矢嶋武弘・Takehiroの部屋

83歳のジジイです。 日一日の命
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青春流転(14)

2025年01月03日 09時48分47秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』

 淺沼委員長を刺殺した少年が十七歳だと分かると、行雄はますます敗北感に似たものを感じた。 十九歳の自分は行動力でも情熱や度胸でも、年下の者にはよもや負けないと思っていたから、なおさらショックだった。 しかし、笹塚が言うように、テロだけでは革命運動を成就することはできないことも分かっていた。

 淺沼刺殺事件の後、全学連は直ちに抗議集会とデモを行なったが、集まった学生はわずかに三百人程度だった。“沼さん”と呼ばれて親しまれ、“人間機関車”と言われて国民的な人気があった淺沼委員長だったではないか。

 その人の暗殺に抗議する集会に、たった三百人の学生しか集まらないとは、全学連も見捨てられたものだと行雄は思った。 これが学生運動の現実なのか。あの安保闘争の時の、潮のような盛り上がりを見せた学生運動はどこに消えてしまったのか。 

 デモ行進していても、少人数の学生達は警官隊に“サンドイッチ規制”されて身動きが取れず、まるで護送されるようにしてデモの最終地点まで連れていかれた。行雄は情けない気持で一杯になった。 行雄はふと、安保闘争で十何万人というデモ隊が国会を取り囲んでいた時の出来事を思い出した。

「おう、みんな元気だな」という声が聞こえたので振り向くと、“沼さん”が巨体を揺すりながら学生達の間を縫って行く。 誰かが「沼さん!」と声をかけると、彼は手を振って応えていた。 淺沼委員長の思い出と貧弱なデモ行進が重なり、行雄は寂しい思いが募るだけだった。

  しかし、幸いというかその頃、行雄がいた第一文学部では、自治会の主導権をめぐって、全学連主流派と日共系の反主流派との間で激しい攻防戦が始まり、彼は闘争の目標を得て活力を取り戻した。

 十月中旬に開かれたクラス委員総会で、それまで長期にわたり自治会の執行部を掌握していた反主流派の勢力を、主流派が駆逐することに成功した。 主流派が執行権を奪回したのである。行雄も自治会の常任委員に選ばれ、旧ブントやマル学同の委員とともに新執行部を形成した。

 その中で、アナーキストは行雄一人だけだった。 新執行部を決める時、最初の候補者名簿の中に彼の名前は入っていなかったが、行雄は今こそアナーキズムを浸透させるチャンスとばかりに、自分を強引に売り込んで常任委員の一角を占めることができた。彼はいつも主流派の学生と行動を共にしていたから、アナーキストと分かっていても反対する者はいなかった。

 いよいよ第一文学部を拠点にして、アナーキズムを広めていくことができる。それは自分の努力次第で、十分に可能だと行雄は思った。 笹塚も瀬戸山も、彼の常任委員就任を喜んでくれた。 行雄は最後のチャンスをつかんだように感じたのである。

 彼は笹塚らと相談して、アナーキズムの象徴である黒旗を作ることにし、梅沢氏にも文学部を中心に講演をしてもらう企画を練った。 いろいろな欲求が行雄の心に渦巻いていたが、委員総会で敗北した反主流派が間もなく巻き返しを図ってきた。

 彼等は新執行部の合法性を認めないと言い出し、十月下旬には自派中心の委員総会を開いて、もう一つの執行部を創ってしまった。 主流派の執行部は勿論これを認めず、十一月上旬に自派だけの総会を開いて対抗したが、文学部の中に二重執行部ができたことは誰の目にも明らかであった。 主流派は全学連、反主流派は日共系の全自連にそれぞれ加盟したため、それ以降、第一文学部の自治会は真っ二つに分裂したのである。

 こうした主流派と反主流派の攻防は、一般の学生達にはどうでも良いことだったろう。 大多数の学生は、学問、異性との交遊、レジャーやクラブ活動などに青春の生きがいを求めていた。 反日共系の全学連か、日共系の全自連かという勢力争いなどは、彼等にはほとんど関係のないことだったに違いない。 そうした状況の中で、一部の学生活動家だけが、自治会の主導権をめぐって“暗闘”を繰り広げていくのである。

 

 そうしたある日、中学時代からの友人、向井弘道がひょっこり行雄を訪ねてきた。 彼は大学では理工学部の応用化学科へ進学していたが、元気良く大学生活をエンジョイしているようで、表情も明るく見えた。 行雄は久しぶりに向井に会えて嬉しかったが、暫く雑談した後、彼は次のように切り出した。

「君は相変わらず、全学連の運動に首っ丈のようだね。だけど安保闘争が終って、学生運動もほとんど“そっぽ”を向かれた感じじゃないか。 君に全学連を止めろと言っても無理かもしれないが、いつまでやっているつもりなの?」

