毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

納めの山行は箱根の明神ヶ岳へ(2024年12月30日)

2024-12-31 20:02:48 | 富士・箱根・伊豆

2024年の納めの山行は、箱根の明神ヶ岳にした。娘といっしょだ。

早朝、新宿の小田急連絡通路前で合流し、6時50分発の小田原行きで出発。

箱根は埼玉から遠いし、観光地でもあるので山歩き目的で出かけたのは、昔、家族で金時山に行って以来だ。

 

小田急、箱根登山鉄道と乗り継いで、箱根湯本から桃源台行きのバスにのり、9:24、宮城野橋で降りた。

バス通りから登山口方向へ入ると正面にめざす明神ヶ岳が見えてきた。

 

建物のあいだを登っていくと道路わきに湧水があった。

 

バス停から15分で登山口に到着。

 

登山道とはいっても、しばらくは左側がずっと別荘地だ。

 

この道は紅葉したカエデの葉がたくさん落ちていた。11月下旬ころならかなりきれいなんだろう。

 

 

30分ほどで別荘地の最上部に到着。ここまでは車であがれるということだ。

 

別荘地をはなれ、沢をわたったところから本格的な登りとなった。

空は朝方より雲が広がってしまったので少々薄暗い感じ。

 

次第に溶岩らしい大きな岩があらわれ、歩きにくくなってきた。

木の根や岩角の少し大きな段差も増えてきたのでゆっくりペースで登る。

 

木々の間からは、向かい側にある神山と大涌谷の噴煙がみえてきた。

 

10時57分、明神ヶ岳と明星ヶ岳をむすぶ稜線の鞍部に到着。

あたりは背の高いハコネザサが密生していて、生け垣のようになっている。

 

 

でも稜線を歩いて行くとところどころススキの原があらわれ、展望が開ける。

 

正面には神山と強羅の街。

 

右手には湖尻の方向も見えた。

 

これは左手の方向、電波塔が立ち並ぶ駒ケ岳。

 

強羅の街をアップで。

 

ハコネザサの壁のあいだやススキの原と雰囲気を変えながらのぼり、あるきやすい稜線では灌木のトンネルになった。

 

山頂が近づくと道は一段と歩きやすくなった。

11時31分、矢佐芝分岐。

 

そこからすぐに最乗寺分岐。

 

山頂近し。

カルデラ側に崩壊によるえぐれた地形があらわれ、下に強羅の街がみえた。

箱根は比較的新しい山なので、地質がやわらかいところが多く、雨によって道も深くえぐられやすい。

 

11時44分、山頂到着。

低いススキと灌木が点在するが、東側を除いて北西から南東方向に大展望が広がっている。

山頂には5~6人が休んでいた。

 

これは2006年発行のヤマケイのガイドブックの写真。

 

こちらは私が撮った写真。

昔のガイドブックには、山頂に石の山名盤が写真に写っているが、今はない。

山頂の一部まで土のえぐれが進んできたためだろうか。

それにススキや灌木が増えた感じもする。

 

山頂標識で記念撮影。

 

あらためて神山と強羅の街。大涌谷の噴煙があがり、ロープウェ^の鉄塔もみえる。

 

こちらは金時山。残念ながらその向こうにあるはずの富士山は雲の中だ。

箱根の交通が少し頭にはいったので、金時山にも近いうちに再度登ってみようと思う。

 

娘が用意した豆とセットでコーヒーを入れる。

重い水とガスややかんは私の担当。

おにぎりを食べているとふと暖かさを感じたので見上げると上空の雲が切れて日が差し始めていた。

 

金時山のほうを見ると雲の間から富士山が姿をあらわし始めた。

少し粘ってみることにする。

 

その間に明神ヶ岳の山頂の北西側をのぞいてみた。

ここもカルデラ側の山体がかなりえぐれている。

 

かなり見えるようになってきた。

宮城野からのバスは本数が多いので時間を気にせずもう少しねばる。

 

