先日、京都大学へ行ってきました。
吉田キャンパス本部構内正門 ↓
京都大学は日本で2番目に創立された大学です。
歴史があり、
この正門からして登録有形文化財です。
明治26年(1893年)、第三高等中学校正門として建設された後、
現在は京都大学の正門として利用されている門です。
先日観光してきた明治村を彷彿(ほうふつ)させます。
京都大学では散策マップも出ているほど
大学構内は見どころ満載、
貴重な建物が目白押し。
もちろん建物見学は楽しみなのですが
今回、京都大学での一番の目的は
ずばり、
【 湯川記念館 】見学です。
本部構内から速足で歩いて15分ほどして
見えてきたのが、
吉田キャンパス北部構内にある
「基礎物理学研究所」です。↓
この建物の中にある旧所長室が
「湯川記念室」として保存されているのです。
建物を正面から ↓
余談ですが、京都大学のキャンパスは本当に広く、
海外からの学生や客人も多いため各建物には
必ず番号が付いています。↓
建物の前に銅像が見えました。↓
近寄って見てみると、
湯川秀樹(ゆかわひでき)博士!↓
日本人で最初にノーベル賞(物理学賞)を
受賞された湯川博士です。
銅像の隣には説明板 ↓
湯川博士の銅像を後ろから 。
京都大学のキャンパスを見守っています。
そしてこの建物が
「基礎物理学研究所」(湯川記念館)です。
昭和27年(1952年)、湯川博士がノーベル賞(物理学)を
受賞した記念に建てられた研究施設です。
建物に入る手前の壁には
【 湯川記念館 】の文字。↓
【湯川記念館】では事前予約をすれば
一般見学が可能となっています。
2021年7月から常設展示として公開されているのが
『湯川秀樹と読書 ~ノーベル賞物理学者の原点 ~』
この展示を見学するべく、事前予約をしました。
見学開始時間になると担当の職員さんが出迎えてくれて
簡単な施設の紹介や見学の順序、
見学の際の注意事項を説明してくれて
後は自分の好きなペースで見学をしていきます。
(見学時間は1時間)
記念室前の廊下スペース
ここから常設展示が始まります。↓
私はもうこの展示ケースから釘付けです(笑)
湯川秀樹博士が書かれた
『旅人 ~ ある物理学者の回想』朝日新聞社(初版)
(他に角川文庫、角川ソフィア文庫、講談社からも出版)
展示ケースの中には、
この『旅人』で書かれていた博士が読まれた本が
実際に展示されているのです!
湯川博士が祖父から教わった「論語」「孟子」「中庸」「大学」、
幼少期に読んだという赤い鳥社の「赤い鳥」
さらに、
17歳の時に使用した、ダフの教科書や
シューレーディンガー「波動力学論文集」
(開いた本の隙間から赤い表紙が少しだけ見えました)
他にも、
マックス・プランク「原子力学の諸問題」や
博士がアメリカ滞在中に購入されたという
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」等々。
湯川博士の読書歴を辿(たど)っていくことができるのです。
湯川博士の紹介パネルも ↓
展示ケースの中には本だけでなく
博士が使用していた印鑑や旅行かばん、
飾っていたという菊花石(きっかせき)、
さらには博士が詠まれた短歌なども展示されていました。
続いて湯川記念室に入ります。
本、本、本!です。
湯川博士が亡くなられたあと、
自宅書斎に遺された蔵書を
ご家族の意向により寄贈されたのだそうです。
本棚の中には日本の歴史に関するものから
アインシュタイン博士の本など研究に関わる書籍、
李白と杜甫など中国の書もあれば
夏目漱石、森鴎外、石川啄木などの本、
中でも目についたのが
核兵器のない世界へ、など
平和についての本が並んでいたことです。
湯川博士が研究者の責任として
核兵器の問題に向き合ってこられたのだ、と
いうことが垣間(かいま)見えました。
↑ 右側にある展示ケースの中には
湯川博士の直筆メモが展示されていました。
・「自己ノ全力ヲ自己二最モ必要ナル事柄二集中セヨ」
(自己の全力を自己に最も必要なる事柄に集中せよ)
・「明日カラ夕食後モ学校二イルコト」
(明日から夕食後も学校にいること)
・「新シキ時代ノ代表者トナレ」
(新しき時代の代表者となれ)
博士の内に秘めた希望や焦り、研究への熱い思いが
伝わってきます。
さらに奥の部屋へ入ります。
当時の所長室が展示室になっています。↓
壁には黒板があり、数式が書かれていました。↓
私は物理に詳しくないので、この数式も秘密の暗号か
魔法の呪文のようにしか見えず……
(湯川博士、ごめんなさい)
湯川博士の書 ↓
「学而不厭(がくじふえん)」
論語の一節で、学んでも学んでも決して厭(いや)になることがない
という意味です。
こちらも湯川博士の書 ↓
「学問は大いなる蓄積である」
さらに、この部屋の展示ケースの中には
日本人初の受賞となったノーベル賞のメダルがありました。
もちろんメダルはレプリカですが、輝いていました!
