毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

花が咲き乱れる山里ユガテ(2014年4月22日)

2024-03-20 14:24:09 | 山日記

前回は、まだ花には早すぎた低山歩きだった。でもそろそろ花も咲き始めているはず。

それで過去の写真を調べていたが、やはり見ごたえのある時期は4月になってからかもしれない。

今回投稿するのは、もう10年も前に、ハイキング仲間で出かけた飯能のユガテだ。

 

この時は、西武線の東吾野から歩き始め、山上の楽園といわれるユガテを通って奥武蔵グリーンラインの通る尾根上にある北向地蔵へ。

当初の予定は、日和田山まで抜けて高麗駅に戻る予定だったが、高齢のメンバーに疲れが見えたので、途中から終点を武蔵横手駅に変更した。

 

駅から歩きはじめると色鮮やかの木々の花が目を楽しませてくれ、山の斜面も新緑の明るい薄緑に包まれていた。

 

一段と鮮やかなピンクの花をつけた木があった。黄色ならマンサクみたいだがと思って調べてみたら、トキワマンサクというらしい。

 

谷間の道なのだが、割と開けていて日当たりがいいところで、民家やお寺が点在し、どこも花であふれていた。

果樹の栽培もされているようだ。

 

舗装の道をかなり歩いていよいよ山道にさしかかるあたりの集落は虎秀(コシュー)と呼ばれている。

めずらしい地名だと思う。これから向かうユガテも珍しい地名で、どちらも渡来人が住み着いたことによると考えられている。

 

歩いていてどこをみても彩り豊かで写真がどんどん増えていく。

 

山道に入るとこんどは足元に次々とスミレが顔をみせてくれた。

 

これは、スミレ属のスミレ、だよね。

 

これはタチツボスミレかな。

 

しばらく山道を歩くと突然開けたところに飛び出した。ここがユガテだ。

 

ちょうど標高300mにかかるあたりの尾根をまわりこんだところ、南東に開けた土地に数軒の民家と畑があった。

 

ここでユガテは「湯ヶ天」と書くことがわかった。「湯ヶ手」と書く場合もあるらしい。

渡来系のことばであれば、漢字は音に当てはめたものということになるだろう。

 

とにかく静かでいいところだ。みんなのんびりと休憩した。

 

ユガテから北向地蔵までは、山の斜面をトラバースして登っていく。

足元には次々に小さな花が姿をみせ楽しませてくれる。

 

北向地蔵の近くで仲間がゼンマイを見つけた。

 

北向地蔵は山上の舗装道路のすぐわきにあった。標高は390m。

説明板によると、浅間山の大噴火でおこった天明の大飢饉のときに栃木の岩船観音から譲り受けてここに祀られたそうだ。

 

顔を摩滅していて丸い石になってしまっているが、赤い着物も古びておらず花もたくさん供えられていた。

 

さて、ここまで来たものの疲れが出てしまったメンバーのためにここから権現堂を経て武蔵横手へと下山した。

このコースは道はとてもよくて安心して下れたが、谷が狭くて針葉樹林ばかりなのでつまらなかった。

このときから10年。この時の最高齢参加者は、数年前に亡くなられた。

当初予定していた駒高から日和田山の間もなかなかいいところなので4月にまた歩いてみたいコースだ。

足慣らしに日和田山から物見山へ(2024年1月17日)

 

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誕生日に草戸山へ(2024年3月13日)

2024-03-15 15:56:29 | 山日記

3月13日は私の誕生日だった。もう76回目だ。

この日は、いつもの仲間で、高尾の草戸山を歩いてきた。

橋本駅からバスで峯の薬師入口へむかい、そこから草戸山へ。帰りは高尾山口へとおりた。

この日は前から山へ行く約束をしてあり、私は秩父の大持山にしようと考えていた。

しかし、その間に2回も雪が積もった。高架の駅から見ると多摩や丹沢の山が白い。大持山だとかなり残っているだろう。

雪はいやという仲間のために、低山陽だまりハイクに変更した。

このコースは以前に歩いたことがあり、花がたくさん見られたのだ。

今回は、季節が早すぎたが、もしかしたらとの期待もあった。

 

橋本駅から三ヶ木行きのバスに乗るとき同じ行き先のバスが2台同時にならんだ。

一つは峯の薬師は通らないはずなので、運転士に確認して乗車した。

 

峯の薬師入口で降りると少し高台になった道から津久井湖とひしめきあう住宅街がみおろせた。

日当たりのいい南斜面にあり、ながめもとてもいい。

 

峯の薬師入口は階段になっていたが、その先は斜面をジグザグに道が切ってあって傾斜はゆるくて歩きやすい。

 