山頂だけはなかなか顔を出さないのであきらめて帰り始めたが、下り始めのところで振り返るとギリギリのところで剣が峰が顔をだしていた。

やあよかったよかった。

これで心置きなく帰路につける。

 

日が差し始めたので灌木のトンネルも明るくなっている。

ただ、足元の霜解けによるぬかるみで斜面が滑り、靴が泥んこになってしまった。

 

帰りの道で、はるか東に伊豆大島が見えていることに気が付いた。

そういえば、山頂からも駿河湾らしき水平線が見えていた。

冬の山はやはり展望がかかせないポイントだね。

 

さて帰りのバスは観光客でかなり混んでいた。

そして湯本が近づくと道路渋滞になり少し時間がかかってしまった。

宮城野のバス停で待っているとき御殿場から強羅経由で天悠行のバスが通ったので、観光シーズンはそれで強羅から電車にするほうが確実だった。

でも箱根登山も小田急も座れたのだが、終点新宿までのあいだに尻が痛くなってしまった。

 

 

 

 

 

 

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腰越城跡から官ノ倉山へ(2024年12月27日)

2024-12-28 14:43:10 | 奥武蔵・秩父の山

またまた官ノ倉山を歩いてきた。

今度は、まだ歩いたことがない腰越城跡がある尾根から石尊山、官ノ倉山へと歩いた。

朝の雑事を片付けてからなので出発は8時半過ぎ。

小川町でいつものアケボノで太巻きと薄皮饅頭を買いこみ、和紙の里行のバスに乗り込む。

腰越城跡に近い「木落し」というバス停でおり、城跡入口の道標を探した。

この山が城跡らしい。

 

道標は県道の脇に大きなものがあってすぐにわかった。

道は民家の間を抜けて山にむかってまっすぐに続いている。

 

少し入ってから入り口の方向を振り返る。

山の斜面が近づくと道標があり、左側の斜面を登り始める。

 

史跡の入り口だからだろう、道はきちんと整備してある。

 

城跡と官ノ倉山をむすぶ稜線に近づいた。

 

私は、地図の上のほうにある赤い線から入り、二の郭、本郭とみて歩いた。

下の方が南で、腰越の切通しの方向だ。

 

本郭は、思ったより広く、案内板や石碑も立てられていた。

 

本郭の一角から小川町がよく見えた。

写真はないが、反対側には安戸の家並みとその奥に安戸城跡という山も藪越しに見えていた。

 

一通り見終わって、いよいよ官ノ倉山への尾根に入った。

それほど急なところのない歩きやすい尾根だった。

しかし、落葉樹林の尾根なので足元は落ち葉の洪水だ。

 

少し歩くと、下からも見えていた送電鉄塔の下にでた。

高木は切ってあるが、灌木が伸びていて下界の展望はなかった。

 

送電鉄塔から500mほど歩くと249.5mの三等三角点があった。

 

そのあたりから松などが混じって雰囲気が変わった。

 

いきなり広々とした平地にでた。一面のススキの原だ。

国土地理院の地図を見ても、なにか開発されたあとの地形のように見える。

車であがってこれるのだろう。

奥行にして600mほどがまっ平らだった。

 

その平地の奥に官ノ倉山への道標が設置されていた。

ここの尾根への取りつきは、かなり急な登りで足元がすべる。

ロープが設置されていた。急なところはこの一か所だけだった。

 

さらに500mほど歩くと峠の切通しのようなところがあって、石の祠があった。

 

「朝日山」の2合瓶がそなえてあった。

近くに空になった同じビンが何本か転がっていた。

定期的にお参りしている人がいるようだ。

 

そこまではほぼ水平だった尾根が、ここから石尊山へむかっての登りとなった。

でも標高差100mほどなのでそれほどの登りではない。

 

11時45分、石尊山に到着。

 

2週間前の上天気の北奥武蔵、官ノ倉山(2024年12月14日)と同じようなアングルの写真。

今回の方が少し雲が多い。この日は午後から関東にも雪雲が流れ込むという予報だった。

 