賞状も飾られていて
湯川博士が継続して研究した結果の栄えある象徴として
鎮座していました。(写真は控えました)
そしてこちらの本棚は…↓
有朋堂文庫です。
平安時代から江戸時代までの古典文学を網羅(もうら)
した古典大全集です。
全巻揃っているそうで、専用の棚に収められて貫禄があります。
湯川博士が使用していた所長室の机です。↓
湯川博士は亡くなられる3週間前まで
この所長室に来られていたそうです。
取り組みたい課題がまだまだ残っていたのではないかと推測されます。
当時の所長室の見取り図が描かれた説明書 ↓
そして壁側には本、本、本!
改めて、湯川博士の読書量は凄かったのですね…!
こちらはノーベル賞の受賞につながった論文です。
当時の部屋の様子を伝える写真 ↓
部屋には空調が完備されていました。
湿度計も配置されて、丁寧に保存されていることが伺えます。
こうして約1時間、たっぷりと
湯川博士の世界に浸ってきました。楽しかった~!
湯川博士、
そして湯川記念館の職員の方々、ありがとうございました!
所長室近くの階段 ↓
建物入口、正面の壁には像が飾られていました ↓
「親子像」菊池一雄 氏(東京藝術大学教授)
湯川博士のノーベル賞受賞にあたって寄贈されたそうで、
この親子像が“中間子論を形象化したものだ”
ともいわれているそうです。
芸術家の発想は素晴らしいですね!
(おまけ)湯川記念館の中には
「パナソニック国際交流ホール」がありました。↓
惜しまれて放送終了となった
ラジオ番組【メロディアス・ライブラリー】の
スポンサー、パナソニックです。
ちなみに、【メロディアス・ライブラリー】では
2009年3月15日、湯川秀樹『旅人』の本が紹介されました。
あと、もっと詳しく【湯川記念館】を知りたい方はこちらをどうぞ!
(クリックすると「ザッツ・京大」へ移動します)
吉田キャンパス本部構内正門 ↓
京都大学は日本で2番目に創立された大学です。
歴史があり、
この正門からして登録有形文化財です。
明治26年(1893年)、第三高等中学校正門として建設された後、
現在は京都大学の正門として利用されている門です。
先日観光してきた明治村を彷彿(ほうふつ)させます。
京都大学では散策マップも出ているほど
大学構内は見どころ満載、
貴重な建物が目白押し。
もちろん建物見学は楽しみなのですが
今回、京都大学での一番の目的は
ずばり、
【 湯川記念館 】見学です。
本部構内から速足で歩いて15分ほどして
見えてきたのが、
吉田キャンパス北部構内にある
「基礎物理学研究所」です。↓
この建物の中にある旧所長室が
「湯川記念室」として保存されているのです。
建物を正面から ↓
余談ですが、京都大学のキャンパスは本当に広く、
海外からの学生や客人も多いため各建物には
必ず番号が付いています。↓
建物の前に銅像が見えました。↓
近寄って見てみると、
湯川秀樹(ゆかわひでき)博士!↓
日本人で最初にノーベル賞(物理学賞)を
受賞された湯川博士です。
銅像の隣には説明板 ↓
湯川博士の銅像を後ろから 。
京都大学のキャンパスを見守っています。
そしてこの建物が
「基礎物理学研究所」(湯川記念館)です。
昭和27年(1952年)、湯川博士がノーベル賞(物理学)を
受賞した記念に建てられた研究施設です。
建物に入る手前の壁には
【 湯川記念館 】の文字。↓
【湯川記念館】では事前予約をすれば
一般見学が可能となっています。
2021年7月から常設展示として公開されているのが
『湯川秀樹と読書 ~ノーベル賞物理学者の原点 ~』
この展示を見学するべく、事前予約をしました。
見学開始時間になると担当の職員さんが出迎えてくれて
簡単な施設の紹介や見学の順序、
見学の際の注意事項を説明してくれて
後は自分の好きなペースで見学をしていきます。
(見学時間は1時間)
記念室前の廊下スペース
ここから常設展示が始まります。↓
私はもうこの展示ケースから釘付けです(笑)
湯川秀樹博士が書かれた
『旅人 ~ ある物理学者の回想』朝日新聞社(初版)
(他に角川文庫、角川ソフィア文庫、講談社からも出版)
展示ケースの中には、
この『旅人』で書かれていた博士が読まれた本が
実際に展示されているのです!
