三頭山から南東へ長大な尾根が続いている。笹尾根とよばれている。
この尾根はやがて三国峠(今は三国山とも)から生藤山、醍醐丸、和田峠をへて陣馬山へと続くが、笹尾尾根と呼ばれるのは三国峠までのようだ。
私は、三頭山から小棡峠までは歩いたことがあるが、小棡峠から三国峠までがまだ歩いたことがない。
そこで今回は上野原からバスで井戸にでて、そこから生藤山に登り、折り返して三国峠から未踏区間の中間にある浅間峠まで歩くことにした。
この日は風もなく快晴だった。
井戸の集落からは谷間に広がる畑とその向こうにある小山を越して富士山が眺められる。実にいいところだ。
登山口に近づくと開かれた斜面の畑の中に一本の大きな木が目に入る。なかなか立派なのだが、なんの木だか私にはわからない。
ここが生藤山への登山口。軍刀利(ぐんだり)神社の鳥居をくぐっていく。
谷間の薄暗くて結構急なのぼり道を歩いていくと長くて急な石段があらわれた。そこが軍刀利神社の本社だ。
そこには5,6台は留められる駐車スペースがある。
舗装の道はさらに上まで続いているが、ここからは車両通行止とされていた。
200mほど歩くと舗装の道が終わって、鳥居と社が正面に見えてくる。ここが奥社だ。
大きな桂の木があった。幹の周りにをたくさんのそれもかなり太くなったひこばえが囲んでいる。腰の周りに槍をさしているような感じだ。
「その槍で鬼をやらうか大桂」
これは帰ってからひねった一句。
道は社の裏を回り込みながら右奥の谷へと入っていく。しばらくは歩きやすい道が続く。
やがて急斜面をジグザグに折り返しながら登るようになって、ようやく左に向う女坂・軍刀利神社と右に向う三国山という分岐の標識が現れた。
調べたところ女坂経由の方が距離は近いようだが、歩きやすい右の道を選ぶ。
右の道は、三国山から南に伸びる尾根の稜線にむかって斜面をゆっくりと登っていく。
稜線に出てしまえば三国山まではもうきつい登りはない。
あたりが明るくなってきたらもう三国山はすぐ目の前だ。
そこには看板といくつかのベンチがあって、先行したグループが休んで食事をしていた。
ここからは富士山がよく見えたように記憶していたが、今は背の伸びた木々にはばまれてよく見えない。
私たちは三国山を素通りしてすぐとなりにある生藤山にむかった。
三国山は、実際の名は三国峠であってピークになっていない。武蔵、甲斐、相模の三国の境界をなす尾根の分岐点だ。
下ることはなく、少し尾根道を歩いた先でわずかな登りを登ればそこが生藤山の山頂だった。
山頂は木々に覆われているが、一角からは富士山がよく見えた。
頂上にも3つのベンチがあった。私たちはそこで昼食休憩とした。
風もなく、日差しも暖かいので風よけなどを羽織る必要はない。
休んでいると先ほど三国山にいた人たちが次々と登ってきて富士山の写真を撮って醍醐丸の方へと去っていった。
私たちは逆の浅間峠へと向かうのでいったん三国山へ戻り、そこから笹尾根へと踏み込んでいった。
道は思っていたよりも標高を下げ、分岐点から左にむかった道と合流したあと急な階段となって登っていった。
登りついたところが軍刀利神社の元社だった。かなり広い平地の片隅に祠がしつらえてあった。
富士山の方をみると生藤山よりも広い視界で見渡せた。
すると足元の藪から女性が一人顔を出した。ちょっとびっくりしたが、いわゆるバリルート歩きの人だった。
奥社からそのまま急な尾根を登ってきたにちがいない。
元社のあるところから少し下ってさらに大きく登り返す。次のピークが熊倉山かと思ったら、そこは軍荼利山と書いてあった。
元社はこの山の途中のこぶにあるという形だろう。
ふたたびくだって登り返す。地図で予想したよりもけっこうアップダウンがあるのだ。
三国山から20分かかって熊倉山に到着した。木々のあいだから遠く関東平野が見えた。
そこから浅間峠まで約40分だが、小さなピークと鞍部の繰り返しだ。
浅間峠もかなり広いところだった。東屋がたっているほかにベンチもあった。
一角に大きな杉の木が2本並んで立っていて、かたわらには石の祠がまつってあった。
この峠は秋川流域の川乗の集落と鶴川流域の棡原とを結ぶ古い峠だ。
バスの時刻まで余裕があるのでコーヒーを入れて休憩した。
ここからは秋川側に下ることもできるが、私たちは鶴川側に下ることにしていた。
午後3時すぎにあるバスにあわせて下ることにした。が、それが大間違い。
このバスは、季節運行で、冬場は走っていなかったのだ。
峠道は上川乗へ下るほうが短い。わざわざ長い峠道をくだって着いてみたらバスはない。
仕方がないのでバス道を歩きながらタクシー会社に電話を入れて、途中の用竹まで迎えに来てもらった。
タクシー代約3000円余り。新山王橋から駅までバスなら500円のところ、3人だったので2倍ちょっとの出費ですんだ。
ただし、上野原駅で30分以上待つことになったが、それでも自宅についたのは上川乗下った場合とあまり変わらなかった。
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