 向井の問いに行雄は、現在の自治会活動やアナーキズムなどについて詳しく説明し、学生運動は続けていくときっぱりと言った。 すると向井が、全学連やアナーキズムの運動にどういう展望があるのかと追及してきたので、行雄は答えた。

「展望なんかないよ。 ただ僕はアナーキストだから、まず文学部でアナーキズムを浸透させ、それを学生運動の中に広めていくだけだ。自治会の常任委員になったのもそのためだよ。 だから、アナ連の『クロハタ』にも寄稿しているし、同志と『反逆の砦』というパンフレットも発行している。

 全学連の集会やデモの時には、ビラを配って大いにアナーキズムを宣伝しているんだ。 やりがいのある毎日が続いて、充実していると思ってるよ」 行雄が開き直ったように言うと、向井はさらに続けた。

「だけど、言いにくいことを言わせてもらえば、君はしょせんプチブルだと思う。プチブル急進主義というやつだ。 僕なんか見ていると、ブントの解体など正にそれだね。 大衆運動が盛んな時にはえらく威勢がいいが、いったん運動が沈滞してくるともうどうして良いか分からなくなり、四分五裂してしまうんだ。

 こんな学生運動じゃ、一般の学生はほとんどついてこないよ。今の全学連がそうじゃないか。 君らがよく言う“左翼小児病”みたいなもので、しょせんはプチブル急進主義の限界だ。こんな運動では理想と現実の間にギャップがあり過ぎて、袋小路に入っていくだけだよ。

 授業料値上げ反対とか、バス運賃値上げ反対とか、もっと身近な問題をやっていかないと一般の学生は付いてこない。 革命、革命なんて叫んでいるのは、ごく一握りの学生だけだ。 そういう現実と理想の間のギャップに、君達は耐えていけるのかな。そういう矛盾や苦しみに君は耐えていけるのか。 出しゃばりを言うようだけど、僕は心配しているんだ」

 向井にしては珍しく率直な言い方だった。 彼の指摘に行雄は痛い所を突かれた感じもしたが、革命家を自負する人間としては反論せざるをえない。 「それは、わざわざどうもありがとう。ご心配まで頂き恐縮至極だね。 僕はただ、大杉栄流のアナーキズムを信奉し、それを広めていくことだけしか考えていないんだよ。

 君の言うように、僕はプチブルかもしれない。プチブルのくせにと思っているかもしれないが、レーニンやバクーニン、クロポトキンだって、革命家の多くはプチブル出身者だ。 いや、クロポトキンなんか大貴族の息子だよ。出身なんかどうだっていいことじゃないか。

 それよりも、自分の信念や信条に、いかに誠実に生きていくかということが大切なんだ。 今の僕には、革命というものしかないね。それもアナーキズム革命だ。 僕は自分の道を進んでいくしかないよ」

 向井はそれ以上追及してこなかったが、彼が帰宅した後、行雄は物思いに耽った。 自分がやっていることは正しいはずだ。搾取され虐げられている人達を解放するため、無政府共産社会を実現することは人類の理想ではないか。 そのために自分の全生涯を捧げることほど、崇高な生き方は他にないのではないか。

 自分には立身出世とか、己の利益のために生きていこうというエゴイズムはいささかもない。 逆に他人の幸福や、理想社会の実現だけを念頭に置いて、自己を犠牲にしてまで生きていこうとしているではないか。 恥じる所は一点もないばかりか、自分を誇りに思うことばかりだ。

 確かに自分は未熟な人間であり、能力も大したことはない。 しかし、崇高な理想に邁進する生き方は、誰にも劣らない立派なものだと自負している。 安保闘争の高揚という一時的な僥倖によって、全学連の運動が一般学生にも広く支持されていると、錯覚した面がないではなかった。単なる政治危機を、間違って“体制危機”と捉えた側面もあっただろう。

 しかし、今は多くの人達に誤解されていようとも、自分達の理想主義的な運動は、やがて必ず理解される日が来るのではないか。 その希望を失ってはならない。どんなに辛くても、自分の信じる道を進んでいくしかない。 向井が帰った後、行雄は改めてそう思うのだった。

 その日、行雄が夕食を済ませると、父の国義が珍しく彼を自分の部屋に呼びつけた。八畳の洋間には父と母、それに兄の国雄までが同席していた。 行雄が椅子に腰掛けると、国義は余裕のある笑みを浮かべながら語りかけてきた。

「なあ、行雄、きょう向井君が話しをしに来ただろう。 別に隠すこともないので言っておくが、向井君には先日、お母さんと私がお前にいろいろ話しをして欲しいと頼んでおいたのだ。 そこでだ、お前もそろそろ考え直したらどうなんだ?」

 向井がやって来たのはそういう意味なのかと、行雄は父母の“お節介”を煩わしく思った。 それならば、父がこれから話すことは分かりきっている。全学連なんか止めてしまえということだろう。 行雄が身構えていると国義が話しを続けた。

「安保の頃は、お前達の学生運動も分からないではなかった。政府もけっこう強引にやったからな。 だけど安保も終り政府も変って、世の中も落ち着いてきたのだ。 今じゃ、ほとんどの学生は、全学連の運動に見向きもしないというじゃないか。

 それなのに、お前は相変わらず学生運動を続けているそうだな。 もうこの辺で、自分の人生や先行きのことを考え直したらどうなんだ。 父さんも母さんも兄さんも、みんなお前のことを心配しておるのだよ。 今こそ考え直す時期だと思うのだが、行雄、どうなんだ?」

 国義にしては妙に親身になった口調で語りかけてくるので、行雄はやや戸惑ったが、すぐに自分の考えと立場を述べた。「お父さん。 安保闘争は終ったけど、本質的な問題は全然解決していないんですよ。日本の資本主義社会は厳然として存在しているし、自民党政治も少しも変っていない。

 お父さんにいくら言っても無駄だと思うけど、この社会を根本から変革しない限り、理想の社会はやって来ないんだ。 だから僕は、これまで通りに運動を続けていく以外にないと思っているんです」 それから二人の応酬が始まった。

「行雄の言う理想の社会って、共産主義社会のことか? そんなものは、今すぐに創ろうとしたってそれは無理だろう。 お父さん達だって今の社会を少しでも良くしようと、それなりに努力しているんだ。その位いのことは分かってくれるだろう」

「いや、お父さん達の努力は、体制内の単なる修理や修繕でしかないんですよ。 われわれのやろうとしていることは、体制そのものを根本からひっくり返して、まったく別の社会制度を創ろうというものですよ」

「お前は今の社会体制を、つまり資本主義社会を悪いものと見ているようだが、果たしてそうだろうか。 勿論、いろいろな矛盾や欠点はあるだろうが、全体的には自由や民主的な制度が行き渡っているじゃないか。

 そうした中で、この社会を少しでも良くしようと、善良で真面目な人達が大勢努力しているんだ。その人達の努力はまったく意味がないとでも言うのか。 その人達の努力はまったく無駄で、ソ連や中国、北朝鮮のような共産主義国家がそんなに良いとでも言うのか。 そんな国には、自由も本当の民主主義もないというではないか」

「ソ連や中国などの社会が良いなんて言ってないですよ。官僚的な社会主義社会なんてちっとも良くない。 僕らは、そんな社会を乗り越えて、もっと自由で公正な無政府共産社会を創ろうとしているんですよ」

「無政府共産社会だって? そんなものは分からんなあ。なんだい、それは。 国家がないという社会なのか、そんなものは夢、幻だよ。 いつの時代にも国家はあるんだ。国家なしに、どうして国民が、平和で秩序ある生活を営むことができると言うんだ。

 お前の考えていることは、幻を追い求めているだけだ。お前よりもっと真面目に誠実に、この社会を良くしようと努力している人は大勢いる。 その人達の方が、お前達よりずっと価値のあることをしているはずだ。 そうは思わないのか」

 父に自分の考えや生き方を否定されて、行雄は怒りを覚えた。「その人達はしょせん、今の社会の中でしかやっていけない連中なんだ。 僕から見れば、言っちゃ悪いが“寄生虫”みたいなものですよ」

 すると、国義の顔が急に赤みを帯びて彼は怒鳴った。「馬鹿を言うな! 寄生虫とはなんだ! お前なんかよりずっと立派で真面目な人達が額に汗して働き、この世の中や家庭を支えて頑張ってるんだぞ。 寄生虫とは、お前みたいに親のスネをかじり、のうのうと大学まで行って生意気な口をきくような奴を言うんだ! 少しは自分の下らなさを考えてみろ!」

 行雄も爆発した。「僕は偉大なんだ! 君達に僕のやろうとしていることが分かってたまるもんか!」 国義が立ち上がる。傍らにいる国雄が笑い声を上げて言った。「偉大か・・・誇大妄想狂だな」

「いくら話しても無駄だ! これ以上、話すのは止めよう」 行雄がそう言って立ち上がろうとすると、怒った国義が殴りかかってきた。「バカもん!」「なにをするんだ!」 行雄が左手で国義の右手首を握って抵抗していると、久乃が「お父さん、やめて下さい」と言って、必死に二人の仲裁に入ってきた。