湯川博士が祖父から教わった「論語」「孟子」「中庸」「大学」、
幼少期に読んだという赤い鳥社の「赤い鳥」
さらに、
17歳の時に使用した、ダフの教科書や
シューレーディンガー「波動力学論文集」
(開いた本の隙間から赤い表紙が少しだけ見えました)
他にも、
マックス・プランク「原子力学の諸問題」や
博士がアメリカ滞在中に購入されたという
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」等々。
湯川博士の読書歴を辿(たど)っていくことができるのです。
湯川博士の紹介パネルも ↓
展示ケースの中には本だけでなく
博士が使用していた印鑑や旅行かばん、
飾っていたという菊花石(きっかせき)、
さらには博士が詠まれた短歌なども展示されていました。
続いて湯川記念室に入ります。
本、本、本!です。
湯川博士が亡くなられたあと、
自宅書斎に遺された蔵書を
ご家族の意向により寄贈されたのだそうです。
本棚の中には日本の歴史に関するものから
アインシュタイン博士の本など研究に関わる書籍、
李白と杜甫など中国の書もあれば
夏目漱石、森鴎外、石川啄木などの本、
中でも目についたのが
核兵器のない世界へ、など
平和についての本が並んでいたことです。
湯川博士が研究者の責任として
核兵器の問題に向き合ってこられたのだ、と
いうことが垣間(かいま)見えました。
↑ 右側にある展示ケースの中には
湯川博士の直筆メモが展示されていました。
・「自己ノ全力ヲ自己二最モ必要ナル事柄二集中セヨ」
(自己の全力を自己に最も必要なる事柄に集中せよ)
・「明日カラ夕食後モ学校二イルコト」
(明日から夕食後も学校にいること)
・「新シキ時代ノ代表者トナレ」
(新しき時代の代表者となれ)
博士の内に秘めた希望や焦り、研究への熱い思いが
伝わってきます。
さらに奥の部屋へ入ります。
当時の所長室が展示室になっています。↓
壁には黒板があり、数式が書かれていました。↓
私は物理に詳しくないので、この数式も秘密の暗号か
魔法の呪文のようにしか見えず……
(湯川博士、ごめんなさい)
湯川博士の書 ↓
「学而不厭(がくじふえん)」
論語の一節で、学んでも学んでも決して厭(いや)になることがない
という意味です。
こちらも湯川博士の書 ↓
「学問は大いなる蓄積である」
さらに、この部屋の展示ケースの中には
日本人初の受賞となったノーベル賞のメダルがありました。
もちろんメダルはレプリカですが、輝いていました!
賞状も飾られていて
湯川博士が継続して研究した結果の栄えある象徴として
鎮座していました。(写真は控えました)
そしてこちらの本棚は…↓
有朋堂文庫です。
平安時代から江戸時代までの古典文学を網羅(もうら)
した古典大全集です。
全巻揃っているそうで、専用の棚に収められて貫禄があります。
湯川博士が使用していた所長室の机です。↓
湯川博士は亡くなられる3週間前まで
この所長室に来られていたそうです。
取り組みたい課題がまだまだ残っていたのではないかと推測されます。
当時の所長室の見取り図が描かれた説明書 ↓
そして壁側には本、本、本!
改めて、湯川博士の読書量は凄かったのですね…!
こちらはノーベル賞の受賞につながった論文です。
当時の部屋の様子を伝える写真 ↓
部屋には空調が完備されていました。
湿度計も配置されて、丁寧に保存されていることが伺えます。
こうして約1時間、たっぷりと
湯川博士の世界に浸ってきました。楽しかった~!
湯川博士、
そして湯川記念館の職員の方々、ありがとうございました!
所長室近くの階段 ↓
建物入口、正面の壁には像が飾られていました ↓
「親子像」菊池一雄 氏(東京藝術大学教授)
湯川博士のノーベル賞受賞にあたって寄贈されたそうで、
この親子像が“中間子論を形象化したものだ”
ともいわれているそうです。
芸術家の発想は素晴らしいですね!
(おまけ)湯川記念館の中には
「パナソニック国際交流ホール」がありました。↓
惜しまれて放送終了となった
ラジオ番組【メロディアス・ライブラリー】の
スポンサー、パナソニックです。
ちなみに、【メロディアス・ライブラリー】では
2009年3月15日、湯川秀樹『旅人』の本が紹介されました。
あと、もっと詳しく【湯川記念館】を知りたい方はこちらをどうぞ!
(クリックすると「ザッツ・京大」へ移動します)