これは筑波山の方向。

同じような写真を撮っても仕方がないので、すぐに官ノ倉山へと移動した。

 

官ノ倉山の山頂下にある南西向きのベンチから、笠山と堂平山を望む。

 

そのベンチの脇には石の社が祀られていた。

 

山頂に移動し、駅前で買った太巻きと薄皮饅頭を食べる。

 

山頂には、男性二人がベンチにすわり、のんびりと会話を楽しんでいた。

さて、下りは東武竹沢駅へ出ようと思うが、前回と同じ道ではつまらないので、石尊山にもどり、そこから下ることにした。

 

石尊山からの道には途中に鎖場があった。

でもご覧のように石のしっかりした足場があるので特に鎖につかまる必要はなかった。

その後、すぐに舗装の林道になって歩きやすくなった。

 

その林道の途中、右手の急斜面にお堂や祠、石碑がたくさんあった。

道標にも書いてあった「北向不動」だ。

 

不動の反対側の沢には丸太の樋によって水が引かれ、滝行ができるようになっていた。

 

看板には「北向不動と三十六童子」と書いてある。

 

これは矜羯羅童子と書いてあるのか? 羯の字が迦になっているが。

 

こちらは制吒迦童子。矜羯羅童子と制吒迦童子は不動明王の世話をする童子だそうだ。

 

かなり急な石段だったけど手すりもあるので上まで登ってみた。

 

コンクリートの祠。

 

その中に不動明王の石像もあった。

この石像は、後の時代に作り直されたもののような感じだ。

 

祠の前にも5つの石碑。それぞれ童子の名前が彫られているのだろうけど、字は読めなかった。

 

林道から車道に出たところから山を振り返る。

 

その道の脇には、浮彫風の石仏が三体。

 

そのそばにトイレと駐車スペースがあった。

7~8台は留められそうだ。

その先の分かれ道で、東武竹沢駅の時刻を検索してみたら、中途半端な時間になりそうだった。

そこで小川町駅まで歩いてみることにした。

小川町までの道は、道標がたくさんあって途中まではたどれるのだが、町に入ると道標が少なくなり、前に歩いた時も途中でわからなくなったことがある。

 

今回は、と思っていたのに、途中の交差点で曲がらなくてはならないのに直進してしまい、写真のように笠山が正面に見えだした。

大河小学校の裏にでたので少し遠回りをしてしまった。

おかげで小川町駅に着いたときには、東武竹沢で乗るつもりの電車をタッチの差で逃してしまった。

 

 

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新緑の鎌北湖から桂木観音まで(2019年5月18日)

2024-12-25 17:28:14 | 奥武蔵・秩父の山

2019年5月の記録を季節外れだけど投稿する。

奥武蔵の山はもっぱら冬に歩いているが、新緑のころもいいのだろうとまだ歩いたことのない鎌北湖から桂木観音までの尾根を歩いてみた。

武州長瀬に8時前について、そこから毛呂山総合公園まで40分ほどかけて歩いた。

 

総合公園の入り口から鎌北湖へと車道をはなれて畑の中の道を歩いているとメスのキジが畑を歩いていた。

このあたりは大八木と呼ばれているが、3月下旬から4月上旬はウメやサクラ、ハナモモなどが花盛りでとてもきれいなところだ。

 

これはのちに2021年3月27日に訪れたときの写真。とてもいいところでしょう?

 

もちろん5月には花は終わっていて季節は新緑へと移っている。

 

鎌北湖に近づくと林間の静かな散策路になる。

 

道端には古いお墓か石碑と思われるものなどもみられる。

 

たしかハルゼミが鳴いていたような気がするが、はっきり覚えているわけではない。

とても気分のいい散策路だ。

この道は、鎌北湖の土手にぶつかって、その土手を登っていく。

 

ここも桜が植わっているが、もちろん花はない。

でも新緑の枝が湖面にのびて鎌北湖を包み込んでいた。

 

アザミや黄色い花が咲く草むら。

浅い緑色が春らしさを演出している。

 

