毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

ことばの聞き取りには4ヶ月

2021-12-25 14:05:25 | 難聴亭日録

補聴器のことをしばらく書いていなかった。

補聴器は力を発揮し出すまでには時間がかかる。

それはわかっていたのだが、実際はいらいらの連続だった。

それをがまんして装着し続けていたのだが、10月はじめ頃にふと聞こえが改善していることに気がついた。

先週の会議ではあんなに苦労して、いらいらさせられたのに、という感じだった。

装着をはじめて4ヶ月が経過していた。

脳の聴覚の対応は、じわじわとではなく、ある日突然にという感じだ。

このことは同じ苦労をしているだろう補聴器初心者の方にはぜひ伝えておきたい。

耳は目とはちがって、時間、いや月日がかかる。

それも少しづつ改善するわけではないので、半信半疑という状態が続く。

でも人間の脳はかなり柔軟にできているようだ。

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鼻曲山(2017年12月29日)

2021-12-25 10:10:32 | 山日記

年末山行シリーズというわけではないが、調べてみたら2017年には鼻曲山に登っていた。

奮発して新幹線を使い、軽井沢からバスで長日向というところでおりて、そこから高原状の道をのんびり歩いた。

軽井沢からのバスはほとんどが観光客で、山の格好をしているのは私だけだった。

長日向の周辺は別荘地だ。夏はにぎやかになるのだろうが、寒い年末年始を過ごす人もいるのだろうか。

まずは林道をゆっくりとあがっていく。

すぐに別の林道と出会った。その林道を横切って少しせまくなった道をそのまま登っていく。

その交差点に標識があった。鼻曲山まで120分とある。

雪は少ないのだが、ところどころで動物の足跡にであった。

から松林の中の道をときどき青空に広がる梢を見上げながら歩く。

あまり見たことのない足跡だ。これは調べてみたがなんの足跡だかわからなかった。

鼻曲山へは、二度上峠から氷妻山をこえて尾根通しに往復する人がほとんどだろう。

中には霧積温泉から登る人もあるだろう。でもこのコースから登る人は少ないかもしれない。

山登りというより高原散策に近い。元気な人にはものたらないだろう。

さらに上の林道に遭遇した。

林道を横切り、尾根の右の斜面にそってゆるやかに登っていくときりづみ温泉の案内標識があった。

この近くに住んで、毎朝こんなところを散歩できたらいいなと思う。

また足跡があった。鹿のものだろう。

斜面を登って尾根の上にむかう。もう頂上はそう遠くないはずだ。

広々とした尾根の上にでた。あとはこの尾根をつめていくだけだ。

頂上直下だけはこれまでとはちがって急斜面になって、ロープもつけられていた。でもほんの10mほどだ。

頂上間近の稜線に出ると目の前に関東平野の大展望が開けた。

南を見ると奥秩父の山のむこうに富士山がちょこんと頭をのぞかせている。

手前には妙義山のぎざぎざのシルエットがある。

北の方にはなかなか立派な浅間隠山。

そして西には真っ白な浅間山が噴煙をあげていた。

カップラーメンで昼食にする。

見上げると近くの木に修験道の札が取り付けられていた。

熊野修験、那智山青岸渡寺、平成28年10月吉日としてある。22年前のものだ。

修行のために全国の山をめぐり歩いているのだろうか。

帰りは同じ道を戻るのだが、バスの時刻まで時間があるのでのんびりすごす。

三角点の標石と自分の影を撮ってみた。

地面が雪で白くなったおかげでカラマツ林がリズミカルな繰り返しとなって美しい。

帰り道、林の中にほとんど藪がないので、登山道をはずれて尾根の上をそのまままっすぐ下ってみた。

雪は少ないのだが、難なく歩けて林道に出ることができた。

美しいカラマツ林。その中になにか書いた標柱が立っていた。

カラマツ林除伐形式試験地と読める。

長日向に近づいた道にウサギの足跡。

そしてふたたび別荘地に戻ってきた。

ゆっくり下ってきたのだが、まだバスまでには時間があった。

自分の靴跡を撮ってみた。暇つぶしだ。

バスを降りてからこのバス停に戻るまで誰にも会わない静かな山旅だった。

私の歩いたコースはハイキング地図には乙女コースと書いてあった。じいさんが乙女の真似をしたということか。

山頂からの展望は申し分ないのだが、コースは楽でも少し長くて単調だ。

カラマツの黄葉のころとか5月の新緑のころがいいのかもしれない。

 

