ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

昨日今日のこと(20210427)

2021年04月27日 | その日暮らし

 昨日(4月26日)は所用でだかけてしまい、今日は(4月27日)早朝から撮影に出ておりました。予定のバスに乗り遅れ、帰宅は22時過ぎてしまいました。悩ましいことが続いていますが、コツコツとやるべき事を積み上げていく他にないですね。

 今、川端康雄さんの「ジョージ・オーウェル」(岩波新書)を読んでいるのですが、彼はイギリス人で若いときに英国の植民地だったビルマの警察官だったんですね。ミャンマーのことをちょっこと書いた後なので、へー、そんだったんだと。植民地宗主国の警官ってどんななのか、自分の位置を知ってしまった彼は、矛盾の中に生きたようです。この原点があったればこそ、教条主義を超えた左翼になったようです。

 教条主義という奴は、もうたまらない、耐えがたい。翁長雄志さんが唱えた「イデオロギーよりアイデンティティ」もここに一脈通じるものがありそうです。沖縄アイデンティティを考えると言うことは自ずから自分を問い直す事を抜きにできないですから。このラインからオール沖縄を唱えるならば、単なる政党の離合集散ではあり得ない。ひとり一人が考え始めなければ、考え続けなければできないことです。

 ここを抜きに、オール〇〇論は全くナンセンスです。意味がないどころか歴史の退化につながります。とびきりナンセンスなのは「オール・ジャパン」論。何処にそんな根拠があり得るのか少しは考えて下さい。ありもしない幻想を抱いていたら、悪くなることはあっても一歩よくならない。

 私が今焦っているのは、2021年のオリンピックをやめさせることができなければ、日本はあっという間に新たなファシズム国家に陥ると思う。オリンピックのために、自分の命のために生きることを放棄させられますからね。もはやアスリートがかわいそうだとか、関係ないでしょう。そんなことよりもひとり一人の命が大切です。スポーツはやり直しがきくし、選手生命がというのであれば、選手生命のために私たちの命そのものを投げ出す謂われは全くありません。

 ゴタゴタしている今だからこそ、焦らず、落ち着いて、ザッハリッヒに考えましょう。冷徹にです。ここに尽きると思います。

 今日、もう昨日かは、7時から歩き出し、目標地に着いたのが17時。そこで18時50分まで粘りました。バス停に着いたのが19時20分。予定のバスは12分だった。4万歩以上歩きました。未だ暑くないから楽です。気持ちがダウンしない限り。

 そうそう、今日はある高校の前を通った時に突然思ったのですが、中学生や高校生(の年代)たちに覇気がない子がいたら悲しいです。未来が閉ざされていると諦めている子が少なくないとしたら、大問題です。まして部活で顧問の教員のイジメで自殺においつめたうえに、教育委員会がさらに曖昧にしようとしているらしい。沖縄の県教委です。

 嫌なことに向き合うエネルギーが必要です。どうしたらできるのか、考えていきましょう。



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