毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

4人で五日市金比羅山へ(2025年3月1日)

2025-03-03 20:11:32 | 奥多摩・奥秩父

年寄り仲間で早春の里山歩きをしようと五日市の金毘羅山にでかけた。

武蔵五日市駅から駅裏の方向へ三内川の流域を歩き、その後金毘羅山にのぼるという計画。

このコースは、以前に妻をともなって歩いたことのあるコースだ。五日市金比羅山ふたたび(2020年2月28日)参照

その時の経験から梅が見ごろを迎えているころだと予想していたが、今年は少し早すぎたようだ。

 

駅の北口から出て住宅街を抜け、三内川をみおろす道を歩いて深沢にむかう。

第一の目標は、深沢の「山だきの大かし」だ。

 

咲き始めの梅はあったもののほかの木はまだつぼみが堅そう。

この日はポカポカ陽気だったが、2日前までは寒い日が続いていたので開花が遅れているのだろう。

 

そのかわり、三内川の流域の谷にはロウバイがたくさん咲き残っていた。

 

一軒の家の前の道端にフクジュソウが咲いていた。

あたたかな日差しを浴びて、つややかに光っていた。

ほかの家の人からも庭にフクジュソウが咲いているよと声をかけられた。

 

ミツマタの花もほころんでいた。

 

一軒の家の裏手の山がロウバイで黄色く染まっている。

家の人がロウバイを増やしてきたのだろうか。

 

その先で山だきの大かしへの入り口に到着。

ここからの道は、前に来た時は地元の人の手によって実に丁寧に手入れがされていたが、自然の力によって横木が失われ、かなり荒れてしまっていた。

 

竹林からはじまって山の道をしばらく登っていくと大かしが見えてきた。

 

木の近くには寄れないようロープがしてあった。

すでに老木となっているので保護が必要なのかもしれない。

ここから山道を登っていく道もあるが、私たちはここで折り返し。

この先にある深沢小さな美術館をのぞいてみようと思ったからだ。

ところが残念、冬場は休館だった。

寒いときはわざわざ来る人は少ないということだろう。

 

三内川沿いの道を戻って南沢へとむかう。

 

ここが南沢あじさい山への入り口。

もちろんあじさいは花も葉も落とした冬の姿。

 

でも道を幅広く歩きやすく整備してくれているので安心して登れる。

 

途中に金比羅山へ登る尾根道があるが、私たちは歩きやすいアジサイ山の道をそのまま登って、一番奥から山道へと入っていった。

 

最後の林道に出る前が少し急な木段道になっている。でもわずかな間だ。

 

舗装の林道に出て、日の出山と金比羅山をむすぶ登山道へとむかう。

前方に見える橋の上がその登山道だ。

端の脇からその登山道へとすすむ。

あとはよく整備された水平で歩きやすい道を金比羅山へとむかう。

 

金比羅山の琴平神社の奥に大きな岩がある。

しめ縄がかけてあって神社のご神体であるらしい。

それにふさわしい雰囲気をもつ岩だ。

 

そしてその手前に琴平神社。この神社があるのでこの山は金比羅山と呼ばれている。

神社の手前は広場のように整備されていて公園になっている。トイレもある。

 

私たちはそこから少し移動して見晴らしのいい東屋で休憩した。

 

すぐ目の下に五日市の町。その先にはあきる野の平野。

さらに奥には関東平野が広がっているが、風も弱く暖かなこの日はすっかり霞んで都心の高層ビル群やスカイツリーも見えなかった。

 

金比羅山から五日市までの道は、神社の参道というような2mほどの道幅のあるいい道だ。

途中簡易舗装の部分もあって、おしゃべりしながらのんびり歩ける。

そしてその道の途中にはサザンカがたくさん咲いていた。

期待していた梅には早すぎたが、ぽかぽか陽気で年寄りのハイキングにはまたとないいい一日だった。

 

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マイナーコースで小仏城山、景信山を歩く(2021年3月24日)

2025-02-26 11:16:41 | 中央線・富士急線周辺の山

(以前の投稿に手を入れたものです)

交通の便のよい高尾付近の地図を見ていて、まだ登ったことのない小仏城山東尾根と景信山東尾根を利用してみようと思い立った。

 

2021年3月24日、平日なのに高尾駅からのバスは増便で2台だったのに満員だった。

日影で降りて高尾山へむかう。林道を少し歩いた駐車スペースの手前に赤リボンが2つあって、そこが東尾根の入口だった。

 

