毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

板碑製作遺跡と仙元山、ついでにセツブンソウ(2025年2月22日)

2025-02-23 08:45:00 | 奥武蔵・秩父の山

昨日、埼玉歴史と民俗博物館を見学して、板碑の製作遺跡が小川町の仙元山のふもとにあることを知った。

今週は、どの山に行こうか迷っていたので即決で小川町に行くことにした。

仙元山は、以前にグループで春に登って、ふもとにあるカタクリの里でカタクリを見た。

カタクリの里はちょうど遺跡にむかう道の途中にある。

カタクリはもちろんまだだけど、セツブンソウが咲いているとの情報もあったので、セツブンソウを見て、その後遺跡見学にむかうことにした。

 

小川町駅からバスに乗り、伝統工芸館前でおりて、カタクリの里へとむかった。

適当に歩いたのだけど、うまい具合に丸木橋のところに出た。

カタクリの咲く場所は、この槻川の対岸にある。

 

下草を刈って整備してある中に古いお墓が並んでいた。

ご覧のようにこのあたりの古いお墓は、板碑に使われている緑泥片岩という薄くはがれる石を使っている。

古いといっても中には明治、大正、昭和初期の年号のものもあった。

 

咲いていた。前にカタクリの花を写真に撮ったあたりにセツブンソウが。

 

私は、実物をみるのは初めて。写真で見て想像していたよりずっと小さかった。

 

ほかの花に先駆けて、まだ北風が冷たい中でけなげに咲いている。

実物を見られてよかった。

では、次に板碑の遺跡へとむかう。

ところで板碑(いたび)といっても関東以外の地域ではわからないかもしれない。

鎌倉から戦国初期までのあいだ、武士を中心に仏像代わりにこの片岩という薄くはがれる石を使って立てられたものだそうだ。

埼玉県を中心に群馬や東京あたりにもある。

 

博物館でもらったパンフの写真をのせておこう。

文字は梵字で、その文字が仏さまをあらわしているそうだ。

圧倒的に阿弥陀如来をあらわすキリークという文字が多いそうだ。

 

槻川にそってのどかな村里の中を歩く。ヤギがいた。

 

槻川にはダイサギも。

くちばしが黄色いのでダイサギではないのかと思って調べてみたら、冬場は黄色くなると書いてあった。

そうなんだ。

 

河原に露出している岩が片岩だ。このあたりの基盤は緑泥片岩で出来ているらしい。

 

遠くにみえた馬頭観音の碑も片岩で出来ているようだ。

 

橋のたもとに遺跡の案内があった。

 

ここが遺跡の入り口。すでに見渡す斜面は片岩の破片で埋まっているようだ。

 

大小の板碑をつくる過程ではがされた石片が、それころ貝塚の貝のように積みあがっているらしい。

 

 

こうした広いところで大きなものを加工していたようだ。

加工中の板碑も発見されたようだが、今は見当たらない。

埋め戻されているらしい。

でもすごい量の破片だった。

こうした遺跡がこの近くにまだたくさんあって、こことあと数か所が国の史跡に指定されている。

 

さて、遺跡をあとに舗装の道をそのまますすむと仙元山遊歩道の入り口があった。

遺跡見学のあとそのまま山に登れるのがいい。

 

仙元山は落葉樹林が多いが、このコースは原生林風にいろいろまじって生えている。

 

稜線がちかづくと杉やヒノキの植林帯になった。

11:07、稜線の道と合流した。

ここから小川町方向に戻ると仙元山だ。

 

稜線にでて10分で仙元山298m頂上に到着。

低山というより里山だ。地元の人は散歩がてら登っている。

小川町方向が切り開かれていた。

 

はるか北関東の榛名山が見えていた。

 

すぐ近くのある展望台風の東屋。

でも人がいたので通過。

今回は、まだ行ったことがない仙元山の中腹にある見晴らしの丘に出て、そこで休憩することにした。

 

途中で関東平野が一望できるところがあった。

これはさいたま新都心。スーパーアリーナの屋根が光っていた。

 

こちらは東京のスカイツリー。

 

ようやく見晴らしの丘についた。

すでにかなり下ってきて、標高200mあたりだ。

あたり一帯が公園として整備され、車でもあがってこれる。

 

日光方向の山。

 

