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私はメンタルチャットの管理人

メンタルチャットでおこるさまざまな非日常

今年は

2018-12-26 12:54:19 | メンタルヘルス
数年できあいのおせちを買っていたのだが どうも美味しくない。母と伯母(母の姉だから これでいいのか・・)が年末にてんやわんやして こしらえていた時代のおせちが あたしの中では正しいおせちである。仕事をロストした今 それを再現するべく 本なんか買って下調べしてて 今年こそ・・と思っていたのだが半ばあたりから体調が悪い。結局 買出しには行くのだがお正月価格に恐れをなして 普段よりちょっとだけ豪華な晩御飯・・でいいか?と思ってるのである。まあ倒れてからほぼ3年だ。一応ちゃんと修理したわけなんだが それでも後遺症と思われる症状がいっぱいあるわけで あーもうこれまでか・・と思うほど酷い状態になったことも数知れない。年が明けたらすぐに半年ごとの大検診で三次元CTをとるわけだが これが死ぬまで続くか?と思うと心休まるものではない。まあ 脳と肺に行く大動脈がビニールチューブなんだからいつ死んでもおかしくないのだけどねぇ。今年もあと6日 まあでも3年生き延びただけでも儲けものと思うしかない。体調が悪くなければ倒れる前と何も変わらないのだが これが永遠に続く・・みたく思ってた脳天気なあたしはもういないのである。親より先に死ぬのは嫌だなーとは思うものの こればかりはどうしようもない。まずは京都に足場を作る・・って 何度も部屋を見に行ってるのだが なかなか満足できるところは無い。下は350万からあるので ロードスターのRFを買うのと変らない。これまでバイクや車が趣味の一部だったので これらを切り捨てて京都に回すというのなら そんなに贅沢・・ってわけでもない。先日 車番組を見てたらBMWのX4のMスポーツが997万とかw 言っちゃ悪いがたかが車である。車に1000万てなんだよ?と思う。まあ普通の人は買わない・・というか買えないだろうけどw 軽でも諸経費入れたら200万する時代である。もう少し出すだけだ。知人は1億5千万のフェラーリF40だの1億のフォードGT40(フォードGTではない本物のヒストリックのレースカー)とか持ってるが 羨ましくすらないw かけたコスト以上の見返りがあるとは到底思えないのだが・・
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また

