朝方眠れなくて ぼーっと京都の今年の花見の名所の映像を観てたら バックにユーミンの春よ、来いが流れてる。京都の花見って円山公園は別として そぞろ歩くお花見だ。東京の部屋の近くも桜の名所だし緑地帯での宴会は禁止なので 宴会場にならなくていいのだけど。そもそも桜より梅の方が好きだし人混みは苦手。なので今年は京都の桜は無理。東京の深夜 雨で肌寒いところに 京の桜の映像でユーミンだ。もう無性にちゃんと聴きたくてYoutubeで聴いたんだが もっといい音でになる。これ 元々限定配信だったかシングルでアルバムはTHE DANCING SUNだがこちらはリミックスらしい。ベストアルバムのNeue Musikをamazonで見てみたら過去に買ってるので探したが見つからないので 安かったのでポチしてしまった。この曲はユーミンが詩も曲も書いてるのだけど あたしみたいなおっさんは詩か曲かあるいは両方ができてミュージシャンだと思うのでこういう流れは当然だ。演歌や歌謡曲やアイドルが嫌いなのは彼らが 詩も曲も書けずにただ唄うだけなので それならここからはAIによる自動音声でお送りします・・と何も変わらない。国会ってあらかじめ質問事項を提出して官僚が答弁を書いて大臣がそれを読むだけで目に余る岸田の答弁こそ ここからはAIによる自動音声で・・でいいかと。トランプは糞だが ちゃんと自分の言葉でしゃべるのになぁ・・と思う。さて昨今の音楽シーン・・てK-POPやアイドルグループによる今風の盆踊りと変わらない。まあああいう盆踊りが好きな人を否定はしないけどねぇ・・ただ唄って踊るだけでは心揺すぶられたりはしないだろうなと思う。いい歳した大人が学芸会でもあるまいし・・と思うのはあたしだけか?
湯澤 規子著 光文社刊 2023年初版 280P 1034円
雑誌の書評から拾った本だが 買う前に図書館で ヒットしたので借りてきた本。新書なので集中すれば1日で読める。さて漠然としたおふくろの味なのだけれど 料理寄りに書かれた本か?と言えばそうではない。読みはじめて ありゃ?と思ったので著者略歴をみたら 1974年大阪生まれの法政大学人間環境学部教授。筑波大学大学院歴史・人類学研究科単位取得満期退学。博士(文学)。専門は歴史地理学、農村社会学、地域経済学。なので 本書は個人の事情や嗜好というよりもむしろ、社会や時代との関連から解き明かしていく・・という社会学の本だが 結構面白い。著者も後ろの方に書いてるが おふくろの味という現代史。これが言われ始めたのが 昭和の後期で amazonのレビューに 「おふくろの味」という言葉は1957年の扇谷正造によるコピーライティングで、高度成長期に料理研究家とりわけ料理本の編集者や特産品開発者がのっかって、時代の流れを捉え、キャッチ―なコピーを作って、男性女性それぞれに響く方法で訴え、商品化して大きな流行を作った流れは見事なマーケティング戦略だったのだと思わせる本・・てのがあって 鋭いな・と思う。まあ それは置いといても あの時代の流れの中にいたあたしには ほう そうだったのか・・と面白く読めた。若いころから自分が食べたいものは自分で作って彼女なり嫁さんなりに これどうよ?とやってきたので男子でも料理ができなきゃ生きていけんよ?と言いたいところだが 昨今料理が既製品にシフトしていくのを見てるといまいましい。昨今の料理雑誌を見てるといかに簡単に安く目新しく・・ばかりが強調されてるように見えるが 食の多様化もいいんだけど まずはベーシックなものをちゃんと学んでないと応用だけ学んでも意味が無いかと。素材を見極める・・て高い素材を使えばいいわけではなく 旬の地元の安い食材をうまく使って素材を生かす調理が大事だと思う。東京にいると素材の季節感てあんまりないのだけど 京都にいるとスーパーの店先でもちゃんと旬の素材が出てくるし お豆腐もびっくりするぐらい美味しいので やっぱり京都というか関西はいいな・・と関西人のあたしは思う。東京は目新しいんだけどね。余談だけど本書の181Pに出てたのだけど 2020年の夏にSNS上でポテサラ論争てあったらしい。買い物をする若い母親に向かって見ず知らずの高齢男性が 母親ならポテサラぐらい作ったらどうだ・・と言って去って行った・・という事件らしいが あたしから見ればポテサラって結構手間がかかるし安い料理ではないんですが・・と言いたい。じゃがいも茹でて皮むいて マッシュして 玉ねぎもきゅうりもひと手間いるし人参はさっと湯がかないといけない。そこまでが手間がいるので少量だとお店で・・てなるのはよくわかる。食卓に座れば そこにちょこんとある何気ない料理だけど料理をしない男子にはあの手間がどれだけ圧力になるかわからないのだろう。