ヤブデマリがあちこちに咲いていた。

 

鎌北湖から少し奥に歩くと小さな集落があった。ここは鎌北というところ。

鎌北湖の名のもととなった地区だ。

 

その鎌北から左の山道に入り、エビガ坂をめざす。

 

20分ほどで稜線上の峠エビガ坂に到着。

ここから稜線を北西方向にたどって歩いた。

しばらく歩くと左手から奥武蔵グリーンラインの車道が近づいてきた。

 

グリーンラインの近くの峠。「十二曲」と道標の柱に手書きしてある。

ここからはしばらく車道を歩いた。

 

道路から「一本杉峠」の道標にしたがってふたたび山道にはいる。

途中で、主稜線から北へとわかれる尾根道にはいるとその奥に周囲の木よりも太い一本の杉の木が目に入った。

まわりの木はまだ若いようなので、きっと周りが植林されるまでは一本杉としていい目印になっていたに違いない。

西武秩父線にそって便利な稜線から地味なコースに入っているのだが、予想外なことに前後にハイキングの人の姿が見える。

 

一本杉峠からしばらく下ると「カイ立場、笹郷峠」と手書きされた峠にでた。

毛呂山の阿諏訪地区と越生町の黒山を結ぶ峠だ。

 

尾根をそのまますすむと写真のように岩の手前に注意看板がたっていた。

 

反対側が落差がある岩場になってロープが設置してあったが、岩の脇を安全に通れるので私はそこを通った。

 

峠から20分ほど歩くと鼻曲山だ。

山といっても尾根の上のちょっとしたふくらみだ。

 

鼻曲山の先は30mほどの急な下りとなっていた。

 

鼻曲山から15分くらいのところに送電鉄塔があった。

 

その少し先に四等三角点があった。現地には山名の表示はないが昭文社の地図では「椎ノ木山」となっているところらしい。

地理院の地図で368.3mとなっている三角点だ。

 

この先でコアジサイが咲いていた。

うすい青みがかった花が少し薄暗い林間でみるととても印象的だった。

 

三角点から15分ほどで車道のある天望峠についた。桂木観音までもう少しだ。

車道を歩くと遠回りなので峠から先も山道を歩く。

 

12時少しすぎに桂木観音下に到着。

 

ツツジの花が咲いて緑あふれる桂木観音。

いつも冬に来ていたので印象がまったく違うのに驚いた。

 

シンプルな姿の観音堂。

ここからは何度も歩いている虚空蔵尊への道をたどって越生駅へとむかった。

 

虚空蔵尊へむかう道のほとりにもコアジサイが咲いていた。

 

山道から里に出たところにある虚空蔵尊。

あとは山すそをたどって農家や民家が点在する山里を越生駅へとむかう。

 

2019年のこの時は、越生駅の建物は昔の建物だった。今は建て替えられて変わってしまった。

武州長瀬駅から越生駅まで5時間20分ほどだった。

 

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相模湖のすぐ南、石老山(2024年12月18日)

2024-12-19 22:41:58 | 中央線・富士急線周辺の山

中央線の相模湖駅の南に石老山という山がある。

中央線の電車で藤野あたりからみると周囲が500m以下の山々の中で一段高く盛り上がって見える。

山裾はそれなりに急傾斜だが、山頂付近は平らで、全体としてずんぐりとしている。

昔むかしに登ったことがあるのだが、山の様子についてはまったく記憶がない。

以前からもう一度歩いてみようと思っていた山だ。

12月18日、埼玉を6時半前の電車で出かけた。武蔵野線は朝早くから長距離通勤の人で混んでいた。

相模湖駅前にはすでにバスが待っていた。

そのバスも、登山者は数人であとは通勤の人々だ。

石老山へむかうバスは、本数が結構あるので便利だ。駅から7分、240円なり。

 

石老山入口で降りて、登山口にある顕教寺をめざして歩き出す。

相模湖湖畔からかなり登ってきたので朝の空気が冷たい。

道を山の方に入るとすぐに公衆トイレがあった。

山の斜面や何も植わっていない冬の畑のあいだの坂道に沿ってぽつぽつと建物がある。

 

