毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

奥武蔵物見山、東吾野から高麗川へ(2024年9月25日)

2024-09-28 14:16:48 | 奥武蔵・秩父の山

大菩薩から2週間近くたった。

彼岸が過ぎてようやく涼しくなってきたので久しぶりに奥武蔵を歩くことにした。

 

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この日の計画は、東吾野駅から吾那神社の尾根をつたってユガテへ。そこからエビガ坂、スカリ山をへて北向地蔵、物見山をめざす。

 

ここが吾那神社の入り口。東吾野駅から出て高麗川を渡ればはすぐだ。

 

吾那神社という名前は吾野という地名と関係があるのかわからない。

 

神社の正面右手にお稲荷さんが祀ってある。

 

その赤鳥居のわきが登山道入り口だった。「ユガテ」の案内標識もある。

 

道は、急なところはジグザグになっていたりして歩きやすかった。

倒木にびっしりとキノコが。ここのところ雨が多いので針葉樹林の中は湿っぽい。

 

神社を出て25分ほどで送電鉄塔があった。

それほど大きなものではない。

 

送電線の切り開きのおかげで武甲山がみえた。

 

鉄塔からほんの少しで福徳寺からの道と合流。外国のハイカーのためか英字で書いてある。

 

このあたりは虎秀というらしい。「とらひで」ではなくて「こしゅう」と読む。昔調べたのに忘れていた。

雨乞塚は稜線からはなれたピークにあるらしいが、かなり戻る感じだったので寄らずにすませてしまった。

 

雨乞塚の分岐から10分ほどで次のピーク、橋本山。

そのままピークへと登る道は男坂と称してあるが、じぐざぐに登る部分もあってそれほどではない。

 

ピークの西側が切り開かれていて奥多摩から武甲山にかけての山々が見渡せた。

 

手前の黒いピークは天覚山。奥のピークは棒の折山。

上空は雲に覆われているが、涼しい風が吹き抜けて気持ち良かった。

橋本山から先にすすむとすぐにさきほどの登山道と合流する。

男坂をつかわずにこちらから登ってもそれほどかわらないようだ。

 

ユガテが近づくと尾根の道が広くなった。

そこを少し進むと林の中でしいたけを栽培していた。

 

さらに進むと尾根上に小屋が建ってた。

森好きの人たちの活動拠点らしい。

 

途中、谷からの道もあわさっていよいよユガテだ。

 

入口の林の中にヒガンバナが咲いていた。

 

民家の近くらしく、林は下草が刈られて奥の方まで明るく広がっている。

 

ユガテの畑の道で草刈り作業が行われていた。

ちょっとあいさつして脇を抜けさせてもらった。

 

春に来た時も花がたくさん咲いていたが、秋のこの時期、色とりどりのコスモスがきれいだった。

 

山の畑なので獣対策がたいへんだ。

しっかりとネットで囲われた中で老女性が畑仕事をしていた。

 

前に春に来た時は、ここから北向地蔵へとむかったが、今回はまだ歩いたことがないエビガ坂への尾根道を歩いてみることにした。

この道はユガテの数軒の民家のあいだをすり抜けていく。

標識をちゃんと確認しないと民家の庭へと迷い込んでしまう。

 

しばらく登ると林道に出た。

この写真でみても林道の先に山道が続いているようである。

なのに私は勘違いして林道を歩いてしまった。

途中の谷道で尾根に出ようとしたら、そこはユガテの水源らしく立ち入り禁止と書いてあった。

スカリ山のある尾根に出るのはあきらめて林道をそのまま歩いたが、大きく蛇行している部分もあって北向地蔵まで結構あった。

 

結局林道を30分も歩くことになってしまった。

 

春の時も立ち寄った北向地蔵。地蔵さんは毛呂山の鎌北湖のほうを向いている。

ここから物見山にむかって尾根の山道をたどった。

道はすぐに舗装の林道に出て、その先の岩を削った切通しを抜けて幅2mほどの道をたどっていく。

 