雑誌の書評から拾った本だが 買う前に図書館で ヒットしたので借りてきた本。新書なので集中すれば1日で読める。さて漠然としたおふくろの味なのだけれど 料理寄りに書かれた本か?と言えばそうではない。読みはじめて ありゃ?と思ったので著者略歴をみたら 1974年大阪生まれの法政大学人間環境学部教授。筑波大学大学院歴史・人類学研究科単位取得満期退学。博士(文学)。専門は歴史地理学、農村社会学、地域経済学。なので 本書は個人の事情や嗜好というよりもむしろ、社会や時代との関連から解き明かしていく・・という社会学の本だが 結構面白い。著者も後ろの方に書いてるが おふくろの味という現代史。これが言われ始めたのが 昭和の後期で amazonのレビューに 「おふくろの味」という言葉は1957年の扇谷正造によるコピーライティングで、高度成長期に料理研究家とりわけ料理本の編集者や特産品開発者がのっかって、時代の流れを捉え、キャッチ―なコピーを作って、男性女性それぞれに響く方法で訴え、商品化して大きな流行を作った流れは見事なマーケティング戦略だったのだと思わせる本・・てのがあって 鋭いな・と思う。まあ それは置いといても あの時代の流れの中にいたあたしには ほう そうだったのか・・と面白く読めた。若いころから自分が食べたいものは自分で作って彼女なり嫁さんなりに これどうよ?とやってきたので男子でも料理ができなきゃ生きていけんよ?と言いたいところだが 昨今料理が既製品にシフトしていくのを見てるといまいましい。昨今の料理雑誌を見てるといかに簡単に安く目新しく・・ばかりが強調されてるように見えるが 食の多様化もいいんだけど まずはベーシックなものをちゃんと学んでないと応用だけ学んでも意味が無いかと。素材を見極める・・て高い素材を使えばいいわけではなく 旬の地元の安い食材をうまく使って素材を生かす調理が大事だと思う。東京にいると素材の季節感てあんまりないのだけど 京都にいるとスーパーの店先でもちゃんと旬の素材が出てくるし お豆腐もびっくりするぐらい美味しいので やっぱり京都というか関西はいいな・・と関西人のあたしは思う。東京は目新しいんだけどね。余談だけど本書の181Pに出てたのだけど 2020年の夏にSNS上でポテサラ論争てあったらしい。買い物をする若い母親に向かって見ず知らずの高齢男性が 母親ならポテサラぐらい作ったらどうだ・・と言って去って行った・・という事件らしいが あたしから見ればポテサラって結構手間がかかるし安い料理ではないんですが・・と言いたい。じゃがいも茹でて皮むいて マッシュして 玉ねぎもきゅうりもひと手間いるし人参はさっと湯がかないといけない。そこまでが手間がいるので少量だとお店で・・てなるのはよくわかる。食卓に座れば そこにちょこんとある何気ない料理だけど料理をしない男子にはあの手間がどれだけ圧力になるかわからないのだろう。
エーリッヒ・フロム著 鈴木 晶訳 紀伊國屋書店刊 2020年初版 212P 1430円
雑誌で絶賛されてたが まずは図書館で待って手元に来た本。まあハードカバーで税抜きなら1300円てお安いのだけどねぇ。amazonのレビューでは評価4.5でベストセラー1100以上のレビューがあるデータだけ見れば珠玉の名著・・て感じだが たった200Pの本なのに2週間たっても半分も読めない。次に待ってる人がいるし 絶賛されてる本なんで読めない・・ておかしいんだけど事実そうなんだから仕方ない。ここ20年くらいで 途中で投げた初めての本。愛するということは技術である・・という書き出しで もうダメ。こういう分野はからっきしわからないのでフロム?何者?てみてみたら 1900~1980年のドイツ生まれで33年にアメリカに渡り帰化したドイツの精神分析の人。