分かれ道を大きな道標に導かれてゆくと正面に病院の大きな建物が見えてきた。

 

その裏手に石老山の登山口があった。石塔と石仏があった。

入り口には登山者用の駐車スペースもある。10台以上留められそうだ。

登山路は病院の敷地の柵の際に細々と続いてしかも下り坂だ。

一瞬、間違えたかなと思ってしまったが、この道で正しかった。

 

谷に下りてから、小さな橋をわたり、杉の木をまじえた原生林風の谷を登り始める。

 

足元は河原にあるような丸石を敷き詰めてある。

お寺への参道だからだろうが、丸い石なので歩きにくい。

 

やがてやはり丸みを帯びた礫岩の岩が目立ってきた。

足元も風化した礫岩に歩くためのくぼみがつけられている。

谷間なので水がしみだして少々陰鬱な雰囲気だ。

 

足元は一面の落ち葉。茶色になってしまったカエデの葉もたくさんあるので12月初旬にくれば紅葉が楽しめたようだ。

 

顕教寺には8時42分についた。病院裏の入り口から15分だ。

 

顕教寺のお堂の脇からは津久井湖とその周辺の住宅と山や丘陵が見渡せる。いい景色だ。

 

山頂へむかう登山道は、お寺の西のはずれから上へと続いていた。

少し登ると山頂へ直登する道と桜山展望地を経由する桜道ハイキングコースとに分かれる。

私は景色がよさそうな桜道から登った。

 

少し下り気味のトラバース道を歩くとすぐに右手の展望が開けてきた。

冬ばれの日なので、やはり景色が見える方が楽しい。

 

桜山展望台といっても斜面が少し広くなっているだけのところだが、桜が植えてあるらしい。

桜道はその少し先から斜面をジグザグに登っていく。直登のコースよりは歩きやすそうだった。

途中の岩が露出しているところをみるとそのあたりもやはり礫岩だった。

 

やがて急斜面の登りが終わって広々とした尾根上に出た。

遠くから見た通りで周囲は急斜面でも山頂に近づくと広々としていて葉を落とした雑木林が広がっていた。

 

その中を歩いていくと少し先で直登ルートと合流し、なだらかで幅の広い道になった。

 

明るい雑木林が終わってヒノキ林の道になるが、もうきつい登りはなさそうだ。

 

合流点から10分ほどで融合平見晴台というところがあった。

わずかに木々の間から相模湖の方向がみえるだけだった。

ツツジらしい木が植えてあるがかなり背が伸びてしまっている。

 

その先もゆるやかで幅のあるいい道が続いた。

 

途中に岩が露出しているところがあったが、ご覧のように小さな丸い石を含む礫岩だ。

 

それからもいい道が続き、頂上近くになるとまた崩れた石敷きの道が現れた。

 

その上が頂上だった。ちょうど10時になったところだった。

山頂は馬の背状の広い尾根の端っこだ。

 

周囲は高いヒノキの林だが、富士山の方向だけ切り開かれていた。

富士山は、左手前に三角錐の大室山をしたがえて白く輝いていた。

 

まだ10時になったばかりだが、ここで軽く食事タイム。おにぎり一つと豆大福を食べた。

残りのおにぎりとコーヒーは、この先にある大明神展望台でいただくことにして山頂を後にした。

 

馬の背状の広い尾根なので道も幅広で歩きやすい。ただし針葉樹におおわれて薄暗い。

 

150mほど西にすすむとそこに三角点があった。山頂は702mといわれるが三角点はちょっと低い694mだ。

 

この三角点の先で道は篠原の集落に下る道と尾根通しの道にわかれるが、どちらも急なくだりとなる。

 

急な下りが終わって歩きやすい尾根道になると左手が落葉樹にかわってところどころ道志の山々や富士山が見える。

道は針葉樹林になったり、片側だけが落葉樹林になったりを繰り返し、小さなコブをこえたりしながら少しずつ標高をさげていった。

 