沢を飛び石で渡って、対岸は水流でえぐれた背丈ほどの崖になっていたが、木の根につかまってわけなく登れた。

小さな看板があって、少し滑りやすい土質の道をのぼり始める。

 

 

日当たりがいいので足元にはたくさんのスミレが見られた。

 

道は左へと斜面を迂回し始める。歩きやすくて雰囲気もなかなかよい。

高尾山は杉木立のイメージだが、この尾根は落葉樹と常緑の潅木が多くて明るい。

 

標高が低いこのあたりではもうヤマザクラが咲き始めていた。

 

送電鉄塔の手前が少し杉林になっていて、丸太のベンチがあった。

その先には芽生えをむかえた落葉樹の尾根が見えている。

 

標高600m付近から杉林になったが、日差しが漏れていい雰囲気だ。

「東京農工大同窓会記念林」の看板があった。

道の左側が落葉樹林になって、女性3人が花を写真に撮っていた。

 

前方が明るくなったと思ったら、舗装道路に飛び出した。日影から城山に登ってくる道路だった。

 

城山の電波塔が見えている。ご覧のように伐採地に植林がされている。

 

高尾山の向こうには関東平野が広がっているが、今日は暖かくて空気が霞んでいる。

 

舗装道路をあがって小仏城山に11時4分到着。たくさんのベンチがあるが、休憩している人もかなり多い。

サクラはまだ咲いていなかった。

 

 

11:22城山を出発し小仏峠を通って景信山へとむかう。

 

小仏峠の石標。

 

峠は写真を撮っただけで通過し、景信山へとむかう。頂上が見えてきた。

 

12:12山頂到着。山頂からの高尾山のながめ。あいかわらずもやっている。

 

南側の茶屋のベンチにはあまり人がいなかったが、関東平野を一望にできる北側には人が大勢休憩していた。

ミツマタの花が咲いていた。

 

眼下の関東平野。その前に見える山は八王子城跡がある山。

 

ネコヤナギかな?やや黄色味をおびたふわふわの綿毛が春の装いだ。

 

タチツボスミレの透明感のある薄紫が素敵だ。

 

ここが小仏バス停への道との分岐。ここに小下沢林道崩壊のため、この先通行止との表示があってロープがはってあった。

最近は大雨の影響であちこちの林道が崩壊している。あとで調べたら小下沢林道は3ヶ所以上崩れ、道がすっかり流されてしまっているところもあった。

私はこの尾根をまっすぐ下るので林道は使わない。それでロープをくぐってそのまま進んだ。

 

小下沢へくだる道を示す標識。

 

ここからは地形図に破線も入っていない尾根道になるが、道ははっきりしていて歩きやすい。

 

12:55、地形図の581mポイント、大久保山に到着。

 

この先も道ははっきりしていて迷うようなところはなかった。

 

478mのピーク。小さなベンチがしつらえてあった。

時計をみると13:41のバスに間に合いそうなので、ここから少しスピードアップ。

 

 

最後は中央高速を見下ろすようなところになり、雨水の排水溝が設置されていた。

それにそって急斜面をくだると、最後は高速道路の工事現場にぶつかった。

柵がめぐらされていたが、迂回路の表示があって、通り抜けることができた。

道路への出口にも柵があって扉をあけて道へでた。

 

この周回コースは、道もよくて快適だった。全体で4時間。

人の多い高尾山周辺なのに、城山と景信山の山頂やそれを結ぶ小仏峠のコース以外ではほとんど人に出会わない静かに歩けるコースだった。

手頃なハイキングコースだが、出発点の沢渡りと崖、到着地点の工事現場が玉にキズというところか。

 

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板碑製作遺跡と仙元山、ついでにセツブンソウ(2025年2月22日)

2025-02-23 08:45:00 | 奥武蔵・秩父の山

昨日、埼玉歴史と民俗博物館を見学して、板碑の製作遺跡が小川町の仙元山のふもとにあることを知った。

今週は、どの山に行こうか迷っていたので即決で小川町に行くことにした。

仙元山は、以前にグループで春に登って、ふもとにあるカタクリの里でカタクリを見た。

カタクリの里はちょうど遺跡にむかう道の途中にある。

カタクリはもちろんまだだけど、セツブンソウが咲いているとの情報もあったので、セツブンソウを見て、その後遺跡見学にむかうことにした。

 

