毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

シーズン別インデックス

2024-11-06 09:27:30 | 山日記

●1月

1月 3日 袖平山と姫次(2021年1月3日)

1月 4日 新年に6人で日の出山へ(2023年1月4日)

1月 5日 新春ハイキングは子の権現へ(2024年1月5日)

1月 6日 雪の筑波山(2022年1月6日)

1月12日 冬の陣馬山から景信山へ(2015年1月12日)

1月13日 経ヶ岳から仏果山、高取山(2021年1月13日)

1月14日 唐沢山で軽ハイキング(2022年1月14日)

1月17日 足慣らしに日和田山から物見山へ(2024年1月17日)

1月28日 笹尾根(笛吹峠~浅間峠)2022年1月28日

●2月

2月 1日 関八州見晴らし台へ黒山三滝から(2023年2月1日)

2月 3日 雪の小仏城山から高尾山(2016年2月3日)

2月 5日 静けさ求めて父不見山へ(2021年2月5日)

2月12日 早春の里山、五日市金毘羅山(2020年2月12日)

2月12日 戸隠高原古池スノーシュー(2014年2月12日)

2月14日 鶏頂山弁天沼スノーシュー(2018年2月14日)

2月15日 越生の大高取山へみんなで(2023年2月15日)

2月15日 裏磐梯五色沼でスノーシュー(2012年2月15日)

2月16日 雪の奥多摩御前山(2022年2月16日)

2月17日 奥武蔵の大霧山へ(2024年2月17日)

2月22日 足利の裏山天狗山と両崖山(2019年2月22日)

2月25日 赤城山で雪遊び(2,022年2月25日)

●3月

3月 4日 小川町仙元山から小倉城跡へ(2022年3月4日)

3月 9日 もう雪が無かった八方ヶ原大間々台

3月16日 雪の赤城山、黒檜山(2016年3月16日)

3月16日 湯の丸高原池の平スノーシュー(2017年3月16日)

3月21日 久しぶりの棒ノ嶺から奥多摩岩茸石山へ(2022年3月21日)

3月21日 奥武蔵(新柵山~ブナ峠~飯盛峠~大築山)周回ハイキング(2021年3月21日)

3月23日 嬬恋野地平スノーシュー(2018年3月23日)

3月24日 静かな小仏城山、景信山を歩く(2021年3月24日)

3月29日 籠ノ登山と池の平湿原(2014年3月29日)

3月31日 アカヤシオの仙人ヶ岳から赤雪山へ(2021年3月31日)

●4月

4月 4日 鳥沢駅から高畑山、倉岳山をめぐって梁川駅へ春の山旅(2018年4月4日)

4月 8日 スミレたくさんの雨乞山から陣見山へ(2022年4月8日)

4月11日 御岳駅から大塚山・御岳山・日ノ出山をひとまわり(2021年4月11日)

4月14日 中学生も連れて三頭山へ(2024年4月14日)

4月16日 新緑とヤマザクラの小渕丘陵鷹取山(2022年4月16日)

4月22日 花が咲き乱れる山里ユガテ(2014年4月22日)

4月28日 小金沢連嶺縦走(2018年4月28日)

4月28日 飯縄山(2022年4月28日)

4月29日 久しぶりの高水三山(2023年4月29日)

4月29日 初夏の陣馬山(2015年4月29日)

4月30日 アカヤシオ満開、前日光薬師岳、夕日岳(2016年4月30日)

●5月

5月 1日 妹ヶ谷不動から東御荷鉾山(2020年5月1日)

5月 1日 ヤシオツツジ咲く岩峰、西上州三ッ岩岳(2008年5月1日)

5月 2日 新雪の天狗岳から硫黄岳(1980年5月2日)

5月 2日  荒船不動から荒船山へ(2021年5月2日)

5月 4日 三頭山(大茅尾根から・2017年5月4日)

5月 4日 中央線猿橋から権現山へ(2023年5月4日)

5月 4日 愛鷹山最高峰越前岳(2022年5月4日)

5月 4日 残雪の守門岳(2001年5月4日)

5月10日 運動不足解消に大高取山へ(2023年5月10日)

5月12日 ひっヒルが出た!飯山白山(2023年5月12日)

5月15日 甲武信岳 (1986年5月15日・16日)

5月17日 植生豊かな初夏の茂来山(2023年5月17日)

