2021年4月27日ー③(火)晴
中城城址から北西に抜け、荻道、安谷屋、高速を渡り、野嵩3丁目に入る。ぐるぐるっと宜野湾市役所の裏にで、国道330号線へ。15時を回っていた。中城城址から野嵩ゲートまで直線距離2500mだが、このぐるぐるっとだと約5000mもあったようだ。
これから嘉数まで間に合うのか、我ながら疑問だったが、行くぞ。だが腹が減っては、なんとかだった。上原の屋台で調達した。
ベーコン卵のさんどいっちとアイスコーヒーで550円。安い旨いだった。15:43
佐喜真美術館の裏手にある児童公園で食べた。生き返った。15:43
食べてほっとしていたところに爆音が聞えた。カメラを手にして立ち向かう。
余り見かけない輸送機だ。形はボーイング737だが、米国海軍のC-40兵站輸送機だ。北東に飛んだ。今日は余り飛んでいなかったので油断していた。15:51
ここから普天間基地に沿って西に行けば、いいのだが、行けるのか。
どうやら行ける。しかしこの感じの悪い掲示はなんだ。米国海兵隊施設だそうだ。16:06
その心は?
防衛省様だぞ!文句アルか?! 16:07
いつのまにか、普天間基地の南側を走る道路が開通していたのだった。
カーブには目立つ、摩擦係数の高い資材が使われている。16:11
こうだ。立派なものだ。16:11
Cゲートだ。16:12 全て(ゲートもフェンスも)新品だ。防衛省が作ったのだろう。
16:14 上の掲示は米国海兵隊で、下は防衛省。いやおかしいよね。「米国海兵隊施設」て、なんだ?主語がないのだ。要は日本国防衛省が海兵隊の気持ちになって作ったということだ。このガードレールも防衛省のものか。それは違うだろう。
ここは宜野湾市道11号線だ。ガードレールは宜野湾市のものだ。防衛省に貸しているのか(道路占用許可をだしているのか)。境界敷は、ここから米軍提供施設の印だから、そこにある。
難しい。沖縄タイムスが報じたところによれば(20210329)、ここは1979年に事業着手したものの完成まで42年が経過。42年だと。たったこれだけの道の開通に42年が掛る。幅6mほどで全長3500m。何たる不合理。米軍がさっさと返せばいいのだ。6mのセットバックなど簡単だろう。
しかしもともと私有地が大半だ。米軍が戦争の渦中に奪い取った土地だ。私権が曖昧になり、買収に時間がかかったのだろう。総事業費約32億円。防衛省補助金が使われていると。宜野湾市のHPを見たが、さらっとでていただけだった。私は秘史を知りたい。
しかしこの道のお陰で、私は無事に予定通り歩けたのだ。皮肉。初めての道だから観察しながら撮るのだから、興味津々。
分かりますか? 「違反者は日本国の法律で罰せられる」と。16:26
ここは日本国だからそうでしょうね。米国の法律では処罰されない。当たり前だろ。しかし米国・米軍は様々な特権を得ている。低空飛行もそうだ。日米地位協定などで守られている。
燃料タンクか。この付近の字名は神山。16:39
西へ歩いているのだが、東を撮っている。奥に新しいお墓が見える。フェンスの中にある。16:44
皆さんも、個人の(先祖伝来の)お墓が何故基地の中にあるのか考えて頂きたい。勝手に接収(強奪)されて76年が経つのだ。
オスプレイが西に飛んだ。16:49
西の外れ佐真下に着いた。17:04 やっとここまできたのだ。フェンスの中にオスプレイとAH-1がいる。彼らは、何のために沖縄に駐留しているのか? ただいるんじゃない。戦争に備えながらいるのだ。その違いを考えて。
よし、ここまで来たら嘉数までひとっとび。
嘉数高台展望台から普天間基地駐機場。オスプレイが16機、CH-53大型ヘリが9機、AH-1攻撃ヘリが6機見える。17:47
17:51
南西から下りてきたオスプレイ。18:18
また、下りてきた。18:26
排ガスがよくみえる。18:26
駐機場に向かう。18:28
黄昏れてきた。18:45
帰りのバスが心配になってきた。
また来た。18:52
陽が沈む。18:53
とやっていたら、バスは行ってしまっていたのだった。嘉数19:12だったのだ。次は21:09か。2時間暗闇で待つのか。仕方がない。
満月なのだ。19:57
20:00 嘉数バス亭の近くから。月灯りで心も和む? あと1時間。
撮れたのだから文句をいうまい。
本日の徒歩、41000歩。7:15-19:15 ひとり、自分に「ご苦労様でした」。