毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

奥武蔵、大霧山(2024年11月16日)

2024-11-17 14:43:28 | 奥武蔵・秩父の山

官ノ倉山に出かけたあと中2日おいて、ハイキングの会の行事として奥武蔵の大霧山に出かけた。

前日から天候がくずれ、この日は曇り。でも昼間は大丈夫そうなので決行とした。

 

小川町についてバスを待つ間に、駅前のお店で薄皮饅頭や草餅を買い込んだ。

小川町に来ると私はいつもこの店で饅頭を買う。

私が勧めたのでみんなもそれぞれ買い込んだ。

 

白石車庫行のバスを橋場で降りて、高原牧場に続く舗装の車道を歩き、途中からショートカットの山道に入る。

 

ふたたび舗装の道にでたところで急に雨が降り始めた。

あわてて傘をさし、合羽を着こんだ。

 

でも雨が降ったのはこの時だけで、それのほんの数分間。

バス停を出てから45分ほどで登山道の入り口に到着。傘や合羽をしまい込む。

このあたりは栗和田というところで、緩やかな山の斜面に農家が点在し、観光トイレもある。

 

しばらくは、畑や墓地にむかう道を兼ねているので舗装されているが、やがてヒノキ林のみちになる。

 

ところどころ落葉樹林もあって急に明るくなったりする。

 

登山道にはいって27分のところに石の観音像がある。

後背に赤い毛糸の帽子がかけてあった。お地蔵さんなら頭にかぶせるところだろうが、後背がじゃまをしてしまう。

観音様は頭髪を結って髪飾りもしているので帽子は似合わないと思うけど。

 

そこから数分で粥仁田峠を通る車道にでた。

あたりが急に秋色に染まってきた。

 

11時3分、粥仁田峠から大霧山へとむかう。

 

大霧山へとむかう尾根道は落葉樹の樹林で、足元はたくさんの落ち葉が敷き詰められている。

 

10数分登ると左手が開けて先ほど通った栗和田地区の家々が見下ろせた。

南東に向いた緩やかな斜面に点在する家々。

 

大霧山は頂上が近づくとヒノキ林があらわれるが大部分落葉樹林なので秋らしい色に包まれた山歩きだ。

少し日が差してくれると黄葉が輝いてくれるのだけど。

 

11時45分、ほぼ予定通りの時間で山頂に到着。

見下ろす秩父盆地には雲が雲海のように広がっていた。

 

曇り空なので遠くはもやってしまい、赤城山や浅間山、両神山も見えなかった。

 

持ってきた昼食や駅前でかった饅頭を味わった。

山頂は40分ほどで切り上げ、下山開始。

 

下りの方が自然に黄葉が目に入る。

 

葉を落とした大木と背景の黄葉。

 

灌木の黄葉もきれいだ。

 

粥仁田峠に戻ってきた。

あとは同じ道を下るだけなので省略する。

 

14時6分に橋場のバス停に到着。バスは20分なのでちょうどいいタイミングだ。

 

駅前で買ったお饅頭がおいしかったので帰りにお土産にと思ったが、残念ながら売り切れ。

かわりに芋羊羹を買い込む面々。

 

この日は一時的に雨に降られたものの、その後は大丈夫だった。

でも山頂では遠望がなく、武甲山も上部が雲に隠れていたのが残念だった。

それに中2日の山歩きだったので、帰りの電車の中でかなり眠かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和紙の里から官ノ倉山(11月13日)

2024-11-13 17:14:44 | 奥武蔵・秩父の山

11月13日、今日も穏やかに晴れ上がって暖かな日になった。

そこで、12月に計画しているハイキングの目的地である小川町の官ノ倉山に出かけた。

下見を兼ねたものだが、せっかくなので和紙の里から奥沢へ歩き、神社の所から臼入山421mを経由して官ノ倉山をめざした。

 

道の駅和紙の里は工事をしているらしく、バス停が臨時の場所に移してあった。

そこから登山口の奥沢まで歩いたが、一つ先の中学校前のバス停の方が近かった。

 

旧道に入っていくと奥沢神社の石柱がたっていた。

ここが登山口になる。

ところで旧道に入る手前に看板があって、十返舎一九の東海道中膝栗毛の続編に安戸宿とこの旧道が出てくると書いてあった。

この道から粥仁田峠を越えていったらしい。

 

まずは神社の石段登りから。

 

神社の建物の左手から山道に入る。

 

