毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

ヒトリシズカが顔を出した

2022-03-31 13:57:49 | 山野草

4月に入るころになると我が家の庭に小さな花が顔を出す。

義母が植えたヒトリシズカ。すっかり根付いて、季節を忘れることなく花を咲かせてくれる。

一斉に地中から花芽を伸ばしてくるので「ヒトリ」というのはちょっと違うように思えるが、一株だけ取り出せばたしかに「静か」なイメージだ。

私は、この花は芽生えてきた咲き始めが好きだ。

スミレもたくさん咲いてきた。ほとんどがこのタチツボスミレだ。

今年はとてもたくさん咲いている。

そういう年には、スミレの葉を餌にするツマグロヒョウモンという蝶が増える。

今年はたくさん姿を見せるかもしれない。

 

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久しぶりの棒ノ嶺から奥多摩岩茸石山へ(2022年3月21日)

2022-03-23 09:35:07 | 山日記

3月21日、まったく久しぶりになる名栗の棒ノ嶺に登り、尾根伝いに奥多摩の高水三山の岩茸石山から惣岳山をへて御岳駅まで歩いた。

暖かい日が続いたとはいえ低山であってもまだ春には早く、新緑や花は見られない地味な山歩きとなった。

棒ノ嶺には昔々に2回ほど来ているので、今回はまだ歩いていない滝ノ平尾根から登ることにした。

バスをさわらびの湯で降りて、温泉のある高台から一旦沢へと降りる。土手の木に黄色い花が咲いていた。マンサクだった。

土手下の川を小さな橋で渡り、民家を回り込むようにして山へと入っていく。

この日は3連休の最後の日とあって、バスにはかなりの登山客が乗っており、そのほとんどがさわらびの湯で下車した。

でもその人たちの姿は見えない。たぶん白谷橋からのコースで登るのだろう。

道はしばらく急な上りが続いたが道はしっかりしていて歩きやすい。

ただ、山の土が柔らかいのだろうか、土が雨で流されるのか立ち並ぶ杉の木の根が目立つ。ところによっては道や斜面が根によっておおわれたような状態のところが次々にあらわれた。