日当たりがよくて暖かいので照葉の常緑樹が多い。

 

きょろきょろと足元に花を探してみたけれど、やはりまだ早すぎた。

 

最後に少し階段があって峯の薬師の境内へ。広々しており、トイレも完備。

 

広場をおおう木々のあいだから津久井湖がながめられる。

この日は少し冷たい北の風が吹いていたが、このあたりは全然あたらず暖かかった。

 

寺の名前は東慶寺。1492年の創建だそうだ。室町時代の中頃、戦国時代突入直前だね。

 

奥の本堂の脇から奥の院へとむかう。

 

本堂のわきあたりは樹木がとぎれ展望が広がった。といっても先ほどから時々見下ろしてきたのとあまり変わらないけど。

 

奥の院の建物は大きなコンクリートでなんだかお寺らしくない。廃業したホテル跡みたい。

 

ここから幅3mくらいの道が続く。

 

すぐに電波塔をそなえた建物があらわれた。

 

その少し手前に赤い鳥居があって、覗いてみると石の祠があった。

なにも表示がなかったが、調べてみるとこれも金比羅さんだった。

 

電波施設の先からは道がさらによくなった。施設管理の車が入るのだろう。

三沢峠についた。道がいくつも分かれていてとまどう。

草戸山への案内標識をよく確認して、やや戻りかげんの方向へと進む。

 

すぐに山頂。ここにも電波塔がたっている。標識に榎窪山とあった。

標高は420m。今回のコースではここが最高地点だ。

しばらく平らな道が続いたあと少しづつ高度を下げていく。

 

ところどころ右手の下にダム湖の城山湖が見下ろせる。

少しアップダウンが始まり、木段の上り下りを繰り返す。

前方に草戸山らしい盛り上がりが見えてきた。

 

12時5分、草戸山に到着。峯の薬師入口からのんびり歩いて1時間30分だった。

 

山の神の石祠と石の鳥居がたってる。ベンチがたくさんあって8人ほどが思い思いの場所で休憩中だ。

 

記念写真を撮って、私たちも日当たりのいい丸太ベンチで昼食。

 

ここには木造の東屋が建っているが、老朽化してしまったのか立ち入り禁止になっていた。

 

草戸山は364m。東京都と神奈川県の境であり、八王子市、町田市、相模原市3市の境界、そして町田市の最高地点だそうだ。

休んでいるあいだに、高齢男性3人組や女性の3人組、カップルの男女や単独の女性などが次々にあがってくる。

草戸山は3回目だ。最初は南高尾山稜を歩いてここに来て、帰りはコースを間違えて舘ヶ岡団地の方に出てしまった。

2回目は高尾駅からすぐにこの尾根にとりつき、この草戸山に来て、帰りは峯の薬師にくだった。

今日は、逆にここから高尾をめざす。

 

草戸山から高尾まではうっそうとした針葉樹林となって、少々たいくつしてきた。

 

途中で大きな荷物を背負った男性が現れたので、仲間が声をかけた。

トレーニングのために背負って歩いているそうだ。そしてこの先にダンコウバイが咲いていることを教えてくれた。

 

黄色い花の中低木だが、花が小さくて目立ちにくい。いわれていないと見落としてしまっただろう。

この時は感じなかったが、クロモジの仲間だそうだから、きっといいにおいがするのだろう。

 

きのこにおおわれた枯れ木。

 

あわよくばJR高尾駅までと思っていたが、飽きてきたので四辻で高尾山口へと下って、今回の山歩きは終了。

ほとんどが400m以下という低山コース。からだ慣らしには好適なコースだ。

 

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竹寺の牛頭天王と八坂氏のこと

2024-03-09 09:33:54 | 山の神様仏様

低山を歩いているとたくさんの神や仏と出会う。山の頂上にはたいてい小さな祠が祀られている。道端には地蔵があり、峠や山道では馬頭観音をよくみかける。

このブログでもなんどもふれているが、里山には金比羅山という名の山がたくさんある。実際、その山には金比羅神社か琴平神社が祀られている。

私は信心はしないので神様や仏様そのものにはあまり興味がなかったが、それを祀る人間には興味がある。だれが、何のために祀ったのだろうということ。

 

金比羅山のことを調べてブログにまとめてみたいと思っているがなかなか。

でも、先日歩いた奥武蔵の竹寺に牛頭天王が祀られていたので、山の神とは少しずれるのだが、ここから始めてみようとおもう。

 

