ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

朝だ、この時と空間を考える(20230513)

2023年05月13日 | 沖縄暮らし

おはようございます。2023年5月13日。(土)曇

 先日は、床に宮古島周辺の図面(25000分の1地形図)6枚を集め、広げながら、原稿を書いてきた。一応、4月22日分まで書き上げたので、図面をしまった。今朝は普天間基地周辺図6枚を並べている。宮古島も宜野湾市嘉数周辺も低地であり、標高は100mに満たない。嘉数高台公園の展望台の上で、100m程度だろう。ここからどこが見えているのか、360度を確認していきたい。

 私が初めてここに乗ったのは、1989年5月のことであり、それから34年の過程で周囲の景色は微妙に変ってきている。北・西は東中国海だ。北谷の奥は嘉手納基地。普天間基地の奥(北東)は、中城湾から、勝連半島(ホワイトビーチ)に通じている。南側に前田高地があり、その奥に首里城があった。ここからは見えないが(燃える前から)、南に5km先に首里城がある。南西方向に、那覇の町が広がり、その奥に那覇空港がある。那覇空港はここからほぼ10km先にある。

 市街地は、個々の建物に覆われており、区別が付きにくい。よほどデカイ、コンベンションセンターとか、琉球大医学部はわかる。沖縄国際大も分かるが、普天間基地と比べたら、チョビっとにすぎない。琉球大構内ですら、チョボだ(地図が物語る)。改めて軍事占領78年目の実態を思う。普天間基地だけじゃない。キャンプ・キンザーがあり、嘉手納基地・嘉手納弾薬庫がある。あれから78年目にナルが、どれだけかわったんだろう。そして今自衛隊という名の軍隊が幅を利かそうとしている。2010年の防衛計画大綱から、土地管理規制法の支配者の流れがこの沖縄を覆おうとしている。

 今、国会で入管法改悪法案が強行されようとしているが、これは一体何だろう。この国は、近代150年余り変っていない。昔、「大日本帝国」と胸を張りながら、天皇制の肥大化と反比例しつつ、人民は国家の元に押しつぶされてきた。外国とは、天皇を中心とした「大日本帝国」があってこその「外国」であり、自国本位どころか、はりぼてぶりが、際立つ。日本国中心主義で、他者を「役に立つ」か立たないかで決めるありかたは、自ずから自己絶対化をもたらして恥じない。入管職員の破廉恥さもそこからきている。根は沖縄問題とも通じているのだ。

 だってそうだろう。再び「沖縄を戦場にする」のが今進んでいる大軍拡方針のベースだよ。権力を動かしている連中は、恥を知らない。知性も理性もない。入管(法制)は、国が人々を「あしらう」ものであり、外国籍だから、外国人と婚姻しているからと、人々を「あしらう」ものであり、それは「国民」主義によって、安泰なのだ。

 「人民」というのが左翼的だという偏見・歪曲は、この国にあって、主権者意識とか、人権をないがしろにしてきた「本音」のところに絡みついている。1945年からの憲法改定作業の中で、peopleを勝手に「国民」と、日本側で誤訳してきたのだ。この「国民」に、国家が固く張り付いている。私たちは、国家と日常的に対峙しない限り、私たちが立っている場は掘り崩されていく。余りにも狭いのだ。沖縄が「基地の中の島」だとしたら、「天皇制国家の中の日本」(「日本人」)だ。日々、ナショナリズムというくさびが打ち込まれており、人の道は踏み潰されている。

 この意味で、入管問題は、私たちの問題なのだ。個人と個人が生きていくはずが、個人が国家を介してしか生きれないというのは、いかがなものか。こうして朝から熱くなっている私。困ったものだ。

 歴史を見るのも、世界を見るのも、私たちの周囲を見るのも、私たち一人一人が変らなければ、明日を切り開くことはできない。今や、生きて行くとこすらできなくなってきたのだ。

 

 



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