毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

奥武蔵、大霧山(2024年11月16日)

2024-11-17 14:43:28 | 奥武蔵・秩父の山

官ノ倉山に出かけたあと中2日おいて、ハイキングの会の行事として奥武蔵の大霧山に出かけた。

前日から天候がくずれ、この日は曇り。でも昼間は大丈夫そうなので決行とした。

 

小川町についてバスを待つ間に、駅前のお店で薄皮饅頭や草餅を買い込んだ。

小川町に来ると私はいつもこの店で饅頭を買う。

私が勧めたのでみんなもそれぞれ買い込んだ。

 

白石車庫行のバスを橋場で降りて、高原牧場に続く舗装の車道を歩き、途中からショートカットの山道に入る。

 

ふたたび舗装の道にでたところで急に雨が降り始めた。

あわてて傘をさし、合羽を着こんだ。

 

でも雨が降ったのはこの時だけで、それのほんの数分間。

バス停を出てから45分ほどで登山道の入り口に到着。傘や合羽をしまい込む。

このあたりは栗和田というところで、緩やかな山の斜面に農家が点在し、観光トイレもある。

 

しばらくは、畑や墓地にむかう道を兼ねているので舗装されているが、やがてヒノキ林のみちになる。

 

ところどころ落葉樹林もあって急に明るくなったりする。

 

登山道にはいって27分のところに石の観音像がある。

後背に赤い毛糸の帽子がかけてあった。お地蔵さんなら頭にかぶせるところだろうが、後背がじゃまをしてしまう。

観音様は頭髪を結って髪飾りもしているので帽子は似合わないと思うけど。

 

そこから数分で粥仁田峠を通る車道にでた。

あたりが急に秋色に染まってきた。

 

11時3分、粥仁田峠から大霧山へとむかう。

 

大霧山へとむかう尾根道は落葉樹の樹林で、足元はたくさんの落ち葉が敷き詰められている。

 

10数分登ると左手が開けて先ほど通った栗和田地区の家々が見下ろせた。

南東に向いた緩やかな斜面に点在する家々。

 

大霧山は頂上が近づくとヒノキ林があらわれるが大部分落葉樹林なので秋らしい色に包まれた山歩きだ。

少し日が差してくれると黄葉が輝いてくれるのだけど。

 

11時45分、ほぼ予定通りの時間で山頂に到着。

見下ろす秩父盆地には雲が雲海のように広がっていた。

 

曇り空なので遠くはもやってしまい、赤城山や浅間山、両神山も見えなかった。

 

持ってきた昼食や駅前でかった饅頭を味わった。

山頂は40分ほどで切り上げ、下山開始。

 

下りの方が自然に黄葉が目に入る。

 

葉を落とした大木と背景の黄葉。

 

灌木の黄葉もきれいだ。

 

粥仁田峠に戻ってきた。

あとは同じ道を下るだけなので省略する。

 

14時6分に橋場のバス停に到着。バスは20分なのでちょうどいいタイミングだ。

 

駅前で買ったお饅頭がおいしかったので帰りにお土産にと思ったが、残念ながら売り切れ。

かわりに芋羊羹を買い込む面々。

 

この日は一時的に雨に降られたものの、その後は大丈夫だった。

でも山頂では遠望がなく、武甲山も上部が雲に隠れていたのが残念だった。

それに中2日の山歩きだったので、帰りの電車の中でかなり眠かった。

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和紙の里から官ノ倉山(11月13日)

2024-11-13 17:14:44 | 奥武蔵・秩父の山

11月13日、今日も穏やかに晴れ上がって暖かな日になった。

そこで、12月に計画しているハイキングの目的地である小川町の官ノ倉山に出かけた。

下見を兼ねたものだが、せっかくなので和紙の里から奥沢へ歩き、神社の所から臼入山421mを経由して官ノ倉山をめざした。

 

道の駅和紙の里は工事をしているらしく、バス停が臨時の場所に移してあった。

そこから登山口の奥沢まで歩いたが、一つ先の中学校前のバス停の方が近かった。

 

旧道に入っていくと奥沢神社の石柱がたっていた。

ここが登山口になる。

ところで旧道に入る手前に看板があって、十返舎一九の東海道中膝栗毛の続編に安戸宿とこの旧道が出てくると書いてあった。

この道から粥仁田峠を越えていったらしい。

 

まずは神社の石段登りから。

 