途中にあった白っぽい岩にポットホールらしい穴があいていた。

ポットホールならこの岩はかつて川辺にあったことになるけど・・・

 

30分で尾根のコブに到着。そこには小さな社があった。

なにも書いていないが奥沢神社の奥宮なのだろう。

 

祠のあったコブから15分で、このコースの最高地点、臼入山に到着。

三角点があり、421mだ。現地には臼入山と書いてあったが、ハイキング地図などでは細窪山と書いてある。

 

この山からは東秩父村の落合方向と木間越しだが寄居町などが見えた。

 

しばらくはヒノキ林やスギ林の道をアップダウンを繰り返しながら歩く。

15分で城山への分岐に到着。城山というのは安戸宿の近くにある安戸城跡のことらしい。

 

分岐から10分ほど歩くと左側が伐採地となって展望が開けた。

 

小川町のホンダ技研の工場が見えた。

 

こちらは北関東、赤城山だ。

 

国土地理院の地図には記載されていない道が山を越していた。

 

さらに同じような杉林の道をいくつかのコブを越していく。

道路から3つ目ほどコブに「天ノ峰」の標識がついていた。

ここからは官ノ倉峠にむかって下っていく。

 

天ノ峰から25分で官ノ倉峠。

この峠は安戸からのコースと東武竹沢駅からのコースとの十字路になっている。

このまま直進すれば官ノ倉山だが、ここから先は歩いたことがあるので、一旦安戸方向に少しくだって、官ノ倉山を通らずに石尊山に出るコースを歩いてみた。

次回のハイキングでは、安戸から登ってまず石尊山に向かうつもりなのだ。

 

峠から5分ほどで大きな石碑があった。

 

ここがコースの分岐点。左が今下ってきた峠への道。

右が石尊山への道。

しばらく少しきつい登りとなるが、すぐに官ノ倉山山頂への直登ルートとわかれ、そこからはゆるいトラバース道になった。

 

分岐点から15分で石尊山に到着。

石の祠がある。

 

北関東方向の展望。

 

小川町方向の展望。

 

石の囲いの中にも石の祠があった。

 

これがすぐお隣の官ノ倉山山頂。

石尊山より少し低いようだ。

いよいよお隣の官ノ倉山山頂をめざす。

 

12分で到着。

 

山頂から小川町方向のながめ。

 

こちらは赤城山方向のながめ。

ベンチに腰を下ろして昼食。しかし、せっかく魔法瓶のお湯でコーヒーにしようと思っていたのに忘れてしまった。

 

今回の奥沢からのコースは大部分が針葉樹林の中だったので山頂のヤマザクラの紅葉が貴重な存在だ。

 

あとは何度か歩いている道で東武竹沢駅にむかう。

山頂付近だけは少し岩々しているが、その後は整備された歩きやすい道が続く。

 

10分ほどで官ノ倉峠。

ここを先ほどとは反対がに下る。

 

天王沼という農業用ため池の上の祠。

 

天王沼。

山の色づいた木々を写して静まり返っていた。

 

里に出て、舗装の道を駅へと歩く。ゆずの実が青空に映えている。

 

秋らしい風景を写真におさめながら歩く。

 

山頂から55分で駅に到着。ちょうど2分後に電車がきたのでドンピシャのタイミングだった。

前回の伊豆が岳では少しがんばったので今日は軽く半日の山歩き。

自宅には午後2時半すぎについた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東尾根から伊豆ヶ岳へ(11月8日)

2024-11-09 20:37:03 | 奥武蔵・秩父の山

11月8日、およそ1か月半ぶりに山歩きに出かけた。

目的の山は奥武蔵の伊豆ヶ岳。3回ほど登っているが、いつも正丸からだったので、今回は西吾野から東尾根を歩いてみた。

東尾根は山頂から東にほぼ直線的に3kmほど伸びている。

 

西吾野駅を8時30分に出発。

 

国道に出て少し子の権現の方向に歩くと小さな橋がある。

ここから入るのだが、奥で伐採の作業をしているらしく橋の反対側は柵がしてあったので、脇を抜けてはいった。

 

作業用の林道がつくられているが、そちらには行かず古い山道をたどる。

 

斜面の林に入るところに小さな標識がつけてあった。

本陣山は、これから登る峠の北にある442mのピークだろう。

これでこれから越す峠が森坂峠というのだとわかった。

 