2018-12-26 11:36:10 | メンタルヘルス
家の話だ。それも戸建。日本建築が西欧の建築と大きく違うのがその構造である。西欧の建築が壁が屋根を支える壁工法に対し 日本建築は柱が屋根を支える軸組み工法である。壁工法でメジャーなのは2X4工法だがこれの利点は 柱が無くて自由な間取りができるところにある。壁が屋根を支えるので開口部はそんなに大きく取れないのだが。 高価な材を使うこともなく 比較的安いコストで 更には特殊な技術が無くても建築できる・・という点が優れているとは思うが・・部材も規格化された角材と合板だからコスト的にも安い。まあ重たい瓦屋根を支えるには無理があるので一般的な洋風建築か軽い瓦を載せるわけだ。対して軸組み工法って柱で重たい屋根を支える構造だから 基本壁は無くても存在できる。高温多湿な日本である。この基本壁が無くても存在できる日本建築が1000年以上続いてきたのは当然と言えば当然である。欧米の家は住人を守る強固なシェルターの意味合いが強いので 家は閉鎖された空間になるのだが 日本の家は基本 自然と共にある。近代以前のガラスが無かった時代は中と外を隔てるのは障子紙1枚だったのである。まあ夜間は木製雨戸を立てるわけだが。なので 内と外の境界は曖昧である。時代劇で見るような 部屋の周りを廊下が取り巻いているアレだ。まあ 全部木製だから密閉性がいいとは言えないのだが 雨戸を立ててしまえば部屋との間に空気層ができて断熱の役目を果たす。夏場は 雨戸も立てずに開けっ放しで蚊帳吊って寝てたわけだから 無用心ちゃー無用心だけどw でも一般的な日本人が故郷の家・・ってイメージで思い起こすのは こういう開放的な日本建築だろう。石やレンガの壁に囲まれた部屋ではないのである。あたしも 昔は日本建築は大嫌いだったのだ。部屋の仕切りは襖や障子でプライバシーのかけらも無いし ベッド置いてもさまにならない。海外の雑誌にみるようなお洒落な部屋にはなり得ないのだ。が 人というのは変わるものだな・・と思う。今の日本建築は別として 戦前までの伝統的な日本家屋というのは 仕切りの襖や障子を外してしまえば 簡単に宴会ができる広間になる。結婚式や葬式を日常的にするわけではないけど ちょいとした宴会まで柔軟に対応する。みんなが帰れば 建具を戻せば寝室にもなるわけで全てがフレキシブルである。まあ昭和の中ごろまではみんな私物が少なかったから家具もそんなにいらないし 箪笥だって和箪笥一棹あれば済んだ時代だ。普段の生活で背負ってるものが少なかったから古い日本家屋が意味があったのである。もう今の時代 本当の意味での日本家屋・・というのは難しいだろうが 本当に住みたい家というのは 廊下が縁側になって 夜は雨戸を立てる古い造りの日本家屋である。まあ 水周りは最新のものの必要はあるのだが。さて ライターの某永江朗氏は京都 御所南に家がある。本宅は東京自由が丘の注文建築らしいけど。これ茶室が欲しい・・ということで古い町家を買ってフルリノベーションしたそうな。本人は京都 町家 京都人てつもりで何冊か本を出してるが あたしから見るとなんか勘違いしてない?とか思うのである。京都の町家というのは基本長屋である。自分ちの壁が隣の壁だから開口部は玄関側と坪庭側で両側には開口部は無い。あたしが言ってる日本家屋の概念からは外れてるが これはこれ。狭い土地に建てられた家としてはよく考えられてる。昔の家だから 家の中に土間がある。表から坪庭に通じる走り庭がそれで これが風の通り道になる。戦後リノベーションされた物件が多くて 走り庭は潰されて部屋の一部になってるところが多い。なんで 空気が滞留するのである。京都の夏は蒸し暑い。で風が通らない家って やっぱりダメでプライバシーと伝統を引き換えにした・・というところか。あたしは 昔ながらの京町屋は図面や写真でしか知らないのだが良く考えられてるな・・と思う。まあ最近の猛暑ではさすがに対応できないからエアコン・・ていると思うけど。その昔ながらの京町屋が見れるのが 寺町今出川上がったところにある京漬物の野呂本店・・という店。本店があるのだから支店があるのか?と言えば無いwここは 表に麻の暖簾がかかって 店は土間だ。左手に走り庭があって店座敷 その奥に坪庭がある。正しい京町家というか商家なのである。これこそが 京都らしい・・と思うのだが 某永江氏はフルリノベするに当たって解体したら走り庭もあった本物の町家だった・・と喜んで書いていたが 結局走り庭は戻さずにリノベしちゃった。それも2階にトイレが欲しいとか 北欧の壁紙とか北欧の家具とか・・・まあ 個人の家なんだから好きにすればいいと思うし 買った時点で既に変な風にリノベーションされてたみたいだからいいけどねぇ・・家ってその土地の風土に合わせたものであるべきだと思うし 欧風生活がすべからくしていい・・と思えないのは先に書いた通りだ。まあ洛中の町家って高いと言われる東京の何倍もするわけで お金があるなら好きにすればいいかと思うが それを本にする・・まあ本人はいいと思ってるらしいけどw なんだかなーと思うのである。あたしは もういつ死ぬかわからない体である。京都に戻るったって 洛中に本物の町家を買う財力はどこにも無いわけでねたみだろう?とか言われりゃそれまでだがw 人はいろんな経験をすることで それまで見えなかったものが見えてくるし 今まで見ていたものの新たな一面が見えるようになる。若い・・ってのはそれだけでアドバンテージなのだが 若いから見えてないものもあるというのが悲しいかな現実なのである。年長者の言葉にも一分の真実はあるのである。
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昔の