神社の建物の左手から山道に入る。

 

途中にあった白っぽい岩にポットホールらしい穴があいていた。

ポットホールならこの岩はかつて川辺にあったことになるけど・・・

 

30分で尾根のコブに到着。そこには小さな社があった。

なにも書いていないが奥沢神社の奥宮なのだろう。

 

祠のあったコブから15分で、このコースの最高地点、臼入山に到着。

三角点があり、421mだ。現地には臼入山と書いてあったが、ハイキング地図などでは細窪山と書いてある。

 

この山からは東秩父村の落合方向と木間越しだが寄居町などが見えた。

 

しばらくはヒノキ林やスギ林の道をアップダウンを繰り返しながら歩く。

15分で城山への分岐に到着。城山というのは安戸宿の近くにある安戸城跡のことらしい。

 

分岐から10分ほど歩くと左側が伐採地となって展望が開けた。

 

小川町のホンダ技研の工場が見えた。

 

こちらは北関東、赤城山だ。

 

国土地理院の地図には記載されていない道が山を越していた。

 

さらに同じような杉林の道をいくつかのコブを越していく。

道路から3つ目ほどコブに「天ノ峰」の標識がついていた。

ここからは官ノ倉峠にむかって下っていく。

 

天ノ峰から25分で官ノ倉峠。

この峠は安戸からのコースと東武竹沢駅からのコースとの十字路になっている。

このまま直進すれば官ノ倉山だが、ここから先は歩いたことがあるので、一旦安戸方向に少しくだって、官ノ倉山を通らずに石尊山に出るコースを歩いてみた。

次回のハイキングでは、安戸から登ってまず石尊山に向かうつもりなのだ。

 

峠から5分ほどで大きな石碑があった。

 

ここがコースの分岐点。左が今下ってきた峠への道。

右が石尊山への道。

しばらく少しきつい登りとなるが、すぐに官ノ倉山山頂への直登ルートとわかれ、そこからはゆるいトラバース道になった。

 

分岐点から15分で石尊山に到着。

石の祠がある。

 

北関東方向の展望。

 

小川町方向の展望。

 

石の囲いの中にも石の祠があった。

 

これがすぐお隣の官ノ倉山山頂。

石尊山より少し低いようだ。

いよいよお隣の官ノ倉山山頂をめざす。

 

12分で到着。

 

山頂から小川町方向のながめ。

 

こちらは赤城山方向のながめ。

ベンチに腰を下ろして昼食。しかし、せっかく魔法瓶のお湯でコーヒーにしようと思っていたのに忘れてしまった。

 

今回の奥沢からのコースは大部分が針葉樹林の中だったので山頂のヤマザクラの紅葉が貴重な存在だ。

 

あとは何度か歩いている道で東武竹沢駅にむかう。

山頂付近だけは少し岩々しているが、その後は整備された歩きやすい道が続く。

 

10分ほどで官ノ倉峠。

ここを先ほどとは反対がに下る。

 

天王沼という農業用ため池の上の祠。

 

天王沼。

山の色づいた木々を写して静まり返っていた。

 

里に出て、舗装の道を駅へと歩く。ゆずの実が青空に映えている。

 

秋らしい風景を写真におさめながら歩く。

 

山頂から55分で駅に到着。ちょうど2分後に電車がきたのでドンピシャのタイミングだった。

前回の伊豆が岳では少しがんばったので今日は軽く半日の山歩き。

自宅には午後2時半すぎについた。

 

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東尾根から伊豆ヶ岳へ(11月8日)

2024-11-09 20:37:03 | 奥武蔵・秩父の山

11月8日、およそ1か月半ぶりに山歩きに出かけた。

目的の山は奥武蔵の伊豆ヶ岳。3回ほど登っているが、いつも正丸からだったので、今回は西吾野から東尾根を歩いてみた。

東尾根は山頂から東にほぼ直線的に3kmほど伸びている。

 

西吾野駅を8時30分に出発。

 

国道に出て少し子の権現の方向に歩くと小さな橋がある。

ここから入るのだが、奥で伐採の作業をしているらしく橋の反対側は柵がしてあったので、脇を抜けてはいった。

 

作業用の林道がつくられているが、そちらには行かず古い山道をたどる。

 

斜面の林に入るところに小さな標識がつけてあった。

本陣山は、これから登る峠の北にある442mのピークだろう。

これでこれから越す峠が森坂峠というのだとわかった。

 