この道は奥武蔵自然歩道と呼ばれるらしい。轍のあとがあったりして小型の車も通るみたいだ。

そんな道が続いた後、道に沿った小さなピークに登る道をたどると小瀬名富士の名板があって道はすぐにまた自然歩道に合流した。

 

物見山にかなり近づいたころ、立派な標識があった。

ここから左に下ると宿谷の滝、少し先で右手に下ると日和田山に通じている。

 

物見山に到着だ。

東側が切り開かれていて明るいが、その先のヒノキが背を伸ばして、今は遠くの展望はない。

 

ちょうど12時をまわったところなので、ここで昼食を食べた。

何組かの人が休んでおり、休んでいる途中でも何組かが登ってきた。

 

暑くはないが、展望もないので、食事を終えるとすぐに出発した。

展望地から少し奥に入るとそこに物見山の三角点があった。375mだ。

ここからは、ほとんどのハイキング客は足を踏み入れないだろう。

北東方向に伸びる尾根をたどって高麗神社の近くのゴルフ場の裏側に出てから、高麗神社、高麗川駅へとむかうつもり。

 

少し下ると展望のある地点があった。

 

そこからすぐに舗装の林道に出た。

たどってきた尾根の延長線にある尾根に踏み込もうとしたが、どうも道らしくない。

地図を確認すると上の写真の道を左奥に少し進んだところが目的の道だった。

 

ここがめざすルートの入り口。ここには案内板などはない。

 

アップダウンのない尾根をしばらく歩くと尾根の先端らしいところで道が左右に分かれていた。

左は宿谷の滝へと下る道。

私は東電の送電鉄塔の黄色い目印にしたがって右へと進む。

 

分岐から7分で送電鉄塔があった。

そこからさらに下り、薄暗い感じのする針葉樹林の尾根を歩く。

倒木に濃いオレンジのキノコがはえていた。

 

鉄塔から25分ほどで山道に出た。そこを右へとすすむ。

左に行くと宿谷へむかうし、その途中からは富士山という立派な名前を持つ220mの山へと登ることができる。

 

5分もしないうちにゴルフ場の周囲をめぐる舗装の道に出た。

ここからはゴルフ場にそって歩き、15分ほどで高麗神社の北500mほどの里に出た。

 

あとは高麗川駅まで歩くだけなので、途中高麗家住宅の前を通り、神社へとむかう。

 

高麗郡を開いた渡来人、高麗若光をまつった高麗神社。

若光は高句麗からの渡来人と伝えられている。

旧高麗郡は日高市と鶴ヶ島市の全域、川越市西部、飯能市の東部を含む広大な地域だ。

 

高麗神社から高麗川駅までは歩くと25分弱かかる。

私は近道をしようとしてかえって遠回りをしてしまった。

急がば回れではないが、地図は面倒がらずに確認しよう(笑)。

2時20分無事駅についた。お疲れ様。

 

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石丸峠から旧大菩薩峠へ(2024年9月13日)

2024-09-15 08:07:55 | 大菩薩とその周辺の山

まだまだ酷暑が続く9月13日、大菩薩峠を訪れた。

大菩薩は妻とも4回以上登っている。結婚前と結婚後、そして30年前の夏と秋に。

最初の計画は電車とバスを利用するつもりだったが、甲斐大和を出るバスは9月になると平日は運行していなかった。

しかたなくマイカーで出かけた。

 

上日川峠についてみると平日だというのに駐車場は満杯だった。

これなら平日でもバスを運行できるのではないかと思ったほどだ。

第2駐車場に最後の一台として留められたが、まだ奥には第3駐車場もあるようだ。

 

今回のコースは、上日川峠から石丸峠、熊沢山をこえ大菩薩峠へ。その後賽の河原から雷岩を経て上日川峠に戻るという計画。

8時38分、上日川峠から下る道へと入る。

ほとんどの人が唐松尾根か大菩薩峠へとむかうので、石丸峠への道は静かだ。

いい雰囲気の落葉樹林のなかの道をたどる。カエデ類も目に付くので10月下旬には紅葉が楽しめそうだ。

 