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赤鞍ヶ岳から菜畑山(2014年12月30日)

2021-12-24 16:12:21 | 山日記

今夜はクリスマスイブ。もう2021年も終わりだ。

年の瀬には毎年どこかの山に出かけているが、今年は地元の仲間と箱根の明神ヶ岳に行くことにしている。

以前に投稿した武甲山と大持山も年末の出かけたものだが、その前はどこに行ったかと写真を調べたら、2014年に道志の赤鞍ヶ岳から菜畑山を歩いていた。

ちょうど時期なので投稿してみよう。

車で出かけたのだが、このころはスタッドレスタイヤを使っていなかったので、早朝の路面凍結に少し怯えながらの運転だった。

7時40分。車は、道志村役場の駐車場に留めさせてもらった。

谷間の道志村にはまだ朝日が届いていなかった。

村役場から山中湖方面に200mほど歩く。年末の早朝とあって人影は見えない。

赤鞍ヶ岳への登山道は、右手の石積みの擁壁の間の坂道を登っていく。

畑は霜で白くなっていた。

計画では谷間の山道にはいる予定だったが、標識があったのでそれにしたがってそのまま林道をたどると鹿よけの柵があった。

舗装がおわって少し歩くと右に折り返すように登山道がはじまる。足元に小さな標識も設置されていた。

少し登ると赤鞍ヶ岳から南にのびる尾根の末端に出る。

これは松の枯葉だった」と思う。一面に絨毯のようだった。

なかなかの急登が続く。上に行くほどきつくなっていく。足元がすべりそうだ。

植林帯にはいると木の根があってかえって歩きやすくなった。

ようやく急登が終わって道がゆるやかになったらそこが秋山峠。ここまで2時間近くかかった。

10時15分、赤鞍ヶ岳に到着した。カラマツ林のなかの山頂で展望はないが明るい感じだ。

ところでハイキング地図には、ここは朝日山と表示されている。赤鞍ヶ岳はここの東のピークにつけられている。

国土地理院との見解の違いはなにによるのかは不明だ。

だが現場の標識には「赤鞍ヶ岳」と表示されていた。

まだお昼には早いので、小休止ののち菜畑山への縦走路にはいった。

しばらくはゆったりした尾根道が続いていたが、地図で岩殿山と書いてある地点をすぎると急な下りとなった。

地面が凍結しているのか、グリップが効かない感じですべりそうだった。

木々の枝越しに白いピークが見えたが、どこの山だか見当がつかない。方角からは南大菩薩の黒岳と思われたが、こんなに雪が積もっているとも思えなかった。

11時30分近くに2つめのピークについた。ここで昼食休憩にした。

特に標識などはなかったように思うが、地図で確認すると岩戸ノ峰らしい。

赤鞍ヶ岳の次のピークが岩殿山。ここが岩戸ノ峰。まぎらわしい。

休憩中うろうろ歩いていたら鹿の糞があった。木の実が落ちているように見えないこともない。まさか拾って口に入れる人はいないだろう。

そこから150mほどくだる。林の向こうに菜畑山らしい山が見えてきた。

そして最低鞍部が本坂峠だ。そこからまた100mほど登り返す。

赤鞍ヶ岳と似たような雰囲気のピークに出た。

手作り風の標識に「ブドウ岩の頭」ときざんであった。まだ真新しい。

これまで西に進んできたが、ここで南に向きを変えて菜畑山へとむかう。

小さなアップダウンのあと最後は150mほどののぼりとなった。

13時30分、菜畑山に到着した。

菜畑山は南側が大きく開けて展望がよい。あたりはススキにおおわれていた。

富士山がよくみえるのだが、午後になってかすんでしまって写真にはほとんど写らない。

少し雲もまとっているようだ。

ここで反省。富士山のながめを楽しむのなら逆に菜畑山からのぼって赤鞍ヶ岳からくだるようにすべきだった。それならご午前中でもっとくっきりと見えたはずだ。

小さな東屋とベンチがあった。

これは下る途中での写真だと思う。見下ろすと道志の村が見える。

菜畑山からの下りの道は、赤鞍ヶ岳への登りに比べればはるかに歩きやすいいい道だった。

途中にテレビの中継のための設備があって、そこまで車道がのぼっている。

しかし、その道では遠回りになるのでそのまま山道をくだる。

道志の村が見えた。風もないので景色そのものがひっそりと静まり返っているように感じられた。

ここでも鹿よけの柵にであった。なかなかしっかりとした作りだ。それだけ獣害もひどいということだろう。

写真の最後にここが写っていた。日帰り温泉紅椿の湯。温泉によったんだったっけ?

宿泊もできるようだ。でもどんな風呂だったか覚えていない。そもそも温泉に寄ったことも忘れていた(笑)

 

 

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生藤山から浅間峠へ(2021年12月)