飯能市の山奥に竹寺と呼ばれる寺がある。正式には医王山薬壽院八王寺という。ここの祭神が牛頭天王だ。寺の一番奥のお堂に祀られている。

このお堂の脇には木彫りの牛頭天王像がある。

牛頭人身の神様だ。

これをみて私は仏教とともにインドから渡来した仏教守護神だと思っていた。でもインドにはこれに該当する神様はいないらしい。

寺伝によれば、平安初期に関東にやってきた慈覚大師が、疫病に苦しむ民のために牛頭天王を祀ったと伝えている。

祇園さんで有名な京都の八坂神社の主神が牛頭天王。牛頭天王は疫病から民を守ってくれる。そして祇園祭は都で流行していた疫病を鎮めるために始まったそうだ。

もともと八坂神社は、高句麗からの渡来人である伊利之使主を祖とする八坂氏の氏神だそうだ。そして伊利之使主の故郷、韓国の江原道にはソシモリというところがあり、そこに牛頭山という山がある。ソシモリのソは韓国語で牛、モリは頭。これを漢字に置き換えれば牛頭になる。このあたりは上垣外憲一さんの本などを参考にしている。

慈覚大師が招来したという伝えだが、どこにいっても弘法大師がでてくるようにお寺の縁起に教団の祖を引き合いに出すものが多いのであてにならない。

飯能はかつての高麗郡であり、渡来人高麗若光が有名だ。高句麗滅亡によって日本に亡命した高句麗王家の血筋だ。この高麗王若光が武蔵の国に土地を与えられ高麗郡を開いた。このとき、京都に居ついていた八坂氏の一部が、かつての王家の子孫について高麗郡にきて、そこに八坂氏の氏神、牛頭天王を祀ったという可能性はあるだろう。証拠があるわけではないのであくまで可能性、妄想だ。

八坂神社では大みそかにをけら詣りをする。薬草のをけらで火をともし、それを持ち帰ってかまどの火にすると無病息災といわれている。ここから妄想すると八坂氏は、古代から薬草をあつかうことのできる氏族だったのではないか。だから氏神である牛頭天王は疫病退治の神になったのかも。その八坂氏の一部が高麗郡で薬草園を開き、そこに牛頭天王をまつった。そこがのちにお寺となり、医王山薬壽院と号した。ありえないことではない、と思うがいかがだろう。

あくまで妄想なので、この説に固執する気は毛頭ない。でも、山歩きで出会った神仏についてそれを祀った人々をあれこれ妄想するのは楽しいことだ。

 

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赤城山で雪遊び(2012年3月27日)

2024-03-08 11:09:06 | スノーシュー

今朝は雪だ。今週2度目の積雪。

少し前だったら雪山を歩きたくなってうずうずしたところだが、最近はなかなかそうはならない。

寒いからねぇ。で、10年以上前、スノーシューを始めたころの記録を補強して投稿する。

 

2012年2月に裏磐梯で2回目のスノーシューを体験し、スノーシューが欲しくなってしまった私は、ネットで安いものを見つけて購入した。

そうなるとさっそく使ってみたくなって、息子を誘って赤城山の覚満淵周辺を歩いてみることにした。

スノーシューはもちろん1台しかないので、一人はかんじきで、交換しながら歩いた。

 

3月下旬なので暖かく、しかも上天気にめぐまれた。

赤城公園ビジターセンターに車をとめ、まずは覚満淵へむかった。

 

覚満渕は大沼と小沼の間に広がる湿原の沼だ。

結氷していたが、もう3月末なので周辺部で少し足を踏み入れただけで、基本的に岸辺を歩いた。

 

覚満淵から傾斜のゆるい雪の斜面を登って、今は廃止されたケーブルの駅跡がある鳥居峠へ。

 

鳥居峠へのぼる道から覚満淵とその奥に大沼が見渡せる。

 

鳥居峠からは桐生、足利あたりの山々が見渡せた。風もなくていい天気。日当たりのいい南斜面はかなり雪が消えている。

 

見下ろすとかつてのケーブルカーの軌道の跡が。

 

気持ちがいいのでベンチでコーヒーをいれて休憩。

そこからは登山道をたどって小沼の北岸をめざした。

 

小沼の外輪山である小地蔵岳の斜面をトラバースしていく。

 

小沼が見えてきた。結氷して真っ白だ。

 

小沼の畔まで下りてみるか迷ったが、初めてなので無理をせず、小沼の外輪山の稜線つたいに地蔵岳方向に歩いていったん車道に出ることにした。

 

車道の近くで小沼が見渡せるポイントに出た。

そこから道路を渡ったところに小沼駐車場とトイレがある。

 