2018-12-26 10:39:26 | メンタルヘルス
家というのは 大概廊下があった。あたしが生まれた伯母の家も西の玄関から東に続く長い廊下があった。両側に和室が4つという典型的な古い家である。なぜそういう間取りになったのかは知らないが 南側の二部屋は南側に窓が無く昔の薄暗い部屋だったのである。玄関脇の客間に床の間があってそれも南側w そこを占領してなぜかダブルベッド置いて高校時代をおくってた。昔で言う客間である。西側に半間の縁側があったのだが 増築して4畳ぐらいの洋間になってて そこが勉強部屋。西側に掃きだしのサッシがあって開けると すぐブロック塀だが。物心ついたころは そこは板塀だったのだが当時からあった山吹が咲いてたりするのである。反対側の4畳半の外には槙の木・・・建物は戦前のものだったから古き時代の戸建の良さが随所にあった。姪の家なんか 当時のお金持ちの別宅だったそうで玄関だけでも4畳くらいある まあ時代劇に出てくるような立派な玄関だったのだ。庭には池があって築山あって 庭を囲むように廊下があり木製のガラス戸がある。廊下の反対側は障子で仏間である。今から考えたら十分に無用心な作りなのだが夜は木製の雨戸を閉めるので問題なし。そういう家の中で育ってきたので最近の戸建・・というのはどうもなんか違う気がする。両親が最初に買った戸建は建売だが ローコストな新建材でどう考えても長持ちしないだろうと思ったが 数年住んで買値の2倍で売った両親は偉い・・と思うw 伯母の家は都市計画で立ち退きになって次に買った家も やっぱり新建材が多用されてて 思い入れは無い。外壁の塗装なんかしに通ってた時期もあるのだが 所詮安普請である。その点昔の家はそれなりの材を使ってきちっと建てられてるので愛着がわく。あたしは父親が自衛隊の教官だったので 2,3年であちこちの基地を転々とする生活だったから 自分の家では無いけど自分の家と思ってたのは 津の伯母の家だ。安普請の家を何軒か見てきたので もう建売なんかうんざりだが 広い土地に注文建築・・なんて贅沢ができる財力は無いし 仕事で出てきた東京では若造が戸建なんか買えるわけも無く アパートを転々とした挙句 中古マンションを買ったわけだが。家としての愛着は薄いかもしれないがマンションは便利だ。戸建だと耐用年数は35年くらいだから ローンが終わったころにはまた新たなローンが始まるわけで普通の会社員には到底無理な話だ。それに 東京だ。狭い土地に隣にくっつくように小さな家を建てるしかないわけだが それでも普通の人には荷が重い・・以前に欲しいとも思わない。東京に出てきた当時 両親と弟が住んでたのが国分寺・・といっても駅は国立だが 古い米軍ハウス。広い無垢の板張りリビングに8畳くらいあるバスルーム 庭も入れたら200坪くらいはあった。古い家だが新建材も無く ここは素敵な家だったが所詮借家である。あんな家でなきゃ無理してローン組む価値は無いと思うし 当時でも評価は億だったから絶対無理だw さて でも戸建・・というか一軒家に住みたい。当時はまってたアウトドア遊びの延長で山梨の山奥の開拓の跡地に小屋を買うことになる。東京は半分引き払って 生活の軸を山梨に移して 平日は遅くまで残業して寝に帰るだけの部屋 週末は山の中でカントリーライフ・・ってのを10年以上やってたんだが まあ仕事が忙しくなってきて結局東京暮らしに戻る。ところが 大病して倒れちゃったので 仕事をロストしちゃったら 好きでも無い東京にしがみつく理由が無くなっちゃったのである。では どこに行くか? 両親は名古屋だ。名古屋・・学校を出て働き始めたのは名古屋だ。仕事始めて3ヶ月で無茶を言う創価学会の上司を殴り倒して辞めて 東京に出てきた過去があるので 名古屋は鬼門。山梨・・ってのも考えたのだが 手術が成功したとはいえ 人工血管2本のサイボーグである。今度倒れたらまずアウト。山梨は甲府から車で1時間の山の中なんで まあ倒れたらドクターヘリだろうけど それでも助かる確率は低いな・・と思うので もう無理。津にも足場は無い。なら住むべき土地は 思い出の詰まった京都しか無いじゃないか・・となるわけ。どこかのライターみたいに 茶室が欲しいから そうだ京都に住もう・・てわけでは無いのである。
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