2021-12-17 13:10:32 | 山日記

三頭山から南東へ長大な尾根が続いている。笹尾根とよばれている。

この尾根はやがて三国峠(今は三国山とも)から生藤山、醍醐丸、和田峠をへて陣馬山へと続くが、笹尾尾根と呼ばれるのは三国峠までのようだ。

私は、三頭山から小棡峠までは歩いたことがあるが、小棡峠から三国峠までがまだ歩いたことがない。

そこで今回は上野原からバスで井戸にでて、そこから生藤山に登り、折り返して三国峠から未踏区間の中間にある浅間峠まで歩くことにした。

この日は風もなく快晴だった。

井戸の集落からは谷間に広がる畑とその向こうにある小山を越して富士山が眺められる。実にいいところだ。

登山口に近づくと開かれた斜面の畑の中に一本の大きな木が目に入る。なかなか立派なのだが、なんの木だか私にはわからない。

ここが生藤山への登山口。軍刀利(ぐんだり)神社の鳥居をくぐっていく。

谷間の薄暗くて結構急なのぼり道を歩いていくと長くて急な石段があらわれた。そこが軍刀利神社の本社だ。

そこには5,6台は留められる駐車スペースがある。

舗装の道はさらに上まで続いているが、ここからは車両通行止とされていた。

200mほど歩くと舗装の道が終わって、鳥居と社が正面に見えてくる。ここが奥社だ。

大きな桂の木があった。幹の周りにをたくさんのそれもかなり太くなったひこばえが囲んでいる。腰の周りに槍をさしているような感じだ。

「その槍で鬼をやらうか大桂」

これは帰ってからひねった一句。

道は社の裏を回り込みながら右奥の谷へと入っていく。しばらくは歩きやすい道が続く。

やがて急斜面をジグザグに折り返しながら登るようになって、ようやく左に向う女坂・軍刀利神社と右に向う三国山という分岐の標識が現れた。

調べたところ女坂経由の方が距離は近いようだが、歩きやすい右の道を選ぶ。

右の道は、三国山から南に伸びる尾根の稜線にむかって斜面をゆっくりと登っていく。

稜線に出てしまえば三国山まではもうきつい登りはない。

あたりが明るくなってきたらもう三国山はすぐ目の前だ。

そこには看板といくつかのベンチがあって、先行したグループが休んで食事をしていた。

ここからは富士山がよく見えたように記憶していたが、今は背の伸びた木々にはばまれてよく見えない。

私たちは三国山を素通りしてすぐとなりにある生藤山にむかった。

三国山は、実際の名は三国峠であってピークになっていない。武蔵、甲斐、相模の三国の境界をなす尾根の分岐点だ。

下ることはなく、少し尾根道を歩いた先でわずかな登りを登ればそこが生藤山の山頂だった。

山頂は木々に覆われているが、一角からは富士山がよく見えた。

頂上にも3つのベンチがあった。私たちはそこで昼食休憩とした。

風もなく、日差しも暖かいので風よけなどを羽織る必要はない。

休んでいると先ほど三国山にいた人たちが次々と登ってきて富士山の写真を撮って醍醐丸の方へと去っていった。