道のないところも歩いてみようと駐車場のわきの小さな丘陵をこえてみた。

木の影が長くのびた斜面が気持ちいい。

丘をくだって地蔵岳との谷にくだる。そこから夏道をたどって戻ることにした。

 

3月下旬なので雪も固くなって歩きやすかった。

 

今は使われていない小さなスキー場の斜面をくだってビジターセンターへもどった。

 

小さな周回コースだったが、変化に富んでおり、山の眺めも申し分のない良いコースだ。おおよそ3km弱くらい。

このときは初めてだったのでこれで終わりにしたけど、ほかにも小沼の周回や長七郎山などコースが選択できそうだ。それに赤城公園ビジターセンターでスノーシューの貸し出しも始めたそうだ。

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竹寺から子の権現そして飯能アルプスへ(2024年2月28日)

2024-03-03 09:13:50 | 山日記

2月28日、一人で奥武蔵の竹寺、子の権現、飯能アルプスを歩いてきた。

いつものように週間天気予報をにらんでいると、強風大荒れの天気が続いたばかりだというのに木曜日以降また天気がくずれそうだ。

そんなことを口実にまた一人で山歩きというわけ。気が弱い私は、一人で計画することにはついつい口実や言い訳が必要になる。

朝の雑事をかたづけるため少し遅めの出発。歩き始めの名栗の小殿には電車とバスを乗り継いで10時10分の到着。名栗へのバスは久しぶりに乗ったが飯能から長いこと長いこと。

バスに乗っている間、いつもなら次第に期待感が膨らんでくるのに、この日はなんだか意気があがらない。昨夜のお酒も控えめにしておいたのに、朝血圧を測ると上が160もあったのだ。同期の友人がついこの間脳出血で倒れたばかり。なんとなく気にかかる。まっ、歩いてみて気分がよくならないようなら中止して引き返すだけだと思い定めた。

 

小殿でバスを降りる。乗っていた客はそれまでに全部おりていたので、私が最後。この先はお客なしで走ることになる。

バス停の前には閉鎖された公衆トイレと道路の向かいに昭和初期の役場風木造建物が建っていた。

 

少し名郷の方向へ歩くと竹寺への案内があり、登山道がはじまる。

朝が遅かったのでもう10時15分をまわっている。

 

いきなりの急登だ。足元はたくさんの杉の小枝で埋め尽くされている。先日の強風のせいだろう。急坂をゆっくりと登る。

歩き始めても特に気分が悪くなることもない。血圧160という結果が気を重くしていたらしい。

 

しばらく登ると高圧送電線の鉄塔があった。あたりの木が切られていて視界が開ける。

 

名栗川の谷が見渡せ、雪で白くなった奥多摩の山や向かいの山の上の白い観音像が見えた。

 

植えてある木が杉からヒノキへと変わった。ヒノキは粘り気があるので杉のように小枝を落とさないものだが、そのヒノキの小枝がかなり落ちている。これも先日の強風のせいだろうと思いながら歩いた。

 

送電鉄塔のあとは尾根にそった急登が続くが途中からトラバース気味になって傾斜が少しゆるくなり、やがて峠に到着した。ここからは竹寺へと下りとなる。

 

ふとみると尾根にそった道に小さな木の案内板があって、竹寺の鐘楼があると教えてくれていて、しかも「おすすめコース」と書いてあった。せっかくなのでそちらにまわってみることにした。

 

登りつめた小さなピークに鐘楼があった。小殿を出発して小一時間だ。

 

鐘楼のまわりは思ったより広くて、しかも関東平野や奥多摩の山々の大展望が開けていた。これは「おすすめ」の名に恥じないところだ。

しかも鐘は自由につかせてくれる。

 

鐘楼の下も少し広くなっていて神社の祠があった。そしてそこから竹寺までの道もよく整備されていて歩きやすかった。

 

竹寺には初めて来たのだが、山奥にしては広い敷地に建物が点々と建っていて、名のもとになった竹林とともに梅などの花木もたくさん植えてある。

なかなか風情のあるいいところだ。予約すれば精進料理も味わえるらしい。

 

峠を越えて入口とは反対側から入ったので、まず牛頭天王本殿という建物があり、わきの広場の奥にはトイレもある。

牛頭天王はインド発祥の神様で仏教の守護神として日本に伝来したようだ。

 

これが牛頭天王。牛の頭をした神様。インドにはいろんな神様がいるね。

 

本殿殿の前の階段をおりた鳥居には茅の輪がしつらえてあった。

 

そこから右手に紅梅などが咲いた敷地を見下ろしながら坂道を下っていくとめずらしい竹の鳥居があって竹寺の本殿がある。

正式には医王山薬壽院八王寺というらしい。

 