少し傾斜がゆるい尾根歩きになってしばらくすると舗装された林道を横切った。名栗温泉から登ってくる大名栗林道だ。

林道を横切ってそのまま尾根道を登っていくとふたたび林道があらわれた。さっきの林道の続きだ。大きく迂回してきているのだ。

またしばらく登ると小さなピークに出た。道沿いに木の柵が設置され、立ち入りを規制された側に木の展望台があった。それもかなり傷んでいる。

立ち入り禁止の看板を読むとパラグライダーかなにかの練習場にしようとしたのかもしれない。

柵の向こう側の斜面は木が切られてかやとだ。展望がある。

ここで小休止。パンをかじった。

そこからゆっくりとくだってほぼ水平の尾根道歩きとなって、ホンの少しで林道と遭遇。3回目の横断だ。

しばらくは右下に林道をみながらほぼ水平な尾根を歩くと行く手に大きな岩があらわれた。

左下に巻道があるが、それよりも岩の右手につくられている木の手すりにそって進めばあっけなく反対側に抜けられた。

これが地図に書いてある岩茸石らしい。

その先で白谷橋からのコースと合流した。一気に人影が増えた。

ここから権次入(ごんじり)峠まで約200mの急な上りだった。

権次入峠には家族連れが休息していた。

南は杉林、北側も雑木林で展望はない。

そこから尾根を上り詰めれば棒ノ嶺(棒の折山)山頂だ。

私はほとんど記憶がなかったが、山頂は広々として東屋もあり、あちこちにベンチも設置されていた。

すでに10人位の人が休息していた。その後も次々に登ってくる。

そして展望の開けた東北の方向はるかに日光の男体山や谷川岳らしい白い山の並びが見えていた。

ほかのベンチは人で埋まっていたので東屋に入ってそこで早めのお昼にした。

おにぎりを二つほおばり、魔法瓶のお湯でコーヒーを入れた。

その間にも次々に人が登ってくる。さすがに連休の日だと思った。

視界は大きく開けて気持ちがいいのだが、春の空気がじゃまをしてあまりくっきりとはみえない。

これから奥多摩までの尾根歩きがあるので写真を撮り終えると早々に出発した。

いったん権次入峠に戻り、そこからその尾根を南東方向へ黒山をめざす。

棒ノ嶺が969m、黒山が842m。奥多摩へ近づくにつれて少しづつ標高が低くなるので歩きやすいコースになるはずだ。

黒山まではときどき人とすれ違った。

黒山の山頂には数人の人がいてなにやら立ち話をしていた。

そのわきをすり抜けて、そこから小沢峠への道から右手の尾根へとそれて下っていった。

このコースは「関東ふれあいの道」に指定されている。だから小さなアップダウンはあっても結構整備されて歩きやすい。

人影もなくなって静かだ。ときどき小鳥の甲高い声が聞こえる。ふと見上げると木の枝にコゲラがいた。

しばらく歩くとアセビが増えてきた。しかし、まだ花はほとんど見られないし、つぼみも見当たらない。

でも探しながら歩いていくとようやく花の房が垂れているのを見つけた。それもたったの二つだけ。

水平で歩きやすいアセビの道を抜けたところで先ほど追い越していった若い人が戻ってきた。

その先の展望の開けたところで休憩して戻ってきたらしい。

そこはやまびこ広場と看板にかいてあり、前方の木が間引きされて高水山と岩茸石山が並んでいるのが展望でき、ベンチも設置されていた。

そこからは少しアップダウンが増えてきて、疲れてきた足には少しきつくなる。

小さなピークのたびに前方に岩茸石山の姿が見えるのだが、その間に小さなピークがあってなかなかつかない。

そろそろ最後の上りかな思う頃、後ろから人が追いついてきた。

一人が追い越していったと思ったらまた一人あらわれた。

こんなコースでも結構人が歩いているのだな、さすが三連休の奥多摩だと思った。

足に疲れが出てきているので、登りで頑張りすぎるとつってしまいそうだ。だから追い越されても無理せずにマイペースで歩き続けた。

岩茸石山ののぼりで3人目に追い抜かれたが、ほぼ同じペースでついていくことができて、ようやく山頂に到着した。

山頂はかなりの人が休息していた。青梅線から足の便が良い高水三山だ。

振り返ると歩いてきた尾根の向こうに黒山らしい山が、尾根の奥に名前のとおり黒々とした姿を見せていた。

左に目を向けると去年娘とのぼった川乗山がなかなかに大きく立派だった。

ふと気がつくと先ほど私を追い越していった人が地面に正座して合掌している。

別の人も立ち上がると御岳山の方をむいて合掌している。

さらに私のあとから同じコースを登ってきた女性も山頂につくなり合掌した。その人の白い装束の背中に御岳講の文字があった。

ばらばらに登っては来たが、御岳講のグループだったのだ。

数人の男性は剃髪しているみたいだった。ある男性は山にむかって柏手をうっていた。

同じ講とはいえ、神道の立場の人もいれば仏教の立場の人もいるのかもしれない。

さて、ここでこのまま惣岳山をへて御岳駅にむかうか上の写真の高水山をへて軍畑駅にむかうか迷った。

でも名栗からここまで歩いて行きた直線をそのまま御岳駅まで伸ばすほうがいいように感じたので惣岳山へむかって歩き始めた。

少し歩くと展望が開けたが、惣岳山の北斜面一帯は木がすっかり切り払われていた。皆伐だ。

木の切り株と枯れ草色に赤茶けた斜面が広がっている。展望はよいのだが、もう少しなんとかならないものかと思う。

惣岳山の山頂には神社の社があった。

途中、登山道のわきに小さな祠があり、その下が井戸のようなくぼみになっていた。水が出ていたのかもしれない。

沢井くだる分岐点があって、そこでもちょっと迷ったが、そのまま御岳駅をめざした。

惣岳山から御岳駅までは歩きやすい立派な道で少しスピードをあげて下ることができた。

14時45分御岳駅到着。さわらびの湯を出発して6時間半、久しぶりにたっぷり歩いた。

 

 

