毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

妻と歩いた夏の八方尾根(2010年8月4日)

2024-06-27 10:51:33 | 山日記

八方尾根は白馬村の中でも人気ナンバー1の有名観光地だ。

標高1850mの八方池山荘までゴンドラとリフトを使って楽々あがれる。

そこから標高2000mを越える八方池までは、樹木の生えていない展望抜群の尾根道が続く。

八方池付近までは蛇紋岩地帯だからだ。

夏ならば高山植物の宝庫でもあり、ここの固有種も豊富だという。

そこを妻と二人で歩いた夏の八方尾根ハイキングを投稿しよう。

 

埼玉から私の運転する車で白馬村へ。午後からゴンドラとリフトを使って八方尾根にあがった。

この日はいい天気ではあったが、やはり午後になると3000mの稜線は雲に隠れてしまっていた。

 

まずは尾根通しの岩まじりの道を登る。

目の下にリフト終点と八方池山荘。高い樹木がないのではるか下界までみはらせる素晴らしい展望だ。

 

8月のはじめなのでたくさんの高山植物が咲いていた。

バックに山を取り込んだりできるので楽しく写真を撮っていった。

 

八方池までは大した距離ではないのでのんびりと花を写しながら歩く。

 

これはハッポウウスユキソウらしい。

八方尾根の固有種といわれる。ミネウスユキソウと似ているが、葉が細いのが特徴らしい。

 

オオバギボウシ。

 

これもハッポウウスユキソウ。

 

マツムシソウ。

 

ツリガネニンジン。

 

またまたハッポウウスユキソウ。

繊細な姿がなかなか絵になる。

 

目の前に白馬三山が姿を見せているのだけど、残念ながら稜線は夏の雲に隠されている。

 

石神井ケルン、別名八方山ケルンの手前のピークまで登ってきた。

尾根がゆるやかにカーブしているので、見下ろした景色が絵になる。

 

山の方は雲が多いので、妻は白馬村をみおろしながらスケッチをはじめた。

お湯を沸かしてコーヒーを入れた。

 

ヨツバシオガマ。

 

八方池についたけど、山を写しこもうにも姿を見せてくれない。

しかたなく池のほとりに咲くニッコウキスゲを写す。

上空は青空なんだけどなあ。

しばらく休んで引き返した。

 

下りは尾根筋からはずれるコースを選んで歩いた。

八方山付近も南斜面の湿地帯をめぐる木道のコースを歩き、そこにはキンコウカが咲いていた。

 

八方池山荘をすぎて、二つあるリフトの上の方はつかわずに脇を歩いて下った。

気持ちの良い半日ハイキングだった。

この日はゴンドラ駅から歩いて15分ほどの旅館に泊まった。

翌日もいい天気だったので青木湖など仁科三湖周辺をドライブしながら帰路についた。

終わってから気が付いたのだが、初日に観光ドライブして、翌日午前中に八方尾根をハイキングすべきだった。

そうすれば白馬三山の展望も満喫できただろう。

今度行くときはそうしようと思う。

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父母と子ども2人を連れて木曽駒ケ岳(1981年8月24日)

2024-06-02 15:41:42 | 山日記

父母とまだ小さかった子どもたちを連れて木曽駒が岳に登ったときの写真を探してデジタル化した。

1981年8月24日と25日にかけ、今の宝剣山荘に泊まって宝剣岳と木曽駒ヶ岳を歩いた。

2日目の写真はないと思って投稿していたが、見つかったので訂正して再投稿した。

 

飯田線の電車の前で記念撮影。

 

この時の父は68歳、母は63歳。今の私よりずっと若い。

子どもたちはこの前年、1980年8月に奥多摩の大岳山に、その年の暮れには高尾山を高尾山口から相模湖までのコースで連れて行っていた。

 

子どもたちは、山登りより電車に乗れることの方がうれしそうだったけど。

 

飯田線から伊那谷の車窓風景。

 

カモシカのはく製の前で。たぶんロープウェーの駅だったと思う。

このころはすでに中央自動車道が完成していたが、萱の台のバスセンターなどはなく、駒ヶ根駅からバスでしらび平のロープウェー駅にむかったと記憶している。

 

夏の千畳敷はたくさんの観光客がいた。

中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイは1967年の開通で、千畳敷駅は標高2612mだそうだ。

 

宝剣岳をバックに父母と私。妻は3人目の赤ん坊がいたので留守番をしていた。

 

38歳。今が76歳だからちょうど半分だったんだね。

 

宝剣岳とこれから歩く乗越浄土への道。

 

奥の建物はロープウェー駅に並んで立つホテル千畳敷。ここで長袖シャツをだして着せた。

 

子どもたちは普段着のまま。山用の服なんて用意してなかった。

もちろん防寒着などの着替えは私のリュックに入っている。

 

道端に大きな石を見つけては登ってみていた。

お花よりそっちのほうが楽しいもの。

 

宝剣岳の岩峰の下で小休止。このころは父より母の方が体力があった。母は若いころは少し体が弱い感じだったが、年取ってからの方が元気だった。

父は若いころに気がつかないうちに結核にかかっていたらしく、その後肺の機能が低下して80台後半のころには酸素を使っていた。

 

乗越浄土から千畳敷を見下ろす。奥の山は空木岳。

 

乗越浄土で休憩。父には最後の登りがかなりこたえたようだった。

このころからすでに肺の機能が少し低下していたのかもしれない。

 

乗越浄土からはすぐそばに宝剣山荘が見えている。

 

宿泊した宝剣山荘。40年以上前の写真だけど10年くらい前に泊まった時とあまり変わらない感じだ。

子どもたちは山用に長ズボンに着替え、ジャンパーを用意してこれから私と宝剣岳へ。

父母は小屋で休憩。

 

宝剣岳への途中にある天狗岩。

ほんとうに誰かが彫ったのかと思えるほど天狗の面を思わせる。

 

子どもたちは岩場を歩くのが面白くて楽しそうだった。

 

鎖場を登る子どもたち。

面白いものだからどんどん先に行こうとするのでちょっとはらはらすることも。

 

山頂直下で。

 

宝剣岳山頂(2931m)の岩峰の前で。

 

岩峰のてっぺんに座る私と子どもたち。

 

さて翌日もいい天気だった。

 

夜明けの雲海を撮影。奥には富士山が見えている。

子どもたちはジャンパーを着て出てきたが、「寒い~」とまた小屋に駆け戻ってしまった。

朝日が昇り始めて雲海がばら色に染まっていったが、なんとそこでフィルムが終わってしまった。

そんなわけで2日目の木曽駒ヶ岳の写真はない・・・。

 

と思ったら見つかった。フィルム買わないわけないよね。

別のアルバムに張り込んであった。

 

2日目、宝剣山荘をあとに中ノ岳へとむかう。

 

木曽駒が岳山頂到着。

 

下の子が撮影した写真。

 

山頂から西駒山荘方向の尾根をくだって濃ヶ池へ。ここからふたたび奥に見えるカールの底を登り返す。

 

親父はそうとうへばっていたが無事歩きとおして満足そうだ。

親父は68歳、おふくろは63歳だったことになる。

木曽駒には、これから32年後高齢者仲間と登ったが、その時はガスと強風であまり展望は得られなかった。

 

 

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