5月18日 ようやく御座山に登ってきた(2022年5月18日)

5月22日 笹子雁が腹摺山(2015年5月22日)

5月24日 コアジサイを探しに越生へ(2023年5月24日)

5月25日 四尾連湖から蛾ヶ岳(ひるがたけ)へ(2022年5月25日)

5月27日 コアジサイロードには早かった堂平山(2023年5月27日)

5月29日 今は使われていない信仰の道で両神山西岳へ(2020年5月29日)

5月31日 道志の森キャンプ場から畦ヶ丸山へ(2006年5月31日)

●6月

6月 7日 雨上がりの鶴寝山、奈良倉山(2023年6月7日)

6月 7日 新緑の武尊山(2003年6月7日)

6月13日 榛名神社から掃部ヶ岳、杏ヶ岳周回(2019年6月13日)

6月13日 栃木の晃石山(2018年6月13日)

6月21日 大山、日向薬師から蓑毛まで(2023年6月21日)

6月22日 6月の八幡平(2018年6月22日)

6月24日 花盛り、6月の秋田駒ケ岳(2018年6月24日)

6月25日 乳頭山の田代平へ(2018年6月25日)

6月30日 雨上がりの戦場ヶ原(2023年6月30日)

●7月

7月 2日 妻と夏の大菩薩へ(1995年7月2日)

7月 7日 暑さと痛みの川苔山(2023年7月7日)

7月15日 鳳凰三山の前衛、千頭星山(2020年7月15日)

7月19日 白馬岳から八方尾根へ(1975年7月19日~20日)

7月22日 涼しかったけどガス、赤城鍋割山(2023年7月22日)

7月25日 鍵掛峠から王岳へ(2022年7月25日)

7月25日 兄と登った奥穂高岳(2010年7月25日~27日)

7月28日 雷雨に遭遇、北八ヶ岳ニュウ(2023年7月28日)

7月31日 野呂川から間ノ岳・北岳へ(2017年7月31日~8月2日)

●8月

8月 2日 暑さを避けて赤城山地蔵岳でリハビリ登山(2023年8月2日)

8月 3日 もう一度行きたい火打山、2回目のときの記録(2011年8月3日~4日)

8月 4日 北八ヶ岳のにゅうへ(2006年8月4日)

8月 6日 赤城山地蔵岳(2022年8月6日)

8月 7日 またも常念に嫌われ北八ヶ岳天狗岳へ(2024年8月7日)1日目

8月 8日 天狗岳2日目(2024年8月8日)

8月 8日 荒川三山赤石岳①(2016年8月8日)

8月 9日 荒川三山赤石岳②(2016年8月9日・10日)

8月10日 大失敗で目標変更、美ケ原近くの三峰山へ(2022年8月10日)

8月11日 暑かった山の日の谷川岳(2023年8月11日)

8月11日 コロナ禍の白馬岳、第1日白馬大池まで(2020年8月11日)

8月12日 コロナ禍の白馬岳、雨になってしまった第2日(2020年8月12日)

8月12日 富士山、吉田口を六合目から山下り(2011年8月12日)

8月12日 鳥海山と月山(2019年8月11日~13日)前半

8月13日 鳥海山と月山(2019年8月11日~13日)後半

8月13日 立山と奥大日岳(2018年8月13・14日)

8月14日 若い人と甲斐駒ヶ岳へ(2016年8月14日・15日)

8月19日 戦場ヶ原散策のち雷雨(2023年8月19日)

8月19日 快晴の浅間山(前掛山)2022年8月19日

8月    表銀座から槍ヶ岳へ(1978年8月)

8月    43年前の蝶ヶ岳と穂高岳の写真発見(1979年8月)

8月25日 絶好天の男体山(2023年8月25日)

8月27日 ダケブキ大群落、28年前の日光白根山(1995年8月27日)

8月28日 宝永山(2021年8月28日)

8月29日 八ヶ岳(赤岳・横岳)縦走(2006年8月29日・30日)

●9月

9月 6日 前武尊山(2024年9月6日)

9月12日 磐梯山(2018年9月12日)

9月13日 石丸峠から旧大菩薩峠へ(2024年9月13日)

9月21日 新潟の大源太山(2015年9月21日)

9月28日 ガスと強風の蔵王熊野岳(2020年9月28日)