少し長いくだりのあとに登り返しがあって落葉樹の間から相模湖の方向がみえるピークについた。

赤く塗られた石の小さな祠がある。そこが大明神山だった。10時49分。

展望台はもう少し先だ。

 

少しさがってまた同じくらい登り返したピークに鉄骨で組まれた展望台があって、女性がふたり休憩していた。

大明神山から8分だった。

 

展望台からは相模湖と町、そして景信山と小仏城山などの山なみが見渡せた。

でも周囲のヒノキらしい針葉樹が背を伸ばしていて、上野原あたりや道志の方向はもはや見えなくなっている。

ここで予定通り残りのおにぎりなどを食べ、お湯を沸かしてコーヒーをいれた。

日差しは暖かいのだが風が冷たい。

前回来たのは40年以上前なのでなにも記憶は残っていないが、たぶんそのころはもっと広範囲が見渡せたのだと思う。

 

展望台をあとにして下り始めるとすぐにめずらしい倒木があった。

根を露出させて倒れているのだが、根の一部がちゃんと地についているらしく葉をしっかりと付けているだけではなくて根に近い幹から新しい枝をたくさんだして、それがまっすぐに上の方に伸び始めている。

生命力を感じさせる木だ。

 

下りの道はその先でふたつにわかれる。

私はバス道に近い方がいいので谷へくだるふれあいの道コースをすすんだ。

 

谷底に近い斜面をつたう道を歩いていくと舗装の林道にでて、その少しさきで車道に出た。

 

車道をあるいてねん坂上のレジャー施設入り口前のバス停につくとバス時刻の3分前という間の良さ。

でもそのかわり相模湖駅で30分近く待たされたのであまり意味はなかったが、自宅には2時過ぎには到着できた。

やはり高尾や中央線方面は交通の便がいいと思う。

 

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2024-12-18 14:36:43 | その他

●北アルプス

立山と奥大日岳(2018年8月13・14日)

コロナ禍の白馬岳、第1日白馬大池まで(2020年8月11日)

コロナ禍の白馬岳、雨になってしまった第2日(2020年8月12日)

白馬岳から八方尾根へ(1975年7月19日~20日)

表銀座から槍ヶ岳へ(1978年8月)

43年前の蝶ヶ岳と穂高岳の写真発見(1979年8月)

兄と登った奥穂高岳(2010年7月25日~27日)

 

●八ヶ岳・霧ケ峰その周辺

天狗岳2日目(2024年8月8日)

またも常念に嫌われ北八ヶ岳天狗岳へ(2024年8月7日)1日目

大失敗で目標変更、美ケ原近くの三峰山へ(2022年8月10日)

八ヶ岳(赤岳・横岳)縦走(2006年8月29日・30日)

北八ヶ岳のにゅうへ(2006年8月4日)

新雪の天狗岳から硫黄岳(1980年5月2日)

雷雨に遭遇、北八ヶ岳ニュウ(2023年7月28日)

 

●南アルプスとその周辺

鳳凰三山の前衛、千頭星山(2020年7月15日)

山梨の日向山へ(2022年11月9日)

若い人と甲斐駒ヶ岳へ(2016年8月14日・15日)

荒川三山赤石岳①(2016年8月8日)

荒川三山赤石岳②(2016年8月9日・10日)

野呂川から間ノ岳・北岳へ(2017年7月31日~8月2日)

 

●奥多摩・奥秩父

石灰岩の岩山小鹿野の二子山(1997年12月28日)

中学生も連れて三頭山へ(2024年4月14日)

甲武信岳 (1986年5月15日・16日)

今は使われていない信仰の道で両神山西岳へ(2020年5月29日)

早春の里山、五日市金毘羅山(2020年2月12日)

五日市金比羅山ふたたび(2020年2月28日)

御岳駅から大塚山・御岳山・日ノ出山をひとまわり(2021年4月11日)

静かな小仏城山、景信山を歩く(2021年3月24日)