わずかな登りで峠に到着。

峠にも小さいがきれいな標識がつけてあった。

 

上の写真は、峠道から反対側の道路に出たところ。

 

そこにも小さな標識が立てられていた。

「伊豆ヶ岳、東尾根」と書いてあった。

これをみるとこの尾根の利用者がけっこういるのだと思われる。

 

峠からでて右へ少し歩いて橋を渡り、橋の反対側を今度は左へと300mほど歩く。

下久通(しもくずう)の民家が数軒あるところの電柱にやはり小さな標識が。

 

山の斜面をみると鳥居が見えていた。

ここが東尾根の取りつきだ。

 

鳥居には琴平神社とあった。

ほんとうに山の鼻の付近には金比羅山がよくあると思う。

 

ここは里宮らしく、左にまわるとすぐ裏の斜面に登る道があった。

 

ほんのわずか登ると尾根が見えてきて、やはり社殿が見えてきた。

足元は幅の狭い自然石の階段で危なっかしいが、パイプの手すりがつけてあった。

 

社殿に琴平神社の扁額。ここが本宮なのだろう。

 

尾根に向かいながら振り返るとかなり粗末な建物だ。

そのわきには大きな樅ノ木。

 

スギの木におおわれた尾根を歩いていると足元に茶ノ木の花。

人が植えたものか自然に増えて広がったものなのか。

そしてかなり太い樅ノ木が杉林の中で目立っていた。

 

急斜面を登ったところに赤と黄色のテープがまかれた木があった。

尾根から急斜面をくだる地点なので間違えないようにと巻いているのだ。

 

ようやく歩きやすい尾根になり行程がはかどる。

しかし上の写真のところで道なりに歩いて行ったら、なんだか踏み跡の気配が薄くなった。

散らばっている小石のせいだろうと思っていたら、その先で突然踏み跡がなくなった。

左右の斜面にみだれた足跡があるがその先が道らしくないし、いやに下がっていく。

地図を取り出してみると、ルートならこんなに下がらないはずだ。

そこで写真の地点まで戻ってみたら、北におれて踏み跡が続いていた。

木に巻いてある白テープはその目印だったのだ。

 

その先も急斜面だった。

ジグザグに道をつくれるところだが、そんなに通る人が多くないのでそんな手間はかけていない。

そして登りきると、写真の柱に「貉入(ムジナ入)」と書いてあった。

なぜかその柱にはムジナならぬ猫のドラえもんが・・・

 

東尾根は地図で想像していたより急斜面を登るところが多かった。

そうやっていくつもピークを越えていく。

そうやって繰り返しているとそろそろ目の前のピークが山頂ではないかと期待してしまう。

 

そんな期待をなんども裏切られて、今度こそはと急斜面を登りつくと写真の標識。

670mのピークは尾根全体の3分の2の地点だ。

まだまだ先は長いぞとがっくり。

 

尾根に岩場が混じるようになってきたが、基本的に土の尾根がつづく。

次第の踏み跡自体が目立たなくなってきた。

でもあとは尾根を外さずすすむだけだ。

 

尾根自体がかなり急な登りになってきた。

そしてこのルートでほぼこの1か所だけ付近の山が見通せた。

たぶん子の権現の方角だろう。

その先で尾根の正面が急峻な壁になっていた。

みんなの足跡ではこの壁にむかって左にルートをとっていた。

左をみあげると土の急斜面にわずかに足跡が点々とついている。

いやいやこれはたいへんだ。

足を踏み入れるとグズグズと崩れていく。

足だけでは支えきれないところもあるので両手も動員して体重を分散させ、一足ずつそろりそろりとすすむ。

 

その地点を上から撮った写真。

ちょっとイメージはわかないと思うが、足を踏み出すまでほかにルートはないのかとだいぶためらった。

そしてその先もまだ崩れやすい斜面をトラバースして、ようやく山道に出ることができた。

手のつちをはたいてほっと一息入れた。

そこはもう頂上のすぐ下だった。

 

12時少しすぎ、伊豆ヶ岳山頂に到着。

東尾根の琴平神社が9時半だったので、尾根を突破するのに2時間半かかったことになる。

予想以上に急なピーク登りが繰り返しあらわれる厳しい尾根だった。

それに最後の土の急斜面のトラバースは予想外の展開だった。

 

人の顔が彫られているレリーフがあるが、何なのか文字は読めない。

誰かを記念するものだろうか。

 