9月29日 朝日岳と三本槍岳(2017年9月29日)

9月30日 いにしえの信仰登山の道から三ッ峠山(2016年9月30日)

9月30日 妻姉妹3人を連れて秋の大菩薩へ(1995年9月30日)

●10月

10月 1日 秋の日光白根山(2014年10月1日)

10月 2日 緊急事態解除後の那須茶臼岳(2021年10月2日)

10月 2日 会津駒ヶ岳登山(2018年10月2日・3日)

10月 8日 多彩な落葉樹の森をぬけ黒川鶏冠山へ(2021年10月8日)

10月13日 花見ヶ原森林公園から赤城山(2020年10月13日)

10月13日 沼原から南月山(那須)(2013年10月13日)

10月14日 霧久保沢コースで茂来山へ(2022年10月14日)

10月18日 2か月ぶりの山歩きで本社ヶ丸へ(2023年10月18日)

10月19日 三つ峠でリハビリ(2022年10月19日)

10月19日 紅葉と岩の前武尊山(2006年10月19日)

10月19日 秋の尾瀬笠ヶ岳へ(2015年10月19日)

10月25日 紅葉真っ盛りの尼ヶ禿山とブナ平(2020年10月25日)

10月26日 紅葉すすむ前袈裟丸山(2022年10月26日)

10月27日 秋深し南牧村星尾から荒船山(1996年10月27日)

10月30日 榛名神社から榛名湖へ紅葉の森を歩く(2020年10月30日)

●11月

11月 1日 日留賀岳(2019年11月1日)

11月 8日 東尾根から伊豆ヶ岳へ(11月8日)

11月 9日 山梨の日向山へ(2022年11月9日)

11月12日 思ったよりきつい九鬼山(2021年11月12日)

11月13日 和紙の里から官ノ倉山(11月13日)

11月16日 奥武蔵の笠山と堂平山(2022年11月16日)

11月16日 奥武蔵、大霧山(2024年11月16日)

11月18日 瑞牆山(2020年11月18日)

11月22日 妻を誘って多峯主山へ(2023年11月22日)

11月24日 額縁の富士山倉見山(2021年11月24日)

11月25日 寂尚尾根から登る滝子山(1992年11月25日)

11月27日 旧正丸峠からツツジ山(2022年11月27日)

11月29日 晩秋の城峰山、男衾登山口から南尾根へ(2023年11月29日)

11月29日 旧秩父往還と四寸道(高山街道)を歩く(2020年11月29日)

●12月

12月 4日 西上州の岩山毛無岩(2003年12月4日)

12月 4日 武川岳(2021年12月4日)

12月 6日 奥武蔵の展望台、弓立山(2023年12月6日)

12月 6日 大蔵高丸とハマイバ丸(2004年12月6日)

12月 7日 上野原の不老山(2022年12月7日)

12月11日 風布のみかん山周辺(2020年12月11日)

12月16日 寒かった山梨の小楢山―琴川ダムから(2020年12月16日)

12月23日 富士山展望の一等地、百蔵山へ(1995年12月23日)

12月24日 秩父の名峰武甲山から大持山へ(2016年12月24日)

12月25日 飛龍山(2005年12月25日)

12月27日 高取山と仏果山(2020年12月27日)

12月27日 西御荷鉾山(2019年12月27日)

12月28日 石灰岩の岩山小鹿野の二子山(1997年12月28日)

12月29日 途中までの明神ヶ岳年末山行(2021年12月29日)

12月29日 妻をつれて足利の両崖山へ(2022年12月29日)

12月29日 鼻曲山(2017年12月29日)

12月30日 赤鞍ヶ岳から菜畑山(2014年12月30日)