わずかな登りで峠に到着。

峠にも小さいがきれいな標識がつけてあった。

 

上の写真は、峠道から反対側の道路に出たところ。

 

そこにも小さな標識が立てられていた。

「伊豆ヶ岳、東尾根」と書いてあった。

これをみるとこの尾根の利用者がけっこういるのだと思われる。

 

峠からでて右へ少し歩いて橋を渡り、橋の反対側を今度は左へと300mほど歩く。

下久通(しもくずう)の民家が数軒あるところの電柱にやはり小さな標識が。

 

山の斜面をみると鳥居が見えていた。

ここが東尾根の取りつきだ。

 

鳥居には琴平神社とあった。

ほんとうに山の鼻の付近には金比羅山がよくあると思う。

 

ここは里宮らしく、左にまわるとすぐ裏の斜面に登る道があった。

 

ほんのわずか登ると尾根が見えてきて、やはり社殿が見えてきた。

足元は幅の狭い自然石の階段で危なっかしいが、パイプの手すりがつけてあった。

 

社殿に琴平神社の扁額。ここが本宮なのだろう。

 

尾根に向かいながら振り返るとかなり粗末な建物だ。

そのわきには大きな樅ノ木。

 

スギの木におおわれた尾根を歩いていると足元に茶ノ木の花。

人が植えたものか自然に増えて広がったものなのか。

そしてかなり太い樅ノ木が杉林の中で目立っていた。

 

急斜面を登ったところに赤と黄色のテープがまかれた木があった。

尾根から急斜面をくだる地点なので間違えないようにと巻いているのだ。

 

ようやく歩きやすい尾根になり行程がはかどる。

しかし上の写真のところで道なりに歩いて行ったら、なんだか踏み跡の気配が薄くなった。

散らばっている小石のせいだろうと思っていたら、その先で突然踏み跡がなくなった。

左右の斜面にみだれた足跡があるがその先が道らしくないし、いやに下がっていく。

地図を取り出してみると、ルートならこんなに下がらないはずだ。

そこで写真の地点まで戻ってみたら、北におれて踏み跡が続いていた。

木に巻いてある白テープはその目印だったのだ。

 

その先も急斜面だった。

ジグザグに道をつくれるところだが、そんなに通る人が多くないのでそんな手間はかけていない。

そして登りきると、写真の柱に「貉入(ムジナ入)」と書いてあった。

なぜかその柱にはムジナならぬ猫のドラえもんが・・・

 

東尾根は地図で想像していたより急斜面を登るところが多かった。

そうやっていくつもピークを越えていく。

そうやって繰り返しているとそろそろ目の前のピークが山頂ではないかと期待してしまう。

 

そんな期待をなんども裏切られて、今度こそはと急斜面を登りつくと写真の標識。

670mのピークは尾根全体の3分の2の地点だ。

まだまだ先は長いぞとがっくり。

 

尾根に岩場が混じるようになってきたが、基本的に土の尾根がつづく。

次第の踏み跡自体が目立たなくなってきた。

でもあとは尾根を外さずすすむだけだ。

 

尾根自体がかなり急な登りになってきた。

そしてこのルートでほぼこの1か所だけ付近の山が見通せた。

たぶん子の権現の方角だろう。

その先で尾根の正面が急峻な壁になっていた。

みんなの足跡ではこの壁にむかって左にルートをとっていた。

左をみあげると土の急斜面にわずかに足跡が点々とついている。

いやいやこれはたいへんだ。

足を踏み入れるとグズグズと崩れていく。

足だけでは支えきれないところもあるので両手も動員して体重を分散させ、一足ずつそろりそろりとすすむ。

 

その地点を上から撮った写真。

ちょっとイメージはわかないと思うが、足を踏み出すまでほかにルートはないのかとだいぶためらった。

そしてその先もまだ崩れやすい斜面をトラバースして、ようやく山道に出ることができた。

手のつちをはたいてほっと一息入れた。

そこはもう頂上のすぐ下だった。

 

12時少しすぎ、伊豆ヶ岳山頂に到着。

東尾根の琴平神社が9時半だったので、尾根を突破するのに2時間半かかったことになる。

予想以上に急なピーク登りが繰り返しあらわれる厳しい尾根だった。

それに最後の土の急斜面のトラバースは予想外の展開だった。

 

人の顔が彫られているレリーフがあるが、何なのか文字は読めない。

誰かを記念するものだろうか。

 