小川町の日赤病院のむこうに赤城山。

ちょうど12時になったので、この写真を撮ったところのベンチで昼食休憩。

小川町駅前のアケボノのお稲荷さんと海苔巻き。そしていつもの薄皮饅頭。

 

公園の端のほうにある展望台からは小川町の中心部がよく見えた。

この日はお昼ころまではいい天気だったが、このあと急に雲が広がり、さいたま市に戻る途中、雪がちらついていた。

 

 

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二子山のヒメネズミと山頂からの眺め

2025-02-15 17:12:39 | 奥武蔵・秩父の山

3回目の二子山の山頂でヒメネズミに出会った。

 

二子山雄岳の山頂で丸太に座って休憩していたら、脇においたリュックの下から小さなヒメネズミが出てきて、私の足元をチョロチョロ。

 

リュックの留め具と比べてわかるようにとても小さい。尻尾をのぞく体は親指くらいかな。

そのうちリュックの下に隠れて姿が見えなくなった。

リュックをどかしてみると座っていた丸太の脇に小さな穴。

それがヒメネズミ家の玄関のようだ。

 

この日は空気が澄みわたって遠くまで見えていたので、山頂から見えた雪山を。

 

浅間山。

 

これは雪山じゃないけど、両神山。

 

そして両神山の左には、八ヶ岳。どうやら赤岳(左)と横岳らしい。

奥武蔵や秩父の山からは場所によって八ヶ岳が見えるけど、この季節は真っ白になっているのでよくわかる。

1回目、2回目にはわからなかった。

3度目の正直でバッチリ見えたのでうれしかった。

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奥武蔵の展望台、丸山へ(2020年4月23日)

2025-02-15 13:47:01 | 奥武蔵・秩父の山

このところ芦ヶ久保に通っている。

今日も二子山に登ってきた。3週連続だ。

今回は、兵ノ沢から登って馬酔木尾根を下った。

変わり映えのしない投稿になってしまうので同じ芦ヶ久保の丸山のことを書いておこう。

 

芦ヶ久保の駅のすぐ北には、広い南斜面に農家が点在していてとてもいいところだ。

そのすぐ上には日向山635mがあり、山仲間とハイキングしたことがある。

そして、その奥には奥武蔵の展望台といわれる丸山960mもある。

 

この時は車でのんびりと出かけたので、芦ヶ久保についたのは11時をまわっていた。

国道から日向山へと登るとヤマザクラの木の向こうに武甲山が。

 

日向山の登山口にあたるところに無料の駐車場がある。ここに車をとめた。

もう11時半近い。

うらやましいように見晴らしのよいところに民家が点在する中を山へとむかう。

別荘風の建物もある。

 

足元にはスミレ。タチツボスミレだろう。

舗装道路が分岐しているところから山道に入った。

道路をそのまま行けば県民の森らしい。

 

山道に入ると山の神が祀ってあった。

針葉樹林の中の斜面を尾根をめざして少しづつあがっていく。

 

30分ほどで尾根に出ると駅の方からの道と合流した。

ここから広い尾根をのぼっていく。

 

大日如来の石碑と石仏があった。

 

 

森の中のような広い道を登っていく。

 

尾根道を20分ほど登っていくと舗装の道に出た。このあたりで標高850mくらいになる。

最初に歩いた道が県民の森などをへて登ってきているようだ。

横切ってそのまま尾根を登り続ける。

 

標高900mを越えたあたりに東屋があり、県民の森との分岐点になっている。

 

 

ミツバツツジらしい花が咲いて、遠くまで見通せるようになってきた。

いったん下って小さな鞍部をこえると最後ののぼりだ。

 

丸山山頂の立派な展望塔。

 

丸山は960m。正面に見えている武甲山は1304m。

 

秩父の街の向こうにはこれも秩父の名峰、両神山1723m。

 

4月も下旬に入っているので1000m近いところだけど足元にはスミレが咲いていた。

 

そのまま戻るのではつまらないので反対側の道をくだって、県民の森をあるいて戻ることにした。

 

日当たりのいいところではもう若葉が開き始めていた。

 

一方でヤマザクラが咲き残っている。

 

県民の森の道でカタクリを見つけた。

 

こちらはエイザンスミレ。

 

ここにもカタクリ。

 