30分ほど歩くと日川の上流部にあたる沢をわたる。

ここから小屋平にむかって登り返す。

登りになるととたんに汗が噴き出してきた。

標高1500m付近なのでそれほど暑くはないのだが、この日は湿度が高くムシムシとしていた。

 

上日川峠を出発して50分弱で小屋平のバス停に到着。

汗をぬぐって一休み。

ここが石丸峠への入り口。バスならここから歩き始められる。

 

バスの通るこの道から120mほど上の林道までは少し急な登りになってまた汗まみれになった。

 

標高1700m付近をはしる林道に出るとそこから今回初めてで最後となった富士山の姿が。

 

林道から石丸峠へと向かう道はカラマツ林の中のとても気分のいい道だ。

 

少しづつ少しづつ高度をあげていく。

 

カラマツ林を抜けると眼下に大菩薩湖が見えてきた。

上日川ダムによってできたダム湖だ。

 

そして富士山のみえた林道からおおよそ1時間で石丸峠だ。

1900mを越えていて笹原の広がる広々とした峠なので風が吹き抜けてとても気持ちがいい。

 

ここは小屋平から牛の寝通りへむかう道と大菩薩峠から小金沢連嶺を縦走する道との十字路になっている。

ここで軽く食事休憩。

日向で休んでいても少しも暑くはない。

 

ここから大菩薩峠との間にある熊沢山を越える。

 

途中から峠を振り返る。こうしてみてもなかなかいい峠だ。

雁坂峠の雄大さにはとても及ばないが、こじんまりとしてとてもいいところだと思う。

 

熊沢山は石丸峠からの南面と大菩薩峠にむかう北面では雰囲気がガラッとかわる。

北面はコメツガなどが生えていて奥秩父の原生林の雰囲気がある。

 

倒木にはキノコが生え、

 

岩には苔がついている。

 

こんな青みを帯びたサルノコシカケの一種を見かけた。

 

40分くらいで熊沢山を越えて、大菩薩峠にある介山荘の建物だ。

 

建物の間を抜けると大菩薩峠の標識が。

茶色の木の柱は今年7月に建て替えられたものらしい。

ちょうど12時になったのでここで本格的に昼食タイム。

 

眼下の大菩薩湖は良く見えているのだが、上空には青空が広がっていても目の高さには雲があって富士山は見えなかった。

 

峠のかたわらには五輪塔。

 

親不知の頭への登り道にはリンドウが咲いていた。

 

親不知の頭から見下ろした賽の河原。

ここが本来の大菩薩峠だ。江戸時代には甲州裏街道(青梅街道)がここを越えていた。

 

賽の河原の避難小屋とその付近にたくさんの石積が。

 

今日はこの地の石積みの一つに妻を偲んで石を積み、遺灰をほんの少しまかせてもらった。

 

さていよいよ雷岩にむかって最後の登りへと進もうとしたら同行のメンバーがここから下ろうといいだした。

暑さで少し疲れてしまったようだ。

そこでまだ歩いたことがない江戸時代の旧道を富士見平へと下ってみることにした。

 

賽の河原の避難小屋の裏が旧道の入り口だ。

 

馬の背に荷物をつんでぽくぽくと歩いていたのだろう。

とても歩きやすくていい道だった。

 

江戸時代の旅人はこんな角度で大菩薩嶺を仰ぎ見ていたのだろう。

 

途中には湧水や沢もあってのどを潤せる。

 

そして40分で富士見平に到着。

登山道を歩いていた人が旧道から出てきた私たちを振り返ってみていた。

 

今は使われていないらしい富士見小屋。

 

ほんの少し歩くと福ちゃん荘。

あとは山道ではなく舗装の道を使って上日川峠へ。

 

午後2時10分、無事上日川峠に帰ることができた。

最後に今回歩いたコースを地図で示しておく。

この日はやまと天目山温泉によって汗を流して帰宅したが、途中高速道が事故渋滞となりひどい目にあってしまった。

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前武尊山(2024年9月6日)

2024-09-07 09:00:22 | 上越・赤城・榛名とその周辺の山

8月後半は、長雨と台風で山に行く機会がずっとなかった。

9月に入ってようやく天気が回復したので、6日金曜日、群馬の前武尊山に出かけた。

この山には18年前の10月に登っている。

紅葉と岩の前武尊山(2006年10月19日)