久しぶりの棒ノ嶺から奥多摩岩茸石山へ(2022年3月21日)

雪の奥多摩御前山(2022年2月16日)

暑さと痛みの川苔山(2023年7月7日)

三頭山(大茅尾根から・2017年5月4日)

久しぶりの高水三山(2023年4月29日)

新年に6人で日の出山へ(2023年1月4日)

飛龍山(2005年12月25日)

多彩な落葉樹の森をぬけ黒川鶏冠山へ(2021年10月8日)

雨上がりの鶴寝山、奈良倉山(2023年6月7日)

瑞牆山(2020年11月18日)

鉄五郎道で大塚山へ(2024年11月29日)

 

●奥武蔵

花が咲き乱れる山里ユガテ(2014年4月22日)

竹寺から子の権現そして飯能アルプスへ(2024年2月28日)

奥武蔵の大霧山へ(2,024年2月17日)

足慣らしに日和田山から物見山へ(2024年1月17日)

新春ハイキングは子の権現へ(2024年1月5日)

奥武蔵の展望台、弓立山(2023年12月6日)

 晩秋の城峰山、男衾登山口から南尾根へ(2023年11月29日)

妻を誘って多峯主山へ(2023年11月22日)

関八州見晴らし台へ黒山三滝から(2023年2月1日)

奥武蔵の笠山と堂平山(2022年11月16日)

旧正丸峠からツツジ山(2022年11月27日)

越生の大高取山へみんなで(2023年2月15日)

小川町仙元山から小倉城跡へ(2022年3月4日)

スミレたくさんの雨乞山から陣見山へ(2022年4月8日)

武川岳(2021年12月4日)

奥武蔵(新柵山~ブナ峠~飯盛峠~大築山)周回ハイキング

風布のみかん山周辺(2020年12月11日)

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●中央線・富士急線沿線・富士山周辺の山

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雪の小仏城山から高尾山(2016年2月3日)

上野原の不老山(2022年12月7日)

三つ峠でリハビリ(2022年10月19日)

寂尚尾根から登る滝子山(1992年11月25日)

四尾連湖から蛾ヶ岳(ひるがたけ)へ(2022年5月25日)

笹尾根(笛吹峠~浅間峠)2022年1月28日

生藤山から浅間峠へ(2021年12月)

額縁の富士山倉見山(2021年11月24日)

思ったよりきつい九鬼山(2021年11月12日)

静かな小仏城山、景信山を歩く(2021年3月24日)

大蔵高丸とハマイバ丸(2004年12月6日)

いにしえの信仰登山の道から三ッ峠山(2016年9月30日)

鍵掛峠から王岳へ(2022年7月25日)

愛鷹山最高峰越前岳(2022年5月4日)

富士山、吉田口を六合目から山下り(2011年8月12日)

宝永山(2021年8月28日)

新緑とヤマザクラの小渕丘陵鷹取山(2022年4月16日)

相模湖のすぐ南、石老山(2024年12月18日)

 

●丹沢・箱根とその周辺

道志の森キャンプ場から畦ヶ丸山へ(2006年5月31日)

大山、日向薬師から蓑毛まで(2023年6月21日)

ひっヒルが出た!飯山白山(2023年5月12日)

経ヶ岳から仏果山、高取山(2021年1月13日)

袖平山と姫次(2021年1月3日)

高取山と仏果山(2020年12月27日)

都市近接の山仏果山を高取山から経ヶ岳まで(2020年12月)

赤鞍ヶ岳から菜畑山(2014年12月30日)

途中までの明神ヶ岳年末山行(2021年12月29日)

 

●上越、赤城、榛名および周辺

前武尊山(2024年9月6日)

紅葉と岩の前武尊山(2006年10月19日)

榛名神社から榛名湖へ紅葉の森を歩く(2020年10月30日)

花見ヶ原森林公園から赤城山(2020年10月13日)

赤城山で雪遊び(2012年3月27日)