レリーフのそばの岩に腰かけて昼食。持ってきた魔法瓶のお湯でコーヒーを入れた。

山頂についたときに一人いたがすぐに下山した。

その後、若い男性と同年輩の男性年寄り二人が到着した。

 

このま越しにみた関東平野。

 

こちらは武甲山の山頂部。

 

こちらは大持山。今年のうちにこの山を名郷から周回してみたい。

 

さて、予定通り天目指峠をへて子の権現へむかう。

このあたりでは伊豆が岳と根の権現のあいだは歩いたことがない。

 

東尾根のように全行程杉林というわけではなく、落葉樹林もある。

少しは秋らしい彩どりが期待できそう。

 

すぐに木段の登り返しがあらわれた。

 

伊豆が岳のすぐ南にある古御岳だ。

富士山吉田口の五合目が古御岳と呼ばれ、現在の富士山の前の世代の火山だったそうだが、この由緒ありそうな名前はなぜついたのだろう。

 

山頂には東屋もたっている。あまり人が来ないような山なのに。

私の知らない由緒があるのかもしれない。

 

歩いているとこんな温かみのある彩りもあった。

やはり秋の山はこれがないとさびしい。

 

でも大部分は杉林。尾根の上に岩のかたまりが鎮座していた。

 

こちらは今回で初めてで最後だったカエデの紅葉。葉が小さいのでイロハモミジなのかなあ。

 

またまたかなりの登り返しがあって高畑山に到着。

この尾根も地図で予想したよりかなりアップダウンがある。

 

「ナローノ」って何?

 

少し日差しがはいって明るいなと思ったら新しい送電鉄塔の工事をしていた。

鉄塔の工事は終わっているらしいが、送電線がまだ張っていなかった。

 

でも鉄塔のおかげで奥多摩の山々が見渡せた。

でもこの角度からだとどれがどの山だか???

方向から考えると棒の折山や奥多摩の御前山かもしれない。

少し右方向。より奥多摩方向だが、これでもよくわからない。

地図で考えると大持山とその奥が酉谷山かも。

 

尾根から見下ろしたところに舗装の道路が見えてきた。

ようやく天目指峠だ。

峠によくある石祠。

 

峠には休憩舎があった。

さあ、子の権現まであと一息、と思ったが、この先がまだ長かった。

 

天目指峠から子の権現までかなり登り返す感じだったので地図を見直すと、天目指峠が490mくらい。

そこからコブを三つ越しながら少しづつ高度をあげて、写真の祠のあるピークが610m。

この祠のピークで子の権現まであと500mだった。

 

そこを下るとようやく見覚えのある峠にでた。

この少し先が子の権現だ。

 

子の権現には寄らずにそのまま通過。

 

駐車場のところから雲一つ見えない関東平野の大展望が得られた。

あと1時間ほどで吾野駅に到着できる。

久しぶりの山歩きにしては少し欲張った行程で、しかも予想外の難所もあった山旅だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シーズン別インデックス

2024-11-06 09:27:30 | 山日記

●1月

1月 3日 袖平山と姫次(2021年1月3日)

1月 4日 新年に6人で日の出山へ(2023年1月4日)

1月 5日 新春ハイキングは子の権現へ(2024年1月5日)

1月 6日 雪の筑波山(2022年1月6日)

1月12日 冬の陣馬山から景信山へ(2015年1月12日)

1月13日 経ヶ岳から仏果山、高取山(2021年1月13日)

1月14日 唐沢山で軽ハイキング(2022年1月14日)

1月17日 足慣らしに日和田山から物見山へ(2024年1月17日)

1月28日 笹尾根(笛吹峠~浅間峠)2022年1月28日

●2月

2月 1日 関八州見晴らし台へ黒山三滝から(2023年2月1日)

2月 3日 雪の小仏城山から高尾山(2016年2月3日)

2月 5日 静けさ求めて父不見山へ(2021年2月5日)

2月12日 早春の里山、五日市金毘羅山(2020年2月12日)

2月12日 戸隠高原古池スノーシュー(2014年2月12日)

2月14日 鶏頂山弁天沼スノーシュー(2018年2月14日)

2月15日 越生の大高取山へみんなで(2023年2月15日)

2月15日 裏磐梯五色沼でスノーシュー(2012年2月15日)

2月16日 雪の奥多摩御前山(2022年2月16日)

2月17日 奥武蔵の大霧山へ(2024年2月17日)