レリーフのそばの岩に腰かけて昼食。持ってきた魔法瓶のお湯でコーヒーを入れた。

山頂についたときに一人いたがすぐに下山した。

その後、若い男性と同年輩の男性年寄り二人が到着した。

 

このま越しにみた関東平野。

 

こちらは武甲山の山頂部。

 

こちらは大持山。今年のうちにこの山を名郷から周回してみたい。

 

さて、予定通り天目指峠をへて子の権現へむかう。

このあたりでは伊豆が岳と根の権現のあいだは歩いたことがない。

 

東尾根のように全行程杉林というわけではなく、落葉樹林もある。

少しは秋らしい彩どりが期待できそう。

 

すぐに木段の登り返しがあらわれた。

 

伊豆が岳のすぐ南にある古御岳だ。

富士山吉田口の五合目が古御岳と呼ばれ、現在の富士山の前の世代の火山だったそうだが、この由緒ありそうな名前はなぜついたのだろう。

 

山頂には東屋もたっている。あまり人が来ないような山なのに。

私の知らない由緒があるのかもしれない。

 

歩いているとこんな温かみのある彩りもあった。

やはり秋の山はこれがないとさびしい。

 

でも大部分は杉林。尾根の上に岩のかたまりが鎮座していた。

 

こちらは今回で初めてで最後だったカエデの紅葉。葉が小さいのでイロハモミジなのかなあ。

 

またまたかなりの登り返しがあって高畑山に到着。

この尾根も地図で予想したよりかなりアップダウンがある。

 

「ナローノ」って何?

 

少し日差しがはいって明るいなと思ったら新しい送電鉄塔の工事をしていた。

鉄塔の工事は終わっているらしいが、送電線がまだ張っていなかった。

 

でも鉄塔のおかげで奥多摩の山々が見渡せた。

でもこの角度からだとどれがどの山だか???

方向から考えると棒の折山や奥多摩の御前山かもしれない。

少し右方向。より奥多摩方向だが、これでもよくわからない。

地図で考えると大持山とその奥が酉谷山かも。

 

尾根から見下ろしたところに舗装の道路が見えてきた。

ようやく天目指峠だ。

峠によくある石祠。

 

峠には休憩舎があった。

さあ、子の権現まであと一息、と思ったが、この先がまだ長かった。

 

天目指峠から子の権現までかなり登り返す感じだったので地図を見直すと、天目指峠が490mくらい。

そこからコブを三つ越しながら少しづつ高度をあげて、写真の祠のあるピークが610m。

この祠のピークで子の権現まであと500mだった。

 

そこを下るとようやく見覚えのある峠にでた。

この少し先が子の権現だ。

 

子の権現には寄らずにそのまま通過。

 

駐車場のところから雲一つ見えない関東平野の大展望が得られた。

あと1時間ほどで吾野駅に到着できる。

久しぶりの山歩きにしては少し欲張った行程で、しかも予想外の難所もあった山旅だった。

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奥武蔵物見山、東吾野から高麗川へ(2024年9月25日)

2024-09-28 14:16:48 | 奥武蔵・秩父の山

大菩薩から2週間近くたった。

彼岸が過ぎてようやく涼しくなってきたので久しぶりに奥武蔵を歩くことにした。

 

b

この日の計画は、東吾野駅から吾那神社の尾根をつたってユガテへ。そこからエビガ坂、スカリ山をへて北向地蔵、物見山をめざす。

 

ここが吾那神社の入り口。東吾野駅から出て高麗川を渡ればはすぐだ。

 

吾那神社という名前は吾野という地名と関係があるのかわからない。

 

神社の正面右手にお稲荷さんが祀ってある。

 

その赤鳥居のわきが登山道入り口だった。「ユガテ」の案内標識もある。

 

道は、急なところはジグザグになっていたりして歩きやすかった。

倒木にびっしりとキノコが。ここのところ雨が多いので針葉樹林の中は湿っぽい。

 

神社を出て25分ほどで送電鉄塔があった。

それほど大きなものではない。

 

送電線の切り開きのおかげで武甲山がみえた。

 

鉄塔からほんの少しで福徳寺からの道と合流。外国のハイカーのためか英字で書いてある。

 

このあたりは虎秀というらしい。「とらひで」ではなくて「こしゅう」と読む。昔調べたのに忘れていた。

雨乞塚は稜線からはなれたピークにあるらしいが、かなり戻る感じだったので寄らずにすませてしまった。

 

