<以下の文を復刻します。>
昔、地政学に関する本を読んだことがあるが、日本とイギリスを比較する箇所がずいぶんあった。両国とも「島国」だから著者は比較したかったのだろう。内容はあまり覚えていないが、日本もイギリスも“海洋国家”として進む運命にあると書いてあったように思う。その時は、西洋のイギリスに対する東洋の日本という位置づけは、何か自尊心をくすぐられるようで悪い気がしなか . . . 本文を読む
〈2002年1月に書いた以下の記事を一部修正して復刻します。〉
現行憲法の精神の中で、最も個人にとって重要なものは「基本的人権」であろう。我々は戦後の教育でその重要性を徹底的に教えられてきたと思う。 そして、政治的にはその上に、「国民主権」が高らかに謳われている。いずれも侵されてはならない、民主主義の貴重な原理だと思う。 あのフランス大革命の「人権宣言」以来、この民主主義の原理は脈々と今日ま . . . 本文を読む
<2002年3月23日に書いた以下の文を復刻します。>
1) 思想家とは、単純に言って、“自分の思い”を持っている人である。 ということは、ほとんどの人が思想家ということになる。しかし、ほとんどの人が、自分自身を思想家とは思っていない。
それならば、何をもって「思想家」と言うのだろうか。 この定義は難しい。 物事を徹底的に突き詰めて考える人、まったく独自の考えを持って . . . 本文を読む
<以下の文を復刻します。>
飽食大国・日本を批判していたら、「もったいない」という言葉を思い出した。一時、故ワンガリ・マータイさん(ケニアのノーベル平和賞受賞者)が世界に広めてくれて有名になった言葉だが、最近はあまり聞かない。「もったいない」は英語だと"wasteful"で、むだづかいが多い、浪費的な、不経済なという意味だから、より分かりやすく現実的だろう。しかし、この日本語には物に対する畏敬の . . . 本文を読む
<以下の文を一部修正して復刻します。>
散歩をしていたらたまたま同期生のSさんに出会った。彼女とはW大学仏文科で一緒だったが、今は偶然同じ地域に住んでいる。Sさんと立ち話をしているうちに昔の文学部を思い出したが、50年以上も前の文学部というのはそれなりに人気があったと思う。今はどうだろうか。その頃はフランス文学とかロシア文学などに一定の魅力があったと思う。戦後の混乱期を経て欧米の文学や実存主義、 . . . 本文を読む
<2008年11月に書いた以下の記事を復刻します。>
一般に、物事を白か黒か、イエスかノーか、オール オア ナッシングで考えようとするのをデジタル的思考と言う。これに対して、物事を割り切らずに、全体的に捉えようというのがアナログ的思考と言えるだろう。どちらにも長所、短所があると思うが、世の中はデジタル化が進んでいるためか、思考法までデジタル的になってきたようだ。例えば「勝ち組」「負け組」という言 . . . 本文を読む
イエス・キリストの痛切な一言
イエスの山上の垂訓(ブロッホ作)
「自分の目には梁(はり)があるのに、どうして兄弟に向かって、あなたの目から塵(ちり)を取らせてください、と言えようか。 偽善者よ、まず自分の目から梁(はり)を取りのけるがよい。 そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目から塵(ちり)を取りのけることができるだろう」 (山上の垂訓より)
他国を非難する前に、まず自分のこ . . . 本文を読む
<昔、書いた記事を一部修正して復刻します。念のため、2002年8月に書いたものです。>
1) 真夏の暑い日が続くので、家の中で何か本でも読もうと思い、図書館へ行って本を借りることにした。 いろいろ物色していたら、スペインの作家・セルバンテスの「ドン・キホーテ」が目に付いたので借りてきた。 50年ほど昔の少年時代に、たしか子供向けの「ドン・キホーテ物語」というのを読んだ記憶があるが、本物を読むのは . . . 本文を読む
<以下の記事は2002年4月6日に書いたものです。一部修正>
山上の垂訓(C・H・ブロッホ作)
1) 私はクリスチャンではないので、キリスト教のことはよく知らない。 しかし、「山上の垂訓」といわれるイエス・キリストの言葉(教え)は知っている。 この言葉は、人類が発する言葉の中では、二度と現われることのない高貴なものであろう。 人類が滅亡するまでに、このような言葉は決して現われないだろう。そ . . . 本文を読む
スピノザ
<以下の文を復刻します。>
今日は少し“七面倒臭い”話をしたい。苦しみから脱却しようとする時、大抵の人はさまざまな思想や宗教などに頼ろうとする。しかし、納得のいく思想や宗教がないと、人はさらに苦しみの中へ落ち込んでいく。私の場合ももちろんそうだった。 若い頃、過激な学生運動・革命運動に没頭していた私は、ある時、マルクス主義やアナーキズ . . . 本文を読む
〈以下の文を復刻します。〉
私はこの世の出来事、現象は全て“必然”だと思っている。そう考えることによって、自分の人生が救われたと自覚しているからだ。 こういう考え方は、運命論や決定論と相通じるものだが、根底には「汎神論」がある。今ここで汎神論について、あれこれ述べるつもりはない。ただ一つ言いたいことは、汎神論が運命論や決定論、そして「必然論」と密接に繋がっていることを指摘 . . . 本文を読む
<2002年5月に書いた以下の文を復刻します。>
1) 幸福のとらえ方は、個人によって様々な違いがある。 しかし、人間が幸福であると思う(感じる)心境はそれほど違わない。 人間は幸福を追い求めてきたし、現に追い求めているだろう。そして、幸福であるか否かということが、人間にとって最大の命題であることに変わりはないと思う。ところが、この幸福を論じることが、往々にして軽視されているきらいがある。 幸福 . . . 本文を読む
<以下の文を復刻します。>
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」というのは、福澤諭吉の著書『学問のすすめ』に出てくる有名な言葉だ。 この言葉は福澤自身のものではなく、アメリカの独立宣言から引用したものだというが、日本では福澤自身の言葉のように受け取られている。それほど人々に行き渡った名言として価値のあるものだ。 この言葉には“万民平等”という . . . 本文を読む