2月22日 足利の裏山天狗山と両崖山(2019年2月22日)

2月25日 赤城山で雪遊び(2,022年2月25日)

●3月

3月 4日 小川町仙元山から小倉城跡へ(2022年3月4日)

3月 9日 もう雪が無かった八方ヶ原大間々台

3月16日 雪の赤城山、黒檜山(2016年3月16日)

3月16日 湯の丸高原池の平スノーシュー(2017年3月16日)

3月21日 久しぶりの棒ノ嶺から奥多摩岩茸石山へ(2022年3月21日)

3月21日 奥武蔵(新柵山~ブナ峠~飯盛峠~大築山)周回ハイキング(2021年3月21日)

3月23日 嬬恋野地平スノーシュー(2018年3月23日)

3月24日 静かな小仏城山、景信山を歩く(2021年3月24日)

3月29日 籠ノ登山と池の平湿原(2014年3月29日)

3月31日 アカヤシオの仙人ヶ岳から赤雪山へ(2021年3月31日)

●4月

4月 4日 鳥沢駅から高畑山、倉岳山をめぐって梁川駅へ春の山旅(2018年4月4日)

4月 8日 スミレたくさんの雨乞山から陣見山へ(2022年4月8日)

4月11日 御岳駅から大塚山・御岳山・日ノ出山をひとまわり(2021年4月11日)

4月14日 中学生も連れて三頭山へ(2024年4月14日)

4月16日 新緑とヤマザクラの小渕丘陵鷹取山(2022年4月16日)

4月22日 花が咲き乱れる山里ユガテ(2014年4月22日)

4月28日 小金沢連嶺縦走(2018年4月28日)

4月28日 飯縄山(2022年4月28日)

4月29日 久しぶりの高水三山(2023年4月29日)

4月29日 初夏の陣馬山(2015年4月29日)

4月30日 アカヤシオ満開、前日光薬師岳、夕日岳(2016年4月30日)

●5月

5月 1日 妹ヶ谷不動から東御荷鉾山(2020年5月1日)

5月 1日 ヤシオツツジ咲く岩峰、西上州三ッ岩岳(2008年5月1日)

5月 2日 新雪の天狗岳から硫黄岳(1980年5月2日)

5月 2日  荒船不動から荒船山へ(2021年5月2日)

5月 4日 三頭山(大茅尾根から・2017年5月4日)

5月 4日 中央線猿橋から権現山へ(2023年5月4日)

5月 4日 愛鷹山最高峰越前岳(2022年5月4日)

5月 4日 残雪の守門岳(2001年5月4日)

5月10日 運動不足解消に大高取山へ(2023年5月10日)

5月12日 ひっヒルが出た!飯山白山(2023年5月12日)

5月15日 甲武信岳 (1986年5月15日・16日)

5月17日 植生豊かな初夏の茂来山(2023年5月17日)

5月18日 ようやく御座山に登ってきた(2022年5月18日)

5月22日 笹子雁が腹摺山(2015年5月22日)

5月24日 コアジサイを探しに越生へ(2023年5月24日)

5月25日 四尾連湖から蛾ヶ岳(ひるがたけ)へ(2022年5月25日)

5月27日 コアジサイロードには早かった堂平山(2023年5月27日)

5月29日 今は使われていない信仰の道で両神山西岳へ(2020年5月29日)

5月31日 道志の森キャンプ場から畦ヶ丸山へ(2006年5月31日)

●6月

6月 7日 雨上がりの鶴寝山、奈良倉山(2023年6月7日)

6月 7日 新緑の武尊山(2003年6月7日)

6月13日 榛名神社から掃部ヶ岳、杏ヶ岳周回(2019年6月13日)

6月13日 栃木の晃石山(2018年6月13日)

6月21日 大山、日向薬師から蓑毛まで(2023年6月21日)

6月22日 6月の八幡平(2018年6月22日)

6月24日 花盛り、6月の秋田駒ケ岳(2018年6月24日)

6月25日 乳頭山の田代平へ(2018年6月25日)

6月30日 雨上がりの戦場ヶ原(2023年6月30日)

●7月

7月 2日 妻と夏の大菩薩へ(1995年7月2日)

7月 7日 暑さと痛みの川苔山(2023年7月7日)

7月15日 鳳凰三山の前衛、千頭星山(2020年7月15日)

7月19日 白馬岳から八方尾根へ(1975年7月19日~20日)