本書は古い本らしく 知識人は既に読んでおられるそうで30年ぶりの新装だそうだが 1900年て明治だし 元々がキリスト教倫理に支配された前の世代の思想なので 読むのが辛い。自信に満ち溢れた断定口調もすさまじく疲れるし 主張にも共感できない。まぁそもそもLGBTて神に背く行い・・みたいな感じなんで ますます読んでいて憂鬱になる。次が読みたい・・というか読み進めたいという気持ちがゼロどころかマイナスで まだ半分・・まだ100ページもある・・と苦痛だ。amazonの評価が絶賛となんじゃこれは?にすっぱり分かれてるのが理解できる。あたしの評価は1どころか0でもいいくらい。あんた学が無いから読みこなせないんだろう・・とか言われそうだが 納豆や生卵が無理なのと同じくらい生理的に受け付けないのだ。次に待ってる人がいるからさっさと読んで返そうと思うのだけど 栞のとこを開いて数行読んでめげる・・の繰り返しw。なんと言われてもいいけど あたしにとっては読めないというか読みたくない本。お好きな方はどうぞ・・としか言えない。ここからは独り言だけど 愛て定義の範囲が広すぎるので 嫁さんに対する愛って 自分の命と引きかえでも守る 大事な友人 金のある限り守る というシンプルなもんでいいんじゃない?と思う。精神分析でこれが正しい これは間違いと決めつけられたくないし あんたは不変の物理の法則か?という感じだ。
雑誌で絶賛されてたが まずは図書館で待って手元に来た本。まあハードカバーで税抜きなら1300円てお安いのだけどねぇ。amazonのレビューでは評価4.5でベストセラー1100以上のレビューがあるデータだけ見れば珠玉の名著・・て感じだが たった200Pの本なのに2週間たっても半分も読めない。次に待ってる人がいるし 絶賛されてる本なんで読めない・・ておかしいんだけど事実そうなんだから仕方ない。ここ20年くらいで 途中で投げた初めての本。愛するということは技術である・・という書き出しで もうダメ。こういう分野はからっきしわからないのでフロム?何者?てみてみたら 1900~1980年のドイツ生まれで33年にアメリカに渡り帰化したドイツの精神分析の人。本書は古い本らしく 知識人は既に読んでおられるそうで30年ぶりの新装だそうだが 1900年て明治だし 元々がキリスト教倫理に支配された前の世代の思想なので 読むのが辛い。自信に満ち溢れた断定口調もすさまじく疲れるし 主張にも共感できない。まぁそもそもLGBTて神に背く行い・・みたいな感じなんで ますます読んでいて憂鬱になる。次が読みたい・・というか読み進めたいという気持ちがゼロどころかマイナスで まだ半分・・まだ100ページもある・・と苦痛だ。amazonの評価が絶賛となんじゃこれは?にすっぱり分かれてるのが理解できる。あたしの評価は1どころか0でもいいくらい。あんた学が無いから読みこなせないんだろう・・とか言われそうだが 納豆や生卵が無理なのと同じくらい生理的に受け付けないのだ。次に待ってる人がいるからさっさと読んで返そうと思うのだけど 栞のとこを開いて数行読んでめげる・・の繰り返しw。なんと言われてもいいけど あたしにとっては読めないというか読みたくない本。お好きな方はどうぞ・・としか言えない。ここからは独り言だけど 愛て定義の範囲が広すぎるので 嫁さんに対する愛って 自分の命と引きかえでも守る 大事な友人 金のある限り守る というシンプルなもんでいいんじゃない?と思う。精神分析でこれが正しい これは間違いと決めつけられたくないし あんたは不変の物理の法則か?という感じだ。
花房 尚作著 光文社刊 2022年初版 280P 990円
著者は埼玉から鹿児島の過疎地経由でボストンに2年 東京に戻ってFPだの宅建や演出家と色々やってる人だが なんとなく屈折した匂いを感じるのは あたしも同類だからだろうw 田舎暮らし・・て昨今はアウトドアがブームだし特にキャンプ。東京の地価はもう頭おかしいとこまで行ってるが 千葉や埼玉では絶対に嫌・・と言う人が TVの田舎暮らしの番組を見て田舎に移住したがる。子供を大自然の中でのびのびと育てたいんだそうな。みんな田舎が嫌で都会に出てきてるから田舎の嫌らしさを知ってるはず・・と思いきや そうでもないらしい。あたしは親は国家公務員なので 転勤で地方を連れまわされたが悩みはあまり経験しなかったが 茨城では酷い目にあったので田舎バンザイとは言えない。TVの田舎暮らしの番組を見ると みんな優しく世話好きで 夢のようなカントリーライフをおくれるように見えるが あれはほぼ幻想。大体土地も経験も人脈もない都会ルールで生きてる余所もんをお隣として受け入れてくれる地域はほぼない。まあ そういう田舎のいやらしさ・・も書かれているのだが 本書はサブタイトルの地域活性化の方がメインだろう。昨今少子高齢化が問題になっていて 現在の口だけ総理も色々言ってるが そもそも中央が地方の過疎化というか少子高齢化の対策を補助金を注入して地域活性化すればおさまる・・と思ってるところが間違い。過疎地域は変わらないことを望み何もせず廃れていくことを恐れない人たちが暮らしているので 何をしようが過疎地は衰退せざるを得ない。東京で金融にいて地元にUターンした本家跡取りの友人に話したら読みたい・・というので図書館でいいよ・・と言ったのだが無かったそうで 古本を買ったらしい。九州の過疎地で農家を継いでる彼に本書はどう映るのだろうか?内容は別として文章がこなれてない・というか くどいのでうんざりする。あたしはもうお腹いっぱい。みなさんも同じらしく去年の本なのにamazonのマケプレでは53円からあるw
著者は埼玉から鹿児島の過疎地経由でボストンに2年 東京に戻ってFPだの宅建や演出家と色々やってる人だが なんとなく屈折した匂いを感じるのは あたしも同類だからだろうw 田舎暮らし・・て昨今はアウトドアがブームだし特にキャンプ。東京の地価はもう頭おかしいとこまで行ってるが 千葉や埼玉では絶対に嫌・・と言う人が TVの田舎暮らしの番組を見て田舎に移住したがる。子供を大自然の中でのびのびと育てたいんだそうな。みんな田舎が嫌で都会に出てきてるから田舎の嫌らしさを知ってるはず・・と思いきや そうでもないらしい。あたしは親は国家公務員なので 転勤で地方を連れまわされたが悩みはあまり経験しなかったが 茨城では酷い目にあったので田舎バンザイとは言えない。TVの田舎暮らしの番組を見ると みんな優しく世話好きで 夢のようなカントリーライフをおくれるように見えるが あれはほぼ幻想。大体土地も経験も人脈もない都会ルールで生きてる余所もんをお隣として受け入れてくれる地域はほぼない。まあ そういう田舎のいやらしさ・・も書かれているのだが 本書はサブタイトルの地域活性化の方がメインだろう。昨今少子高齢化が問題になっていて 現在の口だけ総理も色々言ってるが そもそも中央が地方の過疎化というか少子高齢化の対策を補助金を注入して地域活性化すればおさまる・・と思ってるところが間違い。過疎地域は変わらないことを望み何もせず廃れていくことを恐れない人たちが暮らしているので 何をしようが過疎地は衰退せざるを得ない。東京で金融にいて地元にUターンした本家跡取りの友人に話したら読みたい・・というので図書館でいいよ・・と言ったのだが無かったそうで 古本を買ったらしい。九州の過疎地で農家を継いでる彼に本書はどう映るのだろうか?内容は別として文章がこなれてない・というか くどいのでうんざりする。あたしはもうお腹いっぱい。みなさんも同じらしく去年の本なのにamazonのマケプレでは53円からあるw
白洲正子著 新潮社刊 2010年初版 349P 3740円
著者はあの白洲次郎の嫁さんで 白洲次郎てすさまじいスノッブという認識なので その嫁さん・・うーんで 有名な随筆家なのだけど食わず嫌いだった。某雑誌に このかくれ里が絶賛されてたのと ここんとこ読みたい本がうちの図書館にないので 検索したらあったので借りだしてきた。単行本と文庫があったのだが借りるなら単行本だろう・・ということで 単行本を借りたら この愛蔵版が来たわけだが この装丁は素晴らしい。本書は近畿地方 奈良と近江が多いのだが 歴史に紐付いてはいるが観光から離れたところにある寺社仏閣そして風景だ。まあ これをこれまで毛嫌いしてたのが損したなぁ・・と思わせるぐらいいい出来。著者は1910年生まれで1998年に彼岸の人なのだから 本書も12年前・・と言いたいところだが 実は初版は1971年 文庫が1991年に出て これは初版の写真や地図を2010年時点で差し替えたもの。