小川町駅からバスに乗り、伝統工芸館前でおりて、カタクリの里へとむかった。

適当に歩いたのだけど、うまい具合に丸木橋のところに出た。

カタクリの咲く場所は、この槻川の対岸にある。

 

下草を刈って整備してある中に古いお墓が並んでいた。

ご覧のようにこのあたりの古いお墓は、板碑に使われている緑泥片岩という薄くはがれる石を使っている。

古いといっても中には明治、大正、昭和初期の年号のものもあった。

 

咲いていた。前にカタクリの花を写真に撮ったあたりにセツブンソウが。

 

私は、実物をみるのは初めて。写真で見て想像していたよりずっと小さかった。

 

ほかの花に先駆けて、まだ北風が冷たい中でけなげに咲いている。

実物を見られてよかった。

では、次に板碑の遺跡へとむかう。

ところで板碑(いたび)といっても関東以外の地域ではわからないかもしれない。

鎌倉から戦国初期までのあいだ、武士を中心に仏像代わりにこの片岩という薄くはがれる石を使って立てられたものだそうだ。

埼玉県を中心に群馬や東京あたりにもある。

 

博物館でもらったパンフの写真をのせておこう。

文字は梵字で、その文字が仏さまをあらわしているそうだ。

圧倒的に阿弥陀如来をあらわすキリークという文字が多いそうだ。

 

槻川にそってのどかな村里の中を歩く。ヤギがいた。

 

槻川にはダイサギも。

くちばしが黄色いのでダイサギではないのかと思って調べてみたら、冬場は黄色くなると書いてあった。

そうなんだ。

 

河原に露出している岩が片岩だ。このあたりの基盤は緑泥片岩で出来ているらしい。

 

遠くにみえた馬頭観音の碑も片岩で出来ているようだ。

 

橋のたもとに遺跡の案内があった。

 

ここが遺跡の入り口。すでに見渡す斜面は片岩の破片で埋まっているようだ。

 

大小の板碑をつくる過程ではがされた石片が、それころ貝塚の貝のように積みあがっているらしい。

 

 

こうした広いところで大きなものを加工していたようだ。

加工中の板碑も発見されたようだが、今は見当たらない。

埋め戻されているらしい。

でもすごい量の破片だった。

こうした遺跡がこの近くにまだたくさんあって、こことあと数か所が国の史跡に指定されている。

 

さて、遺跡をあとに舗装の道をそのまますすむと仙元山遊歩道の入り口があった。

遺跡見学のあとそのまま山に登れるのがいい。

 

仙元山は落葉樹林が多いが、このコースは原生林風にいろいろまじって生えている。

 

稜線がちかづくと杉やヒノキの植林帯になった。

11:07、稜線の道と合流した。

ここから小川町方向に戻ると仙元山だ。

 

稜線にでて10分で仙元山298m頂上に到着。

低山というより里山だ。地元の人は散歩がてら登っている。

小川町方向が切り開かれていた。

 

はるか北関東の榛名山が見えていた。

 

すぐ近くのある展望台風の東屋。

でも人がいたので通過。

今回は、まだ行ったことがない仙元山の中腹にある見晴らしの丘に出て、そこで休憩することにした。

 

途中で関東平野が一望できるところがあった。

これはさいたま新都心。スーパーアリーナの屋根が光っていた。

 

こちらは東京のスカイツリー。

 

ようやく見晴らしの丘についた。

すでにかなり下ってきて、標高200mあたりだ。

あたり一帯が公園として整備され、車でもあがってこれる。

 

日光方向の山。

 

小川町の日赤病院のむこうに赤城山。

ちょうど12時になったので、この写真を撮ったところのベンチで昼食休憩。

小川町駅前のアケボノのお稲荷さんと海苔巻き。そしていつもの薄皮饅頭。

 

公園の端のほうにある展望台からは小川町の中心部がよく見えた。

この日はお昼ころまではいい天気だったが、このあと急に雲が広がり、さいたま市に戻る途中、雪がちらついていた。

 

 

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今は立入れない草津白根でスノーシュー(2008年2月19日)

2025-02-19 14:20:36 | 信越・長野・西上州の山

今年は大雪が続いている。雪国はたいへんだ。

私は、今年は雪山とは縁がなさそうだ。車のタイヤも替えていないし。

で、18年も前の草津のことを投稿してみる。

 

ちょうど今頃の季節、妻と温泉でもと思って、埼玉まで迎えのバスがでる草津のホテルを予約した。

 