どこからか高い済んだ音が聞こえてくると思ったら竹林の入り口に風鈴がたくさん吊るしてあって風にゆれていた。人の姿はなく静かなものだ。

 

竹寺はなかなかいいところだ。これからの季節は特にいいと思う。

しかし交通が不便で、バスは朝の一便のみ。終点のバス停から40分歩かなくてはならない。元気な人はやはり名栗の小殿から山越えでということになるだろう。

写真を何枚か撮った後、牛頭天王のわきの東屋でおにぎりを一つ食べ、11時35分、子の権現へのハイキングコースにむかった。

 

竹寺からはしばらくトラバースの良い道が続く。次第に高度をあげて尾根にたどりつくと今度は尾根の西側をトラバースしていく。

 

豆口峠についた。ヒノキ林のなかの静かな峠。神送りの行事を紹介した絵看板がたっていた。

峠は村境でもあるので、悪疫などが村に入り込まないようここでいろいろな祭りごとをおこなったらしい。

 

豆口峠をすぎると道は尾根の上をたどる道となりアップダウンをくりかえす。景色が単調なのでやや退屈。

道が北向きから東向きに変わって子の権現が近づいた。

 

山を回り込むようにすすむと鳥居が目にはいった。この上が愛宕山らしい。でもそちらには寄らずに子の権現をめざす。

 

ほんの少しで林道があらわれ、そこに女性のグループが休憩していた。

南東方向に展望が広がり、足元にはフクジュソウが咲いていた。

 

子の権現の人が手入れしているらしく、人が踏みつけないように小さな木の棒がさしてあった。

 

子の権現へは裏口からはいる感じになる。奥は人が住むところらしく、登山道は建物の外周を回り込むようにしてお寺の敷地に入っていった。

ここには正月にグループで来たので2か月ぶり。展望台でもある奥の鐘楼に登る。

新春ハイキングは子の権現へ(2024年1月5日) - 毎日が山のこと (goo.ne.jp)

 

正月の時は見えなかった東京のスカイツリー(写真左奥)や高層ビル群も今日は良く見えていた。

 

だれもいなくなったので鐘楼の石積みに腰を下ろして昼食とした。途中、おなかがすいたのでおにぎりを食べていたのでここではカップラーメンを食べ、その後残ったお湯でコーヒーを入れた。

食事がすんだころ、先ほどの女性グループがあがってきたのでこちらは退散することにした。

13時15分、子の権現を出発。

 

正月の時はここから関東ふれあいの道を歩いて吾野駅へとむかったが、今日は飯能アルプスと呼ばれるようになった尾根道をたどる。

小殿から子の権現までと同じくらいの距離を歩くことになる。それとハイキング地図では、赤の破線で表示されているので道の悪いところがあるのかもしれない。

駐車場の下のカーブの外を覗いてみたら、しっかりした道があり、小さく「飯能アルプス」の看板もあった。

 

歩きはじめると道はなかなかいいではないか。小さなピークは巻いていくので助かる。

15分ほどでスルギというところに出た。すぐ下に岩がある。スルギの意味はわからない。

 

中間あたりから少し尾根がやせてきて細かなアップダウンの繰り返しとなった。

 

子の権現と吾野への下り口前坂とのちょうど中間あたり。稜線を南にそれたところに堂平山という山があるようだ。

 

リョウブという木に大きなコブができていた。

 

 

522mの三等三角点に到着。14時21分だ。少し疲れた。

 

下に大きな石灰採石場がみえる。このあたりから岩まじりとなり、下りはロープがはられた急斜面のところもあった。

 

お地蔵様があった。採石場が尾根の近くまで迫ってきていて、「発破注意」などの看板もあった。

 

行く手に林道が見えてきた。そして14時40分尾根をまたぐ舗装の道に飛び出した。

 

地図を確認すると100mほどその道を歩いてからふたたび山道にはいる。

そこからのわずから登りが疲れた足に響いて足がつりそうになった。

足をだましだまし登り、平になってやっと足がもとに戻った。

ちょっと広い尾根に出てふたたび下ったところが吾野への分岐点、前坂だった。

ここで電車の時刻を確認すると3時15分のあとは55分までない。

ここからは昨年末に天覚山まで歩いたとき通っているのでのんびりとくだった。

便の良いところで年末山行?吾野の天覚山へ - 毎日が山のこと (goo.ne.jp)

 

今回は少し距離を欲張ったコース取りなので疲れた。

駅前の店でビールを買うか迷ったがぐっとこらえて帰路についた。

 

 

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