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地理院の地図に誤り発見

2024-05-03 15:48:06 | 山日記

先日投稿した百蔵山に登ったころの話し。

そのころ山に出かけるときは国土地理院の5万分の1の地形図を使用していた。

今はほとんど2万5千分の1を利用しているが、そのころは発行されているエリアも限定されていた。

百蔵山は5万分の1地形図の「都留」図幅にはいる。右上の隅の方だ。

私の図幅は、明治21年測量、昭和48年編集のものなのだが、この地図では百蔵山の百の字のふりがなが「とつ」となっていた。

拡大した写真をご覧いただきたい。

権威ある国土地理院の地図なので、私は歴史的理由があって「とつくらやま」と呼ばれているのかと思った。

でも、ほかではそういう呼び方を目にしないし、耳にもしない。

そのうち2万5千分の1が主流になったので「大月」図幅を買ってみたら、なんのことはない百の字には「もも」とフリガナがふってある。間違いだったのだ。

なんで間違えたのか推理してみた。

当時のことなので原稿は手書きだったろう。そしてひらがなの「も」は手書きすると「と」に見えることがある。

それから「もも」と書くのを繰り返しを示す「ゝ」を使って「もゝ」と書く場合がある。

すると手書きの「もゝ」を「とつ」と読み違える可能性がある。

おそらくそんなことがあって、校正段階で見落とされ「百(とつ)蔵山」となったのだろう。

この地図は今でも持っている。このころ歩いたルートが赤鉛筆で線引きされているので私にとって貴重な記録なのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤシオツツジ咲く岩峰、西上州三ッ岩岳(2008年5月1日)

2024-04-24 15:45:58 | 山日記

まもなくゴールデンウィーク。花と新緑の季節だ。

今回は2008年、今から14年前に登った西上州、南牧村にある三ッ岩岳を紹介しよう。

この山に初めて登ったのはそのまた5年前、2003年の5月2日。この日はすばらしい天気で、山頂直下の岩場に咲き乱れるアカヤシオと西上州の山のいい写真が撮れた。

 

これがその時の写真。

このすばらしい景色を妻にも見せたいと思って5年後の5月1日に訪れたのだ。

 

三ッ岩岳があるのは、下仁田から南牧村に入り、村役場の近くから県道をはずれて南の大仁田川の谷にはいる。

谷を詰めたところに大仁田ダムがあり、そのダムの下が登山口だ。

 

ダムの下はきれいに整備され、駐車場やトイレもある。

 

登山道の入り口には、天狗の面をまつった祠がある。

10時11分出発。

 

季節なのでたくさんの花が見られた。

 

あれ、これは先日の三頭山でみたハシリドコロみたい、と思って調べるとやはりそうだった。

三頭山のところでは見たことがないと書いてしまったが、ちゃんと見て写真にも撮ってあった。

このころは写真に撮っても、ちゃんと名前を調べていなかったなぁ。グーグルレンズみたいな便利なものもなかったし。

 

急な沢筋を登りつめていく。

 

40分ほどで稜線に出た。

 

ヤマツツジあるいはミツバツツジ?はまだつぼみ。

 

木の根でおおわれた尾根道。

 

カタクリを見つけた。

 

そして足元に岩があらわれはじめるとお待ちかねアカヤシオが姿を現す。

 

ワチガイソウの仲間、ワダソウというらしい。これもこの当時は調べられず名前がわからなかった。

 

カエデの新緑。秋にはきれいな紅葉をみせてくれるのだろうね。

 

これはシロヤシロか、それともヒカゲツツジ? 

わからないので他の人のレポを見るとヒカゲツツジと紹介してあった。

 

山頂が近づいて、岩が増えるとともに赤白入り乱れたヤシオツツジの天国へ。

 

5年前のような抜けるような晴天とはいかなかった。でも曇りの日の新緑もやわらいでなかなか素敵だ。

 

ここが最初の写真を撮ったスポット。

今回もヤシオツツジは満開ですばらしいが、残念ながら遠景がない。

 

登り始めて1時間40分で1032mの山頂。

目の前には西上州らしい岩峰が。山水画の世界だ。

 

見下ろす山の斜面は、淡い緑から黄色や白までの水彩画の世界。

 

ゆっくり休んでから下山開始。くだりは別のコースを使う。

 

春霞に溶けた山々と新緑。

 

下から山頂を見上げる。ほんとうにたくさんのアカヤシオだ。

 

下山に使ったコースは岩が多い。

尾根を外れて下りだすと足元がすべるような急斜面が続いた。

 

その途中の巨大な岩の根元に祠がまつられていた。

 

竜王大権現と書いてあった。

地元の南牧村の人々が雨乞をするために祀っていたものだろう。

 

朽ち錆びた鉄剣が奉納されていた。これはかなり古いもののようだ。

 

竜王大権現の祠からも急な下りが続いた。

 

 