県民の森の学習センター近くの広場に出た。

 

だれもいないが、整備されていて気持ちのいいところだ。

ここから斜面を登って尾根を越すと登ってきた道に合流する。

でも県民の森の道が歩きやすいのでそのまま歩いてみた。

道は、秩父札所の金昌寺にむかう登山道につながっていた。

その道をしばらく歩いてから斜面をくだって日向山と県民の森をつなぐ林道にでた。

 

林道を芦ヶ久保へと戻る。正面に武甲山が見えている。

 

そのあたりは、新緑とヤマザクラがまじってやわらかな色合いに染め上げられている。

 

この日は、春らしい薄曇りだったが、突然雲が切れて日差しが差し込んだ。

春の色合いが濃さをまして華やかになった。

これはありがたい。

 

見上げる山の斜面もヤマザクラをまじえた開き始めの若葉でほっこりするような色合いだ。

もう少し春が深まったら仲間を誘って芦ヶ久保から丸山を歩いてみよう。

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馬酔木尾根(仮称)から二子山へ(2025年2月7日)

2025-02-07 16:51:50 | 奥武蔵・秩父の山

またまた芦ヶ久保の二子山に出かけた。

前回出会った打田さんの教えにしたがって馬酔木尾根(仮称)から登ってみたのだ。

朝、目覚ましよりだいぶ早く目が覚めてしまったので、予定より1時間早く出かけた。

 

7時24分、芦ヶ久保に到着。

例の芦ヶ久保の氷柱祭りは朝が早いのでまだ始まっていない。

閉まっているチケット売り場のわきから西武線のトンネルに入ったらそこに大きなツララが。

天井から人の背丈ほどもあった。

 

最初の峠で尾根に入る。

 

しばらくは急登が続くが、木々の間から朝日を浴びた芦ヶ久保の南斜面がみえているので気分は明るい。

 

打田さんのいうとおり、馬酔木が多い。

それで打田さんはこの尾根を仮に馬酔木尾根と呼ぶことにしたといっていた。

 

峠から180mほどあがると最初のコブになる。

このあたりはスギ林だ。

 

コブの先、ゆるやかな尾根をしばらく進むとふたたび急登がはじまった。

そして大きな岩もあらわれた。

しかし、これは脇を難なく通過できる。

 

急登が終わってまたしばらく平らな尾根になったが、すぐにまた急登がはじまる。

 

770mのピーク、大平が近づくと雪がでてきた。

 

特に北東斜面には一面に雪が残っているが、多いところでも1cmほどでしかない。

 

そして770mピークの50m下くらいから伐採跡になって、谷の向かい側、丸山から秩父にかけての展望が開けた。

 

上の写真の左側を撮ったもので、日当たりのいい芦ヶ久保の集落が見えている。

 

少し登ってからふたたび秩父の方を少し望遠をかけて撮ってみた。

奥の山は群馬の榛名山のようだ。

 

反対側は、木々のあいだから武甲山。2週間前とちがって斜面に雪がついているので明るく浮かび上がっている。

 

8時50分、770mのピーク、大平に到着。

木にまかれた赤いテープには若菅山とも書いてあった。

 

ピークから5分ほどで兵ノ沢コースと合流した。

ここの道標にこの馬酔木尾根は「行きどまり」と書いてあるが、大平で降りる方向を間違えなければあとは迷うようなところはない。

 

頂上が近づいて日向にも雪が残るようになってきた。

しかし、例のロープの急登の場所も登山道には土が顔を出しているので特に心配はなかった。

 

9時50分、駅から1時間25分で雌岳山頂に到着。

 

次の雄岳山頂の三角点。

 

三角点の奥にあるビューポイントに移動して休憩。

 

武甲山。

 

両神山を限界までアップにしてみた。

 

山頂の雪はこんなぐあい。ここも人が歩いたところは土が顔をのぞかせている。

まだ時間は早いが、朝食も早かったのでまたカップラーメンでも食べようと支度したら、ザックの中のポーチに箸もスプーンも入っていない。

そんなぁ。ポーチには入れてあったはずなんだけど・・・・

とぼやいてみても入っていないものは入っていない。

あきらめて大福とチョコ菓子、羊羹をたべておしまいにした。

 

