先日、京都大学にて【 湯川記念館 】を見学し、
湯川秀樹博士の読書の世界に浸(ひた)ってきました。
(難しい物理学の話は理解できないですが…)
その続きです。
せっかくここまで来たのだから、湯川博士が
自身の回想録として書かれた本
『旅人』で記された風景を巡ってみよう!と
思い至り、
京都大学周辺を歩きながら見てきました。
まずは、湯川記念館すぐそばの建物です。
【旧農学部附属演習林事務室】(登録有形文化財)
農学部キャンパスにある建物なので
当時、この建物の近くに数匹、山羊(やぎ)がいたそうです。
湯川博士が取り組んでいた研究が、エネルギーという
悪魔のように難しいものだったので
山羊が出す悲鳴のような鳴き声さえも
悪魔のあざけりのように聞こえた、と書かれています。
( 建物の説明板 )↓
昭和6年(1931年)建築。
今では山羊の姿は見えず、ひっそりとしていました。
緑に囲まれて避暑地に来たような雰囲気です。
大学の中とはいえ、京都の街中にこんな素敵な建物が
建っていたとは……驚きました!
この建物の設計者は大倉三郎。
武田五一(たけだ ごいち)の門下生の一人で、
京都帝国大学工学部建築学科の第一期卒業生なのだとか。
建物の中も見学してみたかったのですが、
残念ながらここは一般入場不可でした。
ここに数匹、山羊がいたんだなぁと思いながら
建物をあとにしました。
次に紹介する場所は本の中に記されていなかったと思いますが、
農学部の表門なので
湯川博士がここを通ることもあったのではないかな、と。
【農学部表門・門衛所】(登録有形文化財)
大正13年(1924年)建築。
設計は、分離派建築会の森田慶一。
東京帝国大学を卒業後、警視庁技師になったけれど
武田五一に招(まね)かれ京都大学助教授として勤めることに。
↑ 通用口(つうようぐち)の尖頭アーチ(せんとうアーチ)
(左側の小さな門の上部が三角になっている形のこと)
これが分離派建築の特徴らしいです。
門衛所もあります。
尖頭アーチとか、建築好きな人が見ると「おっ!」と思えるような
場所でした。
続いて、吉田キャンパスの本部構内へ。
これが有名な京都大学のシンボル!
【 時計台 】です。↓(前に植わっているクスノキは2代目)
京都帝国大学工学部建築学科初代教授・武田五一(たけだ ごいち)
による設計で、大正14年(1925年)に建てられました。
現在は【百周年時計台記念館】という建物名になっています。
当時、この建物の中には法学部などの教室もあったのだとか。
湯川博士が欠かさずに聴講したという
西田幾多郎(にしだ きたろう)先生の講義は、
大きな教室にたくさんの学生が詰めかけたそうです。
西田幾多郎といえば、銀閣寺から若王子神社までの
疎水(そすい)沿いの小径(こみち)を
思索しながら歩いていたことから、
その小径が「哲学の道」と呼ばれるようになったという
影響力が凄まじい哲学者です(笑)
続いて、
時計台を正面から見て左手側に建っているのが
【 旧石油化学教室本館 】
京都大学の中でも一番古い建物です!
(明治村で見るような雰囲気の外観です)
湯川博士はこの建物の中で
物理や数学の勉強に励まれたそうです。
他にも朝永振一郎(ともながしんいちろう)、福井謙一 (ふくいけんいち)
といったノーベル賞受賞者がここで勉強したということで
別名、「ノーベル賞の館」とも呼ばれているそうです。
明治22年(1889年)竣工。
実はこの建物、第三高等学校の頃の建物です。
京都大学の創立が明治30年なので
大学の歴史よりさらに古いという建物なのです。
やっぱり「ノーベル賞の館」は別格ですね!