今回が2回目なので、コースを変えてオグナほたかスキー場からのコースを使ってみた

 

さすがにスキー場があると山奥まで道がよく整備されている。

手前のペンションや民宿が散らばるエリアにはテニスコートやサッカーグラウンドなどがあった。

 

スキー場の駐車場に車を止め、8時25分歩き始める。

さっそくブナやコナラなどの落葉樹林の急登がはじまった

 

20分ほどで広い稜線に出た。

かなり大きな木も点在する豊かな森の道を歩く。いい感じだ。

 

ところが15分もするとスキーコースに出てしまった。

地図を見た時、このコースは、上の方はゲレンデの中を歩くことになることはわかっていた。

コースに並行してリフトがあるからだ。

ところが実際にはずいぶん下の方まで登山道にそってゲレンデが広がっていたのだ。

この日は、コースの7割かたはご覧のようなゲレンデの中の舗装の道を歩くことになってしまった。

 

スキー場には何人か人が入ってシーズンにむけての準備作業がはじまっているようだった。

ゲレンデのススキもきれいに刈り込まれていて、秋の花もコースわきの林の縁に見られるだけだった。

 

風が吹き抜けるのでそれほど暑くはないが、夏の日差しが背中をじりじり焼いている。

ゲレンデ歩きで30分ほどするとスキー場上部に到達し、前武尊山の山頂が見えてきた。

 

先日の台風のあと、空には秋の雲が姿を見せるようになってきた。

 

ヒヨドリバナももう終わりだ。

 

舗装の道が終わるところに冬の風によって枯れてしまった木と風下だけ枝を残した木があった。

標高1700mあたりなので冬は北風が吹きつけるのだろう。

 

ゲレンデも最後の部分はかなり急斜面になっていて、まだ草も刈っていなかった。

ヤマハハコとアキノキリンソウ。そして大部分はススキにおおわれている。

 

出発して1時間半でようやく山道にはいった。

ここまで最初の30分以外はずっと舗装の道を歩いてきたのだ。

 

山道に入るとすぐに川場野営場からの道と合流した。

この道は前回下山に使った道だ。

 

なかなか急で、歩きにくい。下山に使った道は印象が薄く、あまり覚えていない。

 

少しのぼると石の地蔵さんがあった。道に背を向けて下界を見下ろしている。

 

脚も疲れてきてたびたび立ち止まる。

あしもとにオヤマリンドウだろうか、つぼみを固くとじている。

 

途中にはちょっとした岩場もあって鎖が3カ所設置されていた。

 

まだ紅葉には早いが、オオカメノキが赤い実をつけていた。

 

先ほどの地蔵さんから30分ほどのぼるともう一つ石の地蔵さんがあった。

こちらは小さな屋根がかけてあった。

 

2つ目の地蔵さんから5分ほど登ると傾斜がゆるくなり、石の祠があった。

いよいよ山頂の一角に到着のようだ。

いやいや、疲れた。

 

前武尊山山頂。日本武尊の銅像があり、屋根もかけられている。

 

手をかざしてはるかに東国をみおろしている。

 

南東側が開けていて、赤城山から日光の山々が見渡せる。

左奥が日光白根山らしい。

 

日差しが暑く感じられたので屋根の陰にはいって一服。

 

18年前の時も不動岩の岩場から山頂までがかなりきつかったと記憶していたが、こちらのコースも山頂直下はなかなかきつかった。

このときはコースタイムよりかなり遅いと思っていたのだが、帰ってから確認するとコースタイムよりかなり早いペースだったのだ。

スキー場の中が歩きやすかった分、最後の急登がきつく感じたのだろう。

 

前武尊山のすぐ北にある剣が峰。

前回はこの峰の裏側まで行ってみた。なかなかの大展望だった。

今回はここから眺めるだけにして、30分ほどで下山した。

ゲレンデの舗装道を歩くと足が裏が痛くなるので草地の中を歩いた。

駐車場には午後1時ちょうどに到着した。

 