途中でのぼりの道に合流し、登山口に戻ったのは2時半近くだった。

他の季節にも来たことがあるけど、やはりここはこの時期が最高だろう。

こうやって記録をまとめていると今年も行ってみたくなった。でも無理だろうな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絶好天の男体山(2023年8月25日)

2023-08-26 19:26:07 | 山日記

8月25日、好天を見定めて、日光の男体山に登ってきた。

ここの所、猛暑とあって連日あちらこちらで雷雨が起こっている。

でも昨日はかなり安定した晴れが期待できた。

男体山は初めて。これまで何度も候補にあげてきたのに、その都度ほかにまだ登っていないいい山があると後回しにしてきた。

実のところ少しビビッていたのだ。

 

朝4時起きで4時半には埼玉を出発。中宮祠には7時ちょうどについた。

二荒山神社の登山者用駐車スペースは満杯。

でもよく見るとその奥の参集殿の駐車場が登山者の臨時の駐車場とされていたのでそこに駐車した。

 

 

まずは受付で1000円支払う。男体山登山と記された守護札を渡される。つまり入山料。

 

ここは朝6時に開かれるそうだ。

 

いきなり階段! 最初は広い山すそをゆっくりと歩けるのだと思っていた。

社殿の敷地を確保するために平地を切り開いた分、最初は階段になってしまうということだろう。

 

男体山は、最初から最後まで登り。3合目と4合目のあいだの治山道路を歩く部分を除けば終始直登だ。

だからなんとなく後回しにしてきた。でも後期高齢者となってしまったので、登るなら今のうちだ。

 

笹におおわれた斜面に原生林の森が広がる。割と見通しのいい森だ。

最近登った赤城山地蔵岳の北斜面とよく似ている。

 

出発点の二荒山神社が標高1275mくらい。山頂が2486mだから標高差1211mをひたすら登り続ける。

木の葉が日差しを遮ってくれるので涼しくて気持ちがいい。

 

7時15分に登り始め、35分にこの2合目の石碑の脇を通った。

最初はここが1合目だと思って、ここにもそう書いていたが、1合目は階段が終わって山道に入るところにあるそうだ。

 

さらに10分ちょっと歩くと、苔むした土留めの石垣が現れた。

 

そのすぐ上で治山工事の舗装道路にでた。

ここから4合目までこの道を歩く。

 

朝日がさしこむ木陰の道。

 

白い花がたくさん咲いていた。

野菊はみんな似通っているが、こないだ名前を覚えたシロヨメナに似ていると思う。

 

道路の折り返し点のひとつからようやく中禅寺湖の一部を見下ろすことができた。

 

アキノキリンソウらしい花もたくさん咲いていた。

 

針葉樹が多い原生林の中にダケカンバが顔を出した。

標高は1600mを超えたはずだ。

 

8時13分。4合目の登山口についた。

ここからふたたび直登が連続する山道を登る。

 

そこで水分補給と羊羹をたべて急登にそなえた休憩をとった。

その間に、次々と登山者が登ってくる。外人さんの姿も何組かあった。

 

7分ほど休憩して、いよいよ岩々の山道に踏み込んだ。

いやいや、なかなかの急登だ。けど、標高が高いので涼しさに助けられる。

 

20分ほど登ると五合目と書かれた建物があった。

急な雨位は避けられる避難小屋を兼ねたものだろう。

 

こちらは立派な石碑。草に埋もれかけているので歩くコースによっては気が付かないかもしれない。

 

岩が大きくなってきて足元に集中する必要があるが、時々青空を映した中禅寺湖が見える。

 

ちょっとめだつ岩場があった。このあたりが6合目だろうか。

 

湖が見えそうだが、残念ながら木に邪魔されていた。

 

このあたりからヤマハハコが姿を見せ始めた。

 

タデ科の花も。

 

さらに登ると湖を見下ろす角度がだいぶ違ってきた。

それだけ高く登ってきたのだ。

 

9時33分、七合目の建物に到着。五合目から1時間近くかかってしまった。

歩きにくい岩場の連続でペースがあがらない。

いやいや私はこういうところで無理をするとあとで足がつってしまうので自分のペースを守るしかない。

 

ここにも建物の近くに七合目の立派な石碑。

 

ヤマハハコと岩々の道。

 

10時5分。鉄製の鳥居をくぐる。

 

その近くの朽木にりっぱなきのこ。

近くの倒木の陰には手のひらサイズのものもあった。

 

