49日で大阪に行くのだが 大阪はコロナ450とか もう東京とタメ張ってる。でちなみにあたしは心臓血管というか 脳と肺に行く大動脈が人工血管だから 感染したら重症化するのは目に見えてる。で 友人と呑みながら(おいおい)坊主に20万も30万も払うならコーラス入ったお経のCDでもかけてたほうがマシ・・て話をしてて youtubeにお経のサイト無いかとみてみた。うちは真宗高田派なんだが 薬師寺寛邦(ヤクシジカンホウ)の僧侶ボーカルプロジェクトの般若心経てのを見つけた。これが聴いてみるとすげーいいの。キッサコっていって元々はデュオ+バックの構成だったらしいが今はソロ。なんでも 松山の寺の副住職らしい。まあ歌詞はお経なんだが それをテクノやPOPに載せて歌う。松山のライブをyoutubeで観たが法衣でアコギでこれがなかなかの美形なうえに声が素晴らしい。まああちこちで般若心経のいろんなバージョンやってるけど80年代風の派手でないフォークロック系もやるがこれもまたいい。中でもこれはお勧めというのが卻瘟神呪て曲 で祈りてアルバムに入ってる 今年の10月に出たやつ 雰囲気は環境音楽なんだがダンサブルでうへっ!て感じである。もう完全に入れ込んじゃってアルバム買うかというぐらい(アルバムの半分は般若心経だけどw)もうすごすぎる。これも歌詞はお経だ。メジャーから離れたところにいるけどこんなすごい人がまだ日本にいるのか・・と 無知なのを恥じてるわけ。買わないまでも是非観て欲しい。とりあえずリンクしといたから 気に入ったらたどるなり買うなりして欲しい。久々にお薦めできる現代アーティストなのだ。
週刊新潮のコラムだが 日本ルネッサンス 櫻井よしこのコラム(ご存じとは思うがばりばりの右翼の論客w)で 最近国会でも騒がれてる日本学術会議の任命拒否をとりあげている。日本の学者・研究者は「今後絶対に」軍事研究はしないという1950年の決意表明で今に至ってるわけでこれは当時のGHQの意見を受けたものである。学術会議って海外ではシンクタンクにあたるわけだが 国に影響を与えるわけで 米国では民間組織だ。で 菅内閣は拒否された6名の名簿は見てないというにも関わらず総合的・俯瞰的に判断して 任命を拒否したわけである。政府は以前の国会答弁で 任命は形式的なもの・・と言っておきながらこれである。まあ杉田君が忖度したのだろうけど それは本人が国会に出てくるまでわからないとして もう日本学術会議は一度解体して 民間の組織として再構成すればいいと思う。国から10億の予算をもらってるから 特別国家公務員であるなんて言われるんだし 国家公務員なら政府が好きなように任官していいというようなシステム自体がおかしい。現状の日本学術会議は 政府の施策にたてつくものは任官されず 政府の意向に沿うものだけで構成されているのだとしたら 何の意味があるのだろうか? 政府を監査し おかしい・・と思うところはちゃんと指摘するのが 科学者や研究者であり文化人であると思う。なので もう一度解体して 政府と縁を切って政府から金なんかもらわないで 独立した民間シンクタンクとして政府に大きな提言ができるように再構成するのがベストだと思う。政府からカネ貰ってる現状では 政府が間違った方向にいこうとしても それを正す位置にいないからである。いつまでも政府の太鼓持ちでいいのか?日本学術会議 今のままでは明日はない・・と思うが。ちなみに あたしは極左ではないが左よりなんで右翼は大嫌いなのだが 先に書いたようにいろんな意見を読むことで 右翼の論客の言うことも一理以上にあるな・・と思うのである。
週刊新潮の10月22日号に出ていた記事だが 学生の「読書時間ゼロ」50%で日本は終わる!なんて記事を読んで思ったことだが。前にも書いたが友人が返本の仕事をしてるので週刊誌なんかはタダで読めるので あたしが週刊新潮を買ってるわけではないので念のためw 若い世代の読書離れが言われてもう久しいが 最近はそれが急速に進行しているようである。まあ あたしみたいな昭和の世代は情報と言えばネットなんかないから本かラジオくらいしかなかったわけだから それこそ必死に雑誌を読んでた。まあ雑誌も今の時代 ネットに取って代わられて風前の灯なのはご存じの通り。で 記事だが2019年のデータで48.1%は読書時間は0らしい。しかもこの数字は電子書籍を含むもので 読書に コミックス・趣味・情報雑誌・漫画雑誌・教科書・参考書が入ると考えてる学生が53.4%もいるらしい。つまり書籍を読んでいる学生は4人に一人かそれ以下ということになる。あたしも仕事柄技術書は結構読むが それ以上にエッセイや文化・政治関係の本は最低でも月5冊は読む。多いと10冊に迫るところだが。まあ 文学と呼ばれる領域は好きな作家以外はあんまり読まないので言えた義理ではないが。雑誌はもうタダで読めるのでそれ以外のハードカバーや新書で月5冊以上は必ず読むし それが楽しみでもあるから(読んだとしても役に立たないかもしれないがw)なんで読まないの?と思う。読書ははっきり言えば娯楽なんだが。本を読まないということは 表現の裏側に書かれたことを理解できなくなる・といのと 直接的表現 まあ目に見える形以外は理解できなくなるということなので 非常に危険なことだと思う。昨今はやりのSNSやディープフェイクに簡単に騙されることになるからだ。いろんな方面からの情報を入れて 頭で整理して分析して考えるという能力が削がれているということなので これはやっぱり危険だろうと思う。駄文を読んでもそれが駄文であるという判断ができないわけだから。さて この記事からだが センター試験から共通テストに変更するにあたって国語の内容が実用文にシフトされてるようなのだ。高校の方でも現代文Bが 論理国語と文学国語に分かれ いずれかを選択するするようになる。論理国語は 実用的な文章の読解力を求めるものであって 教養としての国語 まあ文学を低く見るわけで これで高等教育といえるのか?という問題はある。あたしもソフト業界の人間だから実学が大事なのは理解できるけれど 実学以前に大事なのはまず人としてどうか?というところであり いかに実学に優れていたとしても教養のない人ではあかんやろ?と思う。あたしが思うに 多方面から雑学も含めていろんな知識を吸収しそれを整理して考え 人は成長するものだ・・と思うから この記事を読んでう~んと思ったのだ。
ウッドストックがやってくる・・の中で書いたのだが suumoのインタビューで森見登美彦氏が出てる。元々奈良の人で京大で左京区にいて 京都が舞台の話を書いて本屋大賞にもなった人だ。太陽の塔から恋文の技術 きつねのはなし 夜は短し歩けよ乙女 四畳半神話体系 有頂天家族(順不同)までは絶賛するのだが なぜか夜行あたりから面白くなくなり熱帯は既に意味不明である。なんというかいつから村上春樹路線に鞍替えしたのか?と思わせるような意味不明のファンタジーが続いて あーもう森見さん終わりか・・と思ったら戯曲とコラボした四畳半タイムマシンブルースが出たので ネタきれたかな・・と思ったのだが このインタビューを見てその理由がわかった。最近は“僕の京都”を壊しにかかっているんです・・ということらしい。森見:さらに、次に刊行予定の『シャーロック・ホームズの凱旋』は、ロンドンと京都がごちゃまぜになったような「ヴィクトリア朝京都」が舞台なんです。ここ最近は、京都を壊しにかかっているというか。いったん粉々にしてしまおうとぼんやり考えています。
――なぜ、京都を壊そうと考え始めたのでしょうか。
森見:以前、フジテレビ系列のトーク番組『ボクらの時代』で小説家の万城目学さんとご一緒したとき、「どんどん型になっていく」みたいなことを言っておられたんです。例えば、僕の小説を何冊も読んできた読者の皆さんのなかでは「森見登美彦が書くなら、京都が舞台で学生が出てきて何か変なことが起きる」という型ができてしまう。さらには読者のなかだけでなくて、自分のなかにも型ができてくる。僕としては、その“型”に従おうとすると行き詰まるから、いろんなやり方でそれを潰そうとするんですよね。潰したなりに新しいものができれば作品になると思うんです。このところずーっと、型を潰そうとしています。
ということらしい 全インタビューが読みたい方はこちら
まあ 作家として日々進化していかなきゃならん・・というのはわからんでもないが 空知英秋みたないなノリでもいいのでは?とも思うがそうはいかないらしい。今度出る新作のシャーロック・ホームズの凱旋にしても またぶち壊されて再構成された京都になりそうで ファンをやめるわけではないが 新本では買わないで価格がこなれたら買ってみようか?という感じだ。好きな作家で片岡義男がいるのだがサンデー毎日にコトバのおかしみコトバのかなしみ・・てコラムを連載してるんだが 感性は片岡だが面白くない。昭和の時代に量産してたものは若者の感性に訴えかける小説なのだが 妙に理屈っぽくなって残念。1939年生まれだからもう80超えてるわけで仕方ないのかな・・と思うが どうもやりきれない。平成生まれが 昭和生まれなんておっさん・おばさんの集まりじゃないか・・というのに似ている。好きな作家の作風が変わっていくのは必然なんだろうけどなんか寂しい。懐古趣味・・てばっさり切り捨てるのもありだろうが やはり好きな時代というのはそれぞれにあるのである。
――なぜ、京都を壊そうと考え始めたのでしょうか。
森見:以前、フジテレビ系列のトーク番組『ボクらの時代』で小説家の万城目学さんとご一緒したとき、「どんどん型になっていく」みたいなことを言っておられたんです。例えば、僕の小説を何冊も読んできた読者の皆さんのなかでは「森見登美彦が書くなら、京都が舞台で学生が出てきて何か変なことが起きる」という型ができてしまう。さらには読者のなかだけでなくて、自分のなかにも型ができてくる。僕としては、その“型”に従おうとすると行き詰まるから、いろんなやり方でそれを潰そうとするんですよね。潰したなりに新しいものができれば作品になると思うんです。このところずーっと、型を潰そうとしています。
ということらしい 全インタビューが読みたい方はこちら
まあ 作家として日々進化していかなきゃならん・・というのはわからんでもないが 空知英秋みたないなノリでもいいのでは?とも思うがそうはいかないらしい。今度出る新作のシャーロック・ホームズの凱旋にしても またぶち壊されて再構成された京都になりそうで ファンをやめるわけではないが 新本では買わないで価格がこなれたら買ってみようか?という感じだ。好きな作家で片岡義男がいるのだがサンデー毎日にコトバのおかしみコトバのかなしみ・・てコラムを連載してるんだが 感性は片岡だが面白くない。昭和の時代に量産してたものは若者の感性に訴えかける小説なのだが 妙に理屈っぽくなって残念。1939年生まれだからもう80超えてるわけで仕方ないのかな・・と思うが どうもやりきれない。平成生まれが 昭和生まれなんておっさん・おばさんの集まりじゃないか・・というのに似ている。好きな作家の作風が変わっていくのは必然なんだろうけどなんか寂しい。懐古趣味・・てばっさり切り捨てるのもありだろうが やはり好きな時代というのはそれぞれにあるのである。
今頃・・と言っても2009年になってこんな本が出たのかはわからないが。ウッドストックがやってくる エリオット・タイバー、トム・モンテ著 河出書房新社刊 2009年初版。そもそもこの本の存在を知ったのが suumoのサイトで森見登美彦氏のインタビューを行った喫茶店の書棚に置いてあったのが映り込んでいたので あれ?こんなのあるんだ?と調べてみたのがきっかけ。ウッドストックと言えば昭和のロックやフォークの世代には有名な1969年の夏にニューヨーク郊外で行われた史上最大のロックフェスティバルだ。会場には40万人集まったらしいし たどり着けなかったのが100万人て言われてるからすごい。まあ有名どころが山のように出てるのだけど 69年だからもう51年前。当時20だった若者も71のご老人だw これは映画にもなり アナログでは3枚組 CDでは多分2枚組か DVDもブルーレイも出てるので70年代のフォークやロックが好きな人は必見だろう。あたしは映画館で観てすげー・・と思った世代なのだが。さて この本フェスティバル自体の本ではない。ニューヨーク郊外のべセルにフェスを誘致した側のエリオット・タイバーの自伝+フェスが行われる前の裏側を書いたもの。なんでも映画化されたらしく日本では未公開のようだが・・ウッドストック ミュージック&アートフェア・・としての表側は知ってる人はいるだろうが その裏側を書いた本という意味では非常に面白い。と言っても 今の若い人にジミヘン?ジャニス?CSN&Y?デッド?といっても通用しないだろうがw 当時若者だった人たちには面白い本であることは間違いない。既に絶版で あたしは図書館検索したらあったので 借りて大笑いして読んで マケプレでポチったのは言うまでもない。興味のある人は是非ポチることをお薦めしたい。