そして、
【 本部構内正門 】(登録有形文化財)
本部構内の内側から見た門 ↑
門を出て、東一条通りをはさんで
さらに白い門が見えます。↓
【 総合人間学部正門 】(登録有形文化財)
湯川博士も本の中で
本部構内正門を出るとすぐ目の前に
白い門が見える、というようなことを書いています。
そして、正門のすぐそばに建っているのが
【 総合人間学部門衛所 】(登録有形文化財)
キャンパスが広いので
いろんな場所に門があり、門衛所があります。
それにしても登録有形文化財、多いですね!
大学とは離れますが、東一条通りを進むと見えるのが
吉田神社です。↓
湯川博士は学生時代に吉田山に登ったりもしていて
馴染みの深い場所でもあります。
話はそれますが、
吉田神社で毎年2月に行われる節分行事は有名で
お祭りの期間は京都大学の前にも屋台がずらっと並ぶそうです。
そして最後は、何と言ってもここです。↓
荒神橋(こうじんばし)です。
橋の向こうに見える小高い山が吉田山です。
京都大学がある方向です。
湯川博士は、この荒神橋を渡って学校へ通っていました。
荒神橋と彫られています。
隣側には、かなの崩し文字で「くわうしんはし」と
彫られています。読めそうで読めない文字でした。
湯川博士の通学路であった荒神橋を渡ってみます。。
北を見ると川の上流にある京都の山々が見えます。
鴨川沿いに建物は建っていますが、
当時とそう変わることがない景色を見ることができました。
奥に見えるのが比叡山(ひえいざん)です。↓
湯川博士は比叡山も色んなルートから登ったそうです。
南を見ると東山などが見えます。
こうして見てみると
京都の町が山に囲まれた盆地だということがよく分かります。
湯川博士はこの荒神橋の景色を眺めながら通学し、
青春時代を過ごされたのです。
橋を渡り終わってこちら側にも「荒神橋」と。↓
大正三年と彫られています。
鴨川の歩道から荒神橋を見るとこんなふうでした。↓
こうして、湯川博士『旅人』の回想録に出てくる風景を
少しだけではありますが巡ってみました。
面白かった~!
皆さん読み疲れたことと思います。
本当にお疲れ様でした!
最後まで読んで下さった方、これであなたも
“湯川博士マニア”の仲間入り!ですね(笑)
湯川秀樹博士の読書の世界に浸(ひた)ってきました。
(難しい物理学の話は理解できないですが…)
その続きです。
せっかくここまで来たのだから、湯川博士が
自身の回想録として書かれた本
『旅人』で記された風景を巡ってみよう!と
思い至り、
京都大学周辺を歩きながら見てきました。
まずは、湯川記念館すぐそばの建物です。
【旧農学部附属演習林事務室】(登録有形文化財)
農学部キャンパスにある建物なので
当時、この建物の近くに数匹、山羊(やぎ)がいたそうです。
湯川博士が取り組んでいた研究が、エネルギーという
悪魔のように難しいものだったので
山羊が出す悲鳴のような鳴き声さえも
悪魔のあざけりのように聞こえた、と書かれています。
( 建物の説明板 )↓
昭和6年(1931年)建築。
今では山羊の姿は見えず、ひっそりとしていました。
緑に囲まれて避暑地に来たような雰囲気です。
大学の中とはいえ、京都の街中にこんな素敵な建物が
建っていたとは……驚きました!
この建物の設計者は大倉三郎。
武田五一(たけだ ごいち)の門下生の一人で、
京都帝国大学工学部建築学科の第一期卒業生なのだとか。
建物の中も見学してみたかったのですが、
残念ながらここは一般入場不可でした。
ここに数匹、山羊がいたんだなぁと思いながら
建物をあとにしました。
次に紹介する場所は本の中に記されていなかったと思いますが、
農学部の表門なので
湯川博士がここを通ることもあったのではないかな、と。
【農学部表門・門衛所】(登録有形文化財)
大正13年(1924年)建築。
設計は、分離派建築会の森田慶一。
東京帝国大学を卒業後、警視庁技師になったけれど
武田五一に招(まね)かれ京都大学助教授として勤めることに。
↑ 通用口(つうようぐち)の尖頭アーチ(せんとうアーチ)
(左側の小さな門の上部が三角になっている形のこと)
これが分離派建築の特徴らしいです。
門衛所もあります。
尖頭アーチとか、建築好きな人が見ると「おっ!」と思えるような
場所でした。
続いて、吉田キャンパスの本部構内へ。
これが有名な京都大学のシンボル!