紅葉真っ盛りの尼ヶ禿山とブナ平(2020年10月25日)

赤城山で雪遊び(2,022年2月25日)

雪の赤城山、黒檜山(2016年3月16日)

新緑の武尊山(2003年6月7日)

赤城山地蔵岳(2022年8月6日)

暑かった山の日の谷川岳(2023年8月11日)

暑さを避けて赤城山地蔵岳でリハビリ登山(2023年8月2日)

涼しかったけどガス、赤城鍋割山(2023年7月22日)

榛名神社から掃部ヶ岳、杏ヶ岳周回(2019年6月13日)

 

●日光・足利山地・尾瀬・那須・筑波・茨城

アカヤシオ満開、前日光薬師岳、夕日岳(2016年4月30日)

緊急事態解除後の那須茶臼岳(2021年10月2日)

秋の日光白根山(2014年10月1日)

ダケブキ大群落、28年前の日光白根山(1995年8月27日)

絶好天の男体山(2023年8月25日)

戦場ヶ原散策のち雷雨(2023年8月19日)

雨上がりの戦場ヶ原(2023年6月30日)

妻をつれて足利の両崖山へ(2022年12月29日)

足利の裏山天狗山と両崖山(2019年2月22日)

鶏頂山弁天沼スノーシュー(2018年2月14日)

紅葉すすむ前袈裟丸山(2022年10月26日)

栃木の晃石山(2018年6月13日)

沼原から南月山(那須)(2013年10月13日)

唐沢山で軽ハイキング(2022年1月14日)

雪の筑波山(2022年1月6日)

台風一過、強風の茶臼岳、紅葉の速報のみ

朝日岳と三本槍ヶ岳(2017年9月29日)

アカヤシオの仙人ヶ岳から赤雪山へ(2021年3月31日)

もう雪が無かった八方ヶ原大間々台(2021年3月9日)

秋の尾瀬笠ヶ岳へ(2015年10月19日)

日留賀岳(2019年11月1日)

会津駒ヶ岳登山(2018年10月2日・3日)

袋田の滝と紅葉の月居山へ(2024年12月2日)

桐生の街の裏山、吾妻山(2024年12月6日)

 

●信越・長野・西上州の山

西上州の岩山毛無岩(2003年12月4日)

ヤシオツツジ咲く岩峰、西上州三ッ岩岳(2008年5月1日)

湯の丸高原池の平スノーシュー(2017年3月16日)

妹ヶ谷不動から東御荷鉾山(2020年5月1日)

静けさ求めて父不見山へ(2021年2月5日)

籠ノ登山と池の平湿原(2014年3月29日)

戸隠高原古池スノーシュー(2014年2月12日)

西御荷鉾山(2019年12月27日)

鼻曲山(2017年12月29日)

秋深し南牧村星尾から荒船山(1996年10月27日)

もう一度行きたい火打山、2回目のときの記録(2011年8月3日~4日)

飯縄山(2022年4月28日)

ようやく御座山に登ってきた(2022年5月18日)

快晴の浅間山(前掛山)2022年8月19日

大失敗で目標変更、美ケ原近くの三峰山へ(2022年8月10日)

荒船不動から荒船山へ(2021年5月2日)

霧久保沢コースで茂来山へ(2022年10月14日)

嬬恋野地平スノーシュー(2018年3月23日)

植生豊かな初夏の茂来山(2023年5月17日)

 

●東北・新潟の山

ガスと強風の蔵王熊野岳(2020年9月28日)

大震災の年,紅葉の秋田駒ケ岳(2011年10月9日)

新潟の大源太山(2015年9月21日)

残雪の守門岳(2001年5月4日)

磐梯山(2018年9月12日)

裏磐梯五色沼でスノーシュー(2012年2月15日)

鳥海山と月山(2019年8月11日~13日)前半

鳥海山と月山(2019年8月11日~13日)後半

6月の八幡平(2018年6月22日)

花盛り、6月の秋田駒ケ岳(2018年6月24日)

乳頭山の田代平へ(2018年6月25日)

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