7月22日 涼しかったけどガス、赤城鍋割山(2023年7月22日)

7月25日 鍵掛峠から王岳へ(2022年7月25日)

7月25日 兄と登った奥穂高岳(2010年7月25日~27日)

7月28日 雷雨に遭遇、北八ヶ岳ニュウ(2023年7月28日)

7月31日 野呂川から間ノ岳・北岳へ(2017年7月31日~8月2日)

●8月

8月 2日 暑さを避けて赤城山地蔵岳でリハビリ登山(2023年8月2日)

8月 3日 もう一度行きたい火打山、2回目のときの記録(2011年8月3日~4日)

8月 4日 北八ヶ岳のにゅうへ(2006年8月4日)

8月 6日 赤城山地蔵岳(2022年8月6日)

8月 7日 またも常念に嫌われ北八ヶ岳天狗岳へ(2024年8月7日)1日目

8月 8日 天狗岳2日目(2024年8月8日)

8月 8日 荒川三山赤石岳①(2016年8月8日)

8月 9日 荒川三山赤石岳②(2016年8月9日・10日)

8月10日 大失敗で目標変更、美ケ原近くの三峰山へ(2022年8月10日)

8月11日 暑かった山の日の谷川岳(2023年8月11日)

8月11日 コロナ禍の白馬岳、第1日白馬大池まで(2020年8月11日)

8月12日 コロナ禍の白馬岳、雨になってしまった第2日(2020年8月12日)

8月12日 富士山、吉田口を六合目から山下り(2011年8月12日)

8月12日 鳥海山と月山(2019年8月11日~13日)前半

8月13日 鳥海山と月山(2019年8月11日~13日)後半

8月13日 立山と奥大日岳(2018年8月13・14日)

8月14日 若い人と甲斐駒ヶ岳へ(2016年8月14日・15日)

8月19日 戦場ヶ原散策のち雷雨(2023年8月19日)

8月19日 快晴の浅間山(前掛山)2022年8月19日

8月    表銀座から槍ヶ岳へ(1978年8月)

8月    43年前の蝶ヶ岳と穂高岳の写真発見(1979年8月)

8月25日 絶好天の男体山(2023年8月25日)

8月27日 ダケブキ大群落、28年前の日光白根山(1995年8月27日)

8月28日 宝永山(2021年8月28日)

8月29日 八ヶ岳(赤岳・横岳)縦走(2006年8月29日・30日)

●9月

9月 6日 前武尊山(2024年9月6日)

9月12日 磐梯山(2018年9月12日)

9月13日 石丸峠から旧大菩薩峠へ(2024年9月13日)

9月21日 新潟の大源太山(2015年9月21日)

9月28日 ガスと強風の蔵王熊野岳(2020年9月28日)

9月29日 朝日岳と三本槍岳(2017年9月29日)

9月30日 いにしえの信仰登山の道から三ッ峠山(2016年9月30日)

9月30日 妻姉妹3人を連れて秋の大菩薩へ(1995年9月30日)

●10月

10月 1日 秋の日光白根山(2014年10月1日)

10月 2日 緊急事態解除後の那須茶臼岳(2021年10月2日)

10月 2日 会津駒ヶ岳登山(2018年10月2日・3日)

10月 8日 多彩な落葉樹の森をぬけ黒川鶏冠山へ(2021年10月8日)

10月13日 花見ヶ原森林公園から赤城山(2020年10月13日)

10月13日 沼原から南月山(那須)(2013年10月13日)

10月14日 霧久保沢コースで茂来山へ(2022年10月14日)

10月18日 2か月ぶりの山歩きで本社ヶ丸へ(2023年10月18日)

10月19日 三つ峠でリハビリ(2022年10月19日)

10月19日 紅葉と岩の前武尊山(2006年10月19日)

10月19日 秋の尾瀬笠ヶ岳へ(2015年10月19日)

10月25日 紅葉真っ盛りの尼ヶ禿山とブナ平(2020年10月25日)

10月26日 紅葉すすむ前袈裟丸山(2022年10月26日)

10月27日 秋深し南牧村星尾から荒船山(1996年10月27日)

10月30日 榛名神社から榛名湖へ紅葉の森を歩く(2020年10月30日)

●11月

11月 1日 日留賀岳(2019年11月1日)

11月 8日 東尾根から伊豆ヶ岳へ(11月8日)

11月 9日 山梨の日向山へ(2022年11月9日)

