ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

今週もあと少し。頑張るための二口(ふたくち)メモ(20221216)

2022年12月16日 | 沖縄暮らし

 今週は12月11日から始まり、今日で6日目。雨に濡れた宮古島での撮影は、今いちだったが(既報)、私なりに頑張った。予定(想定)通りにはいかないものだ。私としては、空自の動きを追いながら、抗議行動も撮るという2面作戦なので、忙しかった。前者だけならば、後者だけならば、もっと他の方法もある。一人で全部なので、辛い。

 それでも「20221211-➁」のブログを「ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会」のフェイスブックに挙げていただいた。感謝です。問題意識の共有化と認識が深まることを私は希望している。

 しかし今後もこの国のおバカな態度は改まらないのだろう。益々ひどくなる。

 軍事産業が儲かる。この一点が彼らの集約点なのだろう。彼らは米国・米軍とつるんだあり方を一方的に追求している。彼らが恥辱としてきた「日本国憲法」をいよいよズタズタにし、明文改憲にも突進している。彼らにとっては、恥辱としての「日本国憲法」なのだろうが、彼らはこれを得たから生き延びたことを忘れている。天皇裕仁を初めとして。だからこそ、この国は米国の同盟国であるのみならず、付き従うばかりだ。屈辱を感じないまま、別の恥辱を生きているのだろう。

 こうした地平の中に私たちがとらわれている限り、出口を見つけだすことは不可能。どこをどうこじあげたら、脱出できるのか? この課題は年を越す。

 ということとは別個に、私たちは「ウクライナの子どもたちからメッセージを聴く会」を開催する。12月22日(木曜日)(既報) 今年私は意識的に残照を撮り始めたが、地球のどこかが残照ならば、同時刻、地球の別のどこかでは夜明けを迎えている。地球は丸く回っているのだ。日常的な私たちの認識は、未だに天動説でしかない。そう見えるという意味で。

 この見方の不幸は、唯我独尊をもたらすことだろう。自己本位。尊大な自己認識。朝焼けも美しいが、夕焼けの美しさは、この天動説を覆す契機となる。ガリレオ・ガリレイが地動説を見いだした経緯を私は知らない(調べていない)が、自己(人間)絶対的な認識を覆した功績は偉大だったと私は評価している。

 しかし現代科学は、ますます自己絶対的な科学となろうとしている。その最たるものは、核科学・技術だろう。軍事技術だろう。人類を絶滅させる暴力を手に入れてしまったのだ。

 しかし立ち止まることを知らないバカども立ちは、私たちを引っ張って破滅への道を突進中だ。今私たちが語るべき「平和」とは、戦争がないことに留まっていては実現できまい。これは明らかな事実だろう。被害も加害も、差別のないばかりか、人類の破滅を導き出さない、平和共存を民族対民族ではなく、イデオロギー対イデオロギーでもなく、人類史的な難局を克服できないかぎりあり得ない。

 「国難」とか言っている奴らの卑小さ。猥雑さ。私たちも袋小路に留まっているのだろうが、その答えは地域から、世界各地(シマジマ)の仲間と交流を図りながらしか、不可能だろう。

 私は今回いただいたカンパから、地球儀を買うつもりだ。22日にデビューさせたい。何故地球儀か。平面の世界地図では認められないものを垣間見れると思うから。人間の視野が狭いのは、生物史的限界があるからだ。それを遙かに超えてしまった、人間の経済力、科学技術力が視野狭窄を招いているのだ。地球儀でこうした人間の限界を超えることはできないだろうが、微少であれ超えられたら、私も、私たちも微笑がもれるかもしれない。

 

 

 



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