ホテルでは、無料のスノーシュー体験会を開いていて、裏の林の中を歩き回った。

あとは雪の温泉街を散策してすごした。

 

その翌日。2月19日は、この季節の上越国境にはめずらしい無風快晴という天気だった。

これは、またとないチャンスなので、ホテルのスノーシューを借りて、ゴンドラで草津白根山に登ることにした。

草津白根は、その後火山噴火でリフトに乗っていた人が死亡する事故が起き、現在も火山の噴火警戒が解けていない。

ゴンドラも廃止になってしまった。

 

このときは、バスでゴンドラ乗り場へ行き、ゴンドラの頂上駅から、すぐ近くにある逢ノ峰(2110m)にむかった。

当時は、ゴンドラの駅から草津の町までロングコースのダウンヒルが楽しめたが、今は不可能だ。

ちなみに妻はスキーはまったくダメ。

でもスノーシューはこれまでに2回体験していた。

10時20分、ゴンドラ駅を出発。

 

ゴンドラの職員に逢ノ峰へのコースを確認して、圧雪されたスキーコースからふかふかの新雪へと入っていった。

スノーシューをつけていても膝近くまでもぐってしまうが、さらさらの粉雪なのでなんとか歩ける。

 

快晴の青空に白く雪をまとったシラビソなど樹木が映える。

雪が風で落ちてしまうのか完全な樹氷(スノーモンスター)にはなっていない。

特に木の上の方は雪が落ちてしまっていた。

 

妻は少し不安らしく私のすぐ後ろにぴったりついて歩いてきた。

でもそれでは写真が撮れないので少し離れるようにいってようやく1枚。

 

逢ノ峰の東斜面を斜めに登っていく。次第に景色が開けてきた。

雪の斜面と遠くに四万温泉あたりの山々が見えてきた。

 

少しづつ斜度が増してきて、樹木も少なくなってきた。

でもまったくの新雪の斜面を登るのは楽しく、心が弾んだ。

膝近くまで潜る雪をかき分けながらだけどそれでもこの急斜面を登れるくらい雪が軽い。

 

お隣の湯釜が見下ろせるようになってきた。右手には上越の山々が白く連なっている。

 

草津の湯釜の左手には真っ白の横手山。その向こうは志賀高原だ。

斜面には新雪の中に何本かスキーのシュプールが残っていた。

スキーコースに飽き足らない人が新雪の中をすべっているようだ。

 

11時13分、逢ノ峰の頂上に到着。志賀高原の方向の雄大な景色が広がった。

わずか45分ではあるが、雪質がいいので疲れずに登れた。

 

山頂は風が強いのだろう、樹木の上部の雪はほとんど飛ばされている。

 

逢ノ峰の山頂までスキーのリフトがあるので山頂には建物や東屋がたっていた。

ここでしばらく休憩。雄大な景色を見渡す。

 

本当に一面の銀世界だ。

風もないので静まりかえっている。

 

帰りはスキーコースの脇をくだってゴンドラの駅へと戻ったが、妻は下りは苦手らしく尻をつけて滑り降りていた。

 

逢ノ峰から下る途中から向かいの本白根山を見たところ。

この下がもうゴンドラの駅だ。

ほんの2時間弱の雪山だったが、妻には貴重な体験になったと思う。

天気がよくて記憶に残る草津白根山だった。

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二子山のヒメネズミと山頂からの眺め

2025-02-15 17:12:39 | 奥武蔵・秩父の山

3回目の二子山の山頂でヒメネズミに出会った。

 

二子山雄岳の山頂で丸太に座って休憩していたら、脇においたリュックの下から小さなヒメネズミが出てきて、私の足元をチョロチョロ。

 

リュックの留め具と比べてわかるようにとても小さい。尻尾をのぞく体は親指くらいかな。

そのうちリュックの下に隠れて姿が見えなくなった。

リュックをどかしてみると座っていた丸太の脇に小さな穴。

それがヒメネズミ家の玄関のようだ。

 

この日は空気が澄みわたって遠くまで見えていたので、山頂から見えた雪山を。

 

浅間山。

 

これは雪山じゃないけど、両神山。

 

そして両神山の左には、八ヶ岳。どうやら赤岳(左)と横岳らしい。

奥武蔵や秩父の山からは場所によって八ヶ岳が見えるけど、この季節は真っ白になっているのでよくわかる。

1回目、2回目にはわからなかった。

3度目の正直でバッチリ見えたのでうれしかった。

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