【 時計台 】です。↓(前に植わっているクスノキは2代目)
京都帝国大学工学部建築学科初代教授・武田五一(たけだ ごいち)
による設計で、大正14年(1925年)に建てられました。
現在は【百周年時計台記念館】という建物名になっています。
当時、この建物の中には法学部などの教室もあったのだとか。
湯川博士が欠かさずに聴講したという
西田幾多郎(にしだ きたろう)先生の講義は、
大きな教室にたくさんの学生が詰めかけたそうです。
西田幾多郎といえば、銀閣寺から若王子神社までの
疎水(そすい)沿いの小径(こみち)を
思索しながら歩いていたことから、
その小径が「哲学の道」と呼ばれるようになったという
影響力が凄まじい哲学者です(笑)
続いて、
時計台を正面から見て左手側に建っているのが
【 旧石油化学教室本館 】
京都大学の中でも一番古い建物です!
(明治村で見るような雰囲気の外観です)
湯川博士はこの建物の中で
物理や数学の勉強に励まれたそうです。
他にも朝永振一郎(ともながしんいちろう)、福井謙一 (ふくいけんいち)
といったノーベル賞受賞者がここで勉強したということで
別名、「ノーベル賞の館」とも呼ばれているそうです。
明治22年(1889年)竣工。
実はこの建物、第三高等学校の頃の建物です。
京都大学の創立が明治30年なので
大学の歴史よりさらに古いという建物なのです。
やっぱり「ノーベル賞の館」は別格ですね!
そして、
【 本部構内正門 】(登録有形文化財)
本部構内の内側から見た門 ↑
門を出て、東一条通りをはさんで
さらに白い門が見えます。↓
【 総合人間学部正門 】(登録有形文化財)
湯川博士も本の中で
本部構内正門を出るとすぐ目の前に
白い門が見える、というようなことを書いています。
そして、正門のすぐそばに建っているのが
【 総合人間学部門衛所 】(登録有形文化財)
キャンパスが広いので
いろんな場所に門があり、門衛所があります。
それにしても登録有形文化財、多いですね!
大学とは離れますが、東一条通りを進むと見えるのが
吉田神社です。↓
湯川博士は学生時代に吉田山に登ったりもしていて
馴染みの深い場所でもあります。
話はそれますが、
吉田神社で毎年2月に行われる節分行事は有名で
お祭りの期間は京都大学の前にも屋台がずらっと並ぶそうです。
そして最後は、何と言ってもここです。↓
荒神橋(こうじんばし)です。
橋の向こうに見える小高い山が吉田山です。
京都大学がある方向です。
湯川博士は、この荒神橋を渡って学校へ通っていました。
荒神橋と彫られています。
隣側には、かなの崩し文字で「くわうしんはし」と
彫られています。読めそうで読めない文字でした。
湯川博士の通学路であった荒神橋を渡ってみます。。
北を見ると川の上流にある京都の山々が見えます。
鴨川沿いに建物は建っていますが、
当時とそう変わることがない景色を見ることができました。
奥に見えるのが比叡山(ひえいざん)です。↓
湯川博士は比叡山も色んなルートから登ったそうです。
南を見ると東山などが見えます。
こうして見てみると
京都の町が山に囲まれた盆地だということがよく分かります。
湯川博士はこの荒神橋の景色を眺めながら通学し、
青春時代を過ごされたのです。
橋を渡り終わってこちら側にも「荒神橋」と。↓
大正三年と彫られています。
鴨川の歩道から荒神橋を見るとこんなふうでした。↓
こうして、湯川博士『旅人』の回想録に出てくる風景を
少しだけではありますが巡ってみました。
面白かった~!
皆さん読み疲れたことと思います。
本当にお疲れ様でした!
最後まで読んで下さった方、これであなたも
“湯川博士マニア”の仲間入り!ですね(笑)