鳥居から10分ほど登ると社殿らしい建物があらわれた。

 

八合目の滝尾神社だった。

滝尾神社は東照宮の裏手にあるが、ご神体山の男体山にはいろいろな神さんが祀られているようだ。

 

岩の割れ目の中にも小さな祠が祀られていた。

 

八合目をすぎて少し登ると急に周囲の雰囲気が変わってきた。

岩に替わって火山性の砂礫があらわれた。

 

傾斜はこれまでよりゆるくなったが、土留めをかねた木の階段や土嚢などがたくさん。

 

その途中にある九合目の石碑。実は登りでは見落として気づかず、帰りに写したもの。

 

このあたりまでくれば展望が開けると期待していたけど、あいかわらず周囲は針葉樹の樹林。

 

いよいよあたりの木も背が低くなってきた。山頂は近いぞ。

 

やあ、ようやく戦場ヶ原が見えたぞ。

 

その向こうには、関東以北最高峰の日光白根山。

まだこのブログでは紹介していないけれど、この山も2回登っている。

いい山だ。

 

振り返ると赤茶けた山体と樹林をこして中禅寺湖やその向こうの半月山が見えている。

 

山頂の左手には太郎山神社らしい建物とそこに向かう人影も見えた。

あと一息だ。

 

溶岩の塊がごろごろした赤い砂礫を踏んで山頂へ向かう。

 

着いたぞ。山頂の二荒山神社の鳥居と社殿の覆いがみえる。

 

鳥居をくぐって社殿の前へ。11時10分。出発から4時間弱だった。

地図のコースタイムでは3時間50分なので、まあまあのペースだった。

何人にも追い越されたので、後半はだいぶ遅れていると思っていた。

でもこの日は早起きした割には体調もよくてあまり苦しいとは感じていなかった。

 

広い山頂の一角に立つ二荒山大神のブロンズ像。

 

中禅寺湖とその奥に千手ヶ浜、西ノ湖。

 

残念ながら日光白根山には雲がかかってしまった。左側の山は宿堂坊山かな。

 

岩にカメラを置いて自撮りで記念撮影。

 

まずは太郎山神社に行ってみた。

途中から男体山の最高点をパチリ。最高点には大きな剣が立てられている。

この写真の右手の岩の上。

 

男体山の噴火口を囲む外輪山の一角にある太郎山神社。

中禅寺湖や戦場ヶ原北部が見渡せる。

 

その途中で、それまで山頂を隠していたお隣の太郎山が全身をあらわした。

戦場ヶ原散策以来、日光づいているので、ついでに太朗山にも登ってみたいな。

 

ここからは中禅寺湖のほぼ全体が見える。

 

男体山を振り返る。

 

男体山の爆裂火口壁と太郎山。

男体山は、火口の北側が崩壊しているので火口を一周することはできない。

 

さて今度は三角点と剣がある最高地点へ。

でもこんな広いところなのに油断してころんで腕に擦り傷をつくってしまった。反省。

 

剣を写真に撮ってみたが。青空に溶け込んで見えにくい。

 

三角点のある北側に回り込んでシルエットにしてみた。

これなら形がはっきりわかる。

 

ついでに三角点も。三角点は2484.2mだ。

ちなみに、剣のある最高点は2486m。

 

三角点付近からは戦場ヶ原北部の光徳牧場や付近にあるホテルなどが見える。

左の尾根の鞍部は金精峠。そこから温泉ヶ岳などの山々。

その手前は、湯ノ湖と光徳牧場のあいだにある三岳と呼ばれる溶岩ドーム(だろう)の連なり。

周囲の山には積雲がかかっているが、男体山の上には雲がない。

それに入道雲はどこにも見当たらない。

 

めずらしく開花しているリンドウを発見。

 

これは山頂の一角から華厳の滝付近をみおろしたもの。

少し雲がわいてきて、こちらに近づいてきた。

 

でも、下山をはじめるまで、男体山の山頂は晴れていた。

帰りの東北道でも見回してみて関東平野周辺には、丹沢方面にやや高い雲が見えただけで、あとは青空に綿雲があるばかり。

今回は天気の狙いもずばりあたり、体調もよくて気持ちのよい山歩きとなった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑さを避けて赤城山地蔵岳でリハビリ登山(2023年8月2日)