私たちは逆の浅間峠へと向かうのでいったん三国山へ戻り、そこから笹尾根へと踏み込んでいった。

道は思っていたよりも標高を下げ、分岐点から左にむかった道と合流したあと急な階段となって登っていった。

登りついたところが軍刀利神社の元社だった。かなり広い平地の片隅に祠がしつらえてあった。

富士山の方をみると生藤山よりも広い視界で見渡せた。

すると足元の藪から女性が一人顔を出した。ちょっとびっくりしたが、いわゆるバリルート歩きの人だった。

奥社からそのまま急な尾根を登ってきたにちがいない。

元社のあるところから少し下ってさらに大きく登り返す。次のピークが熊倉山かと思ったら、そこは軍荼利山と書いてあった。

元社はこの山の途中のこぶにあるという形だろう。

ふたたびくだって登り返す。地図で予想したよりもけっこうアップダウンがあるのだ。

三国山から20分かかって熊倉山に到着した。木々のあいだから遠く関東平野が見えた。

そこから浅間峠まで約40分だが、小さなピークと鞍部の繰り返しだ。

浅間峠もかなり広いところだった。東屋がたっているほかにベンチもあった。

一角に大きな杉の木が2本並んで立っていて、かたわらには石の祠がまつってあった。

この峠は秋川流域の川乗の集落と鶴川流域の棡原とを結ぶ古い峠だ。

バスの時刻まで余裕があるのでコーヒーを入れて休憩した。

ここからは秋川側に下ることもできるが、私たちは鶴川側に下ることにしていた。

午後3時すぎにあるバスにあわせて下ることにした。が、それが大間違い。

このバスは、季節運行で、冬場は走っていなかったのだ。

峠道は上川乗へ下るほうが短い。わざわざ長い峠道をくだって着いてみたらバスはない。

仕方がないのでバス道を歩きながらタクシー会社に電話を入れて、途中の用竹まで迎えに来てもらった。

タクシー代約3000円余り。新山王橋から駅までバスなら500円のところ、3人だったので2倍ちょっとの出費ですんだ。

ただし、上野原駅で30分以上待つことになったが、それでも自宅についたのは上川乗下った場合とあまり変わらなかった。

 

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武川岳(2021年12月4日)

2021-12-08 09:35:11 | 山日記

先日武甲山から大持山の記録を投稿してもう一度この山域を歩いてみたいと思った。

どうせなら今度は名栗のほうから登ってみようと思った。

名郷から妻坂峠、大持山、鳥首峠とまわって名郷に戻る。一日の行程としてはちょうどいい感じだ。

妻坂峠から尾根を反対側に進めば武川岳になる。武川岳は一度登っているのだが、随分前のことで、二子山をこえて芦ヶ久保に出たことくらいしか覚えていない。この時はカメラを忘れたらしく、写真も残っていないので山頂の様子なども全然思い出せない。

