人は仏文科の講義が終ったあとS喫茶店に入った。「家庭教師 . . . 本文を読む