最後に秩父盆地と両神山の展望を写真におさめ、10時6分下山開始。

 

帰りは兵ノ沢をくだった。

水場の小滝が10時53分。

 

そばの岩の表面に氷がついていた。

 

兵ノ沢を右岸にわかって峠へとむかう。

 

出発点の峠についた。11時10分。この峠を出発して3時間半だ。

 

電車を待つ間に、道の駅でかきあげそばを食べ、道の駅で土産を買った。

さて、試してみた馬酔木尾根は急登が多いが、ピークの手前の大展望がなかなか気分がよかった。

3月になれば氷柱まつりが終わり、浅間神社コースも登れるようになるが、浅間神社コースを歩いたのは昔のことで覚えていないので比較しようがない。

 

最後に馬酔木尾根を地図で示しておく。この尾根はまた歩いてもいいと思った。

それにここは駅からすぐに登れて、ある程度高度もあってトレーニングには最適なことがわかった。

その意味でもまたこよう。

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奥武蔵(新柵山~ブナ峠~飯盛峠~大築山)周回コースを歩く(2021年3月17日)

2025-02-05 16:23:09 | 奥武蔵・秩父の山

(古い投稿に手を加えて再度投稿します)

少し前に、奥武蔵の秩父往還と四寸道をつかった周回コースを紹介したことがあるが、今回はそのコースに隣接した新柵山や日向根集落のある尾根をたどり、ブナ峠、飯盛峠をへて大築山のある尾根へと周回するコースを歩いてみた。

これといった名のあるピークがあるわけでもなく、ただ周回コースが組めるという理由だけで選んだようなものだ。

 

出発点は、奥畑農民センターのとなりにあるときがわ町市民農園駐車場。広い駐車場で無料。

駐車場から少しもどったところに全長禅寺入口という立派な石碑が立っている。

その道をのぼり、すぐに右手に農家の入口の道があってその先右側が山の擁壁になる。

その擁壁にある急な坂道が登山道入口だ。9時50分登山開始。

 

まずは太いモミの木が数本。しばらく急登が続き、道の中央が雨水でえぐられていて歩きづらい。

少しゆるやかになると杉林で杉落ち葉や小枝がたくさん落ちている。木漏れ日がきれいだ。

その先でまたジグザグの急登になり、赤いツバキの花が落ちていた。

 

小枝が少なくなったと思ったらヒノキ林に変わっていた。

そして右手の北斜面が落葉樹林になってくると頂上は近い。

 

10時47分。新柵山頂上はのっぺりした感じのところで展望はなし。

 

しばらく同じような標高の道を歩き、次第に下り道になって峠になる。

ここから新柵山の南斜面にある多武峰神社へとくだることができるようだ。

少し登り返し、ゆるやかなアップダウンを繰り返す。長岩や光岩などの看板がある。

そこから次第にくだりになって人里の匂いがしてきた。

 

新柵山から30分。

そこは日向根集落の最上部にあたり、稲荷の祠の脇に「越沢稲荷の大杉」と呼ばれる杉の大木がたっていた。

 

民家の屋根も見え、早咲きの桜が満開だった。

 

ここからは椚平からあがってきてブナ峠へとむかう林道を歩くことになる。

 

これもときがわ町の巨樹のひとつである「砥石のヒノキ」の案内看板があった。その看板の示す方向へと歩く。

この林道の周囲は民有地らしい。オフロードバイクが民地を荒らしたらしくて「バイク通行禁止」の表示がしてあった。

しばらくヒノキ林の中の林道を登っていく。

 

分岐があって道は右へと折れる。その先が一部落葉樹林になっていたのでその中の倒木に腰をおろして昼食にした。

そこから600mほどで道に車止めが設置され、左手に林道が分岐していた。ブナ峠からきた車はここから下ることになるようだ。

 

さらに700mほどあるくと「砥石のヒノキ」があった。やはり脇に祠があった。

 

その少し先には「ふるさと伝説おそよの墓」というものもあった。伝説の中身は知らないが、地蔵様らしい石仏がたっていた。

 

このあたりで林道を走っている女性に声をかけられた。トレランの練習のようだ。

どこから登ってどこに行くのかと聞くので、地図で周回コースを説明したら、よくこんなに歩けますね、すごい、といわれた。

すごいというのは私の方で、山道を走るなんて私には考えられない。

 