11月12日 思ったよりきつい九鬼山(2021年11月12日)

11月13日 和紙の里から官ノ倉山(11月13日)

11月16日 奥武蔵の笠山と堂平山(2022年11月16日)

11月16日 奥武蔵、大霧山(2024年11月16日)

11月18日 瑞牆山(2020年11月18日)

11月22日 妻を誘って多峯主山へ(2023年11月22日)

11月24日 額縁の富士山倉見山(2021年11月24日)

11月25日 寂尚尾根から登る滝子山(1992年11月25日)

11月27日 旧正丸峠からツツジ山(2022年11月27日)

11月29日 晩秋の城峰山、男衾登山口から南尾根へ(2023年11月29日)

11月29日 旧秩父往還と四寸道(高山街道)を歩く(2020年11月29日)

●12月

12月 4日 西上州の岩山毛無岩(2003年12月4日)

12月 4日 武川岳(2021年12月4日)

12月 6日 奥武蔵の展望台、弓立山(2023年12月6日)

12月 6日 大蔵高丸とハマイバ丸(2004年12月6日)

12月 7日 上野原の不老山(2022年12月7日)

12月11日 風布のみかん山周辺(2020年12月11日)

12月16日 寒かった山梨の小楢山―琴川ダムから(2020年12月16日)

12月23日 富士山展望の一等地、百蔵山へ(1995年12月23日)

12月24日 秩父の名峰武甲山から大持山へ(2016年12月24日)

12月25日 飛龍山(2005年12月25日)

12月27日 高取山と仏果山(2020年12月27日)

12月27日 西御荷鉾山(2019年12月27日)

12月28日 石灰岩の岩山小鹿野の二子山(1997年12月28日)

12月29日 途中までの明神ヶ岳年末山行(2021年12月29日)

12月29日 妻をつれて足利の両崖山へ(2022年12月29日)

12月29日 鼻曲山(2017年12月29日)

12月30日 赤鞍ヶ岳から菜畑山(2014年12月30日)

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥武蔵物見山、東吾野から高麗川へ(2024年9月25日)

2024-09-28 14:16:48 | 奥武蔵・秩父の山

大菩薩から2週間近くたった。

彼岸が過ぎてようやく涼しくなってきたので久しぶりに奥武蔵を歩くことにした。

 

b

この日の計画は、東吾野駅から吾那神社の尾根をつたってユガテへ。そこからエビガ坂、スカリ山をへて北向地蔵、物見山をめざす。

 

ここが吾那神社の入り口。東吾野駅から出て高麗川を渡ればはすぐだ。

 

吾那神社という名前は吾野という地名と関係があるのかわからない。

 

神社の正面右手にお稲荷さんが祀ってある。

 

その赤鳥居のわきが登山道入り口だった。「ユガテ」の案内標識もある。

 

道は、急なところはジグザグになっていたりして歩きやすかった。

倒木にびっしりとキノコが。ここのところ雨が多いので針葉樹林の中は湿っぽい。

 

神社を出て25分ほどで送電鉄塔があった。

それほど大きなものではない。

 

送電線の切り開きのおかげで武甲山がみえた。

 

鉄塔からほんの少しで福徳寺からの道と合流。外国のハイカーのためか英字で書いてある。

 

このあたりは虎秀というらしい。「とらひで」ではなくて「こしゅう」と読む。昔調べたのに忘れていた。

雨乞塚は稜線からはなれたピークにあるらしいが、かなり戻る感じだったので寄らずにすませてしまった。

 

雨乞塚の分岐から10分ほどで次のピーク、橋本山。

そのままピークへと登る道は男坂と称してあるが、じぐざぐに登る部分もあってそれほどではない。

 

ピークの西側が切り開かれていて奥多摩から武甲山にかけての山々が見渡せた。

 

手前の黒いピークは天覚山。奥のピークは棒の折山。

上空は雲に覆われているが、涼しい風が吹き抜けて気持ち良かった。

橋本山から先にすすむとすぐにさきほどの登山道と合流する。

男坂をつかわずにこちらから登ってもそれほどかわらないようだ。

 

ユガテが近づくと尾根の道が広くなった。

そこを少し進むと林の中でしいたけを栽培していた。

 

さらに進むと尾根上に小屋が建ってた。

森好きの人たちの活動拠点らしい。

 

途中、谷からの道もあわさっていよいよユガテだ。

 

入口の林の中にヒガンバナが咲いていた。

 