まあお値段からすると とても気楽に買えるような代物ではない。91年の文庫ですら まだ新本で買えるけど1870円もする。古本なら400円くらいで買えるのだけど 30年以上前の文庫の劣化具合を知ってるのでご遠慮したい。たまたま初版で900円くらいのがあったので 仕方ないか・・と買ったら シミ一つない美本が来た。それも箱入り帯付き。当時の定価は4000円だ。50年以上前の本でほぼ奇跡みたいなもんである。愛蔵版と比べてみたが 図版は古いし書体も古いけど中身は同じだからこれを強くお薦めする。あまりにも程度がいいので スナックつまみながら読めないw 図書館の本でも読む前は手を洗って・・の人なので うーむとなって 2冊目を買ったw 今度のは300円なので心置きなく読めるだろうw 日本の歴史に彩られた山里で観光化されてないところがお好きな方には、文句なしにお薦めできる。白洲次郎の嫁さんということで上から知識をひけらかすような書き方かと思ったが 自分の感性に素直に 裏が取れないところは なったのであろう・・とか 私は思う・・と決めつけないところは好感が持てる。まあ 近畿地方に限定されてるので向かない方はあろうと思うが 随筆としては一級品だ。元本は藝術新潮に2年にわたり連載されてたもので50年以上前の内容ではあるけれど 今も大きく変わってるとは思えない。衰退してるとは思うが。京都・奈良の観光寺社にうんざりされてる方には是非お薦めしたい。余談だがこれを読んで すげーと思ったので 白洲正子氏をamazonで検索してこれは読みたい・・と思ったのを古書で4冊ほどポチった。本好きには困ったものだw
著者はあの白洲次郎の嫁さんで 白洲次郎てすさまじいスノッブという認識なので その嫁さん・・うーんで 有名な随筆家なのだけど食わず嫌いだった。某雑誌に このかくれ里が絶賛されてたのと ここんとこ読みたい本がうちの図書館にないので 検索したらあったので借りだしてきた。単行本と文庫があったのだが借りるなら単行本だろう・・ということで 単行本を借りたら この愛蔵版が来たわけだが この装丁は素晴らしい。本書は近畿地方 奈良と近江が多いのだが 歴史に紐付いてはいるが観光から離れたところにある寺社仏閣そして風景だ。まあ これをこれまで毛嫌いしてたのが損したなぁ・・と思わせるぐらいいい出来。著者は1910年生まれで1998年に彼岸の人なのだから 本書も12年前・・と言いたいところだが 実は初版は1971年 文庫が1991年に出て これは初版の写真や地図を2010年時点で差し替えたもの。まあお値段からすると とても気楽に買えるような代物ではない。91年の文庫ですら まだ新本で買えるけど1870円もする。古本なら400円くらいで買えるのだけど 30年以上前の文庫の劣化具合を知ってるのでご遠慮したい。たまたま初版で900円くらいのがあったので 仕方ないか・・と買ったら シミ一つない美本が来た。それも箱入り帯付き。当時の定価は4000円だ。50年以上前の本でほぼ奇跡みたいなもんである。愛蔵版と比べてみたが 図版は古いし書体も古いけど中身は同じだからこれを強くお薦めする。あまりにも程度がいいので スナックつまみながら読めないw 図書館の本でも読む前は手を洗って・・の人なので うーむとなって 2冊目を買ったw 今度のは300円なので心置きなく読めるだろうw 日本の歴史に彩られた山里で観光化されてないところがお好きな方には、文句なしにお薦めできる。白洲次郎の嫁さんということで上から知識をひけらかすような書き方かと思ったが 自分の感性に素直に 裏が取れないところは なったのであろう・・とか 私は思う・・と決めつけないところは好感が持てる。まあ 近畿地方に限定されてるので向かない方はあろうと思うが 随筆としては一級品だ。元本は藝術新潮に2年にわたり連載されてたもので50年以上前の内容ではあるけれど 今も大きく変わってるとは思えない。衰退してるとは思うが。京都・奈良の観光寺社にうんざりされてる方には是非お薦めしたい。余談だがこれを読んで すげーと思ったので 白洲正子氏をamazonで検索してこれは読みたい・・と思ったのを古書で4冊ほどポチった。本好きには困ったものだw