低山を歩いているとたくさんの神や仏と出会う。山の頂上にはたいてい小さな祠が祀られている。道端には地蔵があり、峠や山道では馬頭観音をよくみかける。
このブログでもなんどもふれているが、里山には金比羅山という名の山がたくさんある。実際、その山には金比羅神社か琴平神社が祀られている。
私は信心はしないので神様や仏様そのものにはあまり興味がなかったが、それを祀る人間には興味がある。だれが、何のために祀ったのだろうということ。
金比羅山のことを調べてブログにまとめてみたいと思っているがなかなか。
でも、先日歩いた奥武蔵の竹寺に牛頭天王が祀られていたので、山の神とは少しずれるのだが、ここから始めてみようとおもう。
飯能市の山奥に竹寺と呼ばれる寺がある。正式には医王山薬壽院八王寺という。ここの祭神が牛頭天王だ。寺の一番奥のお堂に祀られている。
このお堂の脇には木彫りの牛頭天王像がある。
牛頭人身の神様だ。
これをみて私は仏教とともにインドから渡来した仏教守護神だと思っていた。でもインドにはこれに該当する神様はいないらしい。
寺伝によれば、平安初期に関東にやってきた慈覚大師が、疫病に苦しむ民のために牛頭天王を祀ったと伝えている。
祇園さんで有名な京都の八坂神社の主神が牛頭天王。牛頭天王は疫病から民を守ってくれる。そして祇園祭は都で流行していた疫病を鎮めるために始まったそうだ。
もともと八坂神社は、高句麗からの渡来人である伊利之使主を祖とする八坂氏の氏神だそうだ。そして伊利之使主の故郷、韓国の江原道にはソシモリというところがあり、そこに牛頭山という山がある。ソシモリのソは韓国語で牛、モリは頭。これを漢字に置き換えれば牛頭になる。このあたりは上垣外憲一さんの本などを参考にしている。
慈覚大師が招来したという伝えだが、どこにいっても弘法大師がでてくるようにお寺の縁起に教団の祖を引き合いに出すものが多いのであてにならない。
飯能はかつての高麗郡であり、渡来人高麗若光が有名だ。高句麗滅亡によって日本に亡命した高句麗王家の血筋だ。この高麗王若光が武蔵の国に土地を与えられ高麗郡を開いた。このとき、京都に居ついていた八坂氏の一部が、かつての王家の子孫について高麗郡にきて、そこに八坂氏の氏神、牛頭天王を祀ったという可能性はあるだろう。証拠があるわけではないのであくまで可能性、妄想だ。
八坂神社では大みそかにをけら詣りをする。薬草のをけらで火をともし、それを持ち帰ってかまどの火にすると無病息災といわれている。ここから妄想すると八坂氏は、古代から薬草をあつかうことのできる氏族だったのではないか。だから氏神である牛頭天王は疫病退治の神になったのかも。その八坂氏の一部が高麗郡で薬草園を開き、そこに牛頭天王をまつった。そこがのちにお寺となり、医王山薬壽院と号した。ありえないことではない、と思うがいかがだろう。
あくまで妄想なので、この説に固執する気は毛頭ない。でも、山歩きで出会った神仏についてそれを祀った人々をあれこれ妄想するのは楽しいことだ。