民家の近くらしく、林は下草が刈られて奥の方まで明るく広がっている。

 

ユガテの畑の道で草刈り作業が行われていた。

ちょっとあいさつして脇を抜けさせてもらった。

 

春に来た時も花がたくさん咲いていたが、秋のこの時期、色とりどりのコスモスがきれいだった。

 

山の畑なので獣対策がたいへんだ。

しっかりとネットで囲われた中で老女性が畑仕事をしていた。

 

前に春に来た時は、ここから北向地蔵へとむかったが、今回はまだ歩いたことがないエビガ坂への尾根道を歩いてみることにした。

この道はユガテの数軒の民家のあいだをすり抜けていく。

標識をちゃんと確認しないと民家の庭へと迷い込んでしまう。

 

しばらく登ると林道に出た。

この写真でみても林道の先に山道が続いているようである。

なのに私は勘違いして林道を歩いてしまった。

途中の谷道で尾根に出ようとしたら、そこはユガテの水源らしく立ち入り禁止と書いてあった。

スカリ山のある尾根に出るのはあきらめて林道をそのまま歩いたが、大きく蛇行している部分もあって北向地蔵まで結構あった。

 

結局林道を30分も歩くことになってしまった。

 

春の時も立ち寄った北向地蔵。地蔵さんは毛呂山の鎌北湖のほうを向いている。

ここから物見山にむかって尾根の山道をたどった。

道はすぐに舗装の林道に出て、その先の岩を削った切通しを抜けて幅2mほどの道をたどっていく。

 

この道は奥武蔵自然歩道と呼ばれるらしい。轍のあとがあったりして小型の車も通るみたいだ。

そんな道が続いた後、道に沿った小さなピークに登る道をたどると小瀬名富士の名板があって道はすぐにまた自然歩道に合流した。

 

物見山にかなり近づいたころ、立派な標識があった。

ここから左に下ると宿谷の滝、少し先で右手に下ると日和田山に通じている。

 

物見山に到着だ。

東側が切り開かれていて明るいが、その先のヒノキが背を伸ばして、今は遠くの展望はない。

 

ちょうど12時をまわったところなので、ここで昼食を食べた。

何組かの人が休んでおり、休んでいる途中でも何組かが登ってきた。

 

暑くはないが、展望もないので、食事を終えるとすぐに出発した。

展望地から少し奥に入るとそこに物見山の三角点があった。375mだ。

ここからは、ほとんどのハイキング客は足を踏み入れないだろう。

北東方向に伸びる尾根をたどって高麗神社の近くのゴルフ場の裏側に出てから、高麗神社、高麗川駅へとむかうつもり。

 

少し下ると展望のある地点があった。

 

そこからすぐに舗装の林道に出た。

たどってきた尾根の延長線にある尾根に踏み込もうとしたが、どうも道らしくない。

地図を確認すると上の写真の道を左奥に少し進んだところが目的の道だった。

 

ここがめざすルートの入り口。ここには案内板などはない。

 

アップダウンのない尾根をしばらく歩くと尾根の先端らしいところで道が左右に分かれていた。

左は宿谷の滝へと下る道。

私は東電の送電鉄塔の黄色い目印にしたがって右へと進む。

 

分岐から7分で送電鉄塔があった。

そこからさらに下り、薄暗い感じのする針葉樹林の尾根を歩く。

倒木に濃いオレンジのキノコがはえていた。

 

鉄塔から25分ほどで山道に出た。そこを右へとすすむ。

左に行くと宿谷へむかうし、その途中からは富士山という立派な名前を持つ220mの山へと登ることができる。

 

5分もしないうちにゴルフ場の周囲をめぐる舗装の道に出た。

ここからはゴルフ場にそって歩き、15分ほどで高麗神社の北500mほどの里に出た。

 

あとは高麗川駅まで歩くだけなので、途中高麗家住宅の前を通り、神社へとむかう。

 

高麗郡を開いた渡来人、高麗若光をまつった高麗神社。

若光は高句麗からの渡来人と伝えられている。

旧高麗郡は日高市と鶴ヶ島市の全域、川越市西部、飯能市の東部を含む広大な地域だ。

 

高麗神社から高麗川駅までは歩くと25分弱かかる。

私は近道をしようとしてかえって遠回りをしてしまった。

急がば回れではないが、地図は面倒がらずに確認しよう(笑)。

2時20分無事駅についた。お疲れ様。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする