ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】【補正】G7各国首脳は、原子雲の下に居るのか、上から眺めているのか、それが問題だ(20230520)

2023年05月20日 | 戦争ではなく、平和を求める

 本日の沖縄タムスは、「G7 原爆の惨禍共有 資料館で被爆者対面」と報じている。「2023年4月19日、先進7カ国首脳会議が開幕した。G7首脳は平和記念公園内の原爆資料館を史上初めてそろって訪問」とある。
 広島―被爆地「平和のイメージ」を喚起しながら、対ロ戦争への結束と、対中戦争への備えを固めることに利用するのだろう。G7広島サミットは、被爆地広島を舞台とする茶番劇だと私は考えている。

【非公開というベールの中で】
 そもそも平和記念公園の出入り口は全て封鎖され、原爆資料館の窓ガラスも完全に覆いが施された中での首脳の見学だ。被爆者代表小倉桂子さん(85)とも初対面とあるが、何を聞いたのだろうか。全体で45分と言うから、話しを聞くも、展示をみるも、ザクザクになる。親密に対面する時間はないだろうし、展示物も殆ど素通りしたのだろう。
 私は想起する。彼らは、原爆の原子雲を上からみたのではないか。B29爆撃機から撮影されたモクモクと立ち上がる原子雲。不気味であるが、上からだ。しかし原爆の惨禍はその原子雲の下で起きたのだ。熱線・爆風・放射能による惨禍。爆心地近くに居た人は、「影」としてしか残されていないほどだった。生身の人間が、瞬時に「影」にされてしまったのだ。
 米国による核開発(マンハッタン計画)は最高度の軍事機密の中で進められた。それは原爆投下後の被爆地ヒロシマでもナガサキでも、隠され続けてきた。核を巡る表現の自由は、1952年4月28日まで連合国(米国を中心とする)占領軍によって隠され続けてきた。そして今、米国を初めとするG7広島サミットが開催されているのだ。
 詳細不明だからこそ、彼らは何を見て何を感じたのか、私は各国首脳に聞いてみたい。バイデン米国大統領は、平和記念公園の、原爆資料館の中においてすら、「核の発射ボタン」を身近に持っている御仁なのだ。そんな彼がどう思うか、思えるのか? たかが知れている。
 今、広島は、「平和幻想」を演出するための「舞台」にされているのだ。

【「核抑止論」にすがる岸田政権】
 ここで、岸田政権が「核抑止論」を明瞭に掲げていることを簡潔に確認しておこう。先ず2015年4月27日に改訂した「日米防衛協力のための軍事指針」(現在も有効)を見る。冒頭の「Ⅰ防衛協力と指針の目的」にこうある。5項目を挙げているが、総じて「日米同盟を継続的に強化する」(中略)「米国は、引き続き、その核戦略を含むあらゆる種類の能力を通じ、日本に対して拡大抑止を提供する。米国はまた、引き続きアジア太平洋地域において即応態勢にある戦力を前方展開するとともに、それらの戦力を迅速に増強する能力を維持する」とある。
 両国の軍事態勢にとって、核戦力の配備と、同行使は、大前提になっているのだ。確かに米国は現在、日本国領土内に核を配備していないだろう。しかし原潜に配備しているだろうし、「それらの戦力を迅速に増強する能力」に日本国内陸上部へ核の持ち込みは想定されているはずだ(註:「核密約」あり)。
 次に2022年12月に岸田政権が策定した「安保3文書」を見る。3文書の内、国家戦略にあたる「国家安全保障戦略について」にこうある。「Ⅱ 我が国の国益」を定めているが、完全に抽象的な駄文だ。「我が国の主権と独立を維持し、領域を保全し、国民の生命・身体・財産の安全を確保する」ほか、計3項目だが、何が国益なのか全く具体的な指摘がない。そして「Ⅲ 我が国の安全保障に対する基本的な原則」にこうある。「3 専守防衛に徹し他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核3原則を堅持するとの基本方針は今後も変らない」と称し、「4 拡大抑止の提供を含む日米同盟は、我が国の安全保障政策の基軸であり続ける」と。
 今見たとおり、ガイドラインの「(戦火・攻撃の)拡大抑止」には「核戦力を含む」のだ。とぼけてはいけない。私は騙されない。
 次の「国家防衛戦略について」に、こう明言されている。「2 日米同盟による共同抑止・対処」に「(前略)通常戦力による侵攻、さらに核兵器の使用に至るまでの事態の深刻化を防ぎ、力による一方的な現状変更やその試みを抑止する」(中略)「日米両国は、その戦略を整合させ、共に目標を優先づけることにより、同盟を絶えず現代化し、共同の能力を強化する」。
 そして「(1)日米共同の抑止力・対処力の強化」で「さらに、核抑止力を中心とした米国の拡大抑止が信頼でき、強靱なものであり続けることを確保するため、日米間の協議を閣僚レベルのものも含めて一層活発化・深化させる」とすらあるのだ。
 もし、力と力がガチにぶつかる事態になれば、日本政府は、核攻撃を促すだろう。そして核による反撃を受けるだろう。日本の末路を、アジアの末路を、人間の末路を、私たちの手で、誘導させるなど、決してあってはいけない。武力で奢るな、阿(おもね)るな。争いを避ける平和外交をこそ私たちは希望している。個々人が育む努力を重ねたい。
  
 【岸田首相の白昼夢】
 岸田首相の評価を私は変えた。如何に変えたのか? ボンクラ首相から案外な役者だと。彼は明らかに安倍晋三氏よリも演技力は上ではないか。しかし安倍後継であることは否めない。
 安倍元首相は、「積極的平和主義」を掲げた。この言葉は意味不明な「安倍語」の典型例だが、要するに「統合防衛力」(陸海空を一元的に束ねた軍事力)を駆使する中で「平和への道」に邁進するのだと。自衛隊を米軍の手下として、中国・ロシア・北朝鮮への軍事力として身構える。岸田首相は、この国を突撃部隊にしていく。「平和の仮面」をかぶり続けて。
 岸田首相は、彼らの町広島でG7ヒロシマサミットをやれば、「敵基地攻撃能力」で剥がれた「専守防衛」論をごまかしたいと考えたのだろう。なかなかの「策略家」ではないか。
 広島市は、副本として使ってきた「はだしのゲン」を今年度から使用しないと決めた。「はだしのゲン」は、被爆漫画だが、ただの被爆漫画ではない。当時の具体像を描き出し、被爆を強いられたゲンたちの生き様を描き出している。その迫力が光っているからこそ、「時代に合わなくなっている」などと排斥されたのだ。広島市教育委員会も岸田政権を忖度しているのだ。情けない。
 岸田首相の白昼夢は、こうした事とも相まって、今や全面開花。あたかも「専守防衛」の素振りを演じながら、中国との戦争に備えていくようだ。

【「見ない・聞かない・言わない」を超えて】
 私は2010年12月のこの国の「防衛計画大綱」を読み、驚愕した。初めて「動的防衛力」が打ち出され、「島嶼防衛」が出ていたからだ。遂に、この国は、「武力による防衛」を公然と掲げ始めた。しかしこの時、私はあることを見落としていた。迂闊だった。「島嶼防衛」とは、琉球弧を戦場にしながら、中国軍を撃退させる構想だが、その脈略に従えば、ある意味、攻められたから反撃したまでだという「防衛戦」の口実が隠されていたのだ。
 当時は、「解釈改憲」による集団的自衛権の「合憲化」構想が語られる以前のことだ。事態の推移の中で、これとあいまって、領土・領海への攻撃と、同盟国の領土・領海外での軍事作戦の両面に対応することが明らかになってきた。これで、この国の、「自衛隊」という名の軍隊の武力行使を伴う作戦範囲は、一気に拡大したのだ。
 私は、引き続き、東京大空襲を、沖縄戦を、ヒロシマ・ナガサキを忘れまい。こうした一連の歴史を掘り下げたい。
今回、私は広島サミットへの行動に参加できなかったが、「見ない・聞かない・言わない」を超えて、米日共同の、G7各国等の参加国の戦争強化態勢と、軍事力による世界支配の思惑を一歩でも突破していきたい。私は呼びかけたい。「見よう・聞こう・言おう!!」。私たちは生きていく。



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