林道の正面に833mのピークが見えてきて道は左にのぼりながら回り込んでいく。ブナ峠だ。

 

漢字ではブナはいろいろあるが、ここでは「木」偏に「義」と書いてある。

 

この峠にある石田波郷の句碑には「山毛欅」の字が使ってあった。

ブナ峠からは奥武蔵グリーンラインの舗装道路と山道を交互にたどる。

 

816mの飯盛山には電波関係の建物があった。そこを下ると飯盛峠だ。

 

ここで奥武蔵グリーンラインから別れ、大築山や以前に歩いた秩父往還方向に向う。

道はこの峠の標識の裏からくだっていた。手作りの案内があった。

 

このあたり道が何本もあって錯綜している。間違えないように尾根通しの道をえらんだ。

 

上の写真の尾根道以外にも、右手の斜面にも山道が走っており、さらにその下には舗装道路もある。

 

赤い木肌がめだつアカマツの木があった。そのすぐ先で別の道と合流していた。

山道はいったん舗装の道路に出てしまうが、その先で左手の山道へと入る。

その小さなピークの上で秩父往還の野末張(のすばり)展望台への道と分かれて大築山へと向う。

 

少し歩くと広々とした林になって「馬場」という標識がたっていた。

たしかに広いヒノキ林だが、なぜ馬場と呼ばれているのかは不明。

 

途中麦原へとくだる道が右にわかれていたが、崩壊があって通れないと書いてあった。

その先で左手尾根のほうへ登り道もわかれていた。わたしは水平の道を直進した。

 

硯水という表示があった。湧水でもあるのかと探してみたがそれらしいものは見当たらない。

硯水の少し先で右手へと尾根伝いに下る道が分岐していた。

私は左へと大築山手前の峠へとむかう。

 

峠は麦原から椚平をむすぶ峠道と尾根道の交差点だ。

椚平方向の道は歩きやすそうな道だった。

 

大築山へとむかうと直ぐに椚平を見渡せる展望スポットがあった。

今日は向こうに見える尾根を右から左へと歩いたのだ。

 

南向きのゆるやかな斜面に集落が広がっている。その最上部が大杉のあった日向根だ。

 

展望スポットの先が急な登りになって、最後はかなり急なところを登る。

そこが大築山だった。

 

大築山は戦国時代の大築城のあとだそうだ。

 

山城らしく急な尾根を登る。

人工的な切岸とは思えないが自然地形を利用しているのだろう。

 

山頂部は削平されている。一部から出発点方向が展望できた。

見えている谷の奥に慈光寺がある。この城から慈光寺を攻めたと書いてあったが、確かに絶好のポイントだと思われる。

 

向こうに見えている山が最初に登った新柵山だ。右の尾根から登って左へと進んだのだ。

もうすぐこの周回も終わりになる。

 

城跡らしい何段かの削平あとと堀の跡も見られた。大築山をはなれとなりの小築山へ。

広い頂上部からゆるやかにくだった先のちょっとした高まりがこれからくだる破線道の出発点だ。

本来の登山道は西平・大附へとむかって続いており、破線道へとむかう踏み跡は見当たらない。

ただ山道をそのままたどると破線道の倍の距離を歩かねばならない。

 

14時32分、意を決して上の写真の地点から踏み込んでいった。

地形的にははっきりした尾根だったが潅木や倒木が多くて踏み跡は見当たらない。

でも少しくだると間伐をしたところがあり、間伐材が輪切りにされて横たわっていた。作業の人が入っているのだ。

そのまま尾根を下り続けると藪にぶちあたってしまったが、右手の斜面に赤いリボンがある。

 

そこをくだるとようやく古い作業道に出ることができた。

沢には崩れかけではあるが橋もかかっていた。

 

かすかだった山道はほかの道とあわさってはっきり太くなり、ようやく行く手に家が見えてきて里に飛び出した。

 

破線道に踏み込んで40分弱で里に出ることができたが、このルートは下の方の斜面がかなり急であり、しかも藪がひどい。

道なりに歩いても1時間あまりで下れそうなので、あまりショートカットの意味はないかもしれない。

 

この日歩いたのは目立ったピークのない地味なコースだが、自分なりの周回コースをつくれて楽しい一日であった。

 

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