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越生散策

2022-03-14 13:21:32 | 山日記

暖かくなりました。一気に初夏の陽気。少し急ぎすぎです。

そんな陽気に、妻から越生を歩いてみたいとリクエストがありました。

越生は梅林で有名ですが、人が多いのでそちらには行かずに越生駅から南の毛呂山町に近いエリアを歩きました。

梅は花盛り。

今回は山には登りませんでしたが、山のふもとは落ち着いた雰囲気でいいですね。

これから4月中旬まで桜をはじめいろいろな花が咲きそろいます。

次回は、毛呂山町の大八木川沿いを鎌北湖まで歩いてみようかな。

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沼原から南月山(那須)(2013年10月13日)

2022-03-09 16:12:39 | 山日記

(途中まで作成してそのまま忘れていたものの投稿しなおし。)

これはかなり前、2013年に那須の南西にある沼原から歩いた記録だ。この時もかなり紅葉を楽しむことができたので、ここに投稿しておく。

この日は加須に住む義兄といっしょだった。

写真でおわかりだと思うがかなり朝早くについたのに駐車場には車がいっぱいだった。

沼原湿原のわきを通ってまずは姥ケ原をめざす。秋の気配が濃くなった森を歩いて少しづつ高度をあげていった。

途中、標高1350m付近で日の出平への道を右に見送ってからしばらくは急な登りが続いた。

標高で100mほどあがると斜面を斜めに登るようになって楽になった。

森の道をしばらく歩くと目の前に尾根が立ちふさがってきた。それほど大きな尾根ではないので、その向こうに広がる景色に期待感が増してきた。

その30mほどの尾根の高まりを乗り越すと目の前に姥ケ原や茶臼岳、隠居倉などの峰々が見渡せた。予想したより広々とした空間だ。

分岐点があらわれた。まっすぐ行くと三斗小屋温泉にむかう。私は右手の姥ケ原へと登る道へと進む。

50mほども登ると目の前が開け、茶臼岳が目の前にせまってきた。そのすそ野は紅葉をまとって美しい。

広場のように広い部分があるが、これは湿原だったところのようだ。かなり乾燥してしまったのだろう。

そこから左手に姥が池への木道がわかれている。そしてすぐに小さな池が現れた。

 

 

 

ついさきほどのっこしてきた尾根の斜面は、ご覧のような感じ。北斜面なので生えている樹木の種類がことなっていて、雰囲気が全然違う。

姥ケ原の名がついたのはこの石像に由来するのかしら。

牛ヶ首への登りの途中から振り返ってみた姥ケ原。ぞくぞくと登ってきます。

牛ヶ首に到着。しかし、那須名物の強風にあおられてあまりゆっくり休憩できない。

写真をみると帽子をおさえている人が多い。

食事休憩はあとにして、すぐに南月山に続く尾根へとむかう。灌木が風をさえぎってくれる。

日当たりのいい尾根道になったせいか花を見つけた。マツムシソウだ。

風当たりが強いのだろう。潅木の葉もほとんど散ってしまっている。

見下ろすと沼原の調整池が見える。笹原の緑と葉を落とした樹木の白い木肌がいい感じだ。

笹原は逆光になると輝いている。紅葉の樹木とのコントラストがなかなかいい。

このあたりは風当たりがなかったので遅めの昼食休憩にした。

あとはゆっくりと下るだけだ。

振り返ってみて、このコースは変化に富んでいてなかなかいいコースだった。また誰かと歩いてみたい。やはり秋がいいのかな。

 

 

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小川町仙元山から小倉城跡へ(2022年3月4日)

2022-03-05 10:00:25 | 山日記

小川町は好きな町だ。

山と低い丘陵に囲まれた古い家並みが残る盆地の町だ。

その小川町を出発点に、町の側にある仙元山に登り、そこから尾根伝いに嵐山町へと歩いてみた。

この尾根は300mを超えるところがない低山で、蛇行して流れる槻川と八高線が通る谷とにはさまれて続いている。

そして尾根歩きの終点にあたるところには戦国時代の山城跡、小倉城跡があって、最近は発掘調査が進んでいるようだ。

昭和の雰囲気が残る家並みが続き、所々に構えの立派な割烹旅館などがある。

東秩父村から来て嵐山町へと流れる槻川。奥にはこれから登る仙元山。風もなくて穏やかな日だ。

山沿いのここではまだ梅は咲き始め。

落ち着いた暖色系の色で整えられた風景は心を穏やかにしてくれる。

仙元山には前に来たことがあるので今回は別のルートで登ってみた。

街から八高線にそって少し南へ歩き、青山城跡・仙元山という標識に導かれて踏切を渡り、登山口へとむかう。

ここが登山口。

道はトラバースしながら南へと緩やかに登っていく。この分では仙元山のかなり南側にでそうだ。

尾根道に出た。右に行けば青山城跡、左が仙元山。地図で確認すると仙元山の600mほど南だった。

まずは仙元山へ。

すぐに山頂に到着。

北東方向が開けていて、小川町が見える。その向こうには赤城山など北関東の山が霞んで見えていた。

まだ休憩する気分ではないので隣の青山城跡へ向う。

先ほどの尾根の分岐点からほんのわずかで青山城跡だ。堀切のあとが明瞭だ。

山頂は平らにならされていて、いまは木でおおわれている。

青山城という呼び名は文献記録等があるわけではなく、八高線がとおっている山麓の地名によっている。割谷というのは反対側の山麓の地名だ。

ここで軽く食事休憩。カップラーメンとパンをいただく。

また歩き始めてしばらくするとこのような案内が目に入った。いつつけたものか、今の季節に「見ごろ」はないでしょう。

まあ季節になれば見られるということだろうが。

日当たりのいい広い尾根を少しそれた方向にあるらしい。

そこからひと登りで大日山。ここで南から東へとルートが曲がる。

山頂からは笠山と堂平山がよく見えた。

大日山から東に向かって次のピークにつくと案内標識の一部に「物見山」と書き込みがされている。

だれかが、こっちがほんとうの物見山だと主張しているらしい。

さらに歩くと次のピークに立派な標識があった。地形図を見るとこちらに物見山と記入されている。

しかし、国土地理院の表示とはいえ、小さな山の名は、ある集落と別の集落では違っていたりするものだ。

物見山から少し歩くとなにやら大きな石碑が立ち並んでいるところがあった。

仙元大日神と掘られていた。ここからははっきりとした下りの道となった。

林道が横切る峠に出た。ここから登り返したところが小倉城跡だ。

峠のそばにも中世の遺跡とされる平らに削られた地形がみられるようだ。

小倉城は先に通ってきた青山城跡とは規模が違う。

登り始めるとさっそく堀切と切岸が出迎えてくれた。

戦国の山城ブームらしくてのぼりがたくさん立て並べてあった。

テレビで鎌倉殿の13人というドラマをやっているが、このあたりは比企氏や畠山氏と関連が深い。

嵐山町にはそのころの城館あととして有名な菅谷館跡もある。

でもここは時代が違う戦国期の山城だ。

要所要所にこのような案内看板が設置されていた。

峠方向からの攻撃への守りとして大きな堀がつくられている。

まずはニノ郭へ。

ニノ郭の南西角が一番高くなって少し張り出していて櫓があったと想像される。

そこから槻川の谷の向こうに出発点の仙元山が望まれた。

となりの本郭に移動してみるとここもかなり広い。

奥の一角では発掘調査が行われていて立ち入りが禁止されていた。

その一角から嵐山町方向が展望できた。

本郭の外回りに行ってみると石積みの跡が残っていた。ほかの部分は調査後埋め戻されているらしい。

このあたりでよく見かける片岩という平たく割れやすい岩を積み上げている。

これは本郭の外周の土手。やはり片岩が利用されている。

ほかにも写真は撮ったのだが割愛する。

城跡からは先ほどの峠に戻り、林道を利用して下におりた。

城蹟を望む。ここに駐車場がつくられている。

この寺からも直接登れるが、かなり急傾斜で、遺跡の破壊にもつながるので、見学するなら別のルートを使うことが望ましいと思う。

城跡に置いてあったパンフレットの地図を紹介しておこう。

ここからは舗装の車道を歩いて武蔵嵐山駅へとむかったが結構な距離があって疲れた。

 

 

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