「バカッ! お前なんか出ていけ!」国義が叫んだ。 行雄は荒々しく席を蹴ると、そのまま玄関から外に飛び出した。 「行雄!」と声を上げながら、久乃が追いかけてきたが、彼は「友達の所へ行ってくる」と言って姿を消した。

 行雄は夜道を北浦和駅へ向って足早に歩いていった。 畜生・・・家族がなんだ! 俺には俺の生き方があるんだぞ、俺の生き方を誰が止めるというんだ。憤まんと悲しさで胸がうずくようだった。 彼は電車に乗ると高田馬場駅で降り、その晩は、クラスメートの泉田茂樹のアパートに転がり込んで泊った。

 

 文学部自治会が二重執行部のまま推移していることで、主流派のクラス委員の中では、このままで良いという意見と、異常な事態だからもう一度正式な委員総会を開いて、反主流派と決着をつけようという意見の二派に分かれた。

 行雄らは、一般学生の支持を受けるためにも、もう一度総会を開いて多数を制すべきであると主張した。 これに対し、旧ブント系の常任委員らは、主流派執行部は正式に選ばれたものだから委員総会をやり直すべきでない、もし、やり直し総会を開けば負けるかもしれないと、現状の二重執行部体制でも良いと反論した。

 主流派執行部の中で激論が闘わされたが、結局、十二月上旬に、中立の三人委員会が招集する委員総会に応じる方針を決めた。 こうなると後は、反主流派との多数派工作が残るだけである。 行雄らは、主流派が勝つという十分な自信があった。

 主流、反主流両派の激しい委員獲得合戦が繰り広げられ、十二月某日、全体委員総会を迎えた。 ところが、結果はわずか二票差で、主流派は反主流派に敗北したのである。主流派の学生達は愕然としたが、後の祭りであった。

 こうなるのだったら、二重執行部のまま押し通せば良かったのにと悔やまれたが、仕方のないことであった。 全学連主流派の運動は、結局、一般学生の支持を失っていたのだ。 暗く冷たい“冬の季節”が、学生運動全般に訪れようとしていた。

 

 そんなある日、全学連による池田内閣打倒の集会とデモが行なわれた。行雄もそれに参加したが、集まった学生はわずか二百人程度だった。 あの安保闘争の時には、最大で何万人もの学生が集結していたというのに、なんという惨めな有り様だろうか。

 その日のデモで行雄は、勝ち誇ったかのような警官隊の厚い警備に突き倒され、左膝をアスファルトの路面に強く打ちつけて、立ち上がることができなかった。 まわりの学生に助け起こされ、彼は足を引きずりながら行進した。苦痛に顔を歪めながら歯を食いしばって行進した。

 しかし途中で、行雄は膝の痛みに耐えかねてデモ隊の列から離れ、歩道を“びっこ”を引きながら歩かざるをえなかった。 デモ隊は警官隊のサンドイッチ規制を受けながら、ジグザグ行進をすることもできず、まるで連行されるように先へ進んで消えていった。行雄は歩道に独り取り残された。

 歩くことも嫌になって、彼は近くの喫茶店に入った。なんとも言えない空しさと悔しさが込み上げてくる。 彼はソファにぐったりと沈んだ。左膝がズキズキと痛む。デモ行進から脱落したのは初めてのことだ。独りぽっちの行雄は放心したようになっていた。

 すぐ近くの席では、若いアベックが楽しそうにおしゃべりをしている。 膝の痛みに加えて、デモ行進の疲れが全身に及んでくるように感じられ、行雄はコーヒーを一口飲むとそのまま“まどろんで”しまった。


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2 コメント

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この部分は後半の山場のようですね (ヒロシ)
2016-02-28 16:27:50
 本日熊本は麗らかに晴れ渡って暖かく春らしい日和になっていますが、御地はいかがでしょうか・・
 さて、小説は後半部に入ったようですね。右翼のテロに先を越されたと思う左翼青年の心理描写、これは前にもありました。ハガチーの車が立ち往生したときの描写です。このときも主人公は反主流派に先を越されたと残念がります。ある事柄を描写する際の手法として、これはなかなか有効だと思いました。読者は主人公と同じ視線で状況を見ることになります。
 事件が時系列に配置されているところは新聞的ともいえますが、そこにひとひねりある描写が加わるとやはりドキュメンタリーとは違う小説になります。
 父親と対立する場面は文句の付けようのない描写になつています。
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理屈っぽい小説 (矢嶋武弘)
2016-02-29 06:27:35
ここ所沢も暖かく春らしくなりました。
懇切丁寧なコメントを、ありがとうございます。
この小説はかなり理屈っぽく面白くないと思いますが、評価していただき感謝しています。
ただ若いころに書いたものなので、その辺をどうぞご理解願いたいと思います。
まずは御礼にて失礼します。
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