そこで考え直して、もう一度武川岳に登り、尾根を伝って名郷に戻る計画に変更した。

確認のために古い地図を引っ張り出してみると、名郷から妻坂峠を通って武川岳へと赤線が入っていた。すっかり忘れていたが、この時も妻坂峠を通っていたのだ。

朝食を自宅ですませ、車を出して名栗へと向う。もったいないので高速は使わない。

次の写真が名郷の風景。この少し先にバスの折り返し場があり、その側に駐車場もある。平日は500円、休日は700円だった。

名郷から妻坂峠に向う道に入ると名栗川はキャンプ場になっている。このキャンプ場の駐車場も利用できるが、こちらは平日でも700円。

10分ほど歩くと白岩をへて鳥首峠へむかう林道と分岐する。そのすぐ上に写真のような駐車スペースがあった。

ところが、この妻坂峠道は通行止になっていた。看板を見ると橋が崩落して架け替え工事をしているらしい。

どうしたものかと思ったが、川床がそれほど深くないので迂回できるのではないかと考えてそのまま進んでみた。

ここが崩落現場らしい。立入り禁止の表示があって、工事現場を通らずに迂回することは難しい。

でもこの日は土曜日で人影は見当たらない。工事現場にはダンプカーでも通れる立派な仮橋がかかっていた。

どうみても危険はないと思えたので、そこを通過させてもらった。

林道をさらに進むと湧水があった。数本のパイプから流れ出している。試しに飲んでみたら軟水だった。

コーヒーでも入れたら美味しいのかもしれない。

林道はその先で一度折り返して高度を稼ぎ、妻坂峠道からはなれて行く。

なんと林道はこの先も通行止の表示があった。

大持山から名郷に下るには、妻坂峠もこの横倉林道も使えないということだ。

鳥首峠経由しか道がないのだ。

林道が終わってようやく山道となった。まずは鉄板の橋で沢を渡る。

山道は古くから使われてきた峠道らしく、歩きやすい。

沢を詰め終わって峠へと登り始めると道はジグザグに折り返して登っていく。

数えてみたら8回折り返していた。

峠が見えてきた。

妻坂峠。この角度の写真は5年前の武甲山の時も撮っていた。

小休止して、水を飲み、豆大福をひとついただく。峠の反対斜面は落葉樹の林なので、あいだから武甲山がよく見える。

こちらは大持山。

武川岳への尾根も幅広く木々もすっかり葉を落としていて明るい。

頂上についたらしい。右の奥側は大きな杉の林になっていた。

こんなところだったのだ。全然覚えていなかった。

東側が開けていた。奥武蔵の山の向こうは関東平野なのだろうがよく見えない。右側をのぞきこむとぎりぎり丹沢の大山が見えた。

頂上には7~8人が休んでおり、そのあとは次々に登山者が登ってきた。結構人気があるらしい。

おにぎりを食べ、お湯をわかしてコーヒーをいただいた。

頂上の少し先が十字路になっている。私が登ってきた妻坂峠道、尾根をすすんで二子山に向かう道、正丸峠方向にむかい途中から沢にくだる道、そして私が下山に使う山伏峠道。

山伏峠道はしばらく杉林と雑木林のあいだの広い尾根道だった。

そのあとは少し急なくだりとなり、鞍部から前武川岳への登り返しとなる。まあたいした高低差ではない。

前武川岳の山頂部も広々としていてベンチ等があった。

ここで尾根をそのまま進めば山伏峠にむかう。私は右にそれて天狗岩尾根に入る。

その案内標識をみたら、天狗岩コースは上級者向けとかいてあった。そんな話し聞いたことがなかったので少し驚いたが、山伏峠へ向かうと遠回りになるので予定通り進むことにした。

道の右側が植林の杉林で、獣害よけのネットがはりめぐらされていた。

かなり歩いてようやく天狗岩に到着。予想通り石灰岩の岩場だ。石灰岩は雨による浸食で岩の隙間が深くえぐれていることが多く歩きづらい。

それで上級者むけと表示されていたのだろう。

しかし、なんのことはない、左手の斜面に巻道があった。少し急ではあるが、これならなんの危険もない。

むりをせずに巻道を使用する。

下側には、岩場をとおる男坂と巻道の女坂の表示があった。前武川岳の表示にも巻道があることを書いておくべきだろう。

天狗岩から少し下ると写真のような金網があった。この先は石灰岩の採掘現場のようだ。採掘は尾根ギリギリまでせまっていた。

そのためだろう。山道は右の斜面へとくだっていく。私の持っている地理院の地図は尾根通しに道がついてる。

念のため帰ってからネットの地理院地図を確認したら、そちらは現実どおりに斜面をくだるように表示されていた。

斜面を下っていくとカエデ類が姿をあらわした。この山では少ない紅葉スポットだ。

道が付け替えられたおかげで陽の目を見たのかもしれない。

途中で標識があってこんどは斜面を水平にトラバースする。みちはしっかりしていて歩きやすい。

ふたたび昔の尾根道と合流した。かつてのルートである尾根道側にはロープがはってあった。

ようやく舗装の道がみえた。

しかし、そこはまだ山腹をはしる林道だったので、もう少しくだらなくてはならない。

こんどこそ下の道に出た。このあとは舗装の道をあるく。

林道は出発の時にみたキャンプ場のところで妻坂峠道に合流した。

この日の行程は日帰りにはちょうどいい。武川岳には正丸峠側からも周回コースが組めるし、元気な人なら二子山を越して芦ヶ久保から往復することも可能だ。

欲をいえば山頂の展望範囲がもう少し広ければ申し分ない。

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