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鳳凰三山縦走2日目(2015年8月14日)

2024-09-02 14:40:30 | 南アルプスとその周辺

鳳凰三山・夜叉神峠から広河原へ 1日目(2015年8月13日)の続きです。

 

2日目、5時前にご来光を見に小屋を出た。

下界は雲海でおおわれ、上空には点々と雲が浮かんでいる。

 

まず上空の雲が赤く焼けてきた。

 

目の前に流れてきた雲も赤く染まる。

 

太陽が昇り、雲海がうすくピンクに染まってきた。

今日も、北岳の稜線は雲に隠れていた。

 

5時20分、薬師岳小屋を出発。

最高峰の観音岳、オベリスクのある地蔵岳と歩き、その後高嶺を越えて白鳳峠から広河原へとくだる予定だ。

 

薬師岳付近は白砂の斜面が大きく広がっている。すばらしい景色だ。

背景となる南アルプスの稜線が見えてほしい。

 

最高峰の観音岳へとむかう。上空は青空も広がってきた。

妻にとってもこの風景はとても印象的で、深く心に刻まれたようだった。

 

ホウオウシャジン。イワシャジンの変種で、名前からしてここの固有種なのかもしれない。

 

6時40分、最高峰観音岳に到着。2840mだ。

長い道のりを歩いてたどりついた最高点だが、残念ながらこの付近の様子をあまり記憶していない。

 

山頂付近の岩陰に六地蔵の石のレリーフが置いてあった。

ここから地蔵岳のあいだの鞍部まで200mほど下る。

 

途中にあった木のオブジェ。一本の枝には葉が茂っていたのでまだ生きているらしい。

 

その近くにいった岩は、なにかの顔を思わせた。

大目玉に大きな鼻。口を尖らせ気味に少し開いている。

 

オベリスクが近づいてきた。その前に赤抜沢ノ頭をこさなければならない。

 

赤抜沢ノ頭をこえてオベリスクの下の賽の河原に到着した。

9時30分を少しまわっていた。

 

オベリスクには登れないが、これで無事鳳凰三山縦走をはたしたのだ。

 

赤抜沢ノ頭に戻り、さらに北へと尾根をたどって白鳳峠をめざす。

その前に高嶺2779mを越さねばならない。そこは地蔵岳よりも高いところだ。

 

ミネウスユキソウらしい。白いガクが思ったより丸く幅広い。

 

途中の鞍部も花崗岩の白い岩と白砂だった。

 

雲の間から北岳の大樺沢が見えていた。残雪の奥のコルが八本歯だ。

でも肝心の北岳の頭は姿を見せてくれない。

 

最後のピーク高嶺に到着。賽の河原を出てから2時間近くかかってしまった。

少々疲れが出てきたようだ。

でも妻も気持ちよさそうに景色をながめていた。

 

白鳳峠への下り道。よく整備されて歩きやすかったが、この途中から妻が「足が痛い」といいだした。

 

足の付け根あたりが傷んでいるらしく、歩みが次第に遅くなってきた。

白鳳峠まで高嶺から1時間近くかかってしまった。

それでもコースタイムで40分だから、このペースで下れれば問題はない。

峠にあったベンチで足をマッサージしてやった。

 

痛みは治まらないが、歩いてもらうしか方法はない。

白鳳峠から野呂川の谷へと急斜面を下っていくのだが、谷の底に近づくにつれて急になっていくコースだ。

 

私がすぐ後ろについて気を付けながら声をかけて下っていく。

休み休みの超スローペースだ。

 

なんとか野呂川の谷底、野呂川林道に到着。

しかし、そこまでになんとコースタイムの倍以上かかってしまった。

妻は、林道に出てほっとしたようすで、少しびっこを引きながら広河原へと歩いていた。

広河原からの最終バスには間に合わなかった。

ほかにもバスに遅れた人が何人もいて芦安からタクシーを呼んでいた。

だいぶ遅くなってしまったが、なんとか無事に夜叉神峠の駐車場に戻ることができた。

良くも悪くも妻にとっては思い出深い山行となった。

この秋にふたたびここを訪れたいと思っている。

 

 

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