まだまだ酷暑が続く9月13日、大菩薩峠を訪れた。
大菩薩は妻とも4回以上登っている。結婚前と結婚後、そして30年前の夏と秋に。
最初の計画は電車とバスを利用するつもりだったが、甲斐大和を出るバスは9月になると平日は運行していなかった。
しかたなくマイカーで出かけた。
上日川峠についてみると平日だというのに駐車場は満杯だった。
これなら平日でもバスを運行できるのではないかと思ったほどだ。
第2駐車場に最後の一台として留められたが、まだ奥には第3駐車場もあるようだ。
今回のコースは、上日川峠から石丸峠、熊沢山をこえ大菩薩峠へ。その後賽の河原から雷岩を経て上日川峠に戻るという計画。
8時38分、上日川峠から下る道へと入る。
ほとんどの人が唐松尾根か大菩薩峠へとむかうので、石丸峠への道は静かだ。
いい雰囲気の落葉樹林のなかの道をたどる。カエデ類も目に付くので10月下旬には紅葉が楽しめそうだ。
30分ほど歩くと日川の上流部にあたる沢をわたる。
ここから小屋平にむかって登り返す。
登りになるととたんに汗が噴き出してきた。
標高1500m付近なのでそれほど暑くはないのだが、この日は湿度が高くムシムシとしていた。
上日川峠を出発して50分弱で小屋平のバス停に到着。
汗をぬぐって一休み。
ここが石丸峠への入り口。バスならここから歩き始められる。
バスの通るこの道から120mほど上の林道までは少し急な登りになってまた汗まみれになった。
標高1700m付近をはしる林道に出るとそこから今回初めてで最後となった富士山の姿が。
林道から石丸峠へと向かう道はカラマツ林の中のとても気分のいい道だ。
少しづつ少しづつ高度をあげていく。
カラマツ林を抜けると眼下に大菩薩湖が見えてきた。
上日川ダムによってできたダム湖だ。
そして富士山のみえた林道からおおよそ1時間で石丸峠だ。
1900mを越えていて笹原の広がる広々とした峠なので風が吹き抜けてとても気持ちがいい。
ここは小屋平から牛の寝通りへむかう道と大菩薩峠から小金沢連嶺を縦走する道との十字路になっている。
ここで軽く食事休憩。
日向で休んでいても少しも暑くはない。
ここから大菩薩峠との間にある熊沢山を越える。
途中から峠を振り返る。こうしてみてもなかなかいい峠だ。
雁坂峠の雄大さにはとても及ばないが、こじんまりとしてとてもいいところだと思う。
熊沢山は石丸峠からの南面と大菩薩峠にむかう北面では雰囲気がガラッとかわる。
北面はコメツガなどが生えていて奥秩父の原生林の雰囲気がある。
倒木にはキノコが生え、
岩には苔がついている。
こんな青みを帯びたサルノコシカケの一種を見かけた。
40分くらいで熊沢山を越えて、大菩薩峠にある介山荘の建物だ。
建物の間を抜けると大菩薩峠の標識が。
茶色の木の柱は今年7月に建て替えられたものらしい。
ちょうど12時になったのでここで本格的に昼食タイム。
眼下の大菩薩湖は良く見えているのだが、上空には青空が広がっていても目の高さには雲があって富士山は見えなかった。
峠のかたわらには五輪塔。
親不知の頭への登り道にはリンドウが咲いていた。
親不知の頭から見下ろした賽の河原。
ここが本来の大菩薩峠だ。江戸時代には甲州裏街道(青梅街道)がここを越えていた。
賽の河原の避難小屋とその付近にたくさんの石積が。
今日はこの地の石積みの一つに妻を偲んで石を積み、遺灰をほんの少しまかせてもらった。
さていよいよ雷岩にむかって最後の登りへと進もうとしたら同行のメンバーがここから下ろうといいだした。
暑さで少し疲れてしまったようだ。
そこでまだ歩いたことがない江戸時代の旧道を富士見平へと下ってみることにした。
賽の河原の避難小屋の裏が旧道の入り口だ。
馬の背に荷物をつんでぽくぽくと歩いていたのだろう。
とても歩きやすくていい道だった。
江戸時代の旅人はこんな角度で大菩薩嶺を仰ぎ見ていたのだろう。
途中には湧水や沢もあってのどを潤せる。
そして40分で富士見平に到着。
登山道を歩いていた人が旧道から出てきた私たちを振り返ってみていた。
今は使われていないらしい富士見小屋。
ほんの少し歩くと福ちゃん荘。
あとは山道ではなく舗装の道を使って上日川峠へ。
午後2時10分、無事上日川峠に帰ることができた。
最後に今回歩いたコースを地図で示しておく。
この日はやまと天目山温泉によって汗を流して帰宅したが、途中高速道が事故渋滞となりひどい目にあってしまった。