雨乞塚の分岐から10分ほどで次のピーク、橋本山。

そのままピークへと登る道は男坂と称してあるが、じぐざぐに登る部分もあってそれほどではない。

 

ピークの西側が切り開かれていて奥多摩から武甲山にかけての山々が見渡せた。

 

手前の黒いピークは天覚山。奥のピークは棒の折山。

上空は雲に覆われているが、涼しい風が吹き抜けて気持ち良かった。

橋本山から先にすすむとすぐにさきほどの登山道と合流する。

男坂をつかわずにこちらから登ってもそれほどかわらないようだ。

 

ユガテが近づくと尾根の道が広くなった。

そこを少し進むと林の中でしいたけを栽培していた。

 

さらに進むと尾根上に小屋が建ってた。

森好きの人たちの活動拠点らしい。

 

途中、谷からの道もあわさっていよいよユガテだ。

 

入口の林の中にヒガンバナが咲いていた。

 

民家の近くらしく、林は下草が刈られて奥の方まで明るく広がっている。

 

ユガテの畑の道で草刈り作業が行われていた。

ちょっとあいさつして脇を抜けさせてもらった。

 

春に来た時も花がたくさん咲いていたが、秋のこの時期、色とりどりのコスモスがきれいだった。

 

山の畑なので獣対策がたいへんだ。

しっかりとネットで囲われた中で老女性が畑仕事をしていた。

 

前に春に来た時は、ここから北向地蔵へとむかったが、今回はまだ歩いたことがないエビガ坂への尾根道を歩いてみることにした。

この道はユガテの数軒の民家のあいだをすり抜けていく。

標識をちゃんと確認しないと民家の庭へと迷い込んでしまう。

 

しばらく登ると林道に出た。

この写真でみても林道の先に山道が続いているようである。

なのに私は勘違いして林道を歩いてしまった。

途中の谷道で尾根に出ようとしたら、そこはユガテの水源らしく立ち入り禁止と書いてあった。

スカリ山のある尾根に出るのはあきらめて林道をそのまま歩いたが、大きく蛇行している部分もあって北向地蔵まで結構あった。

 

結局林道を30分も歩くことになってしまった。

 

春の時も立ち寄った北向地蔵。地蔵さんは毛呂山の鎌北湖のほうを向いている。

ここから物見山にむかって尾根の山道をたどった。

道はすぐに舗装の林道に出て、その先の岩を削った切通しを抜けて幅2mほどの道をたどっていく。

 

この道は奥武蔵自然歩道と呼ばれるらしい。轍のあとがあったりして小型の車も通るみたいだ。

そんな道が続いた後、道に沿った小さなピークに登る道をたどると小瀬名富士の名板があって道はすぐにまた自然歩道に合流した。

 

物見山にかなり近づいたころ、立派な標識があった。

ここから左に下ると宿谷の滝、少し先で右手に下ると日和田山に通じている。

 

物見山に到着だ。

東側が切り開かれていて明るいが、その先のヒノキが背を伸ばして、今は遠くの展望はない。

 

ちょうど12時をまわったところなので、ここで昼食を食べた。

何組かの人が休んでおり、休んでいる途中でも何組かが登ってきた。

 

暑くはないが、展望もないので、食事を終えるとすぐに出発した。

展望地から少し奥に入るとそこに物見山の三角点があった。375mだ。

ここからは、ほとんどのハイキング客は足を踏み入れないだろう。

北東方向に伸びる尾根をたどって高麗神社の近くのゴルフ場の裏側に出てから、高麗神社、高麗川駅へとむかうつもり。

 

少し下ると展望のある地点があった。

 

そこからすぐに舗装の林道に出た。

たどってきた尾根の延長線にある尾根に踏み込もうとしたが、どうも道らしくない。

地図を確認すると上の写真の道を左奥に少し進んだところが目的の道だった。

 

ここがめざすルートの入り口。ここには案内板などはない。

 

アップダウンのない尾根をしばらく歩くと尾根の先端らしいところで道が左右に分かれていた。

左は宿谷の滝へと下る道。

私は東電の送電鉄塔の黄色い目印にしたがって右へと進む。

 

分岐から7分で送電鉄塔があった。

そこからさらに下り、薄暗い感じのする針葉樹林の尾根を歩く。

倒木に濃いオレンジのキノコがはえていた。

 