2023-08-04 11:05:40 | 山日記

先日登った赤城山の鍋割山の写真をLineで送ったら、兄から、赤城山なら登れそうだから連れていけとの依頼。

兄はリハビリ中だが、最近は高尾山などに一人で出かけているという。

今は低山は暑すぎて体によくないが、赤城山なら大丈夫だろうと。

大沼で1300mを超えているから、そこから地蔵岳なら涼しいはず。

どうせならと一人暮らしの娘を誘ったら行くという返事。

朝7時半に近くの駅に集合してもらい、私の車で出発。

 

10時30分、ほぼ予定通りに到着。

いい天気で、しかも上空に適度に雲があって日差しを弱めてくれて、これは快適。

ビジターセンターに車をとめ、まずは覚満渕の木道から鳥居峠へむかう。

水がかなり少なくなっていた。

ここの木道はもう限界。ぼこぼこに朽ちて、傾いているのをベニヤを貼ってごまかしてある(笑)。

 

ヒヨドリバナかな。

 

クガイソウも一輪だけ見つけた。

 

鳥居峠への登り口から覚満渕を振り返る。

ちょうど小学1年生が先生たちと来ていて、道をゆずってくれた。かわいいね。

 

鳥居峠から関東平野北部を展望。筑波山がみえるはずだが、霞んでいて無理だった。

 

これから小沼の縁へとむかうが、舗装道路は避けてこの山道を使う。

急なところはないし、樹林の中だから涼しい。

 

道はこんな感じ。下から風も吹いていて快適だった。

 

アキノキリンソウ。

 

小沼の縁の道。小沼火山の火口の縁を歩いているわけ。

でも緑がいっぱいで火山のイメージはない。

 

小沼の入り口の駐車場に到着。ここで小休止。

先ほどの1年生たちが車道を使って登ってきて、そのまま小沼へと降りて行った。

このコースは、私たち年寄りのハイキングにいいコースなのだが、電車とバスでは埼玉からは時間がかかりすぎるかな。

 

さて、少し車道を歩いて八丁峠から地蔵岳へと登る。

見上げればすぐ近くに山頂の電波塔も見えているが、階段の連続なので兄貴は足が重そうだった。

 

でもほかのコースは岩ゴロゴロのところが多いので、転ぶのが心配。

休み休み登ればいいのだから。

 

ツリガネニンジン。

 

頂上が近づいて覚満渕や小沼が見下ろせるようになってきた。

 

この平らな木道が現れたら、もう頂上は目の前。

 

12時30分、無事山頂に到着。

兄はリハビリで毎日散歩をしているが、階段の連続では、やはり足が重そうだった。

 

地蔵岳、1674m。出発点のビジターセンターが1360mくらいなので標高差300m余りだ。

 

大沼の向こうには主峰黒檜山。地蔵岳は右にある駒ケ岳とほぼ同じ高さ。

 

地蔵岳の名前の起こり。石塔と地蔵さんの列。頭がなくなっていて代わりの石が置いてあった。

ここにはコンクリートの四角い基礎があるので、かつては祠が建っていたのかもしれない。

 

湖畔にある赤城神社を見下ろす。神社にわたる橋が架け替え工事中だった。

 

少しいどうすれば関東平野側も見渡せるが、さすがに霞んでいて遠くは見えない。

今日は富士山は無理みたいだ。

 

さきほどの地蔵さんの列を横から撮影。

 

さて下山は、私も初めて歩く西側の展望駐車場を目指す。

最初は少し急で、岩もゴロゴロ。あぶないので私のストックをダブルで使ってもらった。

ただ、使い慣れないていないので、あまり役には立っていなさそう。

 

新坂平への分岐点付近になると傾斜もゆるくなり、歩きやすくなった。

 

標高1500m付近から足元の笹がなくなって雰囲気が変わった。

左側に動物除けなのか柵が連続しているところもあった。

 

ミズナラかな。かなりの老木だ。

 

新坂平から大沼湖畔に続く遊歩道にでて、もう駐車場は目の前。

実はここに自転車をデポしておいた。二人には木陰で休憩していてもらって私が車を回収にいった。

最初は、遊歩道でビジターセンターに戻りことも考えたが、自転車作戦にして時間も節約できた。

その時間で富士見温泉でゆっくり汗を流すことができた。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする