やっと病棟である。1月の19日に病棟に移ったらしいので ほぼ1週間ICUにいたことになる。まあ大半は薬で眠ってたので 意識があったのはほんの2,3日なのだが。結構な大手術だったんで かなり危険視されてたらしく まあ合併症やら感染症の心配があったようで とにかく危ない事例は避けようとしてたらしい。11時間の手術がうまくいったのに 術後の管理であぼーんでは話にならん。尿路感染も避けるために意識が戻ってから比較的早い時期に尿道カテーテルも抜かれたし(どういう風にして固定されるのか再現してもらったのだがw)幸いこちらは異常なく また嚥下機能がちゃんと戻ってたので 水の制限も2日ほどで解禁になった。後は合併症で 腎機能の低下(透析になる)血糖値の異常(糖尿で足が壊死するので切断)なんてのが危惧されてたらしいのだが 本人はまだ術後の混乱で何がどうなってるのかわからない。まあ無事に全部クリアして病棟に移ったのが19日らしい。その時点でも心電図モニタと酸素飽和度のセンサ 点滴の管はついてるわけで 病棟に移ったからといって何も良くなったというわけではない。一応24時間監視の対象から外れただけで 心電図はナースステーションで24時間モニタされてるわけなので ちょっと危険度が減った程度の扱いである。まだいろんな機器がぶらさがってるので 当分はトイレにも行けないので 重傷者用のおむつして寝たきりである。部屋は4人部屋なのだが 最初の1週間くらいは周りがどうなってるかなんて考える余裕も無く ひたすら寝る。最初のうちは食事も点滴なので無し しばらくして病院食が始まるわけだが これが結構美味しい。まあ味付けはきわめて薄味なのでが 出汁や香辛料で最低限の味はついているし素材の味も生かしてあって以前食べた病院食に比べれば格段に美味しい。まあいずれ飽きるのだがw おしっこは尿瓶なのだけど 夜中に暗闇の中ですると時々粗相したりして ナースコールで看護師さん呼んで夜中にシーツ交換してもらったりなんかもした。何よりも困ったのは 一応おしめなんで そのまましてもいいのだが できればトイレ(部屋の外)か非常用のポータブルトイレが置いてあるのだが 大手術をするとホルモンバランスがめちゃくちゃになるらしく おしっこすると連動して下痢しちゃう・・なんて困った事態になる。まあ汚い話で申し訳ないのだが そのままってわけにもいかずに やっぱりナースコールで看護師さん呼んでおしめ代えてもらうのだが これが結構恥ずいw なぜかここの病院 看護師さんが若い それなりの年齢の人がいてもいいなのだがなぜかいないのよねぇw でみんな美人だったりするので ますますやりにくい。 世の中では中高年が最近の若い者は・・なんて批判するのだが あたしはこれには反対である。 最近の若い者はプロ意識がしっかりしてる。 まあ政治とかにはあまり関心が無いのだろうが だからといって一方的に非難されるようなことは決して無いのである。批判する中高年だって 若い時には同じように言われていたのだろうし 昭和の世代は ベトナム反戦や安保闘争 大学紛争で 何も結果を出せず挫折した世代ではないか。なので十羽ひとからげで批判する権利は無いし その批判も説得力のあるものでは無いよと言っておこう。まあそんなわけで 自分の子供より若いであろう看護師さんに夜中におしめ代えてもらうなんてのは すさまじく恥ずかしいのであるw(そのうち慣れるのだが)まあ 看護するほうも 自分の仕事に誇りがあるというか プロ意識が非常に高いので 実際夜中におっさんの下の世話なんかしたくないのは当然なのだが そう思ってても決して顔に出さずにこやかに接してくれるのをみると やっぱりすごいなーと思うのである。最近の若い者は・・なんて言う中高年いたらぶっとばしちゃうよーと言いたい。病棟に移って 個人の冷蔵庫が割り当てられて 飲み物飲み放題になったのはありがたかった。まあ血糖値コントロールされてるのでコーヒーやら甘い炭酸飲料はダメでお茶か水だけなのだが それでもありがたい。
唐突に目が覚めて それが手術の1週間後だったらしい。まあ挿管されてたので 薬で眠らされてたらしいので全く記憶が無い。まあ目が覚めたといってもぼんやりなので 記憶もいいかげん。翌日にはもっとはっきり意識が戻ってそのあいだに抜管されてたので 管が入ってるのは膀胱カテーテルのみである。まあ1週間たったとはいえ胸には30センチを超える縫合跡が残ってるし 当然一人で動ける状態じゃないので ひたすら寝てるわけだが意識が戻ったとはいえかなりぼんやりした状態。喉が渇いてしょうがないのだが 誤飲性肺炎を防止するってことで 飲ませてもらえない。喉が渇くといのはこんなにしんどいことなのかな・・と思うも体の自由が利かないしどうすることもできない。近くを通る人 看護師やら放射線技師に水1本1万円とか誘いをかけるのだがまあ無理だよねぇ。2日くらいしてやっと飲ませてもらった水の美味しかったこと。まあ水が美味いと思ったのはその時だけ(病棟に移ってからはお茶だのコーヒーだのコーラだのそういうものが欲しくなるのだがw)意識が戻ってから1週間ぐらいICUにいたかな。まあまだ病み上がりなので記憶が定かでない。この後1週間ほどしてから病棟に移るのだが なんで自分がICUにいるのかわからずかなり混乱したのも事実。おまけに胸には大きな縫合痕があるし。説明されるまでは何がなんだかわからず混乱してました。結局急性大動脈乖離で11時間の緊急手術して心臓の上部の大動脈を2箇所人工血管に取り替えて 普通だとそれでも合併症でかなりやばいらしいのだが 奇跡的に合併症も起こさず回復したらしい。腎臓、肝臓で合併症がでるらしく 血流不足で足が壊死することもあるらしく その場合は足が無くなってたわけで いろんな意味でラッキーが重なって 合併症も起こさず 生還率1割から無事に戻ってきたらしい。まあ生きてること自体がラッキーなのだが 今こうやってこれを書いていられることは本当にラッキーなのである。相方や主治医 病院スタッフのおかげである。色々話聞いてみると 倒れた時点でほぼアウトらしく 入院中にも大阪の梅田で同じ病気で亡くなって車暴走して二人轢いてるし 大橋巨泉の次女の旦那もこれで亡くなってるし(入院中に読んだ週刊誌に書いてあった)まあ少ないとは言え 発症すれば9割は亡くなるというのも理解できるわけで 知れば知るほどやばかったのだなぁ・・と痛感する。1月の終わりに病棟に移ったのだが ここからが長い。約2ヶ月の入院生活が始まる。