鉄塔から25分ほどで山道に出た。そこを右へとすすむ。

左に行くと宿谷へむかうし、その途中からは富士山という立派な名前を持つ220mの山へと登ることができる。

 

5分もしないうちにゴルフ場の周囲をめぐる舗装の道に出た。

ここからはゴルフ場にそって歩き、15分ほどで高麗神社の北500mほどの里に出た。

 

あとは高麗川駅まで歩くだけなので、途中高麗家住宅の前を通り、神社へとむかう。

 

高麗郡を開いた渡来人、高麗若光をまつった高麗神社。

若光は高句麗からの渡来人と伝えられている。

旧高麗郡は日高市と鶴ヶ島市の全域、川越市西部、飯能市の東部を含む広大な地域だ。

 

高麗神社から高麗川駅までは歩くと25分弱かかる。

私は近道をしようとしてかえって遠回りをしてしまった。

急がば回れではないが、地図は面倒がらずに確認しよう(笑)。

2時20分無事駅についた。お疲れ様。

 

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花が咲き乱れる山里ユガテ(2014年4月22日)

2024-03-20 14:24:09 | 奥武蔵・秩父の山

前回は、まだ花には早すぎた低山歩きだった。でもそろそろ花も咲き始めているはず。

それで過去の写真を調べていたが、やはり見ごたえのある時期は4月になってからかもしれない。

今回投稿するのは、もう10年も前に、ハイキング仲間で出かけた飯能のユガテだ。

 

この時は、西武線の東吾野から歩き始め、山上の楽園といわれるユガテを通って奥武蔵グリーンラインの通る尾根上にある北向地蔵へ。

当初の予定は、日和田山まで抜けて高麗駅に戻る予定だったが、高齢のメンバーに疲れが見えたので、途中から終点を武蔵横手駅に変更した。

 

駅から歩きはじめると色鮮やかの木々の花が目を楽しませてくれ、山の斜面も新緑の明るい薄緑に包まれていた。

 

一段と鮮やかなピンクの花をつけた木があった。黄色ならマンサクみたいだがと思って調べてみたら、トキワマンサクというらしい。

 

谷間の道なのだが、割と開けていて日当たりがいいところで、民家やお寺が点在し、どこも花であふれていた。

果樹の栽培もされているようだ。

 

舗装の道をかなり歩いていよいよ山道にさしかかるあたりの集落は虎秀(コシュー)と呼ばれている。

めずらしい地名だと思う。これから向かうユガテも珍しい地名で、どちらも渡来人が住み着いたことによると考えられている。

 

歩いていてどこをみても彩り豊かで写真がどんどん増えていく。

 

山道に入るとこんどは足元に次々とスミレが顔をみせてくれた。

 

これは、スミレ属のスミレ、だよね。

 

これはタチツボスミレかな。

 

しばらく山道を歩くと突然開けたところに飛び出した。ここがユガテだ。

 

ちょうど標高300mにかかるあたりの尾根をまわりこんだところ、南東に開けた土地に数軒の民家と畑があった。

 

ここでユガテは「湯ヶ天」と書くことがわかった。「湯ヶ手」と書く場合もあるらしい。

渡来系のことばであれば、漢字は音に当てはめたものということになるだろう。

 

とにかく静かでいいところだ。みんなのんびりと休憩した。

 

ユガテから北向地蔵までは、山の斜面をトラバースして登っていく。

足元には次々に小さな花が姿をみせ楽しませてくれる。

 

北向地蔵の近くで仲間がゼンマイを見つけた。

 

北向地蔵は山上の舗装道路のすぐわきにあった。標高は390m。

説明板によると、浅間山の大噴火でおこった天明の大飢饉のときに栃木の岩船観音から譲り受けてここに祀られたそうだ。

 

顔を摩滅していて丸い石になってしまっているが、赤い着物も古びておらず花もたくさん供えられていた。

 

さて、ここまで来たものの疲れが出てしまったメンバーのためにここから権現堂を経て武蔵横手へと下山した。

このコースは道はとてもよくて安心して下れたが、谷が狭くて針葉樹林ばかりなのでつまらなかった。

このときから10年。この時の最高齢参加者は、数年前に亡くなられた。

当初予定していた駒高から日和田山の間もなかなかいいところなので4月にまた歩いてみたいコースだ。

足慣らしに日